658km、陽子の旅のレビュー・感想・評価
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これからの陽子に
旅の途中で陽子は、度々選択を間違えます。普通はこうするだろうと思うところですが、 きつと今までも選択を間違えてきた故に引きこもりなのだろうと納得します。 ヒッチハイクで出会う人々は親切だけれどちょっと意地悪だったり。両方持っているのが人間だなと思ったり。 最後のヒッチハイクでの独白は素晴らしく、こんなに自分の気持ちをわかりやすく話せるなんて・・・きっと引きこもっている間にずっと自分に向き合い、整理できていたのだな。 この人は自分の置かれた状況を人のせいや、社会のせいにせず、自分のせいだと言う。 間違った選択でも、自分で決めてきたからこそ言えること。 これからは自分にとっての最良の選択をしてくれるに違いないと思う。 42歳女性の再出発に期待とともに大きなエールを。
文句ばかりなのに感動してしまった
長らく会っていなかった父の葬儀に出席するために青森へ向かう陽子のロードムービーなのだが、色々と文句が浮かんでしまう。 まずはヒッチハイクをすることになった経緯。子どもの怪我はわかるけど、陽子を残して全員で病院行くか?妻と娘をサービスエリアに残して夫と息子だけ病院に行けばよくない? それに所持金がないのはわかるけど、実家には電話できるだろ。番号覚えていないのかと思ったら、中盤つながるし。もうなにかの苦役を自分に課したかのような展開に少しつらくなってしまっうし、陽子の選択が間違いだらけで少し苛ついてしまった。 あと陽子のキャラもキツい。コミュ障すぎるのも苛立つところ。車に乗せてもらったのにまったく話さないわ、ありがとうも言わないわ。そんな彼女がヒッチハイクなんて相当ハードルが高いのもわかるけどさ。こんな苛立ちを感じるのも自分が陽子のような生き方をしていないからなんだろうな。最低限のコミュニケーションもできない人がいることも知っているから、それを受け入れないとこの手の映画は観れない。でも、他人の車に乗る怖さもわかるけど、他人を車に乗せる怖さもあるんだぞ! 父であるオダギリジョーが幻覚のように陽子の周りに登場するが、あの父娘に何があったのかがハッキリしないままなのも少しモヤモヤする。 そんな文句がたくさんある(書き出したら思った以上にあって自分でも驚いた)のに、最後の陽子の独白や彼女の態度の変化、そしてラストに感動させられてしまうんだから自分のチョロさに嫌気がさす。そもそもロードムービー好きだしな。他人にはあまり勧められないが印象深い映画になってしまった。
故郷、父親、煩わしいはずなのに
8月お盆の帰省ラッシュのニュースが今年も流れている メモリアルパークという名の墓地霊園に多くの人がお参りに来ている でもその一方、故郷や家族と疎遠になっている人もたくさんいる 故郷に帰る人であっても、楽しみに思っている人ばかりではなく、半ば義務的な思いの人も多いだろう 主人公の陽子も父親との確執から何年と故郷に帰らなかったのに、従兄からの知らせで車に同乗したとはいえ、帰ることを拒否する選択だってできたであろう 父の幻だって拒絶できたであろうに、父と過ごした時間やわずかな思い出を手繰り寄せるような気持ちは、故郷を出て20年以上思うように生きられなかった彼女の中でも、父の存在がずっと大きかったのであろう 手の届くところに父の手があっても、なかなか握ることができない場面が、彼女の悔悟を表していた 彼女のような人を「コミ障」という言葉で一括りにされるが、他人の思いを知り、彼女自身も自ら言葉を発して自分の気持ちを伝えようという、最後の親子の車での彼女の言葉は、自ら変わっていこうとする思いが伝わってくるものであった 菊池さんは日本の女優でありながら、一気に国際的な手の届かない方になってしまった思いがあったが、この陽子が変化していく姿を演じられて「さすが」と思わずにいられなかった 個人的には篠原篤さん、言葉少なくても思いが通じるような演技がよかった (8月10日 シネマート心斎橋にて鑑賞)
警告‼️❓真似しないでね‼️❓殺されるから‼️❓
