怪物のレビュー・感想・評価
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ひびく不協和音
「羅生門」最近では「最後の決闘裁判」のようにそれぞれの主観の視点で描かれ、徐々に全体像がわかる。真実を理解することの難しさと大切さを教えられる作品。
湊の母親・さおりは、夫を事故で亡くしクリーニング店で働きながら一人息子を育てている日々。息子の成長に伴って徐々にコミュニケーションが難しくなる時期に差し掛かっていて、そんな時に息子が洗面所で髪を切っていたり、突然「豚の脳を人間に移植したらそれは人間か?」と聞いてきたり、靴が片方なかったり、水筒から泥が出てきた上に、耳をケガして帰ってくる。聞くと「ホリ先生が」と言うので、小学校へ行く。が、校長を筆頭に謝罪はするもののホリ先生含めて出てくる教員全員がおかしい。校長は孫を夫の運転ミスによって亡くしたばかりだと教頭に教えられる。何度も学校に問いただすうち、星川くんという同級生を湊が虐めていたとホリ先生に言われ、星川くんの家を訪ねる。家には本人しかいなかったが、小柄で明るく可愛らしい少年だった。ある雨の夜に湊を車で探しに行った際、走っている車のドアを急に開けて飛び降り、ケガをして休んでいる湊に向けて手紙を書いてくれる。「湊の「み」が鏡文字になってるよ」と指摘すると書くのをピタリと止める。火傷のあとを見てこの子の様子も変だとさおりは感じた。
そうこうしていると学校がホリ先生を解雇したと発表する。これで終わったかと思ったが、その後もホリ先生を学校で見かける。
ホリは目立たない児童にも声をかける優しい教師で、OLの彼女と同棲している。ある日トイレから湊が走り出てきた様子を見てトイレに行くと、星川くんが個室に閉じ込められていた。星川くんの過程を訪問すると、父親が息子のことを豚の脳みそを持ったダメな奴なので教育し直しているところだと言う。別の日、教室で湊が暴れており、抑えようとした際に湊の鼻を叩いてしまい、謝る。また女子児童から、湊が触っていた猫が死んでいると教えられる。
ある日、湊の母親が学校に文句を言いに来た。ホリが説明しようとすると、教頭以下みんなに止められ、とにかく謝るよう強いられ、嫌々であることを露骨に態度に出して頭を下げる。母親があまりにしつこいので、息子がイジメをしていると忠告する。自分の罪を夫に負わせたらしい事勿れ主義の校長に、学校を守るために辞めろと言われる。スキャンダルとなり、彼女に去られ、部屋で一人、趣味である出版物の誤植を探していると、在職時の児童の作文が出てくる。星川くんの作文の誤字をチェックしていると、ある事実に気付く。
星川エリはクラスの男子児童からイジメを受けていた。そんな中で、麦野くんはいじめない人だとわかる。彼に頼まれた通り、最初は親しくないフリをする。ある日トイレに閉じ込められていると麦野くんが来るが助けてはくれず、ホリ先生が開けてくれる。またある日図工の時間にまた男子に嫌がらせをされていると、面と向かって彼らを止められない麦野くんが教室で暴れる。そこにホリ先生が来て麦野くんを制止した時、手が麦野くんの鼻に当たる。帰り道に靴を片方貸してもらったりして徐々に距離が縮まり、秘密基地である廃線の車両に案内する。中を飾り付けて、2人だけでゲームをしたり、宿題の作文を書いたりして過ごす。そんな時、星川くんの父親が息子を母親の元に送るため、転校だという。2人一緒にいられなくなると思った時、友情以上の感情に気づく。
そしてある日、大雨で土砂崩れが発生する中、帰って来ない湊をさおりが探しに出る。更に2人のメッセージに気づいたホリがさおりに連絡し、2人で廃車両を見つけるが、雨がきつくてドアを開けることが出来なかった。
湊が一人で悩んでいると、そこに校長先生がいて、そんな時は…と管楽器の吹き方を教えてくれる。下手なトロンボーンと校長先生のホルンで合奏する。この妙な演奏が不協和音の正体だった。
特にいじめられっ子のエリくんは保護者の理解もなく、これからの2人の幸せを願わずにいられない。ラストシーンが現実であれば…。
土砂降りのシーンは「海よりもまだ深く」を連想した。
演技が圧巻!感情大忙し!
