対峙のレビュー・感想・評価
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見応えのある4人の会話劇
1室4人の会話劇、迫真の演技で非常に見応えがあります。
銃乱射事件で息子を失った被害者両親と加害者両親の対話が描かれます。
重いテーマで精神的にくるものがあるので、よいコンディションでの鑑賞をおすすめします。
音楽も回想シーンもなく、ほぼ4人の会話のみなのですが、スリリングで緊張感にあふれています。
臨場感がすさまじく、肩を揺さぶりつけられるように訴えかけてくるものがあります。
舞台でも十分成立しそうではありますが、映像作品だから伝わってくるものがあります。
カメラワークがすくい上げる唇や指先のわななきが痛切です。
邦題は「対峙」ですが、原題の「Mass」はミサ(クリスマスのマス等)を指すそうです。
本作のテーマを狂いなく体現する邦題もすばらしいです。
見届ける役割り
冒頭に何の説明もない。いったいこの4人で何が始まるのか・・ゆっくりと静かな波が徐々に心の奥底から浸透していきとてつもない渦になっていく。その模様をこちら側から身動き一つできずに見守るだけ。
4人の言葉に嘘はない。
もうこれ以上ないだろうというセリフの応酬。いったいどういう風に撮影したのだろうか?この難しい感情を何日間かけて・・観る限り1日で撮影しなくては無理じゃないかと思う。それくらい役者さんたちのテンションは守られていないと無理だと思うのだが。
ラストには涙が出て止まらなかった。安堵なのか何なのかはわからない。
モキュメンタリーっぽいかと思ったらちゃんと映画だった。
大事な息子を銃で失った両親と
その息子を撃った息子の両親。
その事件から6年後の今。
もし、自分からだったら
何を話す?
何を聞く?
何をしても子供は帰って来ないのに。
この4人の会話は
深く
重く
辛く
そして、人間だ。
題材が題材なので
モキュメンタリー的で
よくある“この会話劇を楽しむ”だけでも
充分素晴らしいのですが
今作はちゃんと映画になっており
物語としてちゃんと解決してくれる。
4人の会話劇なのにカメラワークも
画角も凄い考えられてる。
素晴らしい時間でした。
役者が全て
キャストは少なく安上がりにできてる感じです。
被害者、加害者の両親の心情を感じ取ることができると思います。
だから役者が下手だと全く伝わらない作品になってしまうのですがその心配はあまりありませんでした。
できたらもう少し映像に力を入れて欲しかった。
観て良かったかと言われたら別に…ってなるかも?
気になる方は観てください。
死ぬまで自分の中の「想い・感情(苦しみも含めて)」と“対峙”していかなければならない四人の人々。
①“対峙”という日本語の本来の意味からすると、この二組の夫婦は初めから“対峙”など出来ない。
何故なら、一方の夫婦はいくら責められても反論出来ない。言い分があったとしても世間的には言い訳としか受け取られない。
それに対して、もう一方の夫婦は責めようと思えばいくらでも責められる。
同じ立場ではないのだ。だからこの二組の夫婦に出来るのは“対峙”ではなく“対話”のみ。
そして、この対話も何かを解決したり、出来るものではない。
対話の末、四人が再認識或いは初めて認識出来たのは、結局対峙しなけばならないのは自分の中の自分だということ。
この映画はそういうことを云いたいのだと思う。
この二組の夫婦はこれからも対話を続けるのだろうか。恐らく続けても救いや解決は来ないだろう。でも「この認識」を思い出す為に対話し続けるようにも思える。
②私は子供がいないので、その喪失感は想像するしかないですが、実際の喪失感は私の想像どころではないでしょうね。
