神が描くは曲線でのレビュー・感想・評価
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ラストシーンの見方によって・・・
『カッコウの巣の上で』と『アマデウス』を足して0を掛けた様な内容だ。
『カッコウの巣の上で』と『アマデウス』を足して0(ゼロ)を掛けた様な内容だ。かなり影響は受けているが、遊び過ぎ。サリエリはここでは?
それが、分かると、
始まって2分53秒で想像がつく『カッコウの巣上で』だと思う。5分もあれば確実だ。
地雷映画になっちゃってる。
ナンシー・シナトラのサマーワイン♥だけ。
どんでん返しだけを売り物に映画を作るとこういう作品になりますw
初めに主人公の女性は精神病院に入院するのだが、実は彼女は私立探偵で、院内で起こった自殺事件の真相を捜査するために偽装入院したのだ――という前提を観客は与えられる。
しかし、院内で発生した別の死亡事件をきっかけに、その前提は彼女の虚言癖によるものだとの見解が院長から提示され、その証拠も出てくるので、彼女は精神病患者として再び拘束されてしまう。これが第一のどんでん返し。
ところが、彼女の発言を裏付ける事実もあるため、観客がそれに沿って見続けていくと、再び院内で事件が発生し、今度は彼女が鋭い推理力を駆使してそれを解決して見せる。なるほど彼女は病気ではなく、偽装入院だったのを亭主と院長らの陰謀により本当の入院にすり替えられてしまったのか。これが第二のどんでん返し。
彼女はめでたく退院となり、関係者にはしかるべき処分がなされる、と思ったら…。
ストーリーでは彼女が正気か病気かという謎、病院内の自殺で処理された事件の謎、新たに発生した死亡事件の謎等が錯綜して、何だかおかしな終わり方だなと思っていると、ああ、なるほどねという結末になる。
確かに関心は続くのだが、さほど面白くもないのに行きがかり上付き合わざるを得ない、といった感がぬぐえない。最後のどんでん返しを見てゲーム感覚で面白いと思うか、テクニックだけで中身がないなと思うかが評価の分かれ目か。小生は残念ながら後者でした。
不思議の精神(科)病院のアリス="信頼できない語り手"
どんでん返し伏線回収系大好きな人御用達(?)オリオル・パウロ脚本監督作品。症状はパラノイアと虚言癖。彼女は殺害を企てた"合法的(な)誘拐"の患者か?それとも捜査のために自らフリをして入院した探偵か?はたまた…?! 扉の中では別のルールがある、今までのあなたを忘れて。時系列を解体し、キャラを裏切り、最後の最後までサプライズを仕込む。映画は、読者が想像をふくらませる小説と違って、作り手が特定の視点を選び取らなければいけない。それはディスアドバンテージになり得るものだが、時として利点にもなるということを、本作での観客の先入観から巧みにミスリードを誘う手法や大胆な編集は証明している。きっと見ている人の多くが、途中途中時折挿し込まれるシーンを作中の"ある"ところだと思うだろうし、"無口な大男、実はいいヤツ(おまけに助っ人キャラ)"理論というクリシェも効果的に用いている。
ここで言う"曲線"とは精神"科"病院に入院している精神疾患など患っている人々(= 神の不作的ニュアンス)のことを指しているわけだが、他にも自分の中で色々な意味に取れた。小人症な人が二人は出てきていて、そこも監督の意図しているところなのだろうなと思ったし、あとはやはり圧倒的に被害者になることが多い女性。だから主人公が声を上げてなお疑われたときに最初の方に味方してくれる病院側のキャラに女性2人がいたし、彼女たちがそんな世の中をどうにか渡り歩いていくには嘘の一つや二つ、そうでもしないと生きていけないのだという生きる厳しさみたいなものも垣間見えたかも。障害、病気、そして性差別など蔑まれる対象となってきた人々。そして、もちろん映画としての非常に入り組んだ複雑な作りも然り。
「患者は常に答えを用意します。嘘であれ必ず答えます。発言に統合性を欠くこともあります。しかしすぐに説明を返します。以前の話は嘘で、今回の話こそ本当だと。彼女は愚直な人間や経験不足の精神科医を簡単に惑わせます」
信じていたものがある日突然壊れていく。すると途端に全く異なる現実が見えてくる。そのアッと驚くような快感や映画的カタルシスを人々は求めて、このような作品を好んで見るのであろう。例えば嘘は一つつくからバレる?つくなら大きな嘘を。果たして真実は何処にあるのか。長い本編尺にも意味がある複雑に入り組んだドラマとサスペンス、ミステリー。自殺の謎に迫る潜入捜査や、腐敗した権力(施設・組織)的側面などなにかと刑務所モノっぽい要素はありながら、後半から最後にかけては圧巻。安い宣伝みたいになるけど、"ラスト数秒の衝撃"。あなた方はどう判断します?審理されたのは私じゃない。
