「サイコには神の声は届かない」対峙 かなり悪いオヤジさんの映画レビュー(感想・評価)
サイコには神の声は届かない
フラン・クランツという新人監督さんが撮った本作の英語原題は“MASS”。英語で“ミサ”を意味するらしい。プロテスタントとカソリックのちょうど中間に位置する“聖公会”教会?の一室で、これからなにやら重た~い雰囲気のミーティングが行われるらしいのだが、表れた2組の夫婦がなんのために呼び出されたのか、観客になかなかわからない演出がとられている。
トランプ政権時代、アメリカ内に広まった“分断”にインスピレーションを得たと語っていた監督さんではあるが、元々あった格差を極大化したのは何を隠そうあのオバマ元大統領なのだ。LGBTQなど人権的な差別に米国民の目をむけさせ、肝心要の貧富格差を裏でこっそり極大化させたのは、リベラルの代名詞このバラク・オバマなのである。現大統領のバイデンはそのオバマの操り人形といっても過言ではないだろう。
そんな民主党政権が、他国の戦争をけしかけるくせに自国ではなぜか銃規制を強化する。その矛盾がアメリカ人の子供たちに良い影響を及ぼす筈もなく、銃乱射事件の犯人を子にもつ老夫婦と、その犠牲になった子供の父母が対面し、事件後一応の和解をするまでを描いた問題作なのである。歳をとってから授かった子供のため家庭でも孤立、人殺しゲームCODにはまったあげく、お手製のパイプ爆弾を製造して警察沙汰に、今回(名ばかりの)友人の銃を借りて事に及んだことが次第にわかってくる。
誰がどうみても“サイコ”にまちがいないガキんちょを野放しにした甘々の夫婦を、話し合いの最中に激昂糾弾に及ぶ殺された子供の父親(ジェイソン・アイザックス)。その奥さんは「あなたたちを赦すことは、あの子を忘れること」と言って、老夫婦を睨み付ける。「幸せになんかなりたくない。学校の成績なんかどうでもいい!」と自分の部屋にとじこもっていった次男をどうすることもできなかった、と老夫婦はただ不毛な言い訳を繰り返す。
済んだことを蒸し返してああだこうだと口論しても、満足いく解決に結び付かないことは映画中盤にしてもはや明らか。そこでこの若き監督はその解決策として、“信仰”による結びつきを無理やりラストにもってくるのである。確かに日曜日に教会に通う人が多い地域では、凄惨な事件の発生率はすくないという話しをどこかで聞いたことがあるが、本作のエンディングはハッキリいって強引すきて映画らしくないのである。
泉にこんこんとわき出る湧水や、騎士とチェスをたしなむ死神、壁に写り込む水面の輝きをもってして“神”を顕在化させようとしたベルイマンの演出に比べると、あまりにも安易すぎやしないか。魂から神が逃げ出してしまったような脱け殻人間に、信仰による安らぎを思い出させるにはどうすればよいのか。バラセンに巻きつけられたテープの揺れごときで、それが表現できるとはとても思えないのであるが....