怪物のレビュー・感想・評価
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潜在怪物。
さて、どういう視点で受け取ろうか。
はて、どういう角度で語ろうか。
家庭、学校、社会、人間関係、ジェンダー、仮想社会、世の中の問題が全てこの2時間の作品に詰まっているといっても言い過ぎにはならないほど、盛りだくさん。
おそらく多くの人は、この作品を見ながら、「誰が怪物なのか」と思いながら、、「怪物」を探していたのではないだろうか。
担任の先生?校長先生?学校の先生?
2人の子ども?クラスの男子たち?クラスの女子たち?
麦野くんの母親?星川くんの父親?
自分の中に潜んでいる怪物
他人の中に潜んでいる怪物
誰の中にも怪物はいて、それを呼び起こすのは、身近な人だったり、社会だったり、関わる人や環境。
仮に「潜在怪物」と呼ぶが、この潜在怪物は、個々人の中にもいるし、社会全体が潜在怪物といっても良い。
様々な視点で描かれるわけだが、この映画を見ながら、初めは担任や校長に対して、「クソだな、バチ当たれ、やめてしまえ」などと思ったりしたわけだが、そんなふうに思える心をもっている自分こそ「怪物」なのかもしれない。
見ている観客の中の「潜在怪物」さえも呼び起こされる作りに感服した。
本当に「大人」という無自覚な怪物というか、「良かれと思っている時点で、正義感丸出しの偽善怪物というか、そんな怪物にいつからか自分もなってしまったなと感じた。
自分のやっていること、思っていること、考えていることは、自分の立場だからこそ、見えてくることで、照らす位置を変えると、他人からは不可解で理不尽な怪物しかなくなる場合もある。
自分は他人の「潜在怪物」を呼び覚ましてしまう怪物である自覚も必要だし、
関わる他人は自分を壊し得る怪物であるということも忘れてはいけない。
「誰が怪物なのか」がレベル1の見方(個人)だとしたら、
レベル2は「すべての登場人物が怪物で、誰によって怪物にされたのか」(人間関係)になるのかな。
となると、レベル3の見方は、「社会全体が怪物そのもので、どんな社会の影響によって登場人物は怪物になってしまったのか」(社会)
レベル4は、「自分の中にも怪物はいて、どんな人や環境によって潜在怪物を呼び起こされる可能性があるのか」であるとか、「自分のどんな面が他人を怪物にしてしまうのか」(自己反芻)であるとか。
というか、観客によってももつ感想は変わる。これほど、今置かれている状況次第で、見え方が変わる映画もないだろうから。
見る人によって印象は変わる
作品の中の主題でもあるし、この作品そのものを観て観客が感じること。両方の意味に取れるなぁと思いました。
主役の男の子、母親、担任教師、校長。それだけ誰もが色々な仮面をつけて生活している。それが過剰なまでに描写されているのが、瑛太演じる担任の保利先生だったかなぁという印象でした。「自分」だと思って何気なく振る舞っているところが、他人のフィルターを通して「怪物」に見えることがある。
今回は学校を主な舞台にしてますが、自分の職場なだけに振る舞いには気を付けんとなー、と肝に銘じました笑
多くの方が指摘している通り、考える余地を残している描き方ですね。
冒頭から何度も(視点を切り替える意味で)出てくる、ガールズバーのあるビルの火災。火をつけたのは星川くんなんでしょうけど、なぜなのか?お父さんが常連客だったのでそれが気に食わなかったことは言及されてましたけど、明確には描いてないですよね?
それから、ラスト。麦野くんと星川くんは死んだのではないのか、そうではないのか。レビューを拝見したところ、どちらも頷ける理由だったのでこれまた観客の解釈に委ねるってことなんでしょうね。
観たいと思いつつ仕事が忙しくてなかなか機会に恵まれず諦めてましたが、ようやく観られてよかったです!
もう一度観たら、また感じることは違うんでしょうね〜。
ずっと心がザワザワするような映画だった。 わたしたちは自分の正義で...
