ウーマン・トーキング 私たちの選択のレビュー・感想・評価
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いろいろなことに当てはめることができる寓話かも
ルーニー・マーラ、クレア・フォイ、ジェシー・バックリー、フランシス・マクドーマンド
が共演なので、期待して観にいきました。それに007のQ役のベン・ウィショーも。
ボリビアのマニトバで実際にあった事件の小説が基とのこと。2010年?驚きました。こんな村( コロニー:共同体)があったんですね。 独身男性が圧倒的に多くて、生殖年齢の女性が圧倒的に少ない貧しい村の出来事だったのか?本来、女性はかなり強いはずなのに。村の不文律ともいえなくもない堕落した男性たちの組織的犯罪なのか。カルト宗教なのか?
家畜用の麻酔薬を常用したようです。
そして、
「夢でもみてたんじゃね? オイラしらねーよ」って、ダマし通せると思っていたわけ?
あきれますね。
農業で自足自給をしているコロニーは幌馬車で移動する西部劇のようでもあり、砂嵐に追われて放浪するHOBOのようでもあり。
とても現代の話にするのは難しそう。
賢い女性たちが知恵を絞り、文盲でも可能な簡易な選挙法を考案して、代表者たちが異なる立場から意見をかわす
。丁寧な議論を尽くし、リーダーはベターな結論を出し、まとまった行動に移す。宗教の教義はやはりわかりにくい。
村を追い出されたが、大学で学を積んだために、村の都合でまた呼び戻され、ひとりだけ書記として参加を許されている男性オーガスト(ベン・ウィショー)は実際、オーストラリアの作曲家と市民パートナーシップを結んでいるというから、女たちからは害のない味方として女子会に入れてもらえる便利な男の役でした。
モンキーズの Daydream Beliver が何度もかかる。
女優さんたちは英国系の人やカナダの人が多いので、モンキーズのこの曲はかなり違和感。
あのコンビニのコマーシャルに長く使用されてきたキヨシロー(忌野清志郎)のデイドリーム・ビリーバーの訳詞は
もう今は彼女はどこにもいない
朝早く目覚ましが鳴っても~
そう いつも彼女と暮らしてきたよ
けんかしたり 仲直りしたり
ずっと夢をみて 安心してた ボクは デイドリームビリーバー
そんで、彼女は Queen
女たちはずっといてくれるもんだと慢心していると、ある日突然出ていってしまう
ってのが、この映画の寓意?
じつは長年の恨みを抱えていたアイツが、ある日突然、熟年離婚を切り出すってことか?
確かにオイラはずっと夢をみて安心してた
イカン、イカン。
ジェシー・バックリーがルーニー・マーラに不細工で結婚できないから私が羨ましかったのよ的な発言をするが、いやいや、違う違う、あんた相当性格悪いねぇって思いました。
ノマドランドのフランシス・マクドーマンドが放浪せず、ひとり、残るのが印象的。
未来を見据えた物語だった。
まず、テンポ感が素晴らしく良い。
本題に時間をかけるために、
説明を簡潔に時間をかけず、
しかし分かりやすく見せることに成功している。
さらに、話が進むにつれて見えてくる
人物それぞれのバックグラウンド。
ある人が何故そんな態度をとってしまうのか、
どうしてその台詞を聞いて笑って、
どうしてその台詞を言うときに涙がこぼれてしまうのか。
綿密に作られたその造形に圧倒された。
唯一登場した成人男性の作り込みも良かったし、
キャスティングも最高だった…。
フランシス・マクドーマンドの役柄が若干気にはなったのだが、
おそらく彼女は顔の傷を悪く言われてきたのだろう。
あの村の男たちなら、やりかねない。
だから、外に孫たちを出すのも躊躇った。
自分と同じ目に合わないように。
そう受け取った。
全編を通して思い返したことがある。
全く別の時代、別の国、別の人々。
それでも想ったのは、今まで見てきた周囲の女性たちだし、
自分の女性性のことだった。
色んな苦悩を抱えていたあの女性たちは、この映画を観て
どう思うだろう。
ラスト、本当に素晴らしいものを観せてくれて
ありがとうという気持ちになった。
女性と子供だけで村を出ていく、ああいうのを
映像にして視覚的に観せてくれるだなんて。
これは夢や幻想じゃないんだな、と思った。
信じうる何かがそこにあった。
未来への可能性を信じたくなった。
Sleepy Jean
モチーフとなる実話があるようだが、現代とは思えぬ舞台演出から、唐突に流れるその曲が、まさに目覚ましのように聞こえる。女性の話ではあるが、不条理な支配側の論を飲み込まされ、搾取されているケースは大なり小なりあるわけで、寝坊助は案外自分やも知れぬとも思う。正義と自由ののために熟慮を重ねる人たち、そして立つ。
寓話的な作りは面白いけど、作り込み過ぎで、独りよがり。予告編で見た...
