青春ブタ野郎はランドセルガールの夢を見ないのレビュー・感想・評価
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母と息子
咲太(主人公)が病気から回復した母親と久しぶりに合い関係を修復する話
作品を知らない人が観たら意味がわからない映画
次の作品への伏線で終わる
麻衣さんの時と逆に近いが麻衣さんの力で思春期症候群が治るというより自力で治す
彼氏に連れられてPART2。 家族愛って感じで嫌いでは無いけど、映...
彼氏に連れられてPART2。
家族愛って感じで嫌いでは無いけど、映画館に見に行ったのは損な感じがした。
ランドセル麻衣さんはやっぱり必見。
ランドセル麻衣さんがかわいい。そして今回も変わらず相模湾が美しい。そして安定の主題歌。
家族の在り方は様々。咲太自身のわだかまりも解けて一安心な回でした。でもやっぱり表面的な感じがして…。テレビアニメでもっと丁寧に描けば…と思ってしまう帰り道でした。
お母さんと咲太が2年ぶりに再会
この映画、題名から想像すると、
ランドセルガールが思春期症候群になって、それを治す話かと思うじゃないですか?
全然違って、
咲太が思春期症候群になって一人の救世主に助けられる話です。
テレビシリーズと立場逆なだけで他と似てます。
ランドセルガールは助け役で出るけど、正体は謎で、もしかすると次のシリーズに繋がって行く存在かも(原作買ってるけど一冊目しか読んでないので、この映画の先は知らない)。
ランドセルガール詮索より、咲太は直近の心当たりの原因に、全身全霊真心でぶつかっていき、幸せを勝ち取りますます。
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(ボクのプライベートな話)
これみたとき、この映画と比べて、咲太と比べて、
自分の人生や過去を後悔しました。
でも、よく考えると、もしも幼いときにこの映画をみていたとしても、あのボクの状況では、やっぱり親に嘘だと言われたり、親に恥かかせるのかと言われたりした否定の壁や、傷害事件事故の話を先生や警察にするのは、人の優しさの未来より人に責められる悪夢を確信するフォースの暗黒面のボクにはできなかったはずと、再計算した。
だから、ボクの人生は仕方ないの塊で、
ボクなりに生きるしかなくて、
それでいいんだ。
他人の涙を、見ても、共感できないボクじゃ、できることは限られてるけど、
自分の過去ストーリーは、誰かにアドバイスする糧に二回ぐらい使えた。
ボクのアドバイスは、たぶん、ぷらまいぜろ、で、結果の好転に繋がったかはわからないけど、
これからさきも自分のストーリーは覚えているし、きっとボクは変わらないまま生きていくとおもいます。
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(映画の外側の話)
ところで、ランドセルガールって題名にあると、なんかロリコンホイホイなのかなって、変な映画なのかなって思われそうで、題名で損してる気がします。
まあ、今年は地震来て飛行機事故来て、この一月に映画観に行く合理的理由はなかなか保てないかもだから、
安全な家で有料配信で見るのがいいのかもだけど。
だから映画館にいって地震にあうリスクは背負わない、ロリコンホイホイ題名の映画は映画館では見ない、のも、アリです。
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(映画の外側の話)
来場者特典で20ページ(10枚とじ)のA5サイズの『STAFFお疲れ様本』貰いました。
監督、脚本、作画監督、原画などのスタッフの、ご挨拶や、絵が、ありました。
クリスマスカードや年賀状みたいな感じにとらえました。
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(ボクのプライベートな話)
ボクの過去の判断は、知ってたけどやっぱり間違っていて、本来は全てを大人たちに話して、謝罪して、その結果として認めてくれる信用できる大人を確かめて、その地域社会のなかで生きていくべきだった、というのが、ずしずし心に乗ってきて、わかっていたけど、再確認で過去のボクが何度も徹底的に否定されてるようでした。
まあ否定してるのは今のボクで
頭悪いから隣の芝生が青く見えてるだけで、
たぶんボクが子供のとき先生はそれなりに調べをつけたはずで、
先生はボクの受けの姿勢にたいして、
無視か消極的に庇う選択をしたんだろうから、
グレーなラインで、何が良かったかは、人間には判断できない事態だったとも思えるし、まあ仕方ない。
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そんなことを考えさせられました。
高校生に戻りたい
高校生編最後で咲太が原因の思春期症候群になるとはランドセルガールの麻衣さんの道先案内少女がなぜいるのかは誰になるかは好きな相手次第で具現化したのか?若き日の母親がランドセルガールの替わりにいたら直ぐに原因究明して平行世界を行き来しなかっただろうけど、それでは話にならない。最後までランドセルガールはわからない存在でした。
霧島透子の存在が伏線として残っているので、大学生編がそこから始まるのかな?