ずっと心がザワザワするような映画だった。
わたしたちは自分の正義で物事をみていて、その正義に反してしまうとある対象を自分の中の"怪物"としてつくりだしてしまう。
自分の見たもの全てが本物なんて言えないし、自分の何気ない言動、行動が誰かの中に怪物を生み出してしまう要素になってしまう可能性もある。
これまでの偏見、固定概念とかすべて解放して、多角的に物事を見えるようになりたいな
飴舐めるのはやりすぎだなぁ、、、
母親と担任が最初に対面するときに、飴舐めるシーンあるけど、あそこがミスディレクションなのはわかるけど、後半のネタバレパートでの担任の人間性と合致してないよね。本当はちゃんとしてる先生なんだろうから、あの飴はやりすぎだと思った。彼女とのシーンで「飴」回収してるけどさ。
「怪物」ってタイトルもちょっとピンとこないというか。確かにモンペっぽい親も嘘つく子どもも、対応が保身的な教員も「ある視点」から見たら「怪物」風ではあるけどね。もっと「子どもの世界観」に焦点を当ててもよかったな。
ちょっと謎めいた言動が多くてすべての伏線を回収できていない感じがしてやや消化不良かな。
面白い着眼点ではあるし、作品全体も飽きずに観ることできたけどね。うーん、でもやっぱ、
消化不良感
があるんだよなあ。
ラストは2人は天国へ行ったのかな?先生と母親が雨の中叫ぶシーンと晴れた空の下を走る少年たちはつながらない感じがしたしさ。
「豚の脳」っていうのもインパクトある割には回収はされてないよね。
うーん、惜しい感じだなあ。
坂本龍一の音楽は、音符が少ないけど、印象的でいいよね。
マイノリティのエンタメ消費という意見について
作品自体は素晴らしかった。
不明点や不明瞭点を解消するために考察や感想などを探したところ、表題のような意見が散見され違和感を覚えた。
ある批評サイトでは「人間の思い込みや認識の誤謬が本作のメインテーマであるならば、登場人物がマイノリティである必要はない。」という評価がされていたが、その価値観こそ、怪物である。
マジョリティ、マイノリティ関係なく存在することが自然であるという前提があれば、上記のような批評は発生しないはずだ。
うるせえな。
裏を取らずに時事を消費する大衆、矯正されるべきは誰か?
複数の視点から描かれているので、まとめ方はいろいろ。
大人目線なら、モンスターペアレントが若い教師を潰す話。
麦野湊目線なら、性指向への戸惑いと開放。
少年2人目線なら、小さな恋のメロディ。
👨🏫
1. 大人目線
母(安藤サクラ)の息子を護る熱意に嘘はないが、明らかに担任が悪いと決め付きすぎ。謝ってやり過したがる学校側の事なかれ主義が、事態を悪化させる。似たような傾向は、ワイドショーやネット民にもある。いじめや教員の不祥事が報道されると、悪者認定された者を人肉検索し、社会的に制裁するのが日本の流儀。制裁する側が、皆現場で取材し裏を取っているならまだしも、ネット民は報道と流言を区別できない生半可な状態で、手前勝手な正義感をぶつける。これまで制裁を受けた者の中にも、 永山瑛太演じる教員(保利道敏)のような冤罪が紛れているかもしれない。
🏫
2. 「麦野湊」目線
自分は不幸にも、放映時間を確かめようとして、性的少数者を扱った映画という記事に遭遇してしまった。無論内容は読まず、表題を見ただけだが、「普通にに結婚して幸せになってほしい」という母の言葉に、息子(湊)が車から飛び降りる意味が序盤で分かってしまった。なので、自分にとって最大のハイライトは、車から飛び降りる序盤のシーンだった。
自分は異性愛者なので、湊の気持ちを完全には理解できないが、自分は異常なのか?何故生まれてきたのか?と思い悩む姿に胸が、苦しくなった。依里とじゃれ合って生じた勃起に慄いて逃げ去る姿も哀しい。しかも、母が伝える愛の言葉こそが、彼を追い詰めていくなんて、皮肉すぎて可哀想。
🎒
3.「湊+依里」目線
いじめっ子に囃し立てられ、乱暴に振る舞ってしまう場面もあるが、本当に2人だけでいるシーンは微笑ましい。少年少女の素材を活かしきる、是枝監督の手腕が遺憾なく発揮されている。これくらいの年頃なら、男女でも性的な関係には至らない淡いもの。なので、男の子同士が仲良くしていても、性的志向の云々を心配せずに、暖かく見守っていて欲しい。異性愛者の自分も、少年時代は同性間の方が気が置けず、けっこうベタベタもしながら遊んでいた気がする。
異性愛者に矯正しようとする依里の父もどうかしているが、全く気付かずに湊を追い詰めてしまう母にも足らない処があるのだろう。
🌀
4. 矯正されるべきは誰か?