寓話的な作りは面白いけど、作り込み過ぎで、独りよがり。予告編で見た以上の何もなし。
逃げない決意
2010年、架空の村で繰り返される村人の男どもによる暴行の真実に気付き話し合う女性達の話。
村ぐるみの謂わば公認で村の女達が家畜用の鎮静剤を盛られて意識のない状態で暴行され、それが悪魔だか幽霊だかのしわざだとされることが繰り返される中、1人の少女がそれを目撃したことで発覚し、男たちが町に連行されて不在の中で、女達が今後のことを話し合うというストーリー。
2000年代にボリビアで実際に起きた事件をモチーフにしているとのことではあるけれど、女達は読み書きも出来ず、盲目に信仰し世界観がかなり独特で100年かそれ以上ズレた感覚。
事前にあらすじ紹介を読んでおかないとデイドリーム・ビリーバーに戸惑うこと待ったなし。
村に残って戦うのか出て行くのかを話し合う女達。
そして人に赦しを問う神は、赦さない人を赦すのか、そもそも子供を護ることは罪なのか、そんなことを悩まなければならないこと自体が理不尽で胸クソ悪いし苛立ちを憶える。
殺さない為、自分を貶めない為に出ていくという決断は、とても人間らしく素晴らしかったけど、この世界感の中では、みんなで一緒にという決断しかなかったのかと少し引っかかった。
赦すために、進み続ける
あらすじを読み、会話劇であることも承知で観たが、思った以上に平坦でした。
基本的に画面が暗く、内容も宗教や哲学に依ったものが多いので、前半睡魔が…
結論として、彼女たちの決断を尊いものだとは思いつつ、到底納得はできません。
何故なら彼女たちが尊いだけだから。
被害者が不本意な決断をさせられるのに、加害者は(女性の支えは失うが)日常を生きる。
罪に罰なくして、何が信仰かと。
そもそも教義を外れた犯人たちこそ追放されるべきなのに、そうならない村の因習。
善人が我慢するだけの“殉教”なんてクソ喰らえです。
なお、人物の顔と名前が把握しづらく、誰と誰が家族なのかも最後の馬車まで判然としなかった。
予習しなかった自分も悪いが、作中だけで理解しやすい構造にしてほしいとも思う。
特にこういった会話劇だと、誰がどんな主張をして、それがどう変化するかが大事なだけに。
まぁ今作に関しては、一人の人間の脳内会議だとしても成り立つ内容だから重要ではないかもですが。
(“個”ではなく、女性という“集団”での決断が前提となっていた点でも、そう感じます)
コレが2010年とは…
めちゃくちゃ変わった作品。
ほぼ会話しかない構成だし、前提情報がほぼ無いままに語られるしで、彼女たちの行動はなかなかに理解し辛い。どの選択肢を取ったとしてもあまり良い結果をもたらさない気もする。それでも話し合い、自分たちがどうしたいのかを語ることにきっと意味がある。それを細かく描いていく…
劇中で語られる可能性に一喜一憂したり、恐れたり、それでも子供たちのためにより良い未来を、ってのは分かるんだけどまさかコレが2010年とはね…70年代くらいかと思ってたよ…
しかしまぁ、ルーニー・マーラとフランシス・マクドーマントの作品選びには舌を巻くよ。たいしたもんだ…
