怪物のレビュー・感想・評価
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怪物はだ〜れだ⁉️
予告編でながれるこの言葉が、この映画のキーになる。
母親、教師、子供のそれぞれの視点から、起こった出来事について語られる。このストーリーが見事に、3人のそれぞれの立場と行動を正当化するのだ。この情報からはこうなるよねというふうに、納得してしまう。特に最初の母親には思わず感情移入してしまった。
ところが教師の視点なると全然ちがうものが見えてくる。これはすごい。展開が読めなくなる。
そして最後に子供の視点。2人の予想外の秘密があきらかになり、物語はクライマックスとなる。
答えはもちろんない。
でも、怪物はそれぞれが自分の立場で作り出す幻想なのではないかと思えた。怪物なんているのだろうか、それぞれが自分の視点で作り出しているのではないかと思えてしまう。この映画で唯一、真の怪物なのは、いじめられている少年の父親だけだった。
もう少し早く教師が真実に気がついたら展開は変わったのだろうか。子供達の無邪気な笑顔と内に秘めた心の叫びに思わず涙してしまう。
キーとなる母親の安藤サクラ、教師の瑛太、校長の田中裕子、そして2人の子役の演技は素晴らしかった。
まんまと罠に引っかかる
怪物は一体誰なのか・・・次々と現れる怪物候補。
真の怪物は?ああ、この少年っぽいな・・・などと推理したら最後、突きつけられるのは
「はい、あなたも同罪でーす」
という罠。
ラスト。
先入観、偏見、常識、自意識・・・あらゆる概念から抜け出して純化し、歓喜する2つの魂。
「はい、正解はこれでーす」
私が間違っていました。悔い改めます。
という映画でした。
カンヌ国際映画祭 おめでとうございます。
イジメから始まりフィードバックしつつ理由を知らしめながら進むストーリーの作品。想像道理なところと道理ではなかった
ところがあり、鑑賞する人の想像を掻き立てるところが、脚本の方、凄い苦労があったと思います。(センスが最高です。)
繰り返しますが、鑑賞してる方の想像を覆すシーンが何度もあると言う事はすごいなー。普通、1回か2回あったら、お〜〜〜っと思うのに。
家庭、学校の友達とその生徒、同性愛、
この中での他者への、あるいは本人の自分ではどうしょうもない感情での葛藤と打算。
映画羅生門をおもいだしました。
……………………
評論ですが、佐藤さくらさんの演技で星
2。地でやっているのかどうか解らないほどの名演技。そして脚本で2。です。
原作は拝読しませんがストーリーが1で5点です。キツイかな?もって行き方が………。
最後に、2人が走ったシーンがありますが、本当の意味で生存か死か考えさられます。
凄いものを観てしまった
激しく感動した。
今年の邦画のベストワンだろう。
「怪物だ〜れだ」という予告編の言葉が見る目を誤らせた。途中まで真の怪物が誰なのかを探っていたのだが。
安藤サクラさん演じる少年の母親から見た第一章。子供の異変に気づき学校に行くも、教師たちは心無い謝罪を繰り返すのみ。会話が通じない教師たちはもはや人間ではなかった。教師たちにとって母親はモンスターだった。
永山瑛太さん演じる担任教師から見た第二章。彼はいい教師だった。守ろうとした子供たちに裏切られ、学校を守ると言う教師たちに潰された。
黒川想矢くんと柊木陽太くん演じる二人の少年から見た第三章。これは『怒涛』と言って差し支えないと思う。登場人物全てが怪物と化していった。誰一人例外を許さなかった。もちろん観る自分も。
凄いパワーだった。
悲観的な展開ながら観終わったあとに残ったポジティブな感触は何だろう。
そう、このクソみたいな世界が少しでも善き世界になれとマジで思った。
そういうことね。。。
もともと、キャストが好みなこともあって観に行くつもりの作品でしたが、カンヌで脚本賞撮ったことでさらに気合を入れて観に行きました。
間違いなくよい映画です。「怪物だーれだ」もよく利いていて、うまい作りです。
ただ、「カンヌで脚本賞」なのですが、要するに「藪の中」的な作りに対する評価なのか、と気づいた段階でだいぶ脚本&ストーリーに対しての興味が薄れてしまって、やや物語にハマリきれずに終わってしまいました。
とはいえ、俳優さんの演技は素晴らしい。子役2人もスゴいですね。
かれらのパートのキラキラだけでも、オジさんにはまぶしかったです。そのキラキラと社会の「フツウ」のギャップが耐えられなかったのかな。
ミステリー×超絶青春映画。真の怪物とはなんだったのか?