親は子供のどこまで責任を持たねばならないのか。日本では一応18歳くらいまでとなっていますが(対外的に?社会的に?)、子供が自意識を持ち初めてからは果たして子供のすることの全ての責任が取れるかどうか?私達子供のいないものにとってはついつい「親は何していた?親の顔が見たい」的な考えをしてしまいがちですが…
③唯一私に理解に近いものを感じられるのは加害者の親が自分の息子に異常なところ・怖れに近いものを感じながらそれに対して尻込みしたり見て見ぬふりをしていたところ。
私の弟が統合失調症(その頃は精神分裂症と呼ばれていた)を発症した時、因習深い土地に住み世代的にも精神病理に疎い両親(特に父親)は世間体を気にし病気の事がよく分からず暴力をふるいだした事に恐れて(私は当時海外駐在中)後手後手に回り、勿論弟本人の性格も手伝い、結局精神病院への入退院を繰り返して現在は施設に入っている。後であの時ああすれば良かったのに、こうすれば良かったのにと私が思うのは兄弟という間柄のせいで、両親としては愛情と恐れ・不安の狭間で途方に暮れていたのだろう。だから、本作の加害者の両親が経験した愛情と不安・恐れとの間で揺れていた気持ちは漠然と理解できる。(USAの方が日本より精神病理に対する理解やケア、福祉が進んでいるとしても)
私の家の場合、弟の暴力が家族だけが対象で外(他人)にふるわれなかったのが救いといえば救いだったけれども。
加害者の父親の「産まない方が良かった」という台詞があった。
私の弟の場合、母は産みたくなかったようだ。しかし父が有無を言わせず出産させたようだ。そして、弟が発症して家族に対して暴力をふるいだした時にこの台詞と全く同じことを言ったことを思い出す。
私も「いっそ死んでくれたらよいのに」と思ったことは一度ならずある(『ロストケア』の世界だね。)
④加害者の両親の方はこれまで筆舌に尽くせない苦難を乗り越えて来ただろう。犠牲者の家族からの恨み・非難は当然、世間からの非難・中傷誹謗(一部同情もあったと台詞の中にあったけれども)の波、取材陣の波、鳴り続ける電話や引きも切らない手紙やメール、仕事への影響、離れていく友人たち。
賠償の問題もあるだろう(USAのその辺りの制度はよく知らないが)
私なら耐えられないかも知れない。
⑤といって加害者の親の方に一方的に肩入れしているわけではありません。USAと日本の親子関係にある程度違いはあるかもしれないとはいえ、子供に対する愛情は変わらない筈。手塩にかけて育てた子供がある日突然理不尽な暴力で失われてしまう。その喪失感・無念さ・怒り・絶望・悲しみは死ぬまで癒されることは無いだろうと思います。
⑥二組の夫婦を演じる四人の俳優の見事な演技。
日本であれば許されないであろう
加害者の親が、自分の息子も死んでしまったし、他の犠牲者のようには弔われていないので悲しいというのはそうかもしれないけれど、やはり日本ではそういうことを言うことすら許されないであろう。ましてや、後から加害者本人の犯行直前の異常行動に気づいていたことがわかっていたのなら、親としてなお責められても仕方ないであろう。被害者の親たちは、加害者の母親が提示した亡き子への愛の回想だけでなく、自ら癒やす方法に到る途は様々にあるはずであろうから。
愛していたのは真実
演劇がオリジナルではないようだが、堂々たる会話劇作品。攻守が丁々発止、というダイナミックさはないが、静かに「起きてしまった」悲劇と向き合っていく。千々に乱れた親としての感情が交差し、互いに腑に落とすために、語り合う緊張感。なかなか息詰まるスクリーンだ。
心に沁みる作品
正直どう言葉にしていいかわらない。
鑑賞中は映画であることを忘れてドキュメンタリーなのではないかとすら思わされた。
キリスト教への知識の不足からか、何ヶ所か理解できてなさそうな部分もあるが、迫真の4人の会話劇は内容の重さと相まって、非常に心に沁みる作品でした。
ぜひまた見たい作品です。
米国の田舎町、そこにぽつんと建つキリスト教系の教会。 牧師の妻が対...