ベン・ウィショーもね…
怯えずに話ができる場に混ぜてもらえたような気持ち
これから自分達はどうするかを二日間で決める為の、会議でありながら全く「会議」的でない空間と時間に居合わせた。柄は異なっても同じような服で化粧なし、マウントも媚びも根回しもなく議事進行役も居ない。紛糾しても落ちつかせてくれたり謝ったり謝ってくれる。オーナ(ルーニー・マーラ)の存在がみんなの間に信頼を作り出していて、怯えずに一緒に考えて対話する空気がゆっくりと醸成されていった。笑いもあるし母、娘、孫、姪がいる中で一人一人が言葉を述べる。議事録作成は大学出の男性、女性達から唯一信頼されている男性のオーガスト(ベン・ウィショー)。書かれた議事録は自分達のためでなく他者に自分達の思考と決断の経緯を読んでもらうため。
みな、知性と理性と冷静を持ち合わせている。それは何に依るのだろう?信仰心だろうか?彼女たちの決断と行動は自分の子ども達を守るためであり、考える権利を保持するためだ。出て行った先のいつかどこかで、信仰とは、神とは何なのか考えることになると思う。宗教も権力構造から自由ではない。
素晴らしい女優たちとベン・ウィショーのいる納屋、井戸端、屋根の上。立体的な空間の中、干し草の匂いや手触りを感じながらみんなが緊張なく穏やかに話している。ヴァンゼー会議とは真逆で裏返し。それにこの映画には音楽がある。ジョーカー、TAR、そして本作と続くヒドゥル・グナドッティル。
最後のシーンは「屋根の上のヴァイオリン弾き」のようだったが、この映画では話し合いの上で合意のもと自らの意思で立ち去る。強制退去でも逃亡でもない。ただ立ち去る。どこへ?はどうでもよく、地図を手にとにかく離れる、去る、新しい世界へ。
グレタ(最年長の一人)の台詞。示唆があってキュートで空気を和ませる笑いがあって好き💕
1)馬二頭を操って馬車移動するとき溝があってはまりやすい道を行く時は下でなくて遠くを見るといいのよ。
2)この入れ歯大き過ぎる、と外す。
3)「私もうすぐ死ぬ・・・」あ、メガネが曇っていただけ!
モンキーズ…
デイドリームビリーバーが流れた時点で頭が混乱。昔の話と思ってみていたからいかなりトンチンカンな感覚になってしまった。いろんな国があるから一概には言えないけれど全世界差別なしなんてまだまだなんだなー、と。女性達の選択が3パターンのみというのも圧迫された世界。弱冠難解だった…。
2011年のアメリカですと?んなアホなw
2000年代に、ボリビアで実際に起こった事件を基にしたフィクション。暴力に曝された時、「赦す」「戦う」「去る」の選択を行う女たちの物語。非暴力の進歩的な民主主義と言うのが結末な訳ですが、まぁ、これって、普遍性はあれども、一般化は出来んよねぇ。そもそも命を奪う暴力と、単に支配のための暴力じゃ、全然意味違うし。
概念先行な上、特異な事例を引き合いに出してきてたりするもんで、ちょっと乗り切れなかったです。ありていに言うと、退屈だった。男は全員が敵、って言う前提に、そもそも違和感。
気分取り直して、次いこw
2010年!?
