きみの色のレビュー・感想・評価
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変えられぬものを受け入れる冷静さ
本作の主題なのだと思うが、ドラマの中心はそういうものに「なんとなく」囚われている少年と少女たちのひととき
それ故、激しい感情や高揚感に揺さぶられることはないけど、ふと、自分の有り様を鑑みて、フワリと心が軽くなり気持ちの良い読後感をもらえました。
ストーリーが弱く監督の趣味全開の作品?
設定は長崎のミッション系の学校で雰囲気はありますが、ストーリーが貧弱です。
人間関係の描写も「色が好き」だからということで済まされいる印象を受け、自分自身を登場人物に投影したりすることは困難です。
また、「花」「鳥」「動物」「食べ物」のカットがたくさん出てきますが、ぶつ切れでストーリーの腰を折っています。
エンディングのMr.Childrenの歌が浮いているような印象を受けました。聲の形の際のthe whoのMy generationの方がまだ違和感なく聴けました。
昔のジブリは鈴木敏夫氏が上手く大衆化したと聞いています。山田尚子監督の才能は素晴らしいと思うので上手く周りのスタッフが大衆作品に落とし込んで欲しいと思いました。
謎、ふんわり不思議系、意味不明
水面のきらめきを見ているような感覚と近いのかも。
彩りあふれる音楽活劇青春アニメ
見事な傑作
山田尚子監督にとっての「癒し」の映画。世界の安寧を祈る乙女の軽やかな舞に涙する。
これはきっと、
山田尚子監督にとっての、
ヒーリング・ムーヴィーなのだ。
この穏やかで、静かで、ひそやかな、
それでいて、やたらカット割りの多くてせわしない、
幸せなようでいて、どこか翳のある映画を観ながら、そう思った。
山田監督が、結局のところ、
あの事件のことをどう考えているか、
僕にはわからない。
だけど、世界が終わるような、
何もかもが根こそぎ奪われるような、
それこそ立ち直れないほどの強烈な打撃を
その身に受けただろうことは容易に想像がつく。
仲間を喪っただけではない。
「女性監督」をめぐる犯人の身勝手な動機は、
きっと彼女を打ちのめしたはずだ。
本当に、あんなにひどい話はない。
京都アニメーションという会社は、
そんななかで、見事に甦ってみせた。
「不死鳥のように」とまではいかないかもしれないが、
石原監督以下スタッフは、『メイドラゴン』『ツルネ』『Free』『ユーフォ』と律儀に続編制作にいそしみ、むしろどこまでも「通常営業」を貫くことで、不屈の闘志と、前を向き続ける勇気を僕たちに示してくれた。
一方、山田監督は、京アニを離れた。
新天地を求めて、湯浅政明のところを頼った。
『平家物語』では、いままで依拠してきた「青春」と「萌え」の文化からも離れて、古典とアートアニメの世界に身を投じた。
最初に言ったとおり、僕らに山田監督の胸のうちはわからない。
よしんば、僕の知らないところで何かを語っていたとしても、
彼女の味わった絶望と、恐怖と、慟哭と、厭世と、自罰の感情は、
決して僕らには想像できないほど、深く、重いものだったに違いない。
そんな山田尚子が、「青春」と「音楽」の世界に新作を引っ提げて帰ってきた。
どんな話をつくってくるかと思ったら、
いままでのようでありながらも、
いままで以上にどこまでも優しく、
いままでよりもどこかほの暗くて、
いままで以上に自分をふるいたたせるような、
そんなアニメをつくってきた。
心に疵をかかえて、
コンプレックスに苛まれ、
それでも、まわりをきづかって、
うまくふるまえない少年少女。
それを温かく見守り、ときには優しい罰を与え、
彼らの決断を後押ししてくれる親と教師と仲間たち。
『きみの色』の世界は、どこまでも優しい世界だ。
弱くて繊細な人達が、つながり合い、認め合い、癒し合う、温かい世界だ。
ここは山田監督にとってのユートピア。
あるいは、サンクチュアリ(聖域)。
あるいは、レフュージ(避難所)だ。
ズタボロに傷つき、動けないほどに打ちのめされ、それでも前を向いて歩こうとする山田監督が、世界と折り合いをつけて、ふたたび歩き出すための、「こんな世界であってほしい」という理想郷。彼女がこれまで描いてきたような子供たちが、自らの心の傷と向き合い、親の世代と和解して、地に足をつけて世界へと羽ばたいていく物語。これは、山田尚子自身のリハビリテーションとレザレクションの映画でもあるのだ。