なんの情報も入れずに鑑賞!
いや〜、終始感情が忙しかった😂
1つの事を3つの視点で描かれるこの映画では、
それぞれの見え方が違っていて、
実際はそうでなくても誇張してこう見えているっていう意図しない捉え方をされてしまうってのを感じたな。
1人目のママのターンでは保利先生含む学校側にムカついて、「そんな学校辞めさせちまえ!😡」って思いながら見てたし、
2人目の保利先生含む学校側のターンでは
「え!?保利先生良いやつすぎるな?子供達は何を考えてんだ?😡」「確かにやってないのにそんなにママに来られたらモンスターペアレントに見えちゃってるな、、」ってなったし
3人目の子供達のターンで「はぁ〜そういうことね、子供達だけの間の絆ってやつに大人は介入できないんだね」と思ったただし星川パパはほんとに許さん。
終わり方も観客に解釈を委ねるパターン。
それは良いんだけど、私の頭で考えるのが難しかった点がいくつか、、、↓
・ママのターンの保利先生があまりにも酷すぎる、飴舐めたり、棒読みになったり、、そんな人には見えないけど。
・校長がスーパーで子供に足かけるとこ、どういう意図なんだぁ??バカなので分からぬ。
・麦野君が保利先生を体罰の犯人に仕立て上げたこと→麦野君は保利先生をいい人って言ってたのにな
これは他の方の解釈を見て自分に落とし込もうと思います😌
結論として、キャストの方々の演技がもう〜凄すぎて〜すごいのめり込んで見れました!!!2回目見たらまた違う考えになるんだろうな!
Stand by me?!
芥川の藪の中、黒沢の羅生門のフォーマットを取りつつも、是枝版「スタンドバイミー」として鑑賞しました。廃線の秘密基地が大事な舞台になっている所からも。ただ個人的には、ラストが現実であって欲しいのですが…坂元さんの脚本のホントは分からずじまい(藪の中)です。
それにしても、瑛太が演じるホリ先生が気の毒過ぎます。校長先生(田中裕子)、湊くんの母(安藤サクラ)、星川くんの父(中村獅童)は何をかいわんや、みんなが「怪物」を抱えていて、怖すぎます。観ていた我々も⁈
一つのシーンを違う人物の視点で何度も追う群像劇作品
予告ではスリラー作品かのような仰々しい演出がなされているが本編はスタンダードな邦画でした。
概要は地方都市で起こった交通事故、ビル火災、虐待、LGBTQ問題、小学校内でのいじめ、教師の体罰、暴言それらに付随する社会の問題を複数の登場人物の視点で描く群像劇作品で、そしてその問題に関わった人間たちは皆怪物なのでは?という問題提起がこの作品が描きたいことでタイトルなのだと私は感じました。少し作品に意味深さを持たせる為に怪物や豚の脳などキャッチーな言葉を出しすぎな感はありますが…。
それにこれまでの是枝監督作より登場人物の誇張表現がすごく特に学校関係者が喜劇かと思う程おバカに演じられていたり、視聴者をミスリードさせる為か登場人物の心象風景を描こうとしたのかは分かりませんが、あれ?前に出たこのシーンでこの人こんな芝居してたかな?というぐらいにこのシーンで描きたい方向に持っていく為に誇張をした芝居を行われていて、なるほどだからこの時にこんな発言をしていたのか!!という驚きがあまり得られない結果になっていて少し残念でした。
今までの作品では感じなかった芝居のご都合主義感がぽつぽつ感じられたのは残念でしたがそれでも子役の二人は素晴らしい芝居でした。この二人だけでも見る価値はあると思います。
子役の2人から目が離せない
元々ずっとファンだった是枝監督と坂元さんの映画で、公開を楽しみにしていた作品です。子役の2人がすごいです。この2人の映画だなと思いました。映像と音楽の美しさ、子役の2人の演技に夢中なりながら圧倒言う間に時間が経っていきました。始めは、誰が怪物なのか探しながら観ていたけれど、途中からそんな風にこの映画を観ていた自分の浅はかな考えに気付かされます。