勝手に関連作品『シャッターアイランド』『カッコーの巣の上で』
真っ白なコート。
セレブな女性探偵アリス・グールドが、過去に起こった事件の死亡者の父親からの依頼で、事件の現場となった精神病棟に患者となって潜入する。
舞台は1979年のスペイン。精神病棟はまさしくカオス。人権等の考えがまだまだ未熟な時代。病院関係者と患者は、看守と罪人のような関係。
病院側の立場と探偵側の立場。どちらが正しいのか。
話の概要は、他にお任せするとして。感想。
病棟に潜入する前のアリス(バルバラ・レニー)の演技にどんどん惹き込まれていきます。パーティでのドレス・潜入時に病棟に訪れる際のコート姿。そして、自宅でのダンスシーンは、演技とはわかっていても、こんなに自然に自分の世界に没入するさまを表現できるのは凄いかなと。観ている側の頭を困惑させる大切なシーンかと思います。
また場面と場面の繋がりも、今観ているのは、事件が起こった時のものなのか、現在進行しているものなのか。不思議な構成で、話が進むほど、病院・探偵どちらの立場が正しいのか惑わされていきます。
結末は観ている側に委ねられている?と感じる方もいらっしゃるかと思いますが、私は、最後のシーンである人が語った言葉がすべてではないか、という事で納得しました。ここに疑問を抱かれる方はモヤモヤした最後になりますね。そういう意味では評価が分かれる作品かと思います。設定は『シャッター・アイランド』に似ていますが、私はこちらの映画の方がはるかに好きです。
原作はトルクアト・ルカ・デ・テナによる1979年の小説との事。この時代に、こんな設定のお話がすでに発表されていたことにも驚きました。
155分の作品ですが、私は最後まで飽きることなく楽しめました。
by TRICKSTER10
まともか、そうでないか
ゆれたりふるえたりした線で~
ていねていねていねに描くと~
きめていたよ~
──
タイトルの“曲線”とは正常ではない者をさしており、主人公アリスはアリスインワンダーランドからもってきた──とのこと。(By外国語Wiki情報)
すなわち、おかしな者たちの禍中に放り込まれたアリスという体裁で物語はすすむ──のだが・・・。
監督Oriol PauloはロストボディやThe Invisible Guestなどの名手で、毎回キルトのように丁寧&エレガントな描写と“どんでん返し”が得意。ロケーション&撮影もバシッとキメてくるゴヤ賞常連。
話は時計じかけのオレンジやカッコーの巣の上でを思わせる。
くるった者を閉じ込めるのが目的の施設にくるっているという前提で収監されたばあい、正常者であることを証明するのは絶望的に難しい。
精神病の専門家でも、彼/彼女がくるっているのか、くるっていないのか──を判断することができないから。
よってくるっていないのにひどい目に遭う──女優フランシスみたいな展開をする映画がいくつかある。
が、これは更に一回転して、観衆もだまされる。
理由は主人公を演じるバルバラレニー。マドリッド生まれ。アルゼンチンとアイルランドの血をひくゴージャスな黄金比相。その気品ある面持ちに、くるってる気配はまったくない。つまり観衆をあざむく映画的テクニックも巧いが、美人は得でっせという話でもあったw。
逆に言うと、こんだけふぁびゅらすな淑女が探偵ってのはおかしいだろ──という疑問を持つことがリテラシーってことにもなる。
ブロンドの根元の黒髪が映画の進行とともにじわじわ伸びていくのはヒントとして置かれたニセモノ値だったのかもしれない。
が、社会階層上位をしめす驕奢なファーを羽織って出てきた主人公アリスが、排尿用バケツ一個もたされて独房へ入ってしまうところに本作のダイナミズムがある。
映画はスペインの小説家Torcuato Luca de Tenaが1979年に書いた同名小説にもとづいており、かれはその執筆にあたり、じっさいに精神病院に18日間入院し患者と生活をともにしたそうだ。その真摯な取材が生きサスペンスにもリアリティが内在した。
なお冒頭は言うまでもなく新宝島の歌詞だが、なんの関係もない笑。ただネットフリックスに神が描くは曲線でというタイトルを見つけたとき無意識に口ずさんだのでなんとなく書き出しにしてみた笑。
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