家族の話、母親の話なので、家族話に弱い人は泣きますね。あぁ、泣きました。
アニメ作品の続編の続編の続編。
作品タイトルとは違いPV予告通り今回は主人公である咲太がメインの作品。
今までの女性キャラメインと比べるとトキメキや笑いは少ないですし、主人公目線で苛立ち、疎外感、絶望感を感じましたが、咲太にはそれに加えて麻衣さんへの希望もありそのまま引き込まれて人の温もりに救われる作品でした。
ランドセル少女は理想の世界に導くナビゲーターで咲太が知るドラマ口調の幼少期の麻衣さん。その年齢にしたのは麻衣さんで、無理やり水着を着せられた中学よりも前のお母さんとの理想の関係を想い描かれた麻衣さんだと勝手に解釈。
ストーリーは登場人物をとりあえず泣かせて感動ではなく。
共感できる舞衣さんがこの時どんな想いで駆けつけたのかわかる言葉。お母さんの日記にわざわざ3人と書いている絶望が、おそらく元々は4人と書いていて作中では読めなかった咲太への想いを直接咲太への伝えていたり、咲太の苦悩をかえでの日記越しに知っている花楓が2人に抱きつくあの間合いや表情がよかったです。
ただまた謎を植え付けて行く辺り流石だなと次回作への期待が膨らみます。
人を慕う気持ちも疎ましく思う気持ちも知らず抱えてしまうのが人間。知らぬ内にそれが周囲に影響してしまうのは思春期に限らない事のようです。これにて高校生編完了です。
夏に公開された「おでかけシスターの夢を見ない」。
その終わり方に、どことなく中途半端な感じがあり、
次作に続くのが見え見えな感じでした。はい。
なので、次の作品が出たからには観ないわけには…
というわけで満を持しての鑑賞です。・_・
前作で、引きこもりから立ち直った妹(花楓)。
咲太と同じ高校に通うことを夢見ながら頑張ってました。
で、この作品。咲太と麻衣が話の中心に戻ります。
そして前作からの引き「チビ桜島先輩」=ランドセルガール
この子が話の中心になるのか と思ったのですが…
そういう事でも無いようです。 あれれ
咲太の母は、花楓の引きこもりから心を病んでしまい
長いこと病院に入院し、治療を続けてきていたのです。
そのため咲太と花楓は二人暮らし。その二人を、時折
父親が訪ねてやってくる それが日常になっていました。
” 母親がいない状態が普通。この日が続けば良い ”
本人も知らないうちに、咲太の胸中にそんな気持ちが
生まれてしまっていたようです。
そんなある日、父から話が切り出されます。その内容は
「母さんが外出を許可されるまでに回復した」
「花楓が良ければ、会ってみるか?」
一瞬の空白 息を飲んだ後、「会いたい」と告げる花楓。
母に会う気になれた妹を、案じつつ喜ぶ咲太。そして当日。
無事に母と妹は顔を合わせ、二人の止まった時間が流れだす。
” -良かった ”
母の所に泊まる妹を残し、翌日は学校のため自宅に戻る咲太。
次の日。学校に行くと期末試験の結果が返される日だった。
しかし
咲太の答案が返って来ない。
咲太の名前が呼ばれない。
咲太の姿が周囲に認識されていない。
誰ならば自分を認識できるのか。
” 双葉は? …ダメ ”
” 古賀は? …こっちもダメ ”
確認するつど、深刻さが増していく。
誰からも自分を認識されなくなってしまった咲太。
” パニーガールの桜島先輩と同じ現象か… ”
しかも、咲太のお腹には新しい疵痕ができています。
こうなった原因がどこにあるのかを探し始める咲太。
果たして元の状態に戻れるのか。
…というお話。
咲太が新たな思春期症候群を発症してしまい、その原因が
次第に明らかになっていくのですが、その理由が
単純でいて納得感があり、胸に刺さります。・_・;
とんなお話かは気になった方は、是非ご鑑賞ください。
前作と合わせて、観て良かった。
満足です。 そして
高校生編がこれで終わるようです。
次回予告は「大学生編」でした。どんな話になるのか
楽しみに待ちたいと思います。
◇咲太 ミーツ ランドセルガール
思春期症候群の症状(?)として、ランドセル少女の桜島先輩
と出会った咲太。
この作品では、咲太が高校2年が終わる時点の視点で描かれて
いる訳ですが、この出会い(?)は、リアルに小学生の時の桜島
先輩に影響を与えている -と解釈していいものなのか…。
そうだとして、その出会いのエピソードも
これからの話の中で描かれていくのでしょうか。
(原作では描かれているのかな?)