初見では、仲睦まじいラストを微笑ましく感じていましたが、小説版の「未知の世界に行った」との記述等から、ラストは死後の世界だったようです。ある意味、ギレルモ・デル・トロ監督のパンズ・ラビリンスのような終わり方。少女オフェリアは異世界(夢?)では幸福に満ちるが、現実世界では死んでしまう。本作でも、ラストは2人は幸福に満ちていましたが、現実ではバスに流れ込んだ土砂に埋まっていたようです。性的指向を矯正する親やいじめっ子、あるいは性的指向に気付かず「普通」を押し付ける親や教師がいる現実はディストピアでしかなく、それらの障害がない世界でしか2人は幸せになれないという事。これはBad endなのか? それとも、幸福に満ちたまま逝ったのなら Happy endなのか? 重要なのは、矯正すべきは2人ではなく、彼らを幸せにできない社会の方だろうというメッセージな気がします。
難しい。この時代だから評価されている作品
性的嗜好に配慮した作品。それが故に必要以上に高評価されている印象。少年たちの冒険感はでている。見終わった後も結局この映画はなんだったのかうまく説明できず複雑な感情を抱く。
ホリ先生は一見すると可哀そうだが、いじめに気づけなかった(性格的に気づいたら放置はしなさそう)点で責任がある。湊はそこも分かった上でホリ先生を学校から追い出そうとしたのでは。純粋な悪は星川くんの父親とクラスメイトのいじめっ子。この2人がいなければこのような展開にはならなかった。角田はいらない。ゲイだから星川君の父親はあんなに強く息子に当たっていたのか。息子に幸せな家族観を押し付ける麦野母親にも罪がある。
良い点
演技がうまい
展開が読めない
音楽が良い
悪い点
よく分からない
詰め込みすぎ?
保利先生がひたすら可哀想なだけの映画?
邦画全体の中では間違いなく良作で、ラストシーンは感動的なものがあります。
母親と子供、その担任教師と、それぞれの視点でモノの見え方がまるで変わるというのを、分かりやすく描いています。
それ自体は風刺的で、シングルマザーやモンペ、学校の組織体質、LGBTなど現代における問題を絡ませています。
しかし、鑑賞後に冷静に考えると、冒頭の通り保利先生がひたすら可哀想なだけです。
母親はやはり子供との接し方を間違えているし、
子供も悪気はなくとも嘘で1人の人間を社会的に殺しています。
同じような感想を持たれた方も多いのではないかと思います。
なんか最後感動したけど、冷静に考えると、、、そんな映画でした。
まさかの展開
予告を見た限りでは終わりがまったく見えなかった作品。
冒頭ですぐ、あ、諏訪市!と少しテンションがあがってしまった。
内容はほんとに予想してたものと違ってびっくり。
最後まで、予告から見て想像してたものとは違う。
ここまで違うとは思わなかった。
坂本龍一の音楽、諏訪市の自然の豊かさ。
是枝監督の作品は、今の時代を考えさせられる。
子役の2人もすごくて、久しぶりに集中できた映画だった。
子役のふたりに圧倒された
光、緑、湖の景色、とても美しい映像が続く。
それだけに夜を描くときの、暗闇の恐ろしさとの
対比が際立つ。闇のど真ん中に湖が鎮座する、
ぽっかりと開く穴の恐怖、底知れなさ。
同じ事件を3つの視点から描き出す構成で、
最初から内臓を直接掴まれているような
居心地の悪さ、嫌な金属音を断続的に
聞かされているような緊張感に包まれる。
一度信じたものを呆気なく覆され、
さっきまで良いとしていたものすら疑ってしまう
視野の狭さ、想像力の甘さに気付かされると共に
感情の拠り所とする対象も次々に変わっていき、
結局真実なんてどんな時もひとつじゃなくて、
事実と思い込みの寄せ集めに過ぎないと感じた。
「怪物」と題してあるが、怪物は誰だっただろう。
みんな誰しも怪物になる可能性がある。
本当のことを打ち明けられない、
理想を押し付ける、圧力に屈する、
譲れないものを守るために誰かを犠牲にする、
自分とは違う異質な存在を排除する、
普通に戻りたい、普通でありたいと願う
そのどれもが弱い自分を守るためには
避けられないことで、自分の思う正しい人生を
全員が無傷で生きていくことなんて、
結局はできないんだとため息が出た…
そのことを難しくなく、とてもやさしく、
そして同時に冷ややかに伝える映画だった。
詳細には語られなかった、
映画の最初から最後までを通して