「かいぶつだーれだ」と、真の悪人を探していく『告白』みたいなミステリー映画かなと思ったら、思いのほか青春映画だった!
観終わったあとは、2人の世界の余韻に浸るとともに、怪物の実態について1人で悶々と考えてしまった。
全てについての答えをださずに、観客に考えを促させてくれる余白のある、素晴らしい映画だった。
1章では安藤さくら演じる母の視点で物語が描かれる。
息子の中に怪物が潜んでいるのか?
やはり担任の先生が怪物なのか?
星川君も、良い子過ぎるのがどこか不気味で怪しい…
校長先生も酷い人で、怪物のようだ…
と、取り囲む全ての人が怪物のように見える。
必死にもがく安藤さくらに全力で感情移入させられるし、一緒になって「息子は実はいじめをしていたのではないか?」なんて考え込んでしまう。
担任も校長も学校も本当にクソ。息子の行動が突拍子なさすぎて「なんなんだコイツは!!」と思う。
難解な点が多過ぎて、めちゃくちゃ引き込まれる第1章。
2章は担任の先生の視点。
1章の母の視点とは大きく異なる印象で、同じ出来事が描かれる。
1章では難解だった先生の行動の真意が、種明かしをするかのように明かされていく。
私と職種が似てるので、これまた全力で感情移入した。
子どもに親に同僚にって、色んなことを言われて板挟みになって…やってらんねぇよなこの仕事!
職や恋人や社会的な居場所を失ってもなお、「子どもを助けたい」「謝罪をしたい」と必死になって探す先生の姿は美しかった。
子どもたちの世界は、見えそうで本当のところは見えなくて、何を考えているのかわからない行動ばかり…!ここも共感ポイントだった。
3章は、息子のみなと視点。
大人たちの視点からは全く見えていなかった、子どもたちの社会や、少年2人の関係、など真実が見えてくる。
少年2人の秘密基地が、秘密の関係が、あまりに美し過ぎてもう直視できないくらいだった…。刹那的でキラキラしてて、心がギュッとなる。
1章2章では全く想像だにしなかったセクシュアリティの問題に少年たちは直面していたんだということを知って驚いた…。
(セクシュアリティの問題といってしまうと、そのテーマがメインで扱われているみたいなイメージになってしまいそうなので、少年の抱える心のモヤモヤの1つがたまたまセクシュアリティに関連するものだったという方が近いのかもしれない。)
大人はついつい子どものことをなんでも把握している気になってしまうし、なんでも打ち明けてくれるだろう(そんなに深い感情や考えはないだろう)と思ってしまう。
でも子どもにだって、そう簡単に人には言えない、例えばセクシュアリティの問題であったり、例えば家庭内での虐待であったり、例えば教室の中の社会の問題と日々戦っていることもある。
この映画の意図や大きなテーマとしては、「誰かの視点から見たら誰だって怪物である」みたいなことが言いたいのかなと思いつつも…
個人的には、「教室全体を取り巻いていた空気感」が1番害悪な怪物の実態だったのではないかなと思った。
いじめをする生徒たち、そしてそれを黙認する生徒たち、次は自分がターゲットにされるかもしれない…そんな緊張感のある教室そのものが、怪物だったように思う。
そしてそんな怪物は、この映画の中にだけじゃなくて、結構な割合の教室や子どもの社会の中にいるのではないかな。
いじめやそれを黙認する空気感、擁護したら次は自分がターゲットにされる…、少なくとも私の過ごした子ども時代の教室は、8割がたそんな実態があった。今も昔も、いじめの割合ってどうしても減らないと思う。
どんな子どもでも、大人にはわからない怪物たちと日々戦っているのではないかな。