その辺りが気になっています。
◇そういえば…
今作での年齢は「麻衣が高3、咲太が高2」なハズなのですが
大学生編って、
「麻衣が大学1年で咲太が高校3年」 ※普通に3月から4月に進む
「麻衣が大学2年で咲太が大学1年」 ※1年間すぽんと空く
どちらなんでしょうね?
うん。
どちらのパターンの話も観てみたいような気が。
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
TVアニメでいい内容
音響監督もインタビューでこれやるの?って言ってる通りTVで良かったと思う。
最近の傾向としてはちょいマイナーアニメはTVで盛り上がったら円盤で儲けるより映画で続編シリーズ作るってした方が儲かるって確立したからこういうストーリーでも映画にしちゃうんですよね。
「ゆめみる少女の夢を見ない」映画向きだったと思うけど今回と前回はTVでいいんじゃないかな。
で今回は咲太が認識されなくなったのは前にもやったから、新しいアイデアを出してほしかった。母親もクローズアップされてるのに名前決まってないとかどうかと思う。そして取ってつけたような案内役のランドセルガール、ランドセル麻衣さんが登場する理由が乏しい気がする。ほぼ役立たずの双葉えもんは巨乳要員でしかなかった。
まあ咲太が頑張るしかないってことなんだから、双葉えもんには頼れないかもだけど、実際のところあんまり頑張らなかった咲太、麻衣さん来なきゃ詰みかけたんじゃないかと思ったけど咲太が婚姻届預けなきゃ来れなかったんだよね、咲太褒めるしたらそこぐらい。
文句たらたらだけどドラマCD付パンフ欲しいから次回も見に行くんだろなw
次回は霧島透子さんの話?新キャラでいいんだよね?
咲太の中学の同級生が別世界で登場しててさほど物語に絡まなかったから
次回はそれが関係してるのかな?
そうそうミニオンズカードのイオンシネマ優待条件が変わって
1400円でポップコーンとドリンク付き鑑賞券が追加されてこの前頼んだけどポップコーンSサイズとかいうけど1人じゃめっちゃ多いので2,3人で分けるならおススメです、ドリンクは丁度いいくらいです。
青春ファンタジーの皮をかぶった「メンタルヘルス・アニメ」。今度は咲太が救われる番!