坂元作品に常連の永山瑛太さんと田中裕子さんがとても良かった。特に田中裕子さんの存在感には圧倒され、ホルンを吹きながら言ったセリフが心に残っています。
ホラを吹く
何の前知識もなく見に行きました。
同じ時間帯を3つの視点で描かれています。最初20分くらいまで、イライラフラストレーションがたまるようなシーンが続きますが、2つ目の視点で意味が回収され、そういうことかと納得させられます。
なんか羅生門的な感じでした。
そして、「怪物だーれだ」
そこを気にしながら見てると全体が見れないと思います。途中のシーンで、何度かあれっこの映画マイノリティがテーマなんだと気づき、安藤サクラがこの字ミラー文字になってるよと指摘したところでそーなんだとなりました。最後の方でホリ先生が作文の回文を見つけたところでうまい付箋だなと思いました。
田中裕子演じる校長が不気味でした。結局唯一まともなのは、ホリ先生だけだったのかな
それが落ちかなと思いました。
最後がいかようにも取れる終わり方で、友人と意見が割れましたが人それぞれでいいのではないでしょうか。
監督は、相変わらず子供を撮るのがうまい、それにも増して先生演じる永山瑛太、中村獅童がいいです(彼が子供について先生へ放つ一言がその後に大きく結びついていくんだなと私は思っています)父親として受け入れられない、異性に興味を持ってもらいたいという思いを少ない出演シーンで見事に表していたのではないでしょうか。
再度見ると色々気がついてさらに面白いかもと思いしばらくしたら再見します。
怪物だーれだ
凄い。重圧感、纏っている雰囲気、あの世界観。映画館に実際に観に行くべき映画です。
前半では先生が完全な悪として映っていたが、実際はそうではなかった、というか真逆だった。等
人物による捉え方の違いをそれぞれの視点で上手く画かれており見ている側も驚きがあった。
怪物とは誰なのか。これは登場人物によっても、観る人によっても違った印象に残ると思う。
建前は別にして自分ごとになると、LGBTも含め先入観や偏見に満ち溢れ真実を重視しない私達のあり方・考え方にNOを突きつけた凄い日本映画
坂元裕二 脚本・是枝裕和 監督による2023年製作(125分)の日本映画。
配給:東宝、ギャガ。
母親(安藤サクラ)とは異なる新たな視点による映像が積み重ねられ、その度に新たな事実が浮かび上がり、コノ映画凄い!面白い!と思いながら見ていた。
そして、最初怪物に見えていた先生方(田中裕子、永山瑛太)が、実は教育熱心な先生方であることが分かってくる。同時に、ただ子供のことを思って一生懸命活動している母親が、学校側(例えば教頭先生の角田晃広)からはモンスター・ペアレントと見えてしまうことにも気が付かされる。
父親(中村獅童)からLGBTであるため、ブタの脳が入っているとモンスター扱いされている依里(柊木陽太)も、猫死体に関わってる様で観客視点からも不気味で怪物の様にも見える。私自身も、あのビル火災は彼の放火かと思ってしまった。湊(黒川想矢)も親に先生から暴言や暴力を言われたと嘘をつき、依里を虐めるとんでもない子供に思えてしまう。
しかし、依里は猫を殺していない様で丁重に火葬してあげただけが真実の様だし、かなり近い距離のところに居てチャッカマンは持っていたが、放火をした証拠的映像は無い。湊が依里を虐めている様に見えたのは彼を守ろうとした流れだし、暴力は偶然に顔に先生の腕が当たってしまっただけだし、嘘をついたのも、好意を覚えてる依里が父親から言われたことが頭に強く残っていて、LGBTを自覚し始めた彼が受けた言葉を自分ごとと感じたための様。
結局、怪物はこの映画では、何処にもいない。あいつもこいつもそう見えるのは、真実をしっかりと見ようとしない、先入観を持って疑おうともしない、そして直接聞いたり調べようともしない人達が、頭の中に作ってしまう妄想。それを、放火犯認定してしまった自分も含めてだが、貴方もそうでは無いですか?と、この映画を見ている観客一人一人に突きつけてくる、なかなかに挑発的な映画でもあった。ウーン、凄い脚本だ。
