「生きる」大川小学校 津波裁判を闘った人たちのレビュー・感想・評価
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必見
大変重要なものを描いた傑作だった。東日本大震災でとりわけ多くの犠牲者を出した大川小学校で、あの震災時、学校で何があったのかを知るために、犠牲になった児童の親御さんたちが裁判を起こす。遺族にとって裁判はファーストチョイスではなかった。遺族は、ただ何があったのか真相を知りたかったが、学校も行政も体制を守るための言説に終始する。検証のための第三者委員会も利権絡みで骨抜きになってしまう。だから、裁判を起こすしかなかった。そのことで、子どもの命で金が欲しいのかと心無い言葉を浴びせられる。
もっと海に近い学校はあったのに、なぜ大川小学校だけ犠牲者が突出して多かったのか、その真相を巡るプロセスには、いかにも日本社会のまずい部分が凝縮されている。遺族がこの裁判を戦ったお陰で様々なことが明るみとなり、今後の防災計画にも大きな影響を与えることになる。心無い視線と言葉を浴びせられながら、折れずに最後まで戦い、子供たちの死を無駄にしなかった人々の勇敢な記録だ。
13年経っても終わらない
3.11から13年のタイミングに旅先の大阪のミニシアターで再上映されていた本作。津波で多くの児童・教師が犠牲になった石巻市立大川小学校での学校側の過失とその裁判をめぐってのドキュメンタリーで、学校や自治体側の事実の隠蔽や無責任さ、他人事のような首長の発言、事故検証委員会の通り一遍の報告などが遺族が撮影してきた映像に生々しく記録されていて、非常事態での事故とはいえ、これでは遺族の気持ちが収まらないのは当たり前だろう。
原告の勝訴は、今後の学校・教育現場での命の在り方に重要な一石を投じることとなったし、なにより遺族にとって多少の慰めにはなっただろう。ラストに流れる子どもたちの歌う校歌にはこちらも涙がじんわり…。こういった未曾有の大災害の後は、Fukushima50を例に出すまでもなく(って、すいません、実は観てないす…)、大変つらい出来事でしたがみんな力を合わせてがんばりました、みたいな都合のいい美談でまとめられてしまいがち。本作では新たな事実がなにか明らかにされるわけではないが、問うべき責任や過ちを追及し続けたことが作品として残され、よかったと思う。
ただ、上映後の寺田和弘監督のリモート舞台挨拶の話では、損害賠償裁判に踏み切った遺族と関わらなかった遺族とで町が分断され、それをなんとかしたいという原告側弁護士とそもそも地域には所縁のない監督が話をするなかで映画化が決まったのだという。原告遺族に向けては金目当てだと誹謗中傷があったり、バラバラの町を融和するべく企画されたイベントも脅迫によって中止に追い込まれたとのこと。
本作はあくまで裁判の原告遺族サイドからの映画なわけで、なぜ等しく悲劇を被った者たちが一枚岩になれないのか、物事をうやむやに終わらせようするものはなんなのか、そんなことを一歩退いたところから見据えた作品を監督には次に撮ってほしいとも思った。
親族や友人が宮城に多数いる者として、気になりつつも、大っぴらには触...
親族や友人が宮城に多数いる者として、気になりつつも、大っぴらには触れづらい事柄。
現実を記録された、厚みのある映像、凄みがありました。
世間の報道:一部を切り取って独り歩き、とは異なって、この映像は信じて観させていただけました。
不測の事態の際の、とっさの判断。
自然災害が生じる都度、判断するお方は最善と思って陣頭指揮されていらっしゃるのでしょうが、後でたいていはバッシングされる印象で。
究極の判断の難しさ、痛感します。
事後フォローの意義も。
この事実に、何を見るのか?!