『青ブタ』シリーズは、TVシリーズおよび映画版2本はリアタイ視聴済み&小説未読。
春頃に公開された『青春ブタ野郎はおでかけシスターの夢を見ない』の感想で、Keyゲーフォロワーとしての『青ブタ』シリーズの立ち位置について、僕なりの思うところはもうまとめたので、ここでは繰り返さない。
Keyゲーとの対比でいうと、本作『ランドセルガール』は、『CLANNAD』AFTER STORYあたりに相当する物語だといっていい。
『Kanon』の相沢祐一、『AIR』の国崎往人とつづくKeyゲー主人公の系譜のなかで、『CLANNAD』の岡崎朋也は初めて、「周囲の少女たちを救う」だけでなく、「自らの家族の問題」に直面した主人公だった(彼の場合は「父親」との関係性に大きな問題を抱えていたのだが)。
『青ブタ』の咲太もまた、これまでの「ツッコミ」担当、「救済」担当の「大人びた聖人キャラ」から一歩踏み出して、自らの苦しみと家族の問題に正面から立ち向かうことになる。
そのきっかけとなるのは、自らの身に発症してしまった「思春期症候群」だった……。
「周りから認識されなくなる」思春期症候群というのは、第一作『青春ブタ野郎はバニーガールの夢を見ない』で麻衣のかかった症状と同じで、その意味でふたつの作品は、「咲太が麻衣を救う物語」と「麻衣が咲太を救う物語」という形で、ほぼ裏表の構造になっている。
ただ、今回の「思春期症候群」には、ちょっとわかりづらいところもある。
人に観られるのが仕事だった麻衣にとって、まわりに空気扱いされるのがショックで、結果として発症に至った経緯はよくわかる。だが、咲太の場合はただの一般ピープルなので、お母さんとの関係性の希薄さや無意識下での拒絶が、咲太自身が「全世界」から認識されなくなる現象へとつながる流れが、どうも今一つ釈然としない。
とくに、麻衣さん「だけ」が見つけてくれたって特別感を強調するためなのだろうが、当たり前のように妹の花楓からも咲太を見つけられなくなるのは、なんとなくしっくりこない。彼女の世界にはこの間まで「咲太しかいなかった」というのに。さすがに薄情な気がしてしまうわけだ。
ただ、問題を抱えているのは「咲太のほう」であって、必ずしも花楓や他の女の子たちが薄情なわけではないことは、改めて確認しておきたい。
「思春期症候群」というのは、実は相手の問題ではなく、本人側の問題なのであって、思春期特有の「思い込み」が現実まで侵蝕してしまうことで発生する事案である。
だから、花楓が咲太を見つけられなくなったのは、「花楓の視界から咲太が見えなくなった」のではなく、本当は「お母さんと仲直りした花楓が自分を必要としなくなるのではないか」という「咲太の恐怖」が招いた現象なのだと考えることができる。
「お母さんに認識されない恐怖」以上に重要なのは、
「自分の人生からお母さんをオミットしてしまった」ことへの悔恨だ。
そのことが「自分はこの世界でやっていくに値する人間なのか」という無意識の「自罰」感情となって、咲太を社会から切り離していく。
先ほども述べたとおり、「思春期症候群」を引き起こしているのは社会ではなく、咲太本人だ。咲太のなかにある、社会から排除される恐怖と、社会に居て申しわけないくらいの自罰感情が、「認識阻害」という現象を引き起こしているのだ。
そのなかで比較的さらっと、麻衣さん「だけ」が咲太を見つけてくれるのは、このロジックで言えば、「実のところ咲太は麻衣さんだけには恐怖を感じていないし、申し訳なさから相手をオミットする感情も抱いていない、そのくらい無条件で信頼している」ことの「裏返し」でもある。
もう一点わかりにくいのは、なぜ思春期症候群を発症してにっちもさっちもいかなくなった咲太を、「別の世界線」に導いて解決のいとぐちを与えてくれるのが、「ランドセルガールの麻衣さん」なのかという点だ。
咲太の抱えている問題は、あくまで「歪んだ家族の問題」である。
母親のネグレクト。妹の依存。父親の頼りなさ。
咲太はひとり「大人」になって、家族を支えねばならなかった。
のしかかる責任と極度のストレス。
で、結果として(咲太の孤軍奮闘のおかげで)花楓はなんとか立ち直ることができた。
「花楓が病んで不登校」という事実が受け入れられずに一緒に病んでいた母親は、「病みの理由」が解決したので、急速に快方に向かう(現金なものだ)。
