「触れ合う事で知る。世界は素敵な化学反応に満ち溢れている」マイ・エレメント 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
触れ合う事で知る。世界は素敵な化学反応に満ち溢れている
コロナ禍による配信移行やディズニープラス・オンリーで、最近すっかり見る機会が激減したディズニー作品。
地元の映画館では一時上映したり、しなかったり。何か契約期限でもあるのか…?
何にせよ、わざわざ隣町まで出向いて観ようか観まいか悩んでいたので、上映してくれた事はありがたい。
様々な世界を描いてきたピクサー作品。
中でも斬新だったのは、『インサイド・ヘッド』。頭の中、感情の世界なんてよく思い付いた。しかもそれを共感必至の物語に。現在でもピクサーのBEST級。
本作だって負けていない。
火、水、風、土…。“元素(=エレメント)”の世界。
こういうユニークな視点や題材こそ、ピクサー。
何となく『インサイド・ヘッド』を彷彿させる。
ビジュアルやテーマ的には『ズートピア』か。
『インサイド・ヘッド』×『ズートピア』で、ディズニー/ピクサー新たな名作誕生…の予感。
カンヌで初披露されるも、ピクサーにしては鈍い批評。
興行でも歴代のピクサー作品より見劣り。
口コミやじわじわ評判で多少持ち直した感あるが、かつてほどの勢いは感じられない。
だからという訳ではないのだが…、いきなりだが言ってしまおう。
良かったのは良かった。さすがはピクサー。面白かった。
だが、『インサイド・ヘッド』や『ズートピア』を見た時の新鮮な驚き、舌を巻き感嘆するほどの巧みさには至らなかった。
勿論元素それぞれの特性やキャラは活かされている。が、『インサイド・ヘッド』のようなあるあるとか分かる分かるとか、至極共感とまでは…。感情と元素の違いか。
またせっかく4つの元素を設定しておきながら、ほとんどが火と水の物語で、風や土はちとおざなり。その辺、『インサイド・ヘッド』は様々な感情を巧く描いていた。
現実世界を反映させた設定やテーマはいいが、それを巧みに絡めた『ズートピア』のような引き込まれるストーリー性も後一歩足らず…。
世界観こそユニークだが、ストーリーは至って普遍的なのだ。
親の期待に応えようとするヒロイン。失敗や空回りが多く…。
悩む。親の後を継ぐか、自分のやりたい事か。
全く異なる立場同士。受け入れる事、触れ合う事、芽生える感情=化学反応を灯し続ける事は不可能なのか…?
挫折、成長、夢、自立、理解…。親子愛や恋…。
誰の心にも響く“元素”が詰め込められているが、ディズニー/ピクサーでそういうのって、何度も何度も描かれてきたよね。
確かに普遍的でいいのだが、そうでありつつ何か目新しいものを我々はディズニー/ピクサーに期待してしまう。
再三言うが、決して悪くはないのだが…。
ちょっと不満点ばかり述べてしまったので、ここからは良かった点を。
カラフルなビジュアルは言うまでもなくさすが。
開幕、火の元素(ヒロインの両親)がエレメント・シティへ。これは紛れもなく自由の国(アメリカ)に夢を抱いてやって来た移民だろう。
様々な元素が暮らすエレメント・シティは、人種のるつぼのアメリカそのものでもある。(『ズートピア』と似てるのはここら辺)
理想郷に見えて、街の不備。
理想的な世界に見えて、差別や偏見は根深い。何でも燃やしてしまう火は、特に毛嫌いされている。火も水をよく思っていない。
水、風、土は一緒に暮らしているが、火だけは一定の区域。アメリカ社会で言う所の、黒人や移民が多く暮らす区域や人種の対立。
ディズニーは最近ポリコレが辟易されているが、こうやって何かに変換して描く方が遥かに巧い。あからさまに描くよりずっと響き、考えさせられる。
相反する立場を変えるのは、いつだってピュアな存在だ。
火の女の子エンバーと水の男の子ウェイド。
性格はまるで違う。と言うより、火と水。絶対に触れ合う事など出来ない。理解し合う事やましてや恋する事なんて…。
本当に絶対無理なのか…?
そう決められているから…? 誰が言った? 誰が決めた?
何をするにも初めては勇気がいる。が、その勇気を出した時…、素敵な化学反応が起きる。
火が照らす美しさと水が揺らす幻想さ。その二つが相まった水中ランデブーのシーンは何とファンタスティックでロマンチック。
元素というキャラでありながら見ていく内に自然に、ウェイドは好青年、エンバーは癇癪持ちだけど魅力的に見えてくる。だからこそ二人の恋を応援したくなる。これぞピクサー・マジック。
吹替で鑑賞。川口春奈もキスマイ玉森裕太も悪くなかった。
この世界は様々な元素で出来ている。
この世界には様々な人種が暮らしている。
分かり合えないなんて事は絶対ない。
触れ合う事で、お互いを分かり合える。受け入れられる。愛する事が出来る。
満ち溢れて、世界を変えられる。