逆にいえば、彼女にとってはおそらくまだ、現代を舞台とした物語で、「ストレス」を描くことは、とてもしんどいことなのだと思う。
世の中の「悪」を描くことは、途方もなく恐ろしいことなのだと思う。
いまはまだ、せめて映画のなかだけでも、誰もが優しくて、誰もが美しい世界であってほしいと、そんな思いをこめてつくった映画なのではないか。
そう思ってパンフを読んでみたら、山田監督自身、こんなことを言っていた。
「今回の作品はストレスじゃない部分を大事にしていきたかったんです。生きているとストレスばかりなので、せめて映画の中くらいはこういう環境があっていいんじゃないかという気持ちもありました。裏切らない裏切りみたいなものもいいだろうかという気持ちですね。ちょっとした反骨精神でもあります」「できるなら許せる人でいたいし、許される人でいたい。そういうところも届くといいなと思います」
本人はそれ以上踏み込んで発言していないが、音楽監督の牛尾憲輔の言葉からは、まわりのスタッフがどんな想いを秘めて監督を支えていたかが、ひしひしと伝わって来る。
「まず山田尚子という人はアニメーション監督というよりも映画作家だと思うんですが、〈どんなに悲しいことが起きたとしても世界は常に美しい〉ということを信じているというのが作家性のひとつだと思います」
だから、僕はこの映画を、山田監督が信頼できる仲間たちと作った、自身を癒すためのヒーリング・ムーヴィーとして、全幅の共感をもって観た。
考えれば考えるほどに、「これは私的な映画だ」という気がしてくる。
そこには、彼女が京アニで培ってきたさまざまな要素が、万感の想いをこめて振り返られているような気もした。
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いちばんわかりやすい例でいうと、
本作のキミとルイって、同じ齢で出会うことのできた、高坂麗奈と滝先生っぽいよね(笑)。
黒髪ロングで、おそろしく不器用で、コワモテだが繊細でいちずなキミちゃん。
天才肌で、音楽的才能で2人を引っ張る、フェミニンで穏やかな性格のルイ。
何より、テルミンは「指揮者以外では唯一の、楽器に触れずに音を奏でる楽器」であり、その演奏姿はとても滝先生の指揮姿に似ている。
ここは、先生と生徒という枠組みの外で、麗奈っぽい少女と、滝先生っぽい少年が、自然に交情し、友情を育み合う「夢の舞台」として機能している。
学校の先生(シスター)も実は若かりし頃はロッカーだったというエピソードは、もちろん『けいおん』へのオマージュだろう。
今回のバンドが『God almighty』、さわ子先生のバンドが『DEATHDEVIL』というのもなんだか符合を感じる。「God」の文字は、『けいおん』からさらにさかのぼって、『ハルヒ』の学祭シーンもうっすら想起させるわけで。
ヒロインのトツ子は、やりたいようにやって、それなりに暴走しながら、仲間に受け入れられ、愛されている。親もいい人、先生もいい人、友達もみんないい子。
このへんは、とても『けいおん』によく似ていると思う。
僕個人は、唯のやっていることがあまりにいつも身勝手過ぎて、しょうじき『けいおん』はあまり好きになれないアニメだったが、今回のトツ子は、ただの前向きな不思議チャンではなく、ちゃんとコンプレックスがあって、相手に寄り添う観察眼があって、悪いことをしたら上にしっかり叱ってもらえて、相応の罰をこなすことで次のフェイズに進んでいくという意味で、とても受け入れやすいキャラクターだった。
他にも、少女たちのインティメットなふれあいの様子には、いかにも『リズ』を思わせるところがあったり、相変わらずの「足フェチ」ぶりを発揮していたり(坂を横歩きで登る、前のめりに歩く、忍び足、教師の華麗なステップ)、あえて「アイスクリーム」(=氷菓)といわせてみたりと、僕はこのアニメを「楽しかった京アニ時代の仕事へのオマージュ」として、しんみりとした気持ちで観ていた。
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だからだろうか?