2023年劇場鑑賞127本目。
女性の権利が一切なく、男たちがやりたい放題の村。ついに我慢できなくなった女性たちが男たちを赦すか、残って戦うか、出ていくかを決める話し合いをすることに・・・という物語。最初19世紀くらいの話だと思っていたら第二次世界大戦後の話が出てきて、じゃあ1950年前後かなと思っていたら2010年だと分かって嘘でしょ!?となりました。しかも後で調べたらほぼ同じ時代にあった実話ベースらしく、驚きの連続です。
基本会話がほとんどなのですが、それでもそれぞれの考えがあって面白かったですね。アフターサンには爪の垢でも煎じて呑んでいただきたいです。
来世より現世
いったい何時の頃の話だよと、疑念が心にわだかまりながら観続ける。
女性は皆々地味な服装で装飾品も寡少。
男性も大人も子供もオーバーオール デニムがまるで制服のよう。
移動は自動車ではなく馬車。
子供の遊具も無い。
夜になればランプに火を灯し、
街灯なども視野には入って来ず。
おそらく電化製品も無いのではないか。
しかし幾つかのヒントが小出しにされ
次第に時代が明らかに。
その提示の仕方が頗る巧い。
第二次大戦の話題にふれ、
傷の手当てに「バンドエイド」が使われ、
最後にはそのものずばりの年代が提示され、
その事実に驚愕。
もっとも、
〔刑事ジョン・ブック 目撃者(1985年)〕で描かれた
「アーミッシュ」のように、宗教上の理由から近代文明を拒否する集団はあり。
それにしても、女性の識字率がほぼゼロで
教育すら受けていないとは行き過ぎだろう
(あ、でも「ISIL」は、これを目指してるんだっけ?!)。
ただどうやら舞台はアメリカではないことも提示され、
その広大で肥沃な大地は南米のどこかだろうか。
その豊かな、しかし閉鎖的なコミュニティで起こった忌まわしい事件。
一部の男たちが女たちに牛用の鎮静剤を噴霧、
意識を失っている間に性的虐待をするとの行いが
数十年に渡り繰り返され。
女たちは父親が誰とも判らぬ子を産み、
性的にも肉体労働的にも搾取される。
結果、近親婚に近い状態が生じ、
次第に人としての生命力は減じて行くはずだが、
獣と化した男たちはそんなことには頓着せず
快楽を貪る悪魔に変ずる。
しかし、あることをきっかけに事態は露見し、
主要な犯行者は逮捕。
もっとも、保釈金を払っての仮釈放は容易に想定、
彼等が帰って来るまでの二日間に
女たちは今後の身の振り方への決断を迫られる。
何事も無かったように今まで通り過ごす
男たちを相手に戦う、
村を捨て逃避する、
の三案のうち第一案は早々に却下され
残り二案を選択のため、
女たちは納屋の屋根裏部屋にこもり激論を戦わす。
が、その話し合いでは
因習や管理・支配する側に都合よく捻じ曲げられた宗教解釈が持ち出され、
容易には決まらない。
とりわけ、コントロールする側が便利に使う
「来世で約束される幸福」が彼女たちを悩ませる。
果たして女たちはどのような決断を下すのか。
法廷劇さながらに、カメラはほぼほぼ屋根裏部屋から出ることはない。
それが独特の緊張感を生む。
男性として唯一その場に参加をしている
『オーガスト』の存在は一服の清涼剤のよう。
知識を持つことが、選択肢を広げるとの見本として示される。
最後に女たちは、過去に囚われることなく
自分の子供たちが正しい道に進めるための選択をするのだが、
それは今の時代でも懲りずに搾取を目論む男たちに聞かせてやりたいもの。
この手の作品にお馴染みの『ブラッド・ピット』が
製作総指揮としてクレジットされているのに加え、
〔スリー・ビルボード(2017年)〕や〔ノマドランド(2020年)〕の『フランシス・マクドーマンド』も
製作に名を連ねており。
海外の俳優さん達は、ホントに社会問題に対し
意識が高いなぁ。
決着をつけたのは、信仰に基づく叡智(wisdom)
全く予備知識なく鑑賞したので、時代やロケーションを推理する羽目に。
2010年の国勢調査?
アーミッシュが文字を教えないなんて聞いたことないけど?
南十字星が見えるって一体どこだよ?
トンチンカンな状態で鑑賞となったが、信仰と女性の尊厳に揺れる彼女らの真剣な議論に圧倒される。
男たちを「赦す」ことできないと、天国への門が閉ざされるという教えは、僕には博愛の極北のようにしか思えない。しかし、信仰に生きる彼女らにとっては、男らを「罰する」ことと「赦す」ことを同列に扱わざるを得ない。
そして、第3の選択肢である「leave」。これを逃げると考えるのか、新天地に向かって立ち去ると捉えるのかで、またもや激しい話し合いが始まる。
彼女たちは、教育を受けていないために文字が読めないし、基本的人権の概念も薄い。感情的なぶつかり合いになってもおかしくないが、長い時間をかけてロジカルに議論が収斂していく。
コロニーから一度抜けて大学教育を受けて戻っときた青年オーガストが、公平な書記として議論をサポートしたことも大きいが、祖母世代の女性たちが、信仰に基づいた知恵を持っていて、辛抱強く、諭すように結論への道筋を示したことが、彼女たちの団結をもたらしたと思う。
ジェシー・バックリー、ルーニー・マーラ、クレア・フォイの演技派ぞろいなので、議論に退屈するどころか、一瞬たりとも目が離せない。
音楽は、『TAR』に続いてヒドゥル・グドナドッティル。彼女の紡ぐ旋律は、心を揺さぶり続ける。
決着をつけたのは、信仰に基づく叡智(wisdom)。僕はそう感じた。
集団家出、いや集団離婚なのか?