決して良い一面が見えなかった人たちも、
きっとその目線を通して見れば、自分の
守りたいものを守るために必死なんだと思う。
ただ、大人はお金の力なりこれまでの経験なりで
逃げ道を自分で見つけ出すことができるけど
子供はどうしても難しい。身体の幼さに反して
内面はかなり成熟しているのに、子供であるために
自分を守る術がなくて、やり切れない。
結婚、家族の価値観、
当たり前に幸せな未来と提示されるテンプレート、
それに沿って暮らしていくことで約束されると
信じられている安定、そのはずの安定を
父の浮気によって失って尚、
子供に同じものを求めてしまう母。
だけどそれが愛情に依るものだと
分かっているからこそ湊は雁字搦めで苦しくて、
嘘を吐かなくちゃならなかったんだろう。
保利は保利で、「男らしくない」との口癖が
依里を追い詰めこそすれ、個人的には
この劇中の大人の中で
いちばんまともだったのではと思う。
一章と二章で、さすがに別人のように
描かれ過ぎなような気もしたが、恋人との会話や
丁寧に拾われる小さな伏線のおかげで
そこまで違和感も覚えない。
保利自身も決して問題のない人間ではなく、
なにかしらの、自覚のない生きづらさを
抱えているからこうなってしまうんだろうと
感じさせる説得力があった。
瑛太も安藤サクラも田中裕子も圧巻の演技力で、
テンポも良く、一瞬も退屈しなかった。
そしてなにより坂本龍一のピアノが沁みた。
ただこの映画を通して最も印象に残ったものは、
テーマ云々というよりも子役のふたりの鮮烈さで、
こんなに美しいものが世の中にはある、
それだけで見て良かったとはっきり思った。
誰にも介入できない、させない、
ふたりだけの完璧な世界に、
感動というわけでもないのに涙が出てしまった…
最後のシーンが、
なんとなく銀河鉄道の夜と重なった。
豪雨の中、新しい自分に
成り変わるために発車する車体。
ふたりの理想を詰め込んだ、救われるための場所。
ビッグクランチを
待ち望んでいたはずのふたりが最後、
「生まれ変わりなんてないよ」
「良かった」と会話して、
別の何物にもならずにふたりの姿のまま
光の方へ駆けていく姿は、本当に美しかった。
最後、行き止まりだったはずの
青い柵が消えていて、その向こう側に
行ってしまうということは
つまりそういうことなんだろう、と解釈したけれど
それで合っているんだろうか。そうだとして、
これは幸せな終わり方だったんだと信じたい。
間違っているなら、もちろんその方が良い。
金魚の行方(それ次第では保利の見方が変わるかも)
やクラスメイトの少女の意図など、
微妙に分からないところもあったので
ノベライズも読んでみたいと思う。
見ようか迷っていたけど、本当に見て良かった。
映画館を出て、雲ひとつない夏の空が
広がっていることに少し救われた。
死の重さ、悲しみの深さは誰にも測ることが出来ない
今更ですが、坂本龍一さんの音楽目当てで、映画館行って来ました。
ラストシーン、私は直感的にあの2人は死んじゃったのかな…と、思ってしまいました。正直、生きていても地獄かと。放火と、あれほどに大きくなってしまった事件を思うと、、、
でも、それでは悲し過ぎるので、助かる。あれはその時に見ていた夢、と脳内補正し直しました。
私はつい、母親目線で見てしまうのですが、始めの頃のシーンで、「え?髪切ってて、何で子どもに聞かない?」「え、水筒に砂、何で聞かない?」そのうちに、車がドーン、、、
ぜーんぶ繋がっていくんだから、もっとちゃんと話そうよ、子どもと。と、つい思っていましたが、湊君がお父さんの不倫?事故死の事を話したところで、「お母さん、ずっと心に蓋して生きて来たのかな、、、」と。その悲しみの深さと、それをなかった事のように振る舞う姿に、苦しさを感じました。
校長先生も、ヒー!人造人間なのかこの人は…と思いましたが、港くんとの楽器の場面や、床を懸命に掃除する姿などで、あー、この人は大丈夫の人なんだ、だからこそお孫さんの事故が、精神に混乱をきたすほどの大ダメージなんだろうなぁと。
人の死や不条理な別れは、ものすごく凄く重みがあり、時間が経ってもミシミシと周りの人々を巻き込みつつ、心へ影響を拡げて行くんだなぁと、想像しました。そして単に悲しみ、とだけでは言い切れない複雑な、人々を飲み込んでいく怪物にもなるのだなぁと思いました。
見えたもの見たいもの
心の「怪物」とは?