これが脚本賞とは何が評価されたのでしょう。 引き篭もりとか対人に慣れていないなら、余計に臆病な行動になる、心理学の基礎すら、現実の欠片すらない。 女性が男一人の車にヒツチハイクとか有り得ないから、どんな場合でも、フィクションでも、描いてはダメ👎 ヒロイン役の演技は、さすがに素晴らしいけど、ストーリーは意味の無いことの積み重ねです。 オダギリジョーの使い方も、あまり意味がないし。 はるばる遠くの小さな映画館🎦まで行きましたが、トホホな内容でした。 ヒロインの演技だけのために、暇ならどうぞ。
痛みと向きあう再生の旅
痛過ぎる40過ぎの独身女性が、亡くなった父親への想いと葛藤しながら実家の青森を目指す。途中、ヒッチハイクを通して様々な経験をし、父親に語りかけ、文句を言い、成長していない自分の情けなさと、怒られた時の痛みを思い出す彼女の感情の起伏にいつの間にか共感し、痛みを感じ、寄り添っている気になってしまった。 人は他人と接しながら生きて行くものなのだと、改めて感じさせる作品。陽子の様々な変化を表現出来ている菊地凛子、さすが。
色々な意味で見ていて辛い
都会に夢見て出てきた地方出身者には感情移入できなくもないが、まともに話せない主人公の設定が強すぎて、その人物の性格よりも脚本の拘束によって話せない感もあり、そういう意味でも見ていて辛い部分がある。東北の人情と震災の記憶もどっち付かずになっている感もあり、必ずしも賞賛できない。
心に傷を負った女性の冒険の旅
陽子が外の世界に出ていくことで少しずつ社会との健全な繋がりを取り戻していくというドラマは、人間関係が希薄になりつつある現代社会において、とても大切なメッセージを放っているように思う。奇しくもコロナ禍に見舞われたこともあり、そのメッセージは更に大きな意味を持って訴えかけてくる。やはり直接顔を合わせて話すことは大切であると痛感させられた。 ただ、そのメッセージは十分理解できるのだが、陽子が様々な人と出会うことで成長していくドラマは今一つ説得力が弱いという印象を持った。そもそもたった一夜でそこまで人は変われるものだろうか?という思いが先立ってしまい、観終わっても今一つ釈然としない思いが残ってしまった。陽子の本当の旅はこれから始まるのかもしれない。 一方、陽子の旅のきっかけとなるのが長年険悪だった父の死である。両者は20年間疎遠で、父娘の縁は完全に途切れていた。本作のもう一つのテーマは、彼女がその父の死をどう受け止めていくかという”喪の仕事”と解釈できる。 こちらについては見事な着地点を迎えたと思う。陽子の葛藤に上滑りするような所もなく、亡き父に対する後悔の念をしみじみと受け止めることができた。 また、本作が上手いと思う所は、陽子と父の関係や彼女のバックストーリーをほとんどボカした点である。そこが乗り切れないという感想に繋がるのも分かるが、逆に観客夫々が自分に当てはめながら観ることができるように敢えてボカしているように見れた。陽子のように夢に打ち破れた者、人間関係に後悔を残す者なら、自然と感情移入できるのではないだろうか。そういう意味では、懐の深い作品とも言える。 監督は「私の男」、「海炭市叙景」、「鬼畜大宴会」の熊切和嘉。本作はTSUTAYA CREATORS' PROGRAMというツタヤが主催するコンペティションで選出された脚本を元に製作された作品だそうである。 時折ファンタジックな演出が出てきて戸惑いを覚える個所もあったが、基本的にはじっくりと腰を据えた演出が貫かれ見応えを感じた。 特に、後半の海のシーンを筆頭に、サービスエリアで出会うヒッチハイク少女とのやり取り、野菜を売る老夫婦との交流が印象に残った。旅の途中で出会う他の人々も夫々に何らかのドラマを抱えており、最後まで飽きなく観れるロードムービーに仕上がっている。 ただ、冷静に考えると少し無理に思えるような箇所もあり、そのあたりには詰めの甘さも感じてしまう。 例えば、陽子が従兄の車とはぐれてしまうシーンは、陽子が実家に電話をすれば済むだけの話ではないかという気がした。最初は電話番号を知らないのかと思ったのだが、後半で公衆電話から実家に電話をしていたので知らなかったというわけではない。ではどうして最初に電話しなかったのか?と不自然さを覚えた。 また、劇中には東日本大震災の傷痕を描くエピソードも登場してくる。東北を目指すロードムービーなので触れずにいられなかったのであろう。しかし、実際に青森を目指すのにわざわざ常磐道を選択するだろうか?普通であれば東北道を利用した方が便利という気がする。 キャストは何と言っても菊地凛子の好演。これに尽きると思う。終盤の独白は見事であるし、それ以外にも彼女の繊細な演技は見応えタップリである。 熊切監督とは「空の穴」以来のタッグと言うことだが、申し訳ないがその時には主演の寺島進の方ばかりに目が行って彼女のことは全く印象に残っていなかった。クレジット表記も今の菊地凛子ではなく”菊池百合子”だったというのもあるが、まさかその時の彼女がこうして日本映画界を代表する女優になるとは全く想像もしていなかった。そう考えるとこの協演には感慨深いものがある。