米国の田舎町、そこにぽつんと建つキリスト教系の教会。
牧師の妻が対面セッションの準備をしている。
テーブルはこれでいいかしらん、お茶や食べ物はこれぐらい必要かしらん、と。
コーディネーターの黒人女性が現れ、部屋をチェックする。
シンプルで問題はないわね、ピアノの練習音はちょっと気になるわね、ティッシュはあるかしらん、テーブルの真ん中に置くのは良くないわね、と。
しばらくして、あまり裕福でない感じの中年夫婦ジェイ(ジェイソン・アイザックス)とゲイル(マーサ・プリンプトン)が到着する。
遅れて、身なりが整い、やや慇懃な感じの夫リチャード(リード・バーニー)と小さなボックスに入った花束を持った妻リンダ(アン・ダウド)が到着。
コーディネーターを介して、対面セッションが開始される。
セッションは4人だけで行われる・・・
といったところから始まる物語で、あまり前知識なく観る方がよいでしょう。
語られるのは6年前に起きた事件のこと。
リチャードとリンダの息子が高校で引き起こした銃乱射事件。
ジェイとゲイルの息子は、被害者のひとりだった・・・
ということが徐々にわかってきます。
被害者家族と加害者家族が直接会うことはかなり障壁が高いようで、ジェイとゲイルは様々な権利放棄をしてきたことがわかります。
映画は、ぎこちない対話の開始から、緊張感を持って描かれます。
限定空間、限定的な登場人物。
これで2時間近く持たせるのは至難の業なのですが、初監督兼脚本のフラン・クランツは脚本のみならず、抜群の演出力をみせます。
セッションまでは引きの画の固定カメラを使い、セッション開始からは丸テーブルで対峙した4人のアップを中心に、これまた固定カメラでみせます。
やや保身態勢のリチャードに対して、感情を高ぶらせるジェイ。
ここで画面は黒味になり、外の風景ショットを挟みます。
有刺鉄線が張られた野原。
鉄線から垂れ下がる中途半端な長さのリボン様のもの。
で、これまでビスタサイズだった画面がシネスコサイズになり、感情を高ぶらせたゲイルが丸テーブルを離れます。
同時にカメラは手持ちになり、緊張感と不安定さが増します。
計算された演出です。
ジェイがゲイルに寄り添うためにテーブルを離れ、リンダもジェイの話を聞くためにテーブルを離れ、感情を高ぶらせたゲイルにティッシュを渡すためにリチャードもテーブルを離れます。
このタイミングも素晴らしいです。
彼らのセッションは続きますが、この対話の中に答えや正解はありません。
あるとすれば、相手のことを理解しての「応え」でしょう。
そして、息子の思い出を語り終えたゲイルが、ジェイに「言ってもいいか」と問うた後に、心の底からの言葉を絞り出します。
「(リチャードとリンダの)ふたりを赦します。あまつさえ、おふたりの息子も・・・」と。
このシーンも演出が際立っています。
ゲイルの言葉とともに、部屋の外が明るくなり、露光がオーバー気味になります。
静かにセッションは終了するのですが、リンダが持ってきた花束を巡って時間が費やされる間、先に立ち去ったリチャードとリンダ夫妻のうち、リンダが戻ってきてセッションのときには言えなかったことを告白し、ゲイルの抱擁で終幕を迎えますが、ここでの演出は画面外から教会で練習している讃美歌の声が聞こえてきます。
すこしキリスト教的な感じが強いのですが、「赦し」がキリスト教教義の中心なので、やはりこの演出になります。
ラストショットは、ふたたび有刺鉄線から垂れ下がったリボン。
野原の奥の建物に明かりが点り、フェードアウトしていきます。
垂れ下がったリボンは、心に残った引っ掛かり。
その向こうには、あかりがある、という暗喩かもしれません。
傑作です。
<追記>
映写用のデジタル素材のせいなのですが、ビスタ→シネスコのサイズ変化が効果を発揮していませんでした。