自分は、校長先生(田中裕子)が本当は孫を車で轢いたとの噂話を、当初信じてしまった。しかし、スーパーで足をかけたのは子供の将来を真剣に考えて危ないよとのメッセージを送ったとの解釈は可能だし、机の上には孫の写真が目立ったかたちで飾られていて人間心理的には轢いていない様に思われる。そして、実際の加害者と認定された夫との面談時の会話では、普通の老夫婦の会話の様で、田中が夫に庇ってもらったといった負い目は何処にも見られなかった。これも結局、噂話で凝り固まった先入観でものを見ていないですか?という映画製作者たちが観客に仕掛けてきた罠と思えた。
子役二人(柊木陽太と黒川想矢)のナチュラルな演技は、素晴らしかった。演技や演出を全く感じさせない是枝監督の匠の技は、今回も本当に素晴らしかった。そして、2人の秘密基地であるトンネル先の廃電車、オープンセットとして製作(美術三ツ松けいこ、セットデザイン徐賢先)されたらしいが、子ども時代にこんな場所あったらと憧れる様な感じで、その造形はとても良かった。そして何より、そこで戯れあい、はしゃぐ二人が何とも初々しかった。
嵐の日、二人は秘密基地の廃電車の中に閉じ込められる。土砂崩れのため電車も横転したが、彼らは無事に脱出。嵐が過ぎ去った後、彼らは眩いばかりの陽光が降り注ぐ中、線路に向かって笑いながら新緑の中を走って行く。楽しそうに走っていく二人からは覚悟を決めた様な突き抜けた幸福感が溢れていた様に思えた。その二人を捉えるカメラワーク(撮影は近藤龍人)が、坂本龍一の遺作となった控えめなピアノ音楽と共に、何とも心地よかった。
彼らはきっと、大変なこともあるのだろうが、力強く生きていくのだろう(あまりに明るい映像で、一部に天国説が唱えられているが、死亡を示唆する映像は無く、それは違うと判断出来る)。
とても良く出来たミステリー映画様のかたちで、建前は別にして自分ごとになると、LGBTも含め先入観や偏見に満ち溢れ、真実を重視しないに私達のあり方・考え方にNOを突きつけた凄い日本映画を、まさに今見ることが出来たことに大きな感動を覚えている。
監督是枝裕和、脚本坂元裕二、製作市川南、 依田巽 、大多亮、 潮田一、 是枝裕和、エグゼクティブプロデューサー臼井央、企画川村元気 、山田兼司、プロデュース川村元気、 山田兼司、プロデューサー伴瀬萌 、伊藤太一 、田口聖、ラインプロデューサー渡辺栄二、撮影近藤龍人、照明尾下栄治、録音冨田和彦、音響効果岡瀬晶彦、美術三ツ松けいこ、セットデザイン徐賢先、装飾佐原敦史、 山本信毅、衣装デザイン黒澤和子、衣装伊藤美恵子、ヘアメイク
酒井夢月、音楽坂本龍一、キャスティング田端利江、スクリプタ−押田智子、助監督森本晶一、制作担当後藤一郎。
出演
安藤サクラ早織、永山瑛太保利、黒川想矢湊、柊木陽太依里、高畑充希広奈、角田晃広正田、中村獅童清高、田中裕子伏見。
怪物だぁーれだ
みんなの中に多かれ少なかれ怪物はいるってことですかね。
ストーリーは最初母目線で、先生目線、子供目線で同じ時間を繰り返し進む事で誰にでも怪物が潜んでるっていいたかったのか
でも、あの終わり方は誰も救われてない。悲しい。
前半最高/後半部分、重いです。気合と根性を備えてから観てください
①前半
1 お母さん目線
2 先生目線
で同じ場面を描き
目線によって
これほどまでにも
同一事実の印象が変わるのかあ
と驚かされた映画でした
この点だけで
エンターテイメント作品として
完成していた気がします
私の個人的な意見として
これだけで良かった…
欲を言えば
前半の流れそのままに
例えば
3 校長先生目線
4 中村獅童目線
ではどのように見えてくるのか
その後そのまま
怪物は誰?