自分が見えたもの。その全てが真実なのか?
観るものに問いかける。
モンスターペアレント、暴力を振るう教師、体裁のみ取り繕う教師、火に油を注ぐメディア、人と違うことへの偏見、それぞれにはそれぞれの側面がある。そしてその見え方は人それぞれの視点によって違うことを痛感させられる。
人は不条理を感じ、怒り、誰もが(自身の)思いを語ろうとするが、そこには真実という言葉はなく、ただただ人の澱んだものを吸い込む何かが存在する。
その澱んだ大人たち(社会)の中で彼のためになるのなら、前に進むことを誰が咎められようか?その結果がどうなろうとも。そのことに気づかされた時、何を願い想うんだろうか。
物事に対してその想いを観た人たちにも持つことを願わずにいられない。
怪物だ〜れだ
是枝監督一流の子役演技指導術や家族の描き方と坂元さん特有の一筋縄ではいかない恋愛観がとても最高な化学反応を起こしている映画だった。
映画の形式としては火事から子供達の失踪までを3視点から描く羅生門形式である。
そして、最後の答え合わせとなる子供達視点はかなり衝撃、というか予想外の所からきていて不意をつかれた。
怪物とは誰のことだろうか。
母親も先生も決して悪い人ではない。しかし、無意識に自分の価値観や思い込みを持って子供達に接する。
自分の息子が異性が好きだと信じて疑わない。
もし母が子供からカミングアウトされたらどうしていただろうか?星野君のお父さんみたいに豚の脳と言って罵っただろうか?そんなことはないと思う。子供達も誰かに話せば認めてくれたかもしれないのに話さなかった。
どうすればよかったのだろうか。
最後の解放をハッピーエンドと捉えるのかバッドエンドと捉えるのかいまだに整理がつかない。
すきだけど、少し残念なところもある
この映画に対しての違和感は演出の過剰さのみです。少しだけソレは残念。全体的な評価でいけば、とてつもなく高いと思います。
ただ、序盤でのシーンでの先生の飴のシーンで緊張をほぐすために舐めていたのだとしても、社会人としてどうなの??と思ってしまう。
色々と気になるところは多いが、少し現実離れしてるように感じるシーンも多々あり気持ちが映画から離れてしまう感も否めません。
子役たちの演技はとても素晴らしいです。特に柊くんに関しては役を自分のものにしていて、物語にとてもマッチしている子役さんでした!!
あの子だからこそあの役を演じきれたのだな…と。
湊くん役の子もとてつもない存在感で未来の柳楽優弥の呼び声も理解できます。
またDVD発売したら、2回目も観たいなと思いました!
うーむ…
まず瑛太のキャラクターが安藤サクラパートと瑛太パートで違いがありすぎると思った。『いや、瑛太全然キャラ違うじゃん…それはダメでは?』と観ていて思ってしまった。途中のライターを点けるシーンや、2人で電車の窓を拭うシーンは良かった。
ただ、最後の子供達のパートがただの答え合わせになっているのが嫌だった。最も大切で観ている側が感じるパートだと思うけど『あぁ、あの時はああだったのね。この時はこうだったんだ』みたいな断片的な部品を埋めていくのに頭がいっぱいになって映画を楽しめなかった。
私は苦手…
先週は2つの上映作品を観た。そのうちに1つが監督・是枝裕和 × 脚本・坂元裕二 の「怪物」。私はこの手の映画はもともと苦手・・・。とくに是枝作品は苦手である。世間的には評判がいいのは知っているが、私の評価は星3.0。
坂元裕二さんの脚本もよかったし、ラストで流れる坂本龍一さんの遺作曲も素晴らしかったけど、私にとっての映画の時間は、エンターテインメントに限る。
とりわけ、制作者が鑑賞者に答えを委ねたり、あるいは作者の意図を理解してみろといわんばかりの、ややこしい映画志向は好きにはなれないのである。今回も行こうか行くまいか迷ったけれど、安藤サクラさんが観たくて行ったが、やはりお金出してまで観なきゃよかったと後悔をした。
いくつかのYouTube解説をみて、もやもやしていた大方のなぞ(フランケンシュタインと銀河鉄道の夜や)は解けたけれど、主役麦野湊の母(安藤サクラ)も担任教師である保利先生(永山瑛太)も全く救われていない、後味の悪さだけが私には残ったのだった。なので、世間になにを言われようとも、私の評価は低い。LGBTもめんどくさいわ・・・。やはり映画はスキッとしたエンターテインメントに限るなあ。
それぞれに大切なこと、守りたいものがあって、そうすると見えなくなる...