ラスト近く。
テルミンが奏でる少しマヌケな『ジゼル』の音楽に合わせて、トツ子が踊り出したとき。
なぜか、僕は急に涙が抑えられなくなった。
泣くようなシーンでは全然ないのだが(笑)、
なんだかぎゅうッと、胸が締め付けられるような思いがしたのだ。
もしかすると、本来的に音楽のもつ特別な力もあるのかもしれない。
出だしがリヒャルト・シュトラウスの『ばらの騎士』を思わせるからか、
テルミンのあの音が『デリカテッセン』のミュージカル・ソーの音色を彷彿させて、僕の郷愁をそそるからか。
だが、それだけではないような気もする。
映画の展開とも、物語のナラティヴとも、あまり関係のない踊り。
でも、登場した瞬間、ガニ股の「足の形」で
これからトツ子が「バレエを踊る」ことは、踊る前からわかる。
聖化された庭で、ぽっちゃり娘が躍動する。
自らの過去の心の傷から解放されて、飛び立つかのように。
これから始まる親友たちの新たな前途に祝福を与えるかのように。
世界のすべての幸せな日常に、祈りをこめるかのように。
きっとここで踊っているのは、
トツ子でもあるし、山田尚子監督でもあるのだろう。
それは、過去にいろいろあったことへの、
もう二度と会えなくなった仲間たちへの、
鎮魂のダンスでもあるのだ。
いやなことを忘れて、前を向いて歩くための、「地鎮」の舞。
だから、僕は「浄化」されるように、涙を流した。
山田監督の切なる祈りの深さに、無意識のうちに感応した。
『平家物語』で「諸行無常」の境地に想いを馳せ、
『きみの色』では小さな世界の小さな幸せを描く。
こうして、山田監督は一歩ずつ、また次の世界へと歩いてゆく。
僕はそんな監督を、心から応援したい。
そんなことを、作画協力に、シャフトやゆめ太カンパニーやガイナ京都まであるのに、京アニがいないクレジットを観ながら、僕は思ったのだった。
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あと、もう一点だけ、触れておきたいことがある。
それは、なぜ舞台が「長崎」なのか、という話だ。
パンフでは、適度な田舎感と、人々の距離感が良かったと監督はさっぱりと答えているが、果たしてそれだけなのだろうか。
僕は思う。
まず何より、長崎は「坂の街」だ。
誰もが常に、徳川家康のように坂を上り続けている。
風光明媚で、情緒があって、歴史と自然に恵まれた街。
でも、生きていくためには、常に坂を上りつづけなければならない、なかなかに大変な街である。
この「恒常的にストレスはあるけれど、住み慣れれば美しくて人々のつながりの気持ちいい街」という部分に、山田は自分の今生きている世界とのアナロジーを感じ取ったのではなかったか。
さらには、長崎は「神の街」だ。
今回、山田監督はアニメとしては珍しいくらい、ミッションスクールの「宗教性」に踏み込んで描写している。
山田監督がクリスチャンがどうかは知らない。
でも、この物語で、神に頼ること、神にゆだねること、神に許しを請うこと、神にすがって生きることは、茶化すことなく、とても真摯に描かれている。