当然のごとく心が震えました
コミュ症の女性が658kmをヒッチハイクせざるを得ない状況に追い込まれた顛末を描きます。 まず菊池凛子さんのコミュ症の演技は評価に値するものでした。諸々を経て迎えるラストは心を震わせるに十分な重みを感じました。 ただ、父の亡霊としてのオダギリジョーの怪演はアレでよかったのだろうか?時折現れる亡霊に対する菊池さんの独白で過去を想起させる作りになってましたが、オダギリさんと菊池さんの子役でわかりやすく過去場面を描くとか、せめて亡霊のオダギリさんに菊池さんと受け答えさせる事で関係性をより明確にするとかではダメだったのかな?「そのくらいのニュアンスは汲みなさい」って事かな?
観たい度◎鑑賞後の満足度◎ ヒッチハイク映画は洋画では珍しくもないが、邦画としては珍しいかな。全編菊地凛子の名演に支えられている。他の人ならもう少し退屈な映画になったかも。
①はじめは殆んど無口(というか喋る気があるのかこいつ、という感じ)で且ついい年をしてろくに挨拶や「有難う」も言えないのか、という苛立ちが先にたつ。引きこもりってこんなん? ただし、チンした冷凍のイカスミスパゲッティを食べるのは私もよく食べたので共感。 しかし、菊地凛子の演技のお陰でだれない。表情というか目の演技 がスゴい。目は口ほどもものを言うてか。 ②主人公がヒッチハイクで乗せて貰った人たちとのふれあい(一人だけは実際に肌のふれあいまでして散々だったが)を通して変わっていくのはよくある展開だし、私は家の都合でそれこそ馬車馬の様に働いて(そういう時代だったけれど)引きこもる暇などなかったし、父親とは適度な距離を取りつつも逝去まで付き合いが有って葬儀も全て私が取り仕切ったし、東日本東大震災もニュースの映像にはショックも受けたし戦慄もしたけれど、誤解を招くのも承知の上で言うと災害が少なく距離も離れている奈良ではどうしても自分の身に寄せて感じられない。 風吹ジュン扮するオバサンの東北弁は殆んど分かんなかったし。 従って本作の内容には殆んど感情移入は出来なかった。 菊地凛子の女優としての存在感に圧倒されたのみ。 ③最後に乗せてもらった車の中で堰を切った様にこれまでの自分の人生との向き合い方、父親の死をやっと受け入れる心境になった経緯を吐露する菊地凛子の一人語りの芝居が見事。絶妙な匙加減である。 運転する父親は振り返りもせず何も言わず助手席の息子がスマホで兄に連絡したことだけ告げる演出も上手い。 ④42歳なんてまだ若い。658km(はじめの方の何kmかはともかく)を一人で何とかかんとか踏破したんだから、その経験が、体験が、これからの人生の礎となる筈。
せめて各エピソードの場所を明らかにしてほしかった。
熊切監督の前作『#マンホール』は、前代未聞の失敗作と断じるので、本作も不安なのだが、菊地凛子の存在ゆえに観る。 父の葬儀へ出るためにヒッチハイクで青森へ帰郷する「ロードムービー」である。彼女のロードムービーといえば、2014年のカンヌのマーケットで、映画ファーゴの撮影場所へ衝動的に向かう日本女性クミコを演じた「トレジャーハンター・クミコ」という作品を観た。こちらも「旅するにはコミュ症すぎる」という点で同じだったような。そういう役柄が合っているのか。というか、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督の「バベル」(06)で第79回アカデミー助演女優賞にノミネートされた時の役柄は、聾者であった。むう、深い。
成長
104本目。 1本観て帰ろうと思ってたけど、1本目がストレス過ぎて、このままではと思い鑑賞。 ざっくり言えば、コミ障女のヒッチハイク、ロードムービー。 ざっくり言い過ぎか? 設定が設定だから、ストレス溜まるかと思ったけど、そうではないけど、作品が終える迄に、どの位の成長が見えるかで変わってくる。 正直、このまま終わりそうで、ただただこのまま日常を生きてくだけで終わるかと思ったけど、車の中で吐き出す言葉に共感。 作品は最後まで観て、どう思うかなのかと。 あのルートを通したのも、そうした意味もあるのだろうし。