という問いかけで終わる
という単純な映画を
観たかった気がします
②後半
主人公達の性への目覚めにより
前半の様々な不可解現象の回収していく様は
見事でした
ただし
ストーリーが少し重過ぎました
テーマとして
その部分は入れる必要があったのかなあ…
別の機会でも良かったのではないかなあ
と個人的に勝手に思ってしまいました
③総じて私感
本作品は
二つ分の映画のパワーが
注ぎ込まれている分
非常にズッシリ重い作品に仕上がってます
観る前に
十分に気合と根性を備えてから挑むことを
オススメします
単に学校は
目線によって
これほどまでに異なる環境なんですよ
というライトな映画を期待してると
胸やけおこします
私的には
前半の気持ちを抱えたまま
映画館を後にしたかったです
怪物だ~れだ?
この映画を一言で表現すると、予告でも使われてたコレになると思います。
誰か一人が怪物なのではなく、誰かが誰かの怪物になってしまう…可能性がある。わかり合えるかもしれないけど、何かがズレてしまうとその結果相手が怪物に見えてしまう…。
そんな事を色々な人の視点から描いているが、どうすれば良いかは描かれていません。と言うか、それぞれで答えは違うので描きようがないのでしょう。
この話がカンヌで評価されるという事は、どの世界でも同じような問題があるんでしょうね。
怪物になりたくないなら考えてください。
なんだこの作品は。どうやったらこんな作品作れるんだ。
一体誰が怪物なのか。母親か、息子か、担任か、校長か、友人か、友人の父か、はたまた鑑賞者か。
一体いつから自分は大人になったのだろうか。子供の世界と大人の世界は断続的なのかもしれない。大人は、子供のためと言いつつ大人の理屈で物事を考える。子供は、ただただ無邪気なだけなのかもしれない。
火災を起こしたのは誰なのか。作文にはなんて書いてあったのか。最後の子供たちの笑顔の意味は。決して答えを明確に示さない映画。私たち自身が考える必要がある。頭を使って考えなければならない。私たち一人一人も怪物なのだから。
怪物はだれ? 世の中、勘違いだらけなのかもしれない。
ひとつの事象に対して、解釈(見え方)は無限に存在する。
きっと人は、良くも悪くも、自分に見えるものや想像できる範囲でしか物事を捉えられないし理解することはできないのだろう。
相手をどれほど大切に想っていても、自覚のないままに大切な人を傷つけ追い詰めてしまっていることもあるのだろう。
子どもは身近な大人のものさしで測られ、それが正しいと刷り込まれ、そこから外れると自分が間違っていると思ってしまう。
この作品では『性』がその中心にあり、問題として捉えやすかったが、実際はもっと身近で当たり前だと思っている小さなルールなども同じなのではないかと思う。
校長の言葉:
『誰でも手に入れられるものを"幸せ"と言う』
幸せは他人が決めるものではなく、自分の心が決めるものだと思った。
ラスト、涙が流れました。
2人が本当に楽しそうにしていて、嬉しい気持ちと悲しい気持ちが入り乱れました。
永山瑛太の演技はもちろんのこと、子役2人の演技が素晴らしかったです。
怪物は…
僕の心だ!!と思いました!
