「普通の子たちのちょっと特別な出来事」きみの色 mdsch23さんの映画レビュー(感想・評価)
普通の子たちのちょっと特別な出来事
罪を犯している人が誰もいない悪い人のいない起伏の乏しい作品と言われがちというか制作スタッフも近い話をしていているけど、普通の人にも物語はあり、普通の人にとっての悪い判断、ミスはあってその罪をどうするのかという命題が作永きみの罪として描かれている。
トツ子にしても両親を避けて学校休みにも帰省しない。そんな娘の選択を両親は咎めず見守っている事も描かれているし、影平ルイもまた音楽の趣味を隠して母親を心配させまいとしているがこれもまた彼にとっては罪と感じている要素でもある。
普通の罪だと思うんですが、彼らを結び助けたのがトツ子の特殊な共感感覚、色で人を見るところに起因するのが最大の物語の作為になっている。きみとの関係は美しい色に見えたから。それでボール顔面直撃と唐突で衝動的なきみの選択について何も知らないけども追いかけたくなって探すトツ子となった。
本作には恋模様はないと言われるけどきみはルイ気にしている様子は点描されている。それはしろねこ堂でまだ名前すら知らない時に始まり旧教会では三人で抱き合って驚き積み重ねられていく。だから最後の全力疾走が劇的になる。
物語観点での批判でカタルシスがない、登場人物に共感できないというものがちらほらあるけど、そうじゃなくて説明描写が最小限に削ぎ落とされていて、その上で自身の知識では解釈できない点を嫌に思ってるだけなんじゃないでしょうか。本作だと作永きみの選択行動に対して何故祖母に連絡が行かないのかという大きな違和感がある。祖母は「大事に育ててくれた」とはきみも言っているけど兄と共に「家を出て」祖母の家に住む事になった経緯は劇中では語られない。親が亡くなった訳じゃない事は言い振りで分かるのでそれで十分と監督は判断したんだなとは察せられる。本作の脚本はそのまま映像化された訳でなく絵コンテを切った監督によって大幅な改変(おそらく大半はシーンカットの方向だったはず。なお最後の港のシーンはロケハン後追加されたもので脚本にはないもの)があって、ノベライズで触れられている作永家事情が脚本由来なら絵コンテで落とされた説明要素という事になる。『リズと青い鳥』もストーリーの点描で説明せずいきなりこうだと言わせるところがない訳じゃなく『聲の形』も小学生編の硝子母親に会う将也母公園シーンはいきなり切断して別シーンに飛んでいるので監督が何もかも丁寧に整合させなきゃいけないと思ってない、それよりは流れ、リズムを重視する人なんだろうとは思う。
本作は何回か観ていますが見れば見るほど味わいは深まる。何もない訳じゃなく、普通の人として登場人物たちが作られていて人としての愚かしさや賢さを見せながら四季が巡っての1年間、三人が出会って仲間となって音楽に昇華させていく様子を体験できる。背後で描かれるクラスメイトや聖歌隊、シスターや先生、街の人たち。動いてない人はいないし何かしら意味ある会話をしてもいる。淡い色調、大胆なフェイスアップ時の片寄レイアウト、足元へのこだわりなど積み重ねたリアルなアニメーションは京都アニメーション時代から培われて進化してきた山田印とでもいうべき作家性で今後もっと評価されていい作品だと思うけどそれにしても封切り規模、IMAX公開は驚きではありました(でもIMAXでなくても音響こだわりのあるシアターならそれぞれ味わいある鑑賞体験になると思うので、京都の出町座(30日まで)か埼玉のキネ旬シアター(年始休館日挟んで1/3まで)がまだやってるので行ける方はオススメです!