「悔い改めないものを赦すのは…」ウーマン・トーキング 私たちの選択 だいずさんの映画レビュー(感想・評価)
悔い改めないものを赦すのは…
私にとってですが、観る前から満点決定な題材なので、期待しまくっていましたが、期待通りというか、期待以上に精緻というか。
2010年ら辺に、メノイストという宗派のキリスト教のムラで、家畜用鎮静剤で眠らされた女が、ムラの男たちにレイプされる風習があって、その出来事が長年夢か幻かのように扱われてきたけど、目撃者が出たため逮捕者がでた。その逮捕者をムラの男たちが保釈させるために、外出している2日の間に、女たちが自分らの処遇を話し合う、という話。
作中では集団をコロニーと、呼んでいたけど、私は日本のムラ社会の支配構造に類似性を感じたので、ムラと変換してみていたけど、多分それはだいぶ違う。
ムラ=宗教=思考停止というのが、私の固定観念で、それを根拠に地元(ふるさと)を嫌っているのだけど、作中で語り合った女たちは、思考停止してなかった。
フランシスマクドーナントは思考停止した系の人として描かれていたし(顔の傷って男たちにやられたものよね?)、ジェシーバックリーも暴力によって思考停止していたけど、そうではない人がいて、その言葉に考えを変えた。というか、考えることを手に入れたというか。そこにいた人は、私がイメージするムラの住人(だけ)ではなかった。
読み書きできなくても、制限された生活の中でも、思考も批判もできる。
知性とは、知識と必ず重なるわけではない。
された事の傷を抱えながら、とった行動で娘や姪や孫を(間接的に)傷つけたことを自ら省みた。
被害者に選択肢などなかった。
あなたたちには選択肢はなかった。
赦しが信仰の根幹なのだとして、赦してきたが、男たちには赦しではなく、許可として作用した。
悔い改めない者は赦されない。悔い改めないものを赦すことは、不可能である。
彼らが変化した時、赦すかどうか決めよう。
今は赦さない。留まることで、怒りが抑えられず男を殺してしまうのも、信仰に反する。暴力を使わない、使いたくない。だからみんなで去る。
彼女らが積み上げた議論に、感動した。こんなに傷ついたなかで、信仰を失わず、暴力で従わせた男のやり方を真似ず、娘や息子を、傷ついた自分を守るため、みんなで去る。それしかないと思った。このような議論が我々には必要なんだと思った。
残した男の子たちは、オーガストが頑張って教育する。だからオーガストは留まる。
微妙な年の男の子をもつ母親の一人は、息子の目に劇薬を振りかけて無理やり連れ出したみたいだった。オーガストは彼女に銃を渡した。
これは、問題はこれからも残るという暗示だと思う。
綻びはあるだろう。またさらに誰かが傷つくだろう。
でも、わたしが目指さなければならない世界の方向性、可能性が見えた。また、信仰は思考停止ではない場合がある、と思えた。
この映画で特にルーニーマーラーが、すごいって思った。みんな熱演だけど、ルーニーってこんなに、印象的だったっけ?って思った。えくぼも印象的だし、彼女はなんでこんなに理知的にみえるんだろうって思った。
国勢調査の運転手、ブラピっぽかった。サイドミラー越しだったけど。デイドリームビリーバーが現代の出来事だと知らしめる印象的なシーンだったね。
あと、トランスジェンダーの男の子がいて、彼も暴行の被害者なんだけど、女の名前で呼ばれるからか、大人とは話さなくなった。でも、ラストで年上女性からメルヴィンってゆう男の名前で呼ばれて、やっとその名前で呼んでくれたねって返事するところも、よかった。
サラポーリーありがとう。