まんまと!!まんまとやられました!!
人は自分のみたいものを見ようとしてしまう生き物ですね!
僕は全く情報ない状態で見ましたが、それが一番楽しめた気がします!
めちゃくちゃ良かったので是非みんなに観てもらいたいです。
下記、心打たれたシーン。
拭っても拭ってもすぐ泥に覆われてしまうあのシーンがすごく象徴的で印象的でした。簡単には光はさしてくれない。
あとナマケモノのシーン。みなと君にはわかってるんだね。
あと。なんか小さな恋のメロディ感のあるキラキラと美しいラスト。
最高過ぎる。
僕は泣きまくってましたが、隣の彼女はカラッカラ。
怪物め…。
酷く脆い“怪物”とは
現在も信州人の僕、見事砕かれる。
「あ、ここよく行く場所!」とかそんな余裕なかったぞ…。
第一幕は麦野君の母親視点の物語。
息子が先生にイジメられている?
息子が先生に体罰を受けた?
それなのに学校は無責任…いや、「無気力」とも言える死んだ顔の“怪物”。
第二幕は担任教師、保利先生の物語。
彼は「何もしていない」のに、
生徒の嘘によって翻弄され、他の先生からは責任を押し付けられ、
全てすべてが“怪物”。
彼を取り巻く全てが“怪物”。
第三幕は伏線回収がメインとなり、
度々顔を見せる二人の子供たちの物語。
さて、舞台は整った。
ここから始まるのは「無邪気さと葛藤」に住み着いた“怪物”の物語。
常に僕等に強烈な印象を与える星川君。
彼は普通ではない、彼は異常。
最初僕はこの意味の捉え方が上手くできなかった。
何故彼の父親は虐待してまで、星川君を律したいのか。
何故いじめっ子は二人の関係を「ラブラブ」と囃したてるのか。
それに怒る麦野君。
(この時点でほぼわかってたし、なんなら校長先生のシーンでもう確定したけど)
レビューやネタバレを見て確信に変わった。
(そのときは、「多分そうだろうけど解釈違いだったら殺してほしい」レベルでレビューを拝見していたので)
成程、これは「マイノリティなのか」と。
互いが互いを「特別」と感じている。
然しこれは単なる絆ではなく、「秘めるべき恋心」。
然し彼等には「普通ではない」としか言えない。
「豚の脳」、「治療」、「話しかけないで」、「俺が間違ってた(嵐の中で麦野家に叫ぶ保利先生の台詞)」、「普通」、「男らしく」―。
これらが「全員の価値観による『支配』」と捉えれば、
この物語の真意が現れてくる。
星川君の父親はノーマル。
ガールズバーにも行くし、普通に結婚して子供もできた。
そんな子供は「自分と全く違う価値観」。
「俺の子だから」と勝手な「支配」。
虐待による「支配」、それが治療という名目で。
保利先生は「教師」という職務からも、
中立的な立場に立たされる。
子供たちに常に正しく、そしてのびのびと清らかに巣立ってほしい。
だからこそ、マイノリティにはシビアにならなければならないし、「間違ったこと」を伝えるわけにもいかない。
自分らしくとは言葉だけに「男なら」、「男だから」と「支配」していった。
麦野君の母親は「ラガーマンの父」を亡くした女性。
そう…正に「雄々しい男性像」がそこにある。
自分の旦那のように、息子にも男らしく育ってほしい。
息子を「支配」し、知らずの内にお父さんを押し付けていた。
さて、こんな支配しかない世界で気付いてしまった「互いが互いを(違う意味で)信頼し合っている」真実。
彼等からしたら、こんな狭い世界よりも広く心地良い、温かい二人きりの世界が望ましいだろう。
ラストシーンで二人が駆けるのは、
「死の救済」か「無邪気故の希望的観測」か。
支配という“怪物”からの解放―。
誰にも知られてはいけないこの想い、
さて誰が始めに気付くのか。
