「不思議の精神(科)病院のアリス="信頼できない語り手"」神が描くは曲線で とぽとぽさんの映画レビュー(感想・評価)
不思議の精神(科)病院のアリス="信頼できない語り手"
どんでん返し伏線回収系大好きな人御用達(?)オリオル・パウロ脚本監督作品。症状はパラノイアと虚言癖。彼女は殺害を企てた"合法的(な)誘拐"の患者か?それとも捜査のために自らフリをして入院した探偵か?はたまた…?! 扉の中では別のルールがある、今までのあなたを忘れて。時系列を解体し、キャラを裏切り、最後の最後までサプライズを仕込む。映画は、読者が想像をふくらませる小説と違って、作り手が特定の視点を選び取らなければいけない。それはディスアドバンテージになり得るものだが、時として利点にもなるということを、本作での観客の先入観から巧みにミスリードを誘う手法や大胆な編集は証明している。きっと見ている人の多くが、途中途中時折挿し込まれるシーンを作中の"ある"ところだと思うだろうし、"無口な大男、実はいいヤツ(おまけに助っ人キャラ)"理論というクリシェも効果的に用いている。
ここで言う"曲線"とは精神"科"病院に入院している精神疾患など患っている人々(= 神の不作的ニュアンス)のことを指しているわけだが、他にも自分の中で色々な意味に取れた。小人症な人が二人は出てきていて、そこも監督の意図しているところなのだろうなと思ったし、あとはやはり圧倒的に被害者になることが多い女性。だから主人公が声を上げてなお疑われたときに最初の方に味方してくれる病院側のキャラに女性2人がいたし、彼女たちがそんな世の中をどうにか渡り歩いていくには嘘の一つや二つ、そうでもしないと生きていけないのだという生きる厳しさみたいなものも垣間見えたかも。障害、病気、そして性差別など蔑まれる対象となってきた人々。そして、もちろん映画としての非常に入り組んだ複雑な作りも然り。
「患者は常に答えを用意します。嘘であれ必ず答えます。発言に統合性を欠くこともあります。しかしすぐに説明を返します。以前の話は嘘で、今回の話こそ本当だと。彼女は愚直な人間や経験不足の精神科医を簡単に惑わせます」
信じていたものがある日突然壊れていく。すると途端に全く異なる現実が見えてくる。そのアッと驚くような快感や映画的カタルシスを人々は求めて、このような作品を好んで見るのであろう。例えば嘘は一つつくからバレる?つくなら大きな嘘を。果たして真実は何処にあるのか。長い本編尺にも意味がある複雑に入り組んだドラマとサスペンス、ミステリー。自殺の謎に迫る潜入捜査や、腐敗した権力(施設・組織)的側面などなにかと刑務所モノっぽい要素はありながら、後半から最後にかけては圧巻。安い宣伝みたいになるけど、"ラスト数秒の衝撃"。あなた方はどう判断します?審理されたのは私じゃない。
勝手に関連作品『シャッターアイランド』『カッコーの巣の上で』