「わかり合えない家族」対峙 ミカエルさんの映画レビュー(感想・評価)
わかり合えない家族
銃乱射事件は単なる暴力ではなく、その背景には政治的な問題がある。銃規制に反対して銃の所持の権利を掲げている保守派の政治家や国民は、キリスト教の保守グループと密接に結びついている。
この映画の舞台となっている教会は聖公会のものであるが、この教派は、キリスト教の中では、比較的保守ではない、公民権運動やLGBTQ、中絶などにも寛容な姿勢を示す立場を取っているグループである。
つまり、その教会で対話するということは、保守的な政治思想とは距離を置くということであり、それがこの映画の政治的スタンスとなっている。
監督は、実在する銃乱射事件に着想を得て、その中で銃撃犯の両親と犠牲者の両親が会談を行ったという事実を知り、脚本を書き上げたそうだ。ドキュメンタリーではなくフィクションであるこの映画では、演技でその張り詰めた空気を表現している。
「あなたの息子が私の息子を殺したからよ」被害者家族の妻ゲイルの言葉とともに会話が弾け飛び、悲痛な沈黙が訪れた瞬間が忘れられない。
この対峙は、被害者家族にとっては、相手から「息子が死んだ原因」や「息子の人生の意味」への回答を求める場であり、加害者家族にとっては、相手から「許し」を求め、「孤独」を理解してもらう場である。
被害者家族は加害者である息子の幼少期まで遡り、原因を究明しようとする。
「前兆はなかったのか」「あなた達の教育に問題はなかったのか」「防げたのはないか」「親として気づけたはずだ」「あなたたちの息子が邪悪だったんだ」
加害者家族も被害者家族と同様に息子を失った親である。
「自身の教育が間違っていたのか」「自身の罪ではなく、息子の罪をどう贖えばいいのか」「二人目は望んでいなかった」「自分たちは子育てに失敗した」「私は人殺しを育てた」
絶対にわかり合えないであろうこの4人が対話を通じて何かをつかもうとしている、その姿勢に胸を打たれる。
そして、ラスト10分、意外な展開が訪れる。