早速「母さんが会いたいと言ってる」と伝えに来る「誰にでも優しい」父親。
すべてが自分の弱さのせいでこうなったと思っている花楓は、気丈にそれに乗る。
堰を切ったように「正常化」に向かう家族。
常識人で、ツッコミ担当で、いつも大人の立派な咲太は思う。
「よかったよかった。僕も母さんとうまくやっていかなきゃ」
だが、彼の「ぐう聖」としてのペルソナに抑圧されてきたシャドーセルフ、もうひとりの咲太は、それがどうしても認められない。
「おいおいちょっと待てよ。誰がここまで花楓を支えてきたと思ってるんだ? ネグレクトした母親赦して、母親べったりの父親まで切り離して、何年も俺がひとりで頑張ってきたんじゃないか。それを、ようやく上手くいきだしたら、取り上げるかのように花楓持ってっちゃうのか? こんだけ頑張ってきたのに、母さんは花楓、花楓で俺なんか眼にも入ってないじゃないか。あんまりだよ、こんなの」
この「おいおいちょっと待てよ」の感覚――「家族再興の幸せな物語」に対する、咲太の抑圧された自我の抱いた強烈な違和感――それが身体レベルで反乱を起こし、ひいては「世界との関係性」にまで暴走していった結果、発症したのが「思春期症候群」だということだ。
ただ、この一連の発症の経緯には、麻衣さんは絡んでいないし、まして「子供の麻衣さん」も何一つ関係していない。
だから、なぜ「救世主」のごとく導き手としてランドセルガールが現れるのかが、ちょっと受け止めにくいわけだ。
僕もすべてが納得できているわけでもないのだが、ひとつ考えられることとして、小学生の麻衣さんは「壊れる前の世界の象徴」なのかもしれない。
社会からの疎外感にさいなまれて、思春期症候群を発症する「前」の麻衣。まだ子役としてぶいぶい言わせていたころの、無垢で素直で、全能感に満ちていた頃の麻衣。
彼女が導いてくれるのは、「花楓が壊れなかった世界」だ。
いじめの問題が発生してまだ取り返しがつく時期に、咲太が学校に乗り込んで放送室を占拠してひと騒動起こして、騎士(ナイト)さながら花楓を救うことができた世界線。
花楓は壊れず、母親も壊れなかった「幸せな」世界線。
咲太(と内面のシャドーセルフ)は、そのかりそめの幸せをひとしきり享受することで、なんとか人心地ついて、現実世界で起きている事象を冷静に、客観的にとらえなおす余裕を手に入れる。穏やかで理想的な「夢」のなかで、今自分が置かれている状況を再分析し、何が問題点であり克服すべきポイントなのかを再確認する猶予を得た、ということだ。
その意味で、咲太の体験した「もう一つの世界」は、『Re:ゼロ』の試練でスバルが体験した「家族の夢」に近いものだったのかもしれない。
それと、今回咲太が抱えている問題が完全に「家族の内々の問題」であるがゆえに、その「外」にいる存在、あるいは「これから家族になる」存在である「麻衣さん」しか、救世主や水先案内人にはなれなかったということもあるだろう。
でも、現実の麻衣さんは、咲太の物語においてちゃんと出番があるし、むしろ欠くべからざる存在だ。結局のところ、咲太の抱えている問題というのは「せっかく頑張ったのに親に認めてもらえない」という『エデンの東』のキャル(ジェームズ・ディーン)に類似した問題なのであって、その頑張りを認めてくれる第三者、頭をよしよししてくれる理解者、頑張ったねと無条件に言ってくれる相手が必要で、それは「大きくなった麻衣さん」にしか務まらない役目だ。
で、そこで登場するのが、ランドセルガール、というわけだ。
麻衣さんであって、麻衣さんでない存在。
でも、正体としては麻衣さんみたいなものだから、身をゆだねても安心な存在。
まだ無垢であるがゆえに、幸せな世界へのカギを持っていそうな存在。
「大人」にならざるを得なかった咲太を「子供に戻らせてくれる」存在。
もう一度強調しておくと、思春期症候群というのは、世界に問題があるのではない。本人に問題があって、それがあふれ出して世界に干渉しているのだ。
ここで現れた「子供の麻衣さん」は、世界が咲太を救うために遣わした使者ではない。
「咲太自身の内面が望んで呼び寄せた、無意識レベルの願望の実現」なのだ。
……といった感じで、僕は「ランドセルガール」については自分を納得させました(笑)。
― ― ―