コミュ障だった陽子の表情の変化が、さすがの菊地凛子
引きこもり状態がった陽子が、父親の葬式に出る為に東京から青森までヒッチハイクで向かう物語。 言っちゃうと地味なロードムービー。 ただコミュ障だった陽子の表情が、人々に触れていくにつれ段々生気が戻ってくる演技がさすがの菊地凛子。
何を述べたいか、映画の主義主張がはっきりしない…。
今年265本目(合計916本目/今月(2023年8月度)4本目)。 (参考)前期214本目(合計865本目/今月(2023年6月度まで))。 諸般の事情で、とあるサービスエリアで取り残された女性が、ある目的地に向かってヒッチハイクをするお話。 逆にいうとその繰り返しで目的地に到着する「だけ」の展開になるし、他の方も書かれている通り、コミュニケーションに難を抱えているのか(ただ、この点はある程度映画を見ているとその理由ははっきりする。「東北地方で起きたリアル日本の出来事」は何でしょう?)それらの点がよくわからないので、見る方によってはイライラするのではなかろうか…というところです。 コミュニケーションに難を抱える方は多かれ少なかれ存在するし、それは正式な診断を受けている方はもちろん、そうでない方も、いわゆる性格的な「はずかしがり屋」のレベルからいろいろあるところ、この映画のそれは描写が極端な上に、方言(東北方言)まで混じるため聞き取りも難しく、「ある意味で」サイレント映画に近いという珍妙な枠ではあります。 かなり見る方によって解釈が分かれる上に、「参照されている、東北地方で実際にあった出来事」をどこまで映画に解釈に入れるか等、さらに「東北地方特有の文化」をこっそり参照している部分もあり、かなりの難易度ではなかろうか…というところです。これらが重なった結果、「映画の主義主張がはっきりしない」(かといって、東北地方の観光名所を巡る趣旨のいわゆる癒し系映画という解釈も無理)というところです。 採点は以下の通りで、4.0をそのままにしています(四捨五入等の処理は行わず)。 ------------------------------------- (減点0.3/ヒッチハイクと道路運送法) ・ ヒッチハイクは対価をもらう等すると、法に触れます(白タク行為に当たる)。ただ、一般的なもので、かつ対価も「地域のお土産」といった対価の「価値が観念しづらいもの」に対しては事実上容認扱いですが、この点はエンディングロールで断っておくべきではなかろうか…と思えます。 (減点0.4/ヒッチハイクと事務管理(民法)) ・ ヒッチハイクも、当事者の意識がもうろうとしている等のケースでは、それが事務管理にあたるケースも出てきますが、その場合、民法上の事務管理のルールが適用されます。しかし、事務管理は任意に中止できず、「本人・相続人・法定代理人が管理できるまで」継続する義務を負います(民法700条)。 したがって、「ホテルのシーンと、その後電話がかかってくるシーン」は明確にまずいです(仕事があることは理解できても、それをもって事務管理を中止できるのではありません)。 ※ なお、民法700条は「本人・相続人・法定代理人が管理できるまで」という扱いで、遺失物法等で「警察に届け出たらそれ以上は何もしなくてよい」等とあるのはその特則になります。 (減点0.3/墓地埋葬法に関する知識がある程度要求されてしまう) ・ 人が亡くなった後の「お葬式」を規律する法律ですが、実際には法はスカスカで「なくなったらお葬式をしましょう」くらいで、大半を「文化が違うのだから、個々都道府県でどうぞ」という「地方に投げっぱなし」の法律の代表例です(条例がいくつも存在する)。 この点、日本では火葬が一般的ですが、それをいつまで待つのか、あるいはどの儀式をどの順番で行うかなどは、地域によってバラバラで、法の趣旨(死人の冒涜行為や、生きている方の「活力」を奪う行為等)に反しない限りある程度自由なお葬式ができるようになっています。舞台の青森は特殊なお葬式のルールがあるようで、字幕が一部???になる部分があります。これはそのような事情です。 -------------------------------------
前半イライラした。鎌倉殿の菊地のイメージもあり、乗れなかった。でも...