謎の多いミステリーな展開で一気に引き込まれる前半。
少年同士の友情と刹那的な美しさ、少年の心のモヤモヤや繊細で感情などなどに目を奪われる後半。
前半があったからこそ、後半の青春映画の要素が陳腐にならず、輝いたのだと思う。
トンネルを抜け、「生まれ変わるための電車」に乗って、地下を抜けて草原を駆け抜けてホワイトアウトしていく終わり方、2人は亡くなって「生まれ変わった」のかなと思いつつも、それを信じたくない自分もいる…。
色んな部分で、答えを見せ切らずに観客に考える余地を与えてくれる、長い余韻に浸れるいい映画だったなと改めておもう。
放火魔の犯人は?校長先生の真実は?と、一度観ただけでは私の頭では理解しきれないところがあったので、他の人の考察も読んでみたい。
わーーーーっと色々思うところがあって、まとめきれない感じもあるのですが、それほどこの映画は良い作品だったということです!!!ここまで読んでくれた方もしいらっしゃったら、駄文で本当に申し訳ない!!!解釈違い存分にあると思うので、ノベライズ版も読みます!ありがとございました😭
真実は人の数だけ存在する
母親、教師、子供の視点から見た違う情景の同じ物語が描かれます。現代の"羅生門"、もしくはシリアスな"カメ止め"といったところでしょうか。この手のお話しは如何に綺麗に破綻の無い仕上がりとなるかが肝ですが、三者三様の真実が矛盾無く描かれ、中々見事な出来でした。
演技に関しては田中裕子さんの怪演が作品全体に流れる不穏さの良いアクセントになってたように思います。
ラストの子供達のシーンを観て、彼等にとっては「ちょっと刺激的な思い出」程度の事かもしれないなとも感じ、つくづく他者の主観は他人には計り知れないものだなと思いました。
※ラストシーンは二人が死んでしまった情景というのが正解かもしれませんが、私は生き残った楽観的な解釈としました
思えば冒頭で気が付くべきであった
観終わってしばらくしてから、校長先生とホルンやトロンボーンを吹くシーンで何となく感じた違和感、唐突さの正体に気付いた。そうかあれは「トゥーバ・ミルム」不思議なラッパなのか。ということは冒頭はやはり「ディエス・イレ」怒りの日、なのだな。坂本龍一は二人の少年への鎮魂歌にことよせて自らのレクイエムを書いたのかもしれない。ううむ。気が付いてしまったので確認のためにもう一度観ることにしよう。
答え探し
カンヌを沸かせた作品という前情報と予告のなんだかエグそうな感じに導かれ鑑賞。あまり国外の賞とかはよく分からないのですが、是枝監督はよく受賞するなーくらいの感覚です。前作「ベイビー・ブローカー」がハマらなかったのは一つ懸念点ですが…。
役者陣の濃密すぎる演技、三者三様の視点から描かれる親、教師、子供の物語、LGBTに対する一つのアンサー、賞を受賞する要素はたっぷりありましたが、その上で完成度の高い作品に仕上がっていました。
親パートではシングルマザーの早織が、息子の湊が教師にイジメられているという報告を受けて学校へ乗り込む様子が多く映されます。親パートだけ見ていると、教師側は完全に悪ですし、子供たちもなんだかおかしいものとしての描かれ方ですし、このパート単独なら早織が周りの怪物たちと対峙する流れなのかなと思っていました。このパートで張り巡らされた伏線を一気に回収していくとは…。
堀先生、親パートでは完全にダメ教師の様相だったんですが、先生パートに突入した途端生真面目な教師へと様変わりして、棒読みチックだったのも演技をしていたという事が明かされます。でも謝罪中に飴を舐めたり小言を発したりというところが先生パートではがっつりカットされていたので、キャラ変しすぎじゃないかというところは大きな疑問でした。