僕は、山田監督自身、いまは何らかの超越的な存在に、強く想いを馳せているのではないかと想像する。彼女が背負っている重荷は、もはや「人にすがったり」「自分で超克したり」することで乗り越えられるようなものではない。彼女がマントラのように唱えているのは、まさに作中登場する「二ーバーの祈り」(「変えることのできないものを受け入れる」)なのだ。だからこそ、監督は「神が本当に信じられてきた」長崎という地で、街の伝統と文化をたよりに自らの苦しみを神に預け、ひとときの安らぎを得ようとしたのではないか。
そして、長崎は「悲劇の街」でもある。
大きな戦禍があって、理不尽な大量死があって、そこから復興を成し遂げた街だ。
実際のところ、山田監督もそんなことは意識していないのかもしれない。
でも、山田監督が長崎に「惹かれた」、あるいは長崎が山田監督を「呼んだ」底層には、きっとこのことも影響していると僕は考えざるを得ない。
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その他、ぽっちゃりしかいない謎のダンス教室(いやあれは『メイドラゴン』のカンナのような単に「幼い」描写なのか?)とか、若者たちが作るのがなぜ思い切り80年代ニューウェーヴ臭の濃厚なテクノフュージョン3題なのかとか、「音の共感覚」を彷彿させる「人と色の共感覚」が本作で持つ本当の意味とか、「きみの色」と「君の色」の掛詞の話とか(ラストの「赤」はそう来たかと)、いわさきちひろを思わせる色彩感覚とか、『動物のお医者さん』と『天使なんかじゃない』の意味合いとか、いろいろ言いたいことはあるのだが、紙幅が尽きました。
ヘンにギスッたノリとかを期待しないで構えずに観に行ったら、きっとみなさんも浄化されるはず。けっして陽気ではないけど、基本前向きな気持ちになれる映画だ。
こぢんまりした作品に見えて、山田監督にとっては「どうしても作らねば前に進めなかった」大切な作品なのだろうと、僕は思っている。
優しくも、設定ミスの作品?
監督と音楽監督に期待して
山田尚子さんと牛尾憲輔さんの「平家物語」がとても良かったので、このタッグに期待して見てきました。
なので画と音楽が目当てで、やはり随所に平家物語のアニメに通じる表現があって楽しめました。
音のエフェクトのかけ方とかが、牛尾さんらしいなとか。ただ、平家では全編にわたって牛尾さんの音楽でしたが、本作ではそういうわけにはいかないのでその点はちょっと物足りなかったです。平家の"purple clouds"のような牛尾さんのメインテーマ音楽が欲しかったところ。
画ではたとえば瞳の描写が平家のそれを彷彿とさせるものでしたし、本作では山田監督の美しい色彩をより堪能できました。
正直なところ何を訴えたいのかは私にはよくわかりませんでしたが、特にメッセージ性は無く青春の一断面を美しく切り取った作品として見ればいいのかもしれません。
けいおん!とは違った魅力のバンドストーリー
優しい映画
穏やかで暖かな青春。 大きな壁にぶつかり挫折するのではなく、新たな...