前半イライラした。鎌倉殿の菊地のイメージもあり、乗れなかった。でも、ここんとこは人のいい役の多かった浜野の最低ぶりが拍車をかけ、風吹ジュンにも助けられ、ラストの車の中での独白と、雪の中でのラストシーンは、うまかった。もともと菊地は聾唖の役で出てきた人で、そういう、不能性を抱えた役はやはりうまい。救いだったのは、車の中での独白シーンであり、それが絶妙だった。開かれていく感じ。自分も故郷を出て東京に行った人間だったので、感情移入もした。この主人公のように20年とか、故郷に帰れず、逃げ続けると彼女の言う人生を送っている人は少なくないはず。
人と関わるのが苦手だと生きていくことが難しい。
菊地凛子さんが引きこもりの主人公を見事に演じていました。人と関わるのが苦手だと生きていくことが難しいですね 。この旅はその縮図のように感じました。 しかし旅を通じて最後には人と関わることの大切さに陽子が気づけて良かった。 いい話でしたが、ただこの脚本で2時間はちょっと長く感じてしまいました。
特殊事情を排して、福島を通って、
2022年。熊切和嘉監督。40歳を超えて都内でフリーターをする女性主人公は意欲もなくなんとなく生きている。ある日、故郷青森で父が死んだことを知り、受け止められないまま、従兄の車に同乗するが、ふとしたことからPAに置いていかれてしまう。ほとんど所持金もなく、スマホもないまま、ヒッチハイクで故郷に帰ろうとするが、という話。生きる意欲を失った主人公が父の死を受け入れて立ち直る様子を描く。 主人公が東京でやりたいことがなんだったのか、父とのいさかいの出発点になった出来事はなにか、ということが描かれないまま、なぜか意欲を失っている主人公が、なぜか父の葬儀を受け入れることに困難を感じているという設定から始まっている。特殊事情を排除して一般的な「無気力」「家族とのいさかい」からの立ち直りを描きたかったのかもしれない。その意味で、自分についても周囲についても客観的な認識を欠き、主観的な気分や納得のままに動いている主人公(コミュ障といわれている)の内面から出る言葉や行動には妙に切実なものがあって、心が動かされる。行動のもとになる事情が判明していたら、ここまで心を揺さぶられることはないのかもしれない。 しかし、ロードムービーとしてみると、やはり、行動の動機が不確かなのは致命的と言わざるを得ない。しっかり決意した後半はともかく、前半ではそこまでして青森に行こうとする意味が伝わってこない。わからないからこそ行動、ということでもない。例えば、本作では通関点である「福島」を目的として目指すロードムービーである「風の電話」は、一部ヒッチハイクも取り入れた女子高校生の旅だったが、震災で失われた親の姿を求めるという明確な目的があった。今作では高速に乗ったままなら通らないはずの福島の浜通り(富岡町あたり)を通っている。それには理由もあるし、結果的にそこでの出会いが重要ではあるのだが、画面に映る核廃棄物や防波堤が意味を成しているようには見えない。
すいません、青森まで乗せてもらえませんか?
40近い、引きこもり。田舎から出てきたものの、馴染めずコミ障。かといって、体裁悪く田舎にも戻れず。 いるんだろうな、けっこう。 思いがけず置いてきぼりを食らい、それでも疎遠だった父に会いたさが勝り、遠い青森を目指す。嫌でも人と触れ合っていくことで徐々に氷解していく閉じこもっていた心。 だから心から「こんな私をのせてくれて、ほんとにありがとうございます。」と言葉が出てくるのだろうし、握手を求めるのだろう。 茂。せめてさ、やっとたどり着いた陽子をまずは労わってやれよとは思う。だけど、そのぶっきらぼうな態度がまた東北人なのだろうな。けして冷たいのではなく、内にはよく頑張ったなって気持ちは溢れていそうだったものな。 この手の映画、ジムオルークはよく似合う。
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