僕個人は、親との深刻な問題を抱えたことはないうえ、一人っ子だったので、今回の物語にのめりこめるほどの土台を共有していないし、きっとこういうことになったら大変だろうなと想像をふくらませることしかできないのだが、兄妹で似たような経験があるとか、母親との関係にわだかまりがあるような人にとっては、ものすごくぐっとくる映画だったのではないだろうか。
『青ブタ』シリーズのなかでも、ある種「Keyゲー」の再現に近かったここまでの5人のヒロインの物語とちがって、花楓と咲太の話は「家族」の問題を克服していく、いわゆる「ホームドラマ」であり、かなり毛色が違う。
「思春期症候群」の扱いも、ファンタジー色やセカイ系の要素以上に、心理学的な色彩が強く出ていて、いわば「メンタル系疾患の言い換え」に近いものになっている。
要するに、ストレスや社会不安によって「心の均衡を喪ってそれが身体に出る」というありきたりなメンタルの病を、「思春期症候群」と呼称することでラノベ的、アニメ的に「受容可能なファンタジー的ギミック」に落とし込んでいるということだ。
その意味では、TVシリーズや『ゆめみる少女』以上に、今回の2作(前後編で描かれた妹と兄の物語)には「セラピー小説/アニメ」の側面が強いように思われる。
積み重なる家庭内の問題。自分では気づかないうちにたまってゆくストレス。
それがついに身体に出てしまった(今回咲太にでているのはほぼ「帯状疱疹」である)。
しかも、どんどん社会と自分の「乖離」が広がってゆく感覚がある。
あれ、どうしよう? 俺、メンヘラってるぞ?
さあどうする? まずは、なぜこんなことになったか分析してみるしかないか。
内なる自分と向き合って、なにが不満で体調を崩すくらいに病んでしまったのかセルフチェックしてみないと次に進めない……。
今回の『青ブタ』で、「思春期症候群」を口実にしつつ追求しているのは、まさにこういったメンタルヘルスの基本的思考である。
鴨志田一は、ラノベの形態をとりながらも、若い読者に「自分との向き合い方」「家族との向き合い方」「思うようにいかない心と身体のバランスのとり方」を語りかけているのだ。
ちょうど世相が荒れ、コロナを経て対人スキルも衰え、若者たちがメンタルをやられ、みんながなんとなく「疲れ」「うつっぽく」「閉塞感にさいなまれている」ような2023年に、この2本の映画がそこそこのヒットを飛ばしているという事実は、決して無関係ではないと思う。
次回からは、大学生編とのこと。
考えてみると、ラノベの主人公が大学生になってもなお話が続くというのも珍しければ、ヒロインと出だしでくっついたのに話がいっかな終わらないというのも珍しい。
それだけ「思春期症候群」といいながら、もはや「思春期性」や「ラブコメ」の枠におさまらない、より深い次元の内容を追求するシリーズになってきているということなのかな。
おおいに次回作(映画? TV?)にも期待したい。
ロストマン
6月公開のおでかけシスターではかえでと花楓が自分の殻を打ち破って前に進む物語が展開されました。話数ごとだと分割されて難しいと思ったので、中編くらいの尺でやったのは大正解でしたし、本当に良かったなぁと観ているこちらも嬉しくなる作品でした。
今作は花楓と母との再会、そして咲太の思春期症候群と2つのテーマが描かれます。後者の方がメインではあります。
花楓は最初は母に会う事に対して後ろ目を感じていましたが、いざ会ってしまえばもうすぐに打ち解けて、花楓も思いの丈を吐露してコロッケを作る約束もしちゃって…。この時、咲太はあまり会話をしていないなと思ったら、そこが思春期症候群に繋がる部分だったんだなと解釈一致しました。
家族が元通りになる事を言い訳に、母の存在をどこか忘れようとしていた咲太が思春期症候群になり、改めて梓川咲太という人間を知る事になるのは上手い構成だなと思いました。
誰よりも我慢を重ねていたからこそ、いざ自分となるとどこか宙に浮いた感覚になっていたという、1話から現在までの咲太を浮き彫りにするような形になっていました。
原作はもちろん、アニメシリーズに劇場版、前作のおでかけシスターで多くの人の悩みや葛藤を解決し、手を差し伸ばしていた咲太が今作では差し伸ばされた手を取るという、咲太の物語になっていました。
もう一つの世界で過ごしたからこそ、母から逃げていた自分を責めつつも、家族というものの関係性の尊さを何気ない会話で噛み締めているシーンがとても好きでした。