映画より映像を楽しむ作品かも
期待値が高かった 有料パンフ ホームページで学習済み しかし実際に見たら イマイチだった 俺が悪い
俺ホームページ動画 完全予習の繰り返し 事前フライヤーは 勿論 有料🈶パンフもう金曜に一部抜粋拾い読みだけども予習済み。 トツ子 ルイ きみ 大きな器に40パーくらいか 台風🌀影響か❓
長崎の離島的な 青春✖️音楽 色が綺麗やねん。
Mr.Children エンディング曲 『in the pocket 』
劇中バンドの曲 『水金地火木 土天 どってん アーメン』
これらもホームページ動画にあり ノリが良い
『聲の形』『けいおん』の監督 ときたら 俄然期待するがな
しっかし 午前に見た 江口のりこさんの『愛に乱暴』では目がギンギラ👀だったのに
期待値高かった本作の 展開が イマイチで 眠くなってきた🥱
絵がカラフルでいいのだけど おじさんが食いつくには ストーリーが淡白
寝ては🥱いないけど その一歩手前
コレ 事前学習なしの方が良かったね。
素直な青春ストーリー いきなり鑑賞 が正解✅と思った
トツ子さんのキャラが面白かったけど 事前にホームページ動画全部、複数回見てしまったのは俺的に失敗
変な客 がいて非常に迷惑 我田引水の自己中が 本作観てどうなるの❓ウルセェのはコッチだよ
まあいいや
まあ美術が美しく オリジナル キャラ立ちもされてるので 『聲の形』『けいおん』が良かった人は もっと高評価カモね
でも、ジジイ的には眠かった🥱
どうでもいいけど 古本屋って 神田の大古書街 小規模本郷・早稲田の古書街 とギリ健闘してるブックオフさん とネット古本屋
除くと ほぼほぼ絶滅危惧種だよねぇ その意味では良かったです。
有料🈶パンフは 絵がカラフルで良い 推奨します。
でも頭の固い 古さびたおじさんの頭 では ドラマー🥁のいないバンドは 飛車角落ち なのだった
にゃんごすたー 入れて欲しかった。
まさかのテルミン、まさかのミスチル
寄り添う様な作品
けいおん!で有名な山田尚子監督の久しぶりの青春バンドアニメ
しかしバンドものに多々ある俺はこんな悩みがあるし目立たない主人公が
歌って盛り上がるぜぇー!的なモノではないので(全くない訳でもない)
誰かや何かとの距離感を計りかねている上手く出来ない3人が
出会いを通じて成長するだとちょっと大袈裟ですから、少しだけ見えるようになる
(理解出来るようになる)と言った感じ
押しつけがましくないドラマと終始美しい映像とフェティシズム感ある
山田監督らしいいい作品だと思います。
正直想像してたより面白く、色んな解釈や意図を拾う事も出来るとは思います。
あとは個人的にきみちゃんがかわいいw
素材を活かしきれているのか
世界観も空気感も非常に好きな作品で見たあとの満足感はすごかったです。
ただ全体的にふわっと進んでふわっと終わってしまった印象が拭えないままに終わってしまって残念でした。
個人的に一番首を傾げてしまったのが主人公が最後に見つけた自分の色についてで、作中に比較級というか参考となる描写がなかったことでどういう特性の色であるのか、またなぜ今まで見ることが出来なかったのかという作品の肝の部分までふわっとしていたのが本当に惜しい。
総評としてはここで終わる話というか、現実にある人生の一部を切り取ったような映画ですね。人生は2時間弱ではないので、彼ら、彼女らがこの先様々な経験を得て、自らの色を調色して行く過程の一端を見たのだと思えば十分に納得出来る作品であるのかなと若輩の身ながら感じ入りました。
余談ですが水金地火木土天アーメンを鬼リピしちゃうくらい音楽に力があります。
山田尚子監督の実験的作品
声優の演技やアニメーション的演出は極力抑え、色彩表現と音響表現で主な登場人物の心象やシーンを表そうとする実験的な作品。作画もシーンごとに同系色の水彩画風味、主人公トツ子の主観・視線を通じ敢えて奥行き感を減じるような映像表現です。山田尚子監督の実験が成功したかどうか。それは鑑賞者に委ねられていると思います。とても美しい映画でした。
以下感想
まず、物語にカタルシスがなくストーリーを楽しむ映画ではないことです。これは大半の鑑賞者がややもすると不満に感じる点ではないかと思います。ミッション系の女学校が舞台ということもあり、色んな物事が抑制的に表現されます。主人公少女は自身の色覚特性により他者とのコミュニケーションが不得手であること。もう2人の主要人物もそれぞれに重荷を背負っており、めいめいが生き辛さを感じています。彼らが出会い、友情を深めていきますが始終淡々と物語は進んでいきます。結局のところ彼らは自らの重荷を克服することはできませんが、折り合いをつけ受け入れることでそれぞれの一歩を踏み出していきます。
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