以前のようなフィルム上映だと、天地のサイズを固定して、ビスタ→シネスコと変化する際は、スクリーンが横に伸びたものですが、今回は左右の幅は変わらず、天地のサイズが縮んでしまいました。
「赦し」へと導く画面サイズの変更なので、横に伸びないと効果が半減、激減です。
これは残念。
途中での画面サイズ変更の参考作品として『モンタナの風に抱かれて』『ブレインストーム』を挙げておきます。
睡魔との対峙
前半寝てしまいました。
仕事終わりの2本目で見たのがよくなかったのだと思いますが、他の方のレビューにもありますが、内容的に単調なので少し退屈します。
あくまで悪いのは自分で映画ではありません。
事件から6年後、被害者側と加害者側がセラピストに勧められて「対峙」するというお話ですが、おそらく、最終的に対峙すべきは自分自身で、自分と向き合うことで次の一歩を踏み出すことができた。というお話だと解釈しました。
知的好奇心を刺激した
密室での4人の会話劇が、こんなにヒリヒリ緊張感に溢れていて、怖いとは。
そして、この作品のすごかったところは脚本や役者の演技に加えて、撮影でしたね。
登場人物の心境によって、寄りになったりするのは普通ですけども、お互いの理解が深まるごとに、レンズにどんどん広角を多用。
最後には画角(縦横比)が変化し、超広角レンズを使用するという。
見ている景色が変わっていくことを見事に表現していました。
2018年のフロリダ州パークランドのM・S・ダグラス高校乱射事件を知った監督が、アメリカで加害者と被害者(または本作のように加害者の親族と被害者の親族)同士で語り合う「修復的司法」を取材して作り上げたもので、リアリティに溢れたものだったのですが。
私には未知の、そんな司法制度の「新しい知識」を得られて、また『ヒトラーのための虐殺会議』の真逆な人間の共感・理解を深める感情のキャッチボールを惜しまない会話、そして「優れた表現」を観られました。
面白いとかつまらないとかの話ではなく、知的好奇心を刺激してくれて、観ておいてよかった作品だったな、と思いました。
「赦し」がテーマ
なんてすごい作品なのだろう、なんてすごい演技なのだろう、その気持ちでいっぱいです
何よりも赦す事が難しくて苦しい相手なのかもしれない人を赦す事の難しさ、きっと想像できないけど考えずにはいられません
効果音もなく、ひとつの部屋の中でほとんどが4人の会話で進行していきますが全く退屈せず、序盤から緊張感がすごくてストーリーの中にぐいぐい引っ張られてあっという間の2時間でした
何が起こったのかの回想もなく、どちらが被害者の両親なのかもわからいまま会話の中でその出来事がわかっていくっていうのがこの作品の良さなのかもしれません
4人の俳優さん達も本当にその立場なのかと思えるようなすごさでした
加害者のお父さんはどこか「自分達も被害者」って思ってるようで、それが私には違和感でしかありませんでした
そういう部分もあるのかもしれないけど、やはり被害者ではないとしか私には思えず、そんな人と一緒にいる加害者のお母さんはどんなに孤独なのだろう
それがあのラストで救われた気持ちになれました
「赦す」事は自分のため、それは本当にそうだと思います
まだまだレビューが書ききれないくらい思いがまとまりませんが、この作品を観て良かったです
GOD WITH US
緊迫の、二組の夫婦。ある事件の被害者家族と加害者家族の対話、とまでしか情報を得ずに観だしたこの映画だったけど、その関係性は二組の醸す空気ですぐに分かった。