子供に暴力を振るったわけではなく、不意の事故がそうなってしまったがために、しかも子供たちの噂話が広がり大事になってしまったという、堀先生からしてみればかなり頭の抱える事案になって、壊れる寸前まで行ってしまったのは間違い無いと思います。
そして子供パート。依里と湊の友情、そこには収まらないそれ以上の感情がこのパートには凝縮されていました。イジメられていた依里と仲良くなる湊、いじめっ子たちが粘着質なので長期的に依里をあの手この手でイジメますが、へこたれる事なく前を向く依里に湊は段々と、でも確かに惹かれていったんだと思います。
時々、自分もイジメられてしまうのでは、ラブラブと言われるのは嫌だ、という葛藤の中で依里を突き放してしまうシーンが多く見られますが、自分自身そうしたい訳ではないというのもひしひしと伝わってきます。真っ直ぐな笑顔を見せる彼らの姿は本当に年相応で、それでいて美しいなと思いました。
おそらくですが、依里と湊は土石流に巻き込まれ亡くなってしまい、ラストで2人が自然に満ちた晴れやかな世界で駆け回っているのは、同性愛者は死後の世界でしかゆっくりと繋がれないという残酷なアンサーが刻み込まれていたなと思いました。
「イニシェリン島の精霊」ではそうなる前に別れるというアンサーを出していましたが、今作では最後まで繋がるという選択をした2人が強く描かれていました。
今作のMVPは田中裕子さんです。無気力で事務的な事しか発せれない校長には苛立ちが隠せなかったです。最初から最後まで無気力な感じがブレずに、激昂する現場とは相反する冷静さに事足りた演技には鳥肌ものでした。容赦なく切り捨てる様子も冷酷で残酷でした。
永野瑛太さんも素晴らしく、こちらもまた無気力で気怠げな様子と、子供を想う気持ちが強くなり行動に出まくってしまう崩れそうなバランスが最高でした。
黒川想矢くんと柊木陽太くんの大人の顔と子供の顔を見せる絶妙な演技もこれまた素晴らしかったです。嬉しそうに駆け回るシーンは年相応な元気な様子が映されるんですが、喧嘩のシーンや土砂降りの中2人で駆け落ちするシーンなど、大人びた顔をするシーンなんか、心ここにあらずって感じで観てしまいました。
脇を固める方々も本当に豪華で、演技面では全く隙のない演技戦争になっていました。
この作品の本当の怪物は周りで傍観して、自分を正当化している人たちなのかなという解釈をしました。
イジメを促していた子達には言及もされませんし、堀先生を追い出した教師たちも自分の身の安全を優先した結果の行動ですし、怪物として描かれた親、先生、子供は怪物として見られただけの普通の人だったのかなと思います。
どうしてもここ最近の賞を受賞する映画は国内外問わずLGBTが盛り込まれている事に少しモヤモヤしています。最初からLGBTをメインに描くならば、物語にもスッと入り込めるんですが、後半の種明かしで実はLGBTが主題の一つなんですと言われて、それを飲み込めと言われても少し困ってしまいます。
完成度の高い作品だっただけに、複雑な要素が変に絡まっていたなと思いました。
心を抉る怪作、今一度自分自身を見つめ直すきっかけになりそうな映画でした。
鑑賞日 6/2
鑑賞時間 12:40〜15:00
座席 M-22
柵
最後、「行き止まりの柵」がない。
このワンシーンで、思考停止した。
考えさせる場面は沢山あったが、このシーンの印象が強すぎて、他の印象が薄れてしまった。
それでも、最後のシーンを否定できない。
「全ての人が手に入れるモノこそ幸せ」、そうじゃないものは、執念?
