「まともか、そうでないか」神が描くは曲線で 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)
まともか、そうでないか
ゆれたりふるえたりした線で~
ていねていねていねに描くと~
きめていたよ~
──
タイトルの“曲線”とは正常ではない者をさしており、主人公アリスはアリスインワンダーランドからもってきた──とのこと。(By外国語Wiki情報)
すなわち、おかしな者たちの禍中に放り込まれたアリスという体裁で物語はすすむ──のだが・・・。
監督Oriol PauloはロストボディやThe Invisible Guestなどの名手で、毎回キルトのように丁寧&エレガントな描写と“どんでん返し”が得意。ロケーション&撮影もバシッとキメてくるゴヤ賞常連。
話は時計じかけのオレンジやカッコーの巣の上でを思わせる。
くるった者を閉じ込めるのが目的の施設にくるっているという前提で収監されたばあい、正常者であることを証明するのは絶望的に難しい。
精神病の専門家でも、彼/彼女がくるっているのか、くるっていないのか──を判断することができないから。
よってくるっていないのにひどい目に遭う──女優フランシスみたいな展開をする映画がいくつかある。
が、これは更に一回転して、観衆もだまされる。
理由は主人公を演じるバルバラレニー。マドリッド生まれ。アルゼンチンとアイルランドの血をひくゴージャスな黄金比相。その気品ある面持ちに、くるってる気配はまったくない。つまり観衆をあざむく映画的テクニックも巧いが、美人は得でっせという話でもあったw。
逆に言うと、こんだけふぁびゅらすな淑女が探偵ってのはおかしいだろ──という疑問を持つことがリテラシーってことにもなる。
ブロンドの根元の黒髪が映画の進行とともにじわじわ伸びていくのはヒントとして置かれたニセモノ値だったのかもしれない。
が、社会階層上位をしめす驕奢なファーを羽織って出てきた主人公アリスが、排尿用バケツ一個もたされて独房へ入ってしまうところに本作のダイナミズムがある。
映画はスペインの小説家Torcuato Luca de Tenaが1979年に書いた同名小説にもとづいており、かれはその執筆にあたり、じっさいに精神病院に18日間入院し患者と生活をともにしたそうだ。その真摯な取材が生きサスペンスにもリアリティが内在した。
なお冒頭は言うまでもなく新宝島の歌詞だが、なんの関係もない笑。ただネットフリックスに神が描くは曲線でというタイトルを見つけたとき無意識に口ずさんだのでなんとなく書き出しにしてみた笑。