対話からだんだんとわかってくる、その犯罪。・・・過去は変えられない。・・・だから自分を責める?・・・私にはわかる。どう苦しんだか。・・・人生の価値。、、、平静を保とうとしても口からでてくる言葉の数々がとても重すぎる。結局、どう折り合いをつけるのか?冷めた目で見れば、どうせ最後は和解するのだろうよ、映画の筋書きとしては、という気持ちで観ている。だけど、その糸口はどこなのか、がさっぱり見えてこないほど、強張った被害者家族の心情だった。
でも、赦さないつもりでここに来たわけじゃなかったんだよね。許してしまうことで、殺されてしまった息子を裏切ってしまうんじゃないかと恐れていたんだろうね。
ふと思った。何度か挿し込まれた「柵の中の空き地」は、かつての学校の跡だろうか?事件後、悲しい記憶を消し去るように取り壊したのだろうか?両夫婦は、同じような理由で遠くに引っ越してしまったのだろうか?6年の歳月、他の家族は謝罪を受け入れたのだろうか?この夫婦だけが頑なに拒絶してたのだろうか?いろんな想像が、この対話の意味を考えさせられる。
最後に聞こえてきた聖歌隊の練習の歌声。おそらく対面する前だったら、雑音でしかなかったろう。心から赦す気持ちが、歌声を美しいと感じることができたのだ。それは神様の存在を身近に感じることができた証拠だと思う。(神を見たとかそういうことではなくて)。もしかしたら、事件後のすべての出来事から、こうしてここでの対話に至るまで、神はずっと見守ってくれいていたのだろうか。(もちろん、神の差配ということではなくて、寄り添ってくれていたという感謝の気持ちが湧くという意味で)
誰がわたしを救うのか
終始、ピリピリとした会話劇でストーリーが進む。
序盤、正直どちらが被害側かわからず、
それも含めて緊張感がすごかった
両者(特に被害者の母親)の震えが伝わり、
こちらにまでその琴線の震えが影響された
偏見かもしれないが、
加害者家族のあのちょっとズレた価値観や神経が
もの凄く上手く表現されていたように思う。
さらに、被害者家族の母親の方が、
何か縋るように夫を見つめるその視線や
見つめ方がリアルでリアルで。
彼らの言動一つ一つから、それまでの
6年間を感じさせられた。
中盤、話は加害者の過去や心情、
そして彼の両親はなぜ彼を野放しにしたか
ということに集中された
そこから一変し、被害者の過去へ
ここで加害者母が語った
「それが人生の価値よ」
「世界を変えなくていいの」
この言葉が状況を一変させたように思う。
そして、ラスト。
母親同士の和解が訪れる。
「わたしも話したかった」
彼女の本心は、周りを動かした。
(ここが一番痺れるシーンだった)
彼女も母親だった。
「自分を殴れと言えば良かった。」
この告白の重みは計り知れない。
正直、加害者父親は最後まであんな感じだったが、
母親には一番心を持っていかれた。
あまりにあっさりとした立ち去り方に、
彼らを信じることが出来るのかと思った。
赦したままでいられるのかと。
それでも、ほんの少しの時間だけでも、
彼らを信じ許すことが出来た
そのことと共に生きるしかない。
その事実が、後々の自分を救うかもしれない。
どうにかして生きるには、
信じること、救うこと、許すこと、
そういったポジティブな感情を
抱き続ける他ないのだと思わせられた。
全然スッキリはしないけど、それが答えなのだろうか
教会の中で6年前に高校で起こった銃撃事件の加害者と被害者の両親が対峙する話。
始まってからは穏やかな教会の雰囲気が印象的で、
少し呑気な感じで、部屋を用意しながら席を作る教会の素敵な奥さんを観ながら、
ああ多分奥さんはほとんどこれから登場しないんだろうな、
などとぼんやりと考えたりするようないい感じに気が落ち着かない穏やかな時間。
いざ当事者の両夫婦が部屋に集まると、
やあ元気かいなんて軽いジャブを打ち合いながら少しずつ、
被害者側の夫婦から加害者側の夫婦へアプローチをかけていき本当の対峙が始まる。
なんとか感情的にならないようにとしながらも、
