劇場公開日 2023年2月10日

  • 予告編を見る

「修復的司法 置き去りにされてきた犯罪被害者と死刑制度」対峙 レントさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0修復的司法 置き去りにされてきた犯罪被害者と死刑制度

2024年12月2日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

泣ける

興奮

知的

欧州諸国などでは70年代ごろから続けられてきた修復的司法制度。いわゆる従来の報復的司法とは異なり、刑事司法手続きにおいて置き去りにされてきた犯罪被害者の支援に重きを置いた制度である。そしてそれが犯罪者の更生や犯罪によって壊されてしまったコミュニティの修復にも役立っている。

今までの刑事司法手続きにおいては被害者は常に蚊帳の外であり、加害者との接触も禁じられ、ただ判決により刑罰が下されてそれで終わりだった。
残された被害者や遺族は傷ついた心の修復にその後の人生を費やさなければならなかった。

同じく70年代、ストックホルム宣言を皮切りに欧州先進諸国を中心に死刑制度が次々と廃止されていった。
この死刑制度廃止に対する根強い反対意見としては被害者感情の尊重というものがある。確かに死刑廃止は被害者にとっては受け入れがたいものだろう。自分の愛する家族を奪った加害者を極刑にしてほしいと望むのはごく自然なことだと私を含む多くの人がそう考えてきた。しかし、この「被害者感情」なるものが死刑制度存廃の議論において常に独り歩きをしていなかったか。本当にそれが実際の個々の被害者感情を代弁していたものだったと言えるのだろうか。被害者の中には死刑制度に反対する人々もいる。加害者には生きて償ってほしいのだとして。

十把一絡げに「被害者感情」とひとくくりにして第三者が被害者感情を画一的に解釈することはこれもまた個々の被害者を置き去りにした議論と言わざるを得ないのではないか。
中には死刑を望まない被害者遺族に対して被害者のくせに加害者を庇うとは何事かというバッシングまでなされることもあるという。
確かに自分がもし被害者になればきっと加害者の死刑を望むだろうから他の人も同じだと思いたいのだろう。しかし、自分が死刑を望むのだからあなたも死刑を望むべきだというのは同調圧力ではないだろうか。本当に個々の被害者の気持ちに寄り添っていると言えるのか今一度考え直す必要はあるだろう。被害者の数だけそれぞれ被害者感情があるのであり、当事者でもない第三者が自分の想像だけで被害者感情を理解した気になるのは尚早だろう。

その点でこの修復的司法制度は個々の被害者に寄り添った制度だと言える。被害者は置き去りのままで判決が下ればその後は加害者と話す機会もない。なぜ自分や、あるいは家族がこんな目に合わなければならなかったのか、どうしてこのような事件が起きたのか。被害者はできることなら事件が起きる前の生活に戻りたい。そのためには少しでも疑問を解消し自分を納得させたいのである。
そして納得した上でそれから加害者を憎み続けるのか、あるいは加害者を赦して肩の荷を下ろし、事件のことを忘れて残りの人生を全うするかを決めたいのである。

犯罪被害者側と加害者側という相対立する両者が冷静にひざを突き合わせて自分たちの思いを互いにぶつけ合う、納得がいくまで。そうして両者が今まで抱え込んできた様々な思い、疑念や恨みの感情、罪悪感、そういった負の感情から心を解き放ち肩の荷を下ろすことができるのであればその後の両者の人生は幾分、いや、かなり楽に生きられるようになるはずである。
現在この制度の利用者の実に八割が満足を得られる結果だという。こういった被害者への精神的経済的ケアがなされているからこそこれらの国々では死刑制度廃止も受け入れられてきたのだろう。

憎しみをただ募らせて厳罰化に向かう国もあれば、憎しみという重荷から解放し厳罰化を緩和し犯罪率低下につなげている国々もある。
修復的司法により今まで置き去りにされてきた犯罪被害者の被害者感情が癒されてきたこととこの死刑廃止の潮流は無関係とはいえないだろう。

被害者感情を考えろと声高々に叫ぶ国に本当に被害者に寄り添った政策が出来ていたであろうか。憎しみをただ募らせてそれで被害者が残りの人生を幸せに生きられるだろうか。あるいは加害者を死刑にすることでそれで正義は全うされたとしてそのまま被害者はやはり置き去りにしていいのだろうか。
犯罪被害者は加害者が死刑になろうがなるまいがその後も人生を生き続ける。その残りの人生を苦しみ続けるよりもいかに幸せに生きられるか考えていくことこそが被害者への一番のケアにつながるのだろう。
死刑よりも優先されるのは被害者へのケアであるはずがそういう政策をしないことの理由として死刑制度が利用されることがあってはならない。

袴田氏の無罪判決が確定して、これで戦後だけでも五件の死刑囚への無罪判決が出た。戦前に至っては何件無実の人間が死刑になったかもはや定かではない。もちろん戦後無実の疑いがあるまま死刑にされた件も合わせればかなりの数に及ぶ。
今回の無罪判決で再び死刑制度の是非をめぐる議論が熱を帯びてくることだろう。国は死刑を密室で行ってきた。まるで国民的議論が巻き起こるのを避けるかのように。
同じ先進国のアメリカでは一部の州でのみ死刑は行われているがその執行は常に公開されている。
今こそ死刑制度に関する国民的議論がなされるべき時ではないだろうか。そしてこの修復的司法制度が日本でも根付いてくれることを期待したい。

レント