三節構成でテーマがどんどん深くなってて思ってたより見応えあった
第一節
シングルマザーvs学校の先生
教師への不信感を煽る
日本社会によくある「すみません主義」的な症候群に着目させられた。マニュアル通りに動いて楽になりたい学校側に対して、観客の悲しみと怒り、弱い方への同情がただただ引き出されている
第二節
教師vs子供(生徒)
子供の行為に疑問点を置く
教師がその理解者でいるのに苦労する描写をしつつ、視点を変えるだけで物事が違うように見えるという第一節を凌駕したことを観客に気付かせる
特に子供が常に合理的な行動を取るわけではないからクリーピーで怖い、ホラー映画によく子供のゴーストが出るのと同じ効果が出た気がする
第三節
子供vs宇宙
子供の見ている世界:謎を解く
ミナトとホシカワの目線を通して宇宙を見上げる。劇中の問題解決のカギとなる人物----校長先生がようやく言葉を発した。少数の人の幸せは理解されないモノであり、幸せとは言えないと彼女が淡々と言った。「視点」への議論をさらに「人間の幸せ」というより具体的で身近なテーマに変形させる
自分の求める、正しいと思ってるモノのための行動は他所の他人から見れば、不気味で狂ってるかもしれない
その幸せと呼ばれることのない執念こそ、怪物を動かすエナジーのミナモトとなる
けれど、それでもよかった
生まれ変わらないくても、怪物には怪物の、雨上がりの、太陽に照らされるキラキラな新緑の森がある
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全編について
ところどころ伏線があって、
いろんな視点が提供されているうちに、どんどんその伏線回収ができた点が一番面白く感じた
女の子が保利先生にミナトが死んだ猫を見てたことを話したのに、のちの否定が子供の不安定性を示している
保利先生が校舎の屋上に登る時に、背景音に大きな音がした。次の節に、それはミナトと校長先生が楽器を吹いていた頃だとわかる
......
ただ苦手なのは
いろな映画に彷彿させる安藤サクラの母子会話とどこかまた穴一つ増えたらすぐ破裂しそうな日常シーン
我慢強く観てた
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坂本龍一さんのご冥福をお祈りしております。
オススメの映画では無く私の好きな映画
黒澤明の羅生門を崇拝している私なのでこの映画は本当に心に刺さりました。
人間は醜くも美しく生きようとしている
そして大人の世界と子供の世界の対比
絶妙にテンポ良く描かれています。伏線回収さすがでした。
最後は子供の世界の希望に満ち溢れた「将来」を感じさせられるカットの終わりで感動しました。
そして大人チームの安藤さくらさんと瑛太さんのパートのラストの大人から見る「将来」の薄暗さも好きでした。電車の中から窓の壁の泥をとってるシーンのカット素敵すぎます。
子供たちは自分たちの気持ちに向き合え光の中に消えていきますが、大人たちは自分の過ちに気づき車内をのぞく薄暗いカットで終わります。物語として対比が散りばめられていてほんとに深みがありました。
話がまとまらなくなってしまいましたが、この映画は好みはあると思いますが「オススメの映画」というより「私の好きな映画」でした。
傑作!面白かった。
A面、B面で構成されていた。もしくはC面まで。
前半は色々起こりあっという間!
後半はその理由を説明。
無駄な話しは一切なかったけど、ちょっと子供同士のやり取りには途中飽きた(笑)
安藤サクラが主役は途中まででしたね。
主役は子供2人だった。
最初は怪物だらけで、え?こんなに?って思ったら、結局怪物はゼロ?もしくはどうしようもない脇役教師だけだったのかも。
まさかの校長も結局はまともだったのかな。
ラストシーン、私にはちょっと曖昧でよく分からなかった。
この映画のみせどころで、是枝監督らしい、いいエンディングなんだろうけど。
エンディングと途中飽きたから5.0の4.8かな。
怪物がいた•••。
見る映画がないなと思ってふらっと見た映画でした。でも内容はとてつもなかったです。ヒリヒリする展開、共感するような日常を切り取ったような風景、はっきりと浮かび上がるような敵とか犯人がいない構造。いじめの構造の中で紡ぎ出される心理描写、微妙なボタンのかけ違い的な表現を見事に表現していました。そして、そこには確かに怪物がいるように見えました。物質のない部分を覆う、空気的なところにそれは存在しているように感じました。