こちらの世界でも飲み込みの早い双葉とのシーンはなんだか安心感がありましたし、交流が多かった2人だからこそできる軽い掛け合いが心地よかったです。
なんでもない用事で電話して、今日の弁当の感想を伝えるなんてらしくない事をやってしまうくらいには、咲太もお母さんに会いたかったんだなと思いました。
自分もお母さんっ子なので、なんてことない会話をするのは楽しいですし、離れて暮らしているからこそその大切さが身に染みるので、より一層感謝を伝えなきゃはと思いました。
元の世界に戻ってきて、まだ思春期症候群真っ只中の世界を少し楽しんでいる咲太の元に麻依さんがやってきて、思いっきり抱きしめてくれる、ひとりぼっちの世界に光が灯った瞬間、咲太が思いっきり泣いていたのを見て、よく頑張ったなぁとこっちもほろりときました。今まで見てきた作品の中で、ここまで見ていて感情の揺さぶられるカップルは早々いないです。貴重。
病室でお母さんとしっかり目を合わして、もう花楓も混ざって泣きじゃくるシーン、咲太の物語にも一区切りついて家族のピースが揃ったんだなと嬉しくなりました。
最後はゆめみるのラストに合流し、新たな物語への布石を打ったところで映画は終わります。
エンドロール後の映像、もしやもしやと思ったら大学生編のアニメ化決定というとても嬉しい情報が飛び込んで喜びが隠しきれませんでした。原作の大学生編はまだ未読なので、読んでおきたいですし、アニメーションでどういう感じで進んでいくのか、新しい楽しみが増えました。
若干駆け足な感じはありましたが、青ブタの世界を堪能することができて1ファンとしては喜ばしい限りです。大学生編も首を長ーくして待ちます。
鑑賞日 12/2
鑑賞時間 13:40〜15:05
座席 F-5
もらい泣き
TV版からの続き、劇場版シリーズ3作目、安定の作画、脚本、演出、何も不安なく観ていられます。
咲太、母、花楓の三人で泣き合うシーンは胸が熱くなりました。
時々泣くシーンを軽々しく描くアニメ作品を見ることあるけど、そう、泣く演技ってこうですよ。
もらい泣きしてしまいました。
さて、麻衣さん、シリーズの流れがわかっているからこそ受け入れているけど、言っちゃなんだが、桜島麻衣は出来過ぎ!
咲太兄妹の行動や事象を読取り汲取り最善の手を打つ。
しかも芸能活動を続けながら。
更にはランドセル少女になって咲太を導くし、ちょっと恐いよあの人。
理想の恋人とかの次元を超えてる。
そもそもあのランドセル麻衣は何だったんだろ?
次回作で明らかになるのだろうか?
あ、そうそう双葉がフリーレンと被っちゃったよ(笑)
パラレルワールド?
3月になり、梓川咲太の恋人・桜島麻衣は卒業式を迎えた。七里ヶ浜の海岸で麻衣を待っていた咲太の前に、子役時代の麻衣にそっくりな小学生が現れたが、麻衣が来たら消えてた。そんな咲太のもとに、父親から電話が掛かってきて、入院していた母親が、花楓に会いたいとの事。花楓と一緒に母親に会うことにした咲太の体に身に覚えのない傷跡が生じ、咲太は周囲の人たちに認識されなくなってしまった。そして・・・てな話。
これパラレルワールドの話なのかな?思春期症候群の事がイマイチ理解出来ていない。
あんな事で母親が娘を憎んだりするはずないのに、とか、両親と離れて暮らしているのがよくわからなかったからWikiで調べたりしたが、理解が追いつかなかった。
今作は?が多かった。
まだ続くようだから、次回作も観てみたい。
やっぱり麻衣さんはサイコーですね。
仕事やら何やらで公開三日目で先程やっと視聴してきました。前回が花楓ちゃん回で特に思春期症候群など起こらなかったけれど、今回はハナから不思議な事件が起こることが判っていたので期待値が高かったが、その期待を易々と超えてきた。
まぁ何で子供の麻衣さんが出てきたのか、別の世界での中学生の同級生の登場やら、霧島 透子の正体やら原作を読んでないものにとっては判らないまま映画は終わってしまったけれど、大学生編制作決定とのことで今後の楽しみですね。
とにかく今回の麻衣さんはTVシリーズ、劇場版の中一番と言っていいほどかわいくて頼りがいのある存在。
サイコーだったので5点満点をつけました。
多分もう一回観に行くだろうなぁ。
物理準備室の分子モデルは何の分子?