こんなことがいくら南米でも、
2000年代にあったとは信じられない?
いや、現在も日常的にあることに気づいていないことを気付かされる。
それにしても見事なファシリテーションとダイアログで問題が整理されて行く、
その様は当に教育であり、リーダーシップだ。
そしてこれがこの作品のキモかも知れない。
それにしてもこんなことは大阪府下の河内だけでなく全国的にも夜這いと言うことであったことではあるのが、
今回は、古典的宗教が絡んでの因習となりカルト化しているようで気持ち悪い。
そして、その後も同じ信仰が精神的な支柱となっていることに杞憂を残さずにはいられない。
信仰は良いが、集団的な宗教になるときな臭くなるのが道理であることを知っておくべきことかな。
解決策付きの良い作品であった。
^^
原作は、2005年から2009年にかけて南米ボリビアで実際にあった事件をもとに執筆され、
2018年に出版されてベストセラーとなったミリアム・トウズの小説。
監督サラ・ポーリーが、
架空の村を舞台に性被害にあった女性たちが、
自らの未来のために話し合いを重ねていく姿を描いたドラマ。
2010年、自給自足で生活するキリスト教一派のとある村で、
女たちがたびたびレイプされる。
男たちには、それは「悪魔の仕業」「作り話」だと言われ、レイプを否定されてきた。
やがてそれが悪魔の仕業や作り話などではなく、実際に犯罪だったということを知る。
男たちが街へと出かけて不在にしている2日間、
女たちは自らの未来を懸けた話し合いを行う。
主演は「キャロル」のルーニー・マーラ。
第95回アカデミー賞では作品賞と脚色賞にノミネートされ、脚色賞を受賞した。
^_^
まさかの2010年
予告を何度も観て
あ
これは100年くらい前の話なんだと思い鑑賞
途中で
入れ歯が出てきて
割りと古くからあるんだなと
思ってましたら
いきなり
大音量でモンキーズのデイドリームビリーバーを流しながら向かってくる車
そして2010年の国勢調査ですのアナウンス
びっくり
この映画の舞台が10年前くらいだったことに
しばらく衝撃を覚えました
だって馬車だし、電気もないし、当然スマホなんかもあるわけねえの
おら東京さいくだ
顔負けでした
それくらい、閉鎖的な村だったんだなと
考えさせられました
もしかして、ドラゴンタトゥーの3作目⁉️
これは事件です❗️
なんと、リスベットの初代と二代目が揃い踏み‼️
正直に言います。
浅はかな私はそれだけの理由で観に行きました。
インディ!ではなく、ハリソン・フォードの代表作のひとつ『刑事ジョン・ブック』に出てきたアーミッシュのような村が舞台で、強い宗教色を背景に、静かに深く濃密な時間が過ぎていきます。
私の脳も静かで心地よい眠気に包まれかけました。
後半は、小難しい会話(三つの権利とかなんとか)の多い字幕を追ってるとどんどん眠気が増すので、ルーニーの何年経っても変わらぬ素美人(スビジン…こんな言葉ないかもしれませんが)振りを拝むことに専念しました。
ところで、南十字星は北半球のアメリカでは見えないのでは?と思ってたのですが、この映画のモデルとなった事件は南米のボリビアで起きていたからなのですね。勉強になりました。
初めてのお願い
納屋で女性たちがひたすら話し合う「だけ」の作品。
彼女たちが普通に話すエピソードがどれも普通じゃなくて驚きます。「出ていくこと」が初めての夫へのお願いであり、それまで「お塩を取って」すら言ったことがないという衝撃…。
このコミュニティの考え方や常識がいかに異常であるか、それでも脈々と受け継がれてきた当たり前が恐ろしく、革新的な決断をした女性たちは逞しくもあり、無理やり奮い立たせる様が危うくもあり。
それでも「違う未来」を語るナレーションに、希望を感じることができました。
奥深い作品でした。
観たい度◎鑑賞後の満足度◎ 映画と云う表現媒体によるA級のシチュエーションドラマでありディスカッションドラマ。女性達だけで考え、悩み、論じたうえでの結論を一人の男性として諸手を挙げて支持しよう。