津波による悲惨な被災。
その時そこに何があったのか、なぜ起きたか、それを知らずにはいられない遺族。
その真実を追い求める中に展開する10年に及ぶ経緯を淡々と映す映像。
何かの思いに偏らぬ故、この映像には今の日本の現実や人々の思いが多面的に映し出されている。
そこに現れた事実に何を思うかは、見る者に委ねられている。
実際に見なければわからぬ「素晴らしいドキュメンタリー」
東日本大震災の時にもう日本は壊れていた
このドキュメンタリーの舞台、宮城県 石巻市立 大川小学校は、東日本大震災の津波に遭い、教職員と児童が集団として亡くなった、唯一の学校でした。学校の直ぐ隣りに小さな山があり、そこでは授業の一環としてシイタケを栽培していたそうです。子どもの足でも、校庭から 1〜2 分で着きます。震災当日、もしも教師や児童がここまで来ていれば、誰一人として流されなかったのは明白です。しかし、実際には、校庭に集合したまま、逃げるための時間を浪費した挙げ句に、山を横目に北上川に向かって避難を始め、川を遡上してきた津波に 84 人が飲み込まれました。助かったのは、教師一人と児童四人だけでした。この他、保護者が引き取りに来た児童もいるようです。また、校長も校外に出張していて、難を逃れました。
遺族にしてみれば、どうして山に逃げなかったのか、疑問に思って当然です。校長や、生き残った教師、石巻市教育委員会、…が出て来ますが、生存した児童の証言と矛盾したり、説明が二転三転したりと、とても遺族を納得させられるものではありませんでした。そこで、遺族がどうするかは、映画を観てください。
それにしても、児童と教師・教育行政が対称的です。生き延びた児童は、言っていることが一貫し、目撃証言と一致し、大人になった今は将来に語り続けようとしています。一方、教師や行政は、発言に一貫性がなく、内部に矛盾があり、震災直後のメールや生存児童の聞き取り記録を廃棄しました。
また、映画の中では、大川小学校という組織が日常的に驚くべき体質を持っていたことがあぶり出されています。
よほどのお人好しでなければ、学校側は都合の悪い事実を隠そうとしていて、行政もそれを助けていると感づくはずです。
話は飛びますが、コロナ・パンデミックになって、日本の行政のポンコツぶりが誰の目にも明らかになりました。この映画を観ると、9年前には既に壊れていたことが分かります。政治でも司法でも、壊れていく日本を様々な映画が映しています。ダメすぎて、正面から受け止めるのが辛いですが、まずは逃げずに事実に目を向けなければなりません。でも、諦めなければ、まだ希望はあります。今日、この映画の後に『ぼくたちの哲学教室』を観て、それを感じました。
タイトルなし
普通の親たちがなぜ裁判をすることになったかの経緯がよくわかる。数ではなく、一人ひとりの死んだ子どもたちがどんな子どもたちだったか、その親はどんな親だったのかがわかる。もう死にたいと思いつつ、闘ってきた原告団の人たち。そして、弁護士は、もうカウンセラーのように、親たちの悲しみにこそ寄り添う。監督もその機微こそを撮っている。生きるというタイトルも素晴らしい。監督と原告団長のお話を聞けた。DVDは販売しないけど、これから上映会運動もやるとのこと。
最初の説明会から映像が残っていて素晴らしい。校長、教育委員会の態度がどれだけひどかったかがはっきりわかる。宿命だと言ってのけた行政。どんな態度で仕事してるかわかってしまう。
ドキュメンタリーの傑作と言って差し支えない
なぜか開始1秒で泣いた。そのつもりで行ったのではないし、私は全然泣きやすい人間ではない、冷めているとも思っているのに泣いた。
とても淡々とした、かなり俯瞰的な視点からの映画作品だった。
これは東日本大地震の被災者17000人を救う話
あの日から10年以上経つが、
ずっと"悲惨な出来事"という見方しか
してこなかった。
しかし今作を観て気付いた。
これは次の世代への大事な教訓なんだ。
「学校を子供の最期の場所にしてはいけない」
第二、第三の大川小の悲劇を生まないために闘った素晴らしい親御さん達の記録映画
この映画の焦点は一見して《大川小の児童が津波で流された際の責任の所在がどこか》を追及する作品に思えます。ただ、実際はもっと深くて、何故先生達は教え子達を救えなかったか(特に津波から逃げ切れた先生もいらっしゃったので)、現場では一体何が起きていたのかということを明らかにする話でもあります。
後半に、あるお母さんが仰っていた言葉が、非常に印象に残りました。
全ての原因は「人間関係」によるものではないか。と。
役所の職員にとっての議員。
学校関係者にとっての教育委員会。
責任を取らされることが怖いから、その先の誰かに責任を課そうとする。
なんというか、正直ここまで映像としてクリアに残っているものなのかと感じました。
“守られている立場”の人々の中で、この関係性が足枷になって本来の目的を見失っている人が多いように感じています。ある意味、これも人間関係ですね。
少なくとも公的な立場の方は、何を目的にして自分がそこにいるのかを、改めて振り返る必要があるのではと感じました。
あと自分自身については、常に危機感を持たなければと。人間関係の面についても。
真実は1つ
裁判をせざるを得なかった親御さんの憤り。
かけがえのない子供の命をお金に変えなければならない虚しさ。何故学校が子供たちの最期の場所にならなねばならなかったのか?自分だったらどうしたか?