今シリーズはタイトルが”青春ブタ野郎は〇〇”で見るのを牽制していたけど、友だちに薦められてた見始めたらめちゃくちゃオモロくて、本当にタイトルで損してる作品だなとつくづく思う。
公開2日目の土曜。映画館に行くと、ロビーで人がいっぱいで今シリーズの人気ぶりが伺えた。
今回の映画の内容は原作小説で読んでいるが、内容をすっかり忘れていたので新鮮な感覚で鑑賞することができて楽しめた。
今作は高校生編の完結でシリーズでは前作”おでかけシスター”はタメ回だったので面白さが少し欠けていたような印象だったが、今回は前作の内容がいい味出してた。
話の本質とは違うけど、物理準備室にあった分子モデルがなんのモデルなのか分からなかった。色も塗り間違え?で最初のワンカット以外は、(おそらく)水素原子から結合の手が4本も出ていた。
今回は(今回も)とりあえず、主人公 咲太がイケメンすぎた。オモロいやつやし、とても気遣いができる妹想いのお兄ちゃん。見習うべき点が多すぎる。
主人公がお母さんに”ありがとう”って言うのが珍しいっていう描写があって、自分も母に感謝を言葉で言い表していないような気がしたので、その日の晩にとりあえず”ありがとう”と感謝の旨を母に伝えた。
エンドロール終わりに、”大学生編アニメーション化決定”って出てきたので、また楽しみが増えた。とりあえず、原作小説を読むのが途中で止まってしまってあるからまた読むのを再開しようと思った。
ランドセルガール?
家族の物語としてはよくできていたと思いますが、前作のラストに出ていてタイトルでもあるランドセルガールが特に物語の鍵になっていなかったのはちょっと期待外れです。また、思春期症候群になったり治ったりのきっかけが少し弱く、そこも物足りなさを感じました。
ファン必見。細かなところまで楽しめます。
前作から半年。
待ちきれず、公開翌日に鑑賞しました。
土曜日中の都心の映画館でしたが、お客さんの入りはまばら。その分ゆったりと鑑賞できました。
内容としては、引き続きアニメシリーズ〜映画の続編。
冒頭からいきなりAパートが始まるイメージです。
シリーズを通して心理描写が重要な作品ですが、
今作はそれに加えて実際に思春期症候群による直接的な現象が起きるためメリハリがあり、
良い意味で緊張感のある展開に仕上がっていました。
表現についても、細かなセリフ回しだけでなく、展開によって実家のマンションのグレード(藤沢のマンションを借りるのに頑張ったんだろうな…)とか、父親の所作、さらに置いてある家具家電までも変化する描写はさすがですし、
人物についても、魅力に磨きがかかった麻衣さんだけでなく、サブキャラでもよく見ると教室で上里さんが咲太を睨んでいたりなど、これまでの物語をしっかり反映しているのが見事だなと感じました。
中でもエンディング後の「翔子ちゃん」の性格は見事で、特に彼女の記憶にあるという「様々な可能性の人生」の中には咲太との幸せな結婚もあったと考えると、沖縄への引っ越しを伝えるのにどんな思いがあったのか…。
改めて深い作品だなと思います。
大学編の制作も決まったとのこと、ファンを掘り起こしながらこれからも続いていってくれることを願っています!
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