①素晴らしい。ラストは久しぶりの感動に胸が震えた。泣いた。
大袈裟かも知れないけれども、彼女達の列が行く道の先を捉えるラストの映像が、これまで男中心だった人間社会(殆んど破綻しかけてますが)の未来の希望へと続いているような気がする。
②舞台はもちろん現実にある村でも村社会でもない。
女性達だけで議論し結論を出すと云うシチュエーションを作り出すために設けられた架空の世界である。
登場する女性達はみんな神への敬虔な信仰を持ってるキャラクターにしてあるが、これも重要なファクターではない。
何故なら人間は何かを信じていないと生きていけない生き物だから。人生の中で起こる出来事(特に悲しみや苦しみ)を自分の中で落とし前をつけるために、それを神の意思としたり、運命だとしたり、人生はこんなものだという諦観であったり、また、人生の価値を、信仰に、金儲けに、他人や社会に尽くすことに、家族を持つことに、世界の真理を探求する事に等々、人生を歩んでいく依り代がないと前に進めない生き物だから(勿論、前に進めない人もいますが)。
信じられるのは自分だけ(自分が自分を一番分かっていないのにね)、と云うと人もいますけど。
だから、彼女達の信仰をあまり特殊なものと捉えない方がよい。
また、敢えて女性達を教育を受けたことのない環境にいる人々とする為に、特殊な信仰的教義に縛られた村社会にするのが舞台設定として自然で便利だっただけで、信仰のみを取り出してこの映画を語るのはあまり適切ではないと思う。
③ディスカッションする女性達を文盲(つまり教育を受けたことがない)にした設定も巧い。
それで、余計な学識や近代的な知性等に邪魔されない(でも生活の知恵はあります)より本質的な女性性・母性がぶつかり合い、主張し合い、語り合い、考え合うドラマになったと思う。
登場するほぼ唯一の男性も中性的なベン・ウィショーにしたのも巧い配役。
物語の純粋性を保つにはマッチョな男性像はここでは必要ないのだ。
④ただ、男性を排除して女性だけの世界が理想だなどと主張しているわけではなく、○○することでしか性欲の捌け口を知らない無学・無教養な男性達の救済にも言及している。
⑤“Daydream Believer”をこんなに感動的な気持ちで聴けるとは思わなかった。
⑥アガタに頼まれて作る“善きもの”のリストの最後に、オーガストが「Women」と書き込むのにはサラ・ポーリー監督の女性讃歌を感じる。
⑦演技陣の中では、クレア・フォイとジェシー・バックリー(最近、彼女の出ている映画ばかり観ている印象が強い)とが印象的。
2010年にボリビアで起こった実話です
基本、既読小説(もしくはコミック)でない限り、予備知識なしで観る事としています。がしかし、今回はそれが全くの裏目に出てしまいました。
「未開拓時代のアメリカでのお話かな」と勝手に思い込んでた為、途中2010年の設定と分かった途端「そんな事ある???」と疑問符でいっぱいになり、ストーリーへの集中度を欠いてしまいました。2010年のボリビアでの実話と認識していれば、「さもありなん」と軽く流せていたと思います。
もう一点、人物相関図も事前に把握しておいた方が良かったです。私の問題かもしれませんが、登場人物の判別が途中まで中々つかず、誰がどの立場で語っているのか理解するのに手こずりました。人物相関図を予習しておけば、会話の内容理解度も上がり、より楽しめたと思います。
これから鑑賞なさる皆さんは十分な予備知識を持って臨まれる事をお勧めします。
イライラした
白熱した議論が見られるかと思えば、
話がすぐ脱線したり、
感情で支離滅裂になり、
一向に話がまとまらないからだ。
残りたい人は残って、
去りたい人は少しでも遠くへさっさと行けば良いと思ったのは、
時代も背景も境遇も分かっていない他人事だからか。
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