まぁ少なくとも保利先生ではないだろう。
彼からしたら「麦野が星川をいじめている」という話の真実を知ればいいこと。
「俺が間違ってた=『麦野が星川をいじめている』と思ってしまっていたことが間違っていた」ことなのだ。
何故か。
なぜ誰も気付けないのか。
だってよく考えてほしい。
「みんな異性愛者」だから。
僕自身ゲイではあるが、だからといってこの作品に対して何か評価を変えはしない。
一言マイノリティを抱えるものとして言えるのは、 悩む人達の傍に居る人が「気付いて声をかけてあげること」なのだ。
そういう意味では、作中の良心は校長先生だったと思う。
彼女こそ、彼のもやもやを吐き出せる場所を作ってくれたのだから。
一人の視点から見る“怪物”というものは明確にわかるが、
全体を覆うと見えなくなる。
彼等は其々の想いを背負って盲目になってしまっている…。
分かれば単純なことも、自分達の価値観や責任感、自責によって“怪物”の存在に気付いていない。
そしてこんなレビューをしている僕こそ、
彼等から見る“怪物”なのかもしれない。
(追記)
そういえば麦野君が秘密基地で星川君を突き飛ばしてしまったのは、
明確に彼を想っていることがよくわかるシーンだった。
虐待から星川君を助けることも、
星川君が「お菓子をあげる」ことも。
傍から見たら微笑ましい光景。
でも彼等からしたら、「秘め事」。
言葉通り、お菓子を食べたことは内緒にしないとね。
(そう…「嘘」をつかないとね)
彼等はこれから、「社会」という”怪物”に立ち向かわなければならない。
その時、この二人が永遠に支え合える関係であることを祈るばかりだ
脚本を期待したが…ん〜
それぞれの視点で見え方が違う、という予備知識を持って鑑賞したので、後半に出てくる人物がキーマンとなるのが途中でわかってしまう。(小説、「藪の中」のように真実がわからない、という結末ではなかったのでそこは高評価)
釈然としないのは「怪物」という題名が甚だ疑問。いかにも怪物は誰だ的な描き方だしそのように見ていたが、結論として怪物は誰もでてこない。(若干、校長先生がそれっぽいが意外性は無し)これ、ユーチューブならサムネ詐欺ですよ。
それとミナト君が車内から飛び出すほどの動機づけも弱いし、先生を怪物扱いするためのミナトくんの大嘘「先生に豚脳と言われた」発言の動機は何?ここがわからないのは致命的。
細かい所だと、女児の発言「湊君が、死猫を運んでた」をのちに撤回したが、その理由は?描写無し。
地味にゲイ児君の鏡文字は必要ない。
担任、謝罪後も学校行って、湊君また怪我して、屋上でさまよってカット。その後は?描写無し。
以上がノイズとなり★3
良かったのは、校長、担任、ゲイ児の演技が素晴らしかった。
いろんな人種、障害者を起用したり、lgbt題材にすると、賞レースには有利になるみたいだが、その辺が平等になる時代が来たとしたら、純粋にもっと脚本の良し悪しだけが評価されるはず。そうなって欲しい。
追記、レビュー動画見て知ったがもともとの題は「なぜ」だったらしい。商業的な狙いで怪物にしたのね、納得。脚本家坂元氏の作品では常套手段らしく、ため息が出る。
この人はどんな人? この人はその人?
この人はどんな人?
そう考えながら、取り込める情報をかきあつめて組み立てている自分がいる。
早織も保利も校長も湊も依里も…出てくる人を全員。
主観で固めた人物像は、尾びれ、背びれをつけそれっぽく出来上がると満足気に頭のなかを生き生きと泳ぎだす。
泳がせながら訂正を入れ、また変貌させていく。
はて?
私が作りあげたこの人は、はたして本当にその人なのだろうか?