それでもこの6年越しの場所で自分達が納得する何かを求めて感情を上下させながら加害者夫婦に詰め寄る被害者夫婦と、
別に重要な真相も隠しているわけでもない同じようにその何かを見つけられない加害者夫婦がお互いの立場から意見をぶつけ合う。
被害者家族が受けてきた6年間の悲しみも役者の演技の高さでかなり伝わってくるし、
それとしてその何倍も苦しんでいそうな加害者家族の悲哀も伝わってきて、
どちら側に立って会話を見守ろうというような考えは安易にはおきない。
実は被害者の少年が加害者の少年をイジメていたのが原因だったみたいなハッキリとした善悪が判るような真相がない事がこの映画のえげつない所で、
全てを解決する答えなんて絶対に見つからないし、
どこかに辿り着けば落ち着けるなんていう着地点もない。
あるのは実際に事件があって、お互いの子供が加害者と被害者になって亡くなっているという事実だけ。
最後まで観ても全く何もスッキリしない。
本当にただのボタンのかけちがいが起こりまくったが故の偶然なのかもしれないし、
お互いの両親が知りえない事件が起こる核心的なものがあったのかもしれない。
けれどそれも知りようがない。
物語の決着は被害者家族が「赦す」という事で一応の決着はついたが、
もう息子を想って悲しみたくないから「赦す」という事にして、
悲しみから逃れたいという気持ちが強いのかなと自分は思った。
でもその逃避には何ら批判的な感情はわいてこなかった。
そして最後は神は我々と共にという言葉と、
聖歌隊による讃美歌が流れエンドロールとなるが、
無宗教の自分にはどうにも皮肉にも思えるのだが、
キリスト教徒で銃社会のアメリカ人には救いとなったのだろうか。
2023年ベストムービー!⭐️⭐️⭐️✨
個人的な話ですが…
僕は中学2年の時と高校1年の時にいじめられた事があります…
そして、大学の頃にも、イジメとまではいかないけれども、なんか馬鹿にされた時期がありました。
今の時代ならナイフで一突きしていたかも知れない…。
果たして相手の家族や親族に「お前を赦す」と言われたところで、そんなの大きなお世話だと思うだろう…。
しかし…
この断ち切りたくても断ち切れない過去から解放されたいとも思う…これもホンネ。
(オレにネガティブな心情を何年にも亘って植え付け、この最悪な人生に少しでも"貢献"した奴らが、この地の果てのどこかで、もがいていることを心から祈るよ…)
たとえこんなオレでも、こんな映画を観ると少しは心が震えるのだよ…。
一度しかないこの人生を後悔せずに生き抜きたい…と思うのもホンネ。
*超オススメ!笑
デリケートな問題に徐々にたどりつくまでの探り合いの会話は練り上げられた脚本と俳優陣の秀演だ。
対面は、教会の殺風景な控室の十字架の下で行われる。無神経ともとれる教会スタッフと双方の両親4名の比較が、当事者と他人との意識の格差ともとれる気がする。
子育ての責任と子どもの資質、成育環境と救いの道。親としてどうすればよかったのか。愛する者を失った時に抱く後悔の念。見る側に他人事と感じさせないリアリティが、コミュニケーションの難しい現代の問題として迫ってくる。
動きのない画面でさえ、表情やちいさなしぐさを捉えるカメラも素晴らしい。
丸いテーブルをはさんで座った4人は、やがてテーブル越しではなく椅子を近づけて寄り集まって座った。お互いを理解するには、胸の内をさらけ出し壁を取り払い、憎しみを捨てることかもしれない。
タイトルのMassとはキリスト教のミサ、感謝の典礼という意味があるようだ。教会が舞台であること、キリスト教の精神が根底にあることで、「赦し」の意味を心から理解することはできないかもしれないが、前に進むとは、そういうことなのだろう。
稀にない邦題の素晴らしさにも敬意を表したい。
全99件中、41~60件目を表示