被災者に寄り添うなんて出来るはずがないという無力感。
本当に考えさせられる映画でした。
この作品を機に、きちんと実情を知った上での発言を
大川小学校の児童74人が津波で亡くなった件に関しては、真偽不明の情報を流したり、訴訟に至らざるを得なかった保護者をその経緯も知らずにバッシングしたりという、一部の心ない人たちの行動が目に余るレベルでありました。
この映画からは、子供たちが亡くなった状況すら不明瞭にしかわからない中で、学校、教育委員会、石巻市、いずれも核心に迫る情報を隠し、時には文書を廃棄し(またここでも!)、検証を妨げ続けた様子がよくわかります。
「津波に遭うことなど想定できないのだから判断を誤っても仕方ない」という声をよく耳にしますが、だからこそ、何がこの事態を招いてしまったのかという検証が必要です。そのために正確な情報の提供は不可欠でした。
それは、今後も我々が襲われるかもしれない災害の際に、何を間違えてはいけないかを教えてくれるものです。特に教職にある人は全員が学ぶべきだと思います。
しかしそれでもまだ不明の部分が残ります。訴訟には勝っても、亡くなった10人の教員たちがどういうわけで1分で到着する裏山に避難するという判断をし損なったのかは、結局、わかりません。
少なくとも生き残った唯一の教員は山に逃れて助かったわけです。
今後に活かすにはそここそ明らかになる必要があると思いますが、難しいようです。
真実を探求し、明らかにしたい人と闇に葬りたい人とのせめぎ合い
東日本大震災時の津波により小学生を亡くした親が真実を求め、活動するドキュメンタリー映画です。私自身、この問題に心を痛め、これまで「津波の霊たち」「あのとき、大川小学校で何が起きたのか」という本も読んできました。今回の映画はその本の内容に書かれてあることを映像化したもので貴重な内容だと思っています。唯一生き残った先生である教務主任(映画内では実名あり)の映像を観ることができたことは、大きな驚きと発見がありました。
話は変わりますが、学校での事件といえば、いじめ自殺などがありますが、亡くなった子供の親と学校側が向き合った場合、学校側が誠実に対応しないケースが往々にしてあります。今回の件もその内容と同様、学校側に誠実な態度が見られず、最高裁で学校側が敗訴するという結末となっています。私は一刻も早く一人ひとりの命を大切にして、問題が起これば誠実に向き合う社会になって欲しいと思っています。
今回の映画は、生とは死とは、そして真実とは、子を全て亡くした親はどうしたらよいのか考えさせる素晴らしい映画でした。この映画を製作した監督、スタッフ及び製作会社の方に深く感謝いたします。ありがとうございました。
大切な人を亡くした人たちが その後もまた思いもよらない苦労をする ...
大切な人を亡くした人たちが
その後もまた思いもよらない苦労をする
納得できないですね
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