「生きる」大川小学校 津波裁判を闘った人たちのレビュー・感想・評価
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なぜ裁判になるのか⁉️
子供が教師を信頼してその指示のもと学校にいる時に災害に遭えば、学校の責任である。
保育であろうと教育であろうと預かればその命を守らねばならない。
大事な可愛い自分達の子供が犠牲になった原因を知りたいのは当然の親心だろう。
子供の命に責任が生じる学校と真実を知りたい保護者。事実を正直に話し非を認めれば良かったのに。
亡くなられた児童23名の保護者と学校石巻市教育委員会関係者の話し合い。
子育てのプロではあるが、教育には素人である保護者の方々が、様々なことに精通し誰もが納得し疑問に感じる的を射た意見や質問を堂々と述べている。
それに対して責任ある学校•教育委員会はしどろもどろだったり話が二転三転したり嘘をついたり聞き取り証言文書の破棄をしたり悪人そのものの体をなしている。
全国のいじめ傷害事件で必ずたてられる第三者委員会なるものがメンバーにもよるかと思うが全くあてにはならないことが短時間の映像で理解できた。
大事な大事な子供達の親だから、その原因を追究する為の話し合い。
裁判に至るまで、弁護士二人の指導のもとに
実地検証が何度も行われた。
子供たちがどのルートを辿り津波にのまれたか。辛い苦しい事実を追究せねばならないが、子供たちの最期を知りたい気持ちも山々であろう。
ここまでを観ていてこれで保護者側が勝訴しなかったら、日本はどうなるのだろう、とまで考えさせられた。
教育委員会側が敗訴したら上告したが、何を思って上告するのか?
子供を守る立場であるにもかかわらず、多数の犠牲者を出したその保護者にまだ文句を言うのか⁉️と思ってしまった。
津波が来た際、家や近くの空き地でなく教師らの言うことを聞いて守られて当然の学校という場所に子供たちは居たのである。
災害であろうが、学校に責任はある。
学校•教育委員会を信じてはいけなかった、という事実。
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大川小学校事件遺族の闘いの記録
本作は遺族側の2人の弁護士と遺族らの視点からみた、正に闘いの記録だ。大川小のことは当時ニュースでさわりは聞いたことがあったが、映像での情報は桁違いだ。
本作はいきなり紛糾する遺族説明会から始まる。遺族側はかけがえのない我が子を失ったのが何故か分からず、学校側のあやふやな対応に業を煮やし堪えきれず声を荒げる。津波災害の際、校長は休暇で不在で、唯一生き残った教務主任のたどたどしい説明に怒号が飛びかうが、『ひとまず聞きましょうよ』と主張する遺族の女性の方の発言で、一時は場がおさまる。教務主任は山に逃げて一児は助けているが、異論はあろうが子供が74人死んで先生が生き残ってしまっては道理が通らない。いい意味でも悪い意味でも、よく説明会に参加されたと思うが、見た目からも分かったが精神的不調であるとされ説明も二転三転。2回目の説明会には心身の不調を理由に出席されなかった。
地震発生から津波到達まで約51分あったが悲劇的結末を迎えたのには理由がある。教職員も10名亡くなっているので難しい判断だった事は間違いないが要約すると、そもそも具体的な危機管理マニュアルを作っておらず避難場所も決めていなかった。一部目撃されているが教頭らが逡巡し、避難場所を巡る言い争いもあって時間を浪費したとみられる事。最終的に高さがありわずか1分で行ける裏山に逃げず、津波に近い川側の“三角地帯”と呼ばれる場所の方へ逃げた事による。また事後も校長の教務主任からのメール削除、教育委員会の聞き取りメモの廃棄などの隠蔽や、市長の児童の犠牲を『自然災害による宿命』とする発言など不誠実極まりない対応に終始。
また裁判についても賠償金請求としてしか訴えられないことへの遺族の違和感が描かれる。また我が国では遺族が証拠を集めなければならず、裏山への各ルートの所要時間も遺族の方が実際に走って計測するシーンが象徴的だった。その上、何を思ってか遺族への誹謗中傷する輩もおり、中には脅迫する者も出て遺族が2次被害に遭うなど何ともやり切れない現実がある。
本作の示す教訓は有意義で、高裁の判決で裁判官が言い渡した『学校が子どもの命の最期の場所になってはならない』ということに尽きる。本作を生み出す源泉である遺族の方々の奮闘と勇気に最大限の敬意を表します。
貴重な証言記録映像
「大川小の悲劇」が「釜石の奇跡」と対照的に注目され、現地にも一度足を運び、説明を聴き、周囲の地形的特徴を他の類似の地域と比べて考えたこともある。生き延びた教師の提案が、他の教師たちの避難方針と相容れず、多くの犠牲者を出してしまったということも知っていた。
映像では、その教師の実名と、保護者説明会に出る前の状態、説明会での発言と保護者たちの反応も目の当たりにすることができた。遺族の検証において、その教師が津波をみた場所が推定され、判決後に遺族の一人が、その教師の思いを推し量るような発言をしていた。事後トークをした弁護士の齋藤雅弘氏に、その教師は裁判のなかで真実を述べたのか訊いてみたが、残念ながらそれはなかったという回答であった。教育委員会側の体制保全のための隠蔽工作に加担してしまったのは、いかにも残念である。まさに確定判決が、現場に限定した過失に留まらず、「平時からの組織的過失」を認定したことにより、津波避難に限らず、いじめや体罰等、子どもへの人権侵害についての学校と行政側の対応責任を訴えかけていることになる。自分自身も学校側であったときのわが身を振り返らなければならない思いがする。第三者検証委員会には、前川喜平氏の姿もみられ、前川氏も事態の解決には寄与できなかったようである。伝承館開館に当たり、参加しなかった遺族の姿勢と、市長の思いが映されていたが、遺族の思いに応える伝承館に進化させていくことが、組織的過失を償う責任の一環でもあるのだろう。いつかまたその伝承館をみに行きたい。
映像ではまた、原告への誹謗中傷や脅迫行為が行われていたこと、そして事後トークでは、関係していた弁護士への殺害事件の報告もあり、遺族及び弁護士共々、命懸けの訴訟活動であったことも知らされ、日本社会における訴訟の権利が必ずしも皆に支持されているわけではない実態も、憂うべきこととして挙げられている。
事後トークではまた、エンディングソングを作詞・作曲した弁護士の吉岡和弘氏の音楽への志も語られていた。弁護団がわずか二人で、緊密に連携が取れ、遺族が他の被災者への聴き取りを代理人並に進めてくれたこと、監督も仲間に加わり易かったこと、そして監督は、校門圧死事件のあった高校の卒業生であったことも語られていた。
黒沢明氏作品と同一題名であることについては、パンフレットの説明で納得できた。
高裁裁判官による現場検証の場面には、『イチケイのカラス』の「職権発動!」が思い出され、原告に寄り添う判決を生み出した姿勢がそこに現れていると考えたのだが、齋藤氏に訊いてみると、地裁裁判官も現場検証は行ったけれど、遺族にとっては不満の残る判決だったということであった。
このできごとについて知ったのは、2011年にいち早く公開された『大津波のあとに』だったことを思い出した。けれども、関連記事を検索すると、その取材には問題があったようである。
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