視点がかわったとき、はっとした。
それが事実にそぐわない歪みにみちていたこと、今ここで虚像をこしらえていたことに気がつく。
そのとき、虚像達は沈黙して私を取り囲み、つくりあげる行為そのものが〝怪物〟であり、世の中に与える影響は未知だよとささやく。
なんだかすこし気まずい気持ちを抱きながら、これまでを思い返す。
いつからだろう。
知らず知らずに使いこなしてきた想像の製造マシーン〝怪物〟。
〝怪物〟の産物が麻痺するほどに巨大化し、何処かで暴れたり、誰かを傷つけてたりするのを見聞きしても、人ごとのように意識にオブラートをかけ、まだわたしはそうでもない、大丈夫と変な自信を持って。
現世から離れたような空気感のあの美しい景色の基地。
湊と依里が〝怪物だ〜れだ〟と連想ゲームをする。
無邪気でほほえましい声がこだまする。
そんな小さな彼らの大きな罪をつくってしまったのはなに?
連想が走りすぎる大人たちがリードするこの世界をおもう。
立ち帰らなければならないところにすでにいることをわかって。
胸に伝う涙のようなピアノの音色が、2人を包んだラストシーンにやさしく切なく響いた。
修正済み
何が正しいのか…を考えさせられる
ただただ人々の動き、考えから目が離せなかった。
最初は誰しもがいじめか?と思うような展開だが、進んでいくにつれ、視点が変わり、正しいと思っていた見方、考え方が違っているのでは?と気づく。
瑛太さんはじめ、みなさんの演技乃たまものと思いますが、何より子どもたちの揺れ動く多感性に惹きつけられました。
一方だけの情報では正しいことはなにもわからない、当事者でなければ何をどう考えていたのかわからない。ネット社会の現代では、ほんとうに考えなければいけないことがたくさんつめこまれていたように思いました。
それはスタンド・バイ・ミーと同じ感情が湧く。
ラストの廃橋。柵が無かったように見えた。ということは二人は天国に行ったんかなぁ。是枝監督はそう見えるかもという演出してた様な気がします。
二人にはどちらも幸せになってほしいよ。でも天国行っちゃったんかな?
そう思わせる。
小学校の頃の友人を思い出しました。
それがこの映画の成功だと思いました。とても良かった。
映画『怪物』カンヌでパムドゥールでもよかったよね
全部の参加作品見たわけではないけど、少年期の細やかな心の動きや切なさが痛いほど伝わ
ってくる。だから題名も含めて直球勝負でも良かったよね、複雑な時代背景を盛り込んだあ
たりがしょうがないのかな。
オーソドックスなテーマなんだけど
見せ方と今風なLGBTという表現。
まあ、惹きつけるキャッチコピーは必要なんで。
それも今風ということになるのでしょうか。
少年同士の純愛。
言葉にするとなんか下世話な感じもしなくないのですが。
主人公の少年は、小学校五年生。
このあたりは、同性愛は普通でしょう。
同性愛なんて大げさな言葉使わなくても、ただ同性に惹かれるということで。
洋の東西を問わず、この時期の少年の性的志向の作品は多々あり。
別に目新しくはないのですが。
それをLGBTやいじめの問題とからめたところが、心憎い。
性的志向や性自認はまださき
異性に関心が向くのは、この先だと思うのですが。
だから、主人公の少年が、別に同性愛と決めつけることもなく。
このあと、性的志向が、異性にむくことだって十分考えられることだと。
ただ、この年齢でも自分の性に違和感をおぼえるとなるとそれは別の問題かな。
性同一性障害は、判定も難しいし。
だから、主人公とその友達が惹かれ合うのもごくあることだと。
それを同性愛とさわぎたてるには、年齢的に早すぎると。
ただ、学校という現場では。
また子どもたち同士では、どうなっているんでしょうね。
情報過多な時代ですから。
純文学的にこの時期の少年を描いた
爽やかなラスト。
みずみずしい少年の演技や心の動き。
秀逸な作品だと思います。
映画『スタンド・バイ・ミー』や『少年時代』に匹敵するかな。
ただ、多少カーブをかけた題名やキャッチコピーは、しょうがないかな。
直球勝負でもいいような気がするけど。
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