それぞれに大切なこと、守りたいものがあって、そうすると見えなくなるものがあって、、
自分は分かってる、見えてる、なんて驕りでしかないんだなあ、、と自戒。
悪意だけでできている人はいないという希望と、自分ではどうにもできない不可抗力感と、、
とりあえず息子をもつ母として、ザワッザワしながら見ました!
この映画の弱点と感銘
(完全ネタバレですので鑑賞後にお読み下さい)
※本来の長いレビューを書く時間が最近ないので、短く
結論から言うとこの映画『怪物』は非常に感銘を受ける映画だと思われました。
しかし一方で、特に前半に欠点もはらんだ映画だとも思われました。
この映画は前半、映画『羅生門』のように、シングルマザーの麦野早織(安藤サクラさん)、小学教師の保利道敏(永山瑛太さん)、小学校校長の伏見真木子(田中裕子さん)のそれぞれの視点からほぼ明確に分かれて描かれます。
つまりシングルマザーの麦野早織の視点から描かれていた時は、小学教師の保利道敏や小学校校長の伏見真木子はどう見ても悪人に見えるのですが、小学教師の保利道敏や小学校校長の伏見真木子の視点から描かれると全く違う印象が生まれるという描き方です。
しかしこの描き方は、視点が変われば違う見方になるとの相対的な面白さはありながら、ドラマ性としての面白さは落ちてしまうとの欠点があります。
なぜなら、それぞれの視点で違う見方があるとの描き方をするには、それぞれの登場人物の直接対立を巧妙に避ける必要が出てくるからです。
事実、校長室でのシングルマザーの麦野早織と、小学教師の保利道敏や小学校校長の伏見真木子との直接の対決は、小学校側が謝るばかりで巧妙に避けられています。
実は私達は、人が集まればそこで(それだけではないのですが)対立が大なり小なり発生し、価値の優劣、つまり上下関係が派生します。
そしてこの対立こそがドラマ性だと思われるのです。
この映画『怪物』は、前半で巧妙に直接対決が避けられ、それぞれの(今回重要な)事実性の価値優劣上下関係が発生しないように作られています。
これがこの映画の特に前半のドラマ性の低下につながったと個人的には感じられました。
個人的には、前半は普通にきちんとシングルマザーの麦野早織と小学教師の保利道敏や小学校校長の伏見真木子と直接対立させる脚本構成の方が良かったとは思われました。
そうすれば後半の麦野湊(黒川想矢さん)と星川依里(柊木陽太さん)の2人の美しい世界がさらに際立つ傑作になったのではと思われました。
前半の事実性の優劣上下関係を避ける脚本は、個人的には作品全体としては惜しい描き方になってしまったとは思われました。
ラストは
そーゆー事?先生と安藤サクラ、土砂崩れに飲まれた?
怪物誰だったんだろ。
怪物は真の中村獅童としか思えない 。
途中だれてつかれた。
瑛太のクズ役って右に出る者がいないのに、観てたらそんな悪い役じゃなかった
いじめっ子のガキがイライラした。特にのび太タイプの、見た目のいじめっ子って鬼畜そう
傑作
公開日に観に行ってから今日までに5回観に行きました😅
最初は少し難しいと思い、考察を見るとなるほどそういうことかと理解することが出来ました。
そこから、友人とこの作品を共有したいと思い様々な人と足を運びました。
シナリオブックとノベライズを読んだ後の4回目が1番沁みました。
観終わった後にここまで語り合える映画は今までなかったです。
自分の中の邦画ベスト1になりました。
脚本、音楽、演技、全てが最高峰。
最初、保利先生はすごい先生だ、、、、と。
しかし2幕、3幕と進んでいくとどんどん視点が変わっていきラストシーンはとても切ない、けど愛おしい演出でとても好きです。
湊と依里のシーンはずっと観ていたいほど素晴らしい演技、雰囲気。
小5の難しい年頃の感情をうまく表現していてこの2人には拍手です。。すごすぎる。。
また、田中裕子さんのセリフも色々考えさせられました。
公開からだいぶ日も経って、本数も減っていますがまた行きたいと思います。
「怪物」 最高です。
全285件中、41~60件目を表示