「希望があるのかないのか」波紋 Pocarisさんの映画レビュー(感想・評価)
希望があるのかないのか
私が荻上直子の「かもめ食堂」「めがね」「トイレット」あたりを全く評価しないのは、人間関係の面倒さを「なんとなく言葉も交わさずに通じ合ってしまう人たち」を描くことで安易に切り捨てていたからです。
世間がそれを「癒やし」などと言っていたのにも驚きましたけど。
「彼らが本気で編むときは、」で少し苦手感が後退しましたが、この作品も性的指向の問題を他の問題を描くためのダシとして使って終わるところに反感を持たずにいられませんでした。
そんな私は今作は、好きになれる作品でした。
震災の体験に、ある程度ちゃんと向き合おうとしていると感じたのと、家族でもなく宗教でもないところにも居場所はあるはずだというメッセージにそれなりに共感できるからです。
もちろん、障害のある人の役を当事者キャスティングし、キャラとしても「可哀想な人」の枠に閉じ込めず、ちゃんと自分の意思を自分で表現し、何なら主人公を追い詰めるところまでいく人物として描いているのも大いに評価できます。
マイノリティを可哀想な人(あるいは、可哀想なのに頑張っている善良な人)のままにしておきたい日本映画界においては、画期的だと思いました。
ただ、読み間違えてはいけないのは、息子の恋人も交えた四人のシーンです。あそこは主人公の行動をきっかけとして噴出する男性の身勝手さを描いた場面です。
家事だけでなく義父の介護を一人で背負わされ(夫や息子はなーんにもしない)、さらには夫が勝手に出ていき、勝手に帰ってきて、そんな彼女がちょっと息子の恋人に嫌なことをしたからといって、夫が正義漢のように彼女を叱る資格はなく、夫はこれまで息子の恋人にしたようにちゃんと妻の「味方」をしてきたかどうかを考えなければいけないはずなのに、いざとなると男同士がタッグを組んで女を虐めにかかるという状況を描いているのがあのシーンですね。
むしろ震災の前に、あの家庭から逃げたかったのは主人公の方だったのでは……と思います。(「PRO」のレビュワーがあの頃には戻れない家族の肖像とか言ってますけど、彼女は「あの頃」にはすでに幸せではなかったですよ)
しかしそれにしても気になるのは、この現代に、同じ女性である監督(脚本も書いている)がここまで「家庭」に縛られ続けなければならない女性を描いている点です。
わずかな救いは、女性(木野花)同士の連帯と、フラメンコを踊りながらちょっとだけ家の外に出ることくらいしかないのでしょうか。そりゃ、更年期でなくても苦しくなりますよ。