学校の中で起こるいじめを、うまく言葉にできない感じ、親にも相談できない葛藤、これらが作品を覆う怪物をうまく言語化できない感じにも似ていました。
いつも映画を見る時は、長くてチラチラとスマホの時計を見てしまうのですが、今回は一秒たりとも映像から目が離せませんでした。スリリングな映画でした。
日本映画はあまり見ませんでしたが、派手なアクション、VFXなしで、ストーリーと演技でこのまで見せる技術に驚かせられました。
タイトルの意味
「怪物」のイメージは固く感じる
も少し優しい感じにして
「怪物と呼ばれた天使達」くらいで良かった様な…
でも社会問題も加味した色んな意味での「怪物」なんだろう
それは、世間体であったり、未熟な子供達であったり、親の愛であったり…
どの立場に立ったとしても、私も同じ間違いをしてしまうだろうなと思いました
瑛太も安藤サクラも田中裕子も名優だ
散りばめられた言の葉に、理不尽さと諦めと再生を感じました
秘密基地での笑顔とラストのシーンが印象的な、哀しくも美しい物語でした
それにしても残された大人達は、其々に虚無感と共に長い人生を生きるしかないのが切ない…
それなら、いっそのことラストの美しいシーンは気を失った2人の夢の中であり、奇跡的に生命を取り留め助かり、母親と共に助け出した先生は逆転、名誉挽回で汚名返上…の流れが良いな
少年の友情あり、サスペンスあり、ポイントボケボケ、最後に弱い者いじめのカス坂本龍一の名前。。。
最初は、サスペンス調、、、
後半は子供の友情?
どっちつかず。。。
怪物という蜃気楼
ガールズバーの入ったビルの火災を起点に、教室での子供の喧嘩、子供による教師の暴力の証言、学校の謝罪、そして嵐の日に2人の子供がいなくなるまでを、3つの視点から描く作品。
最初の母親視点のパートでは、学校関係者の態度が絵に描いたようにひどく見える。あまりにテンプレ的な描写なので、これは何か物語としての意図があるんだろうということは察せられる。
一方、序盤こそ母親の早織に同調しつつ見ていて、教師たちに対し言葉が荒くなるところくらいまではこんな教師相手ならしょうがないと思っていたものの、取り上げたファイルを投げつけるあたりでちょっと気持ちが引いて、彼女が受難の親とモンスターペアレントの境界線にいるように見えた。教師たちの姿は、早織の主観が入った描写なのかもしれないと思えてくる。
湊との会話の場面で彼女が言った、「湊が普通に結婚して子供をつくるまでは……」という言葉の、聞く人によっては引っかかるであろうかすかな無神経さも、下味のように効いている。
ちなみに、早織のこの言葉が早々に心に引っかかったのは、本作がカンヌでクィア・パルム賞を受賞したことを映画.comの紹介文で読んでいたからだ(クィア=既存の性のカテゴリーに当てはまらない人々の総称)。このことに関しては最後に余談を追記する。
次の、教師の保利視点のパート(何の説明もそれらしい区切りもなく火事があった日に戻るので、ちょっとわかりづらかった)から、早織パートで点々と撒かれた謎が少しずつ明かされてゆく。早織を通した視界で一面に立ち込めていた靄が徐々に晴れていくような、ミステリにも似たエンタメ感があった。
実は保利先生は、最初の印象よりは熱心なよい先生で、そんな彼が周囲の嘘により追い詰められていった、ということなのだが、それがわかってもちょっと危なっかしくて怪しげな雰囲気が残るのは、永山瑛太の演技の絶妙さだ。
ただ、本質的にそこまで真面目なら、最初の母親との面談がいくら不本意だとしても、その場で飴をなめるか?そこはちょっとキャラのブレを感じた。それ以外の挙動も早織のパートとは若干印象のずれがあったが、それは早織から見た保利と保利自身の視点からの描写という違いのせいなのかもしれない。
女児が猫の死体について嘘をついたのはどういう動機だったんだろう?それだけがわからなかった。
最後は、湊のパートだ。ここで、細かい謎は概ね明らかになる。水筒の泥水や、片方だけのスニーカーから、それまで学校の場面で遠くに響いていた管楽器の音まで。
是枝監督はやはり子供の撮り方が上手い。今回は、従来のような現場で口伝えに台詞を伝える方法ではなく、事前に子役に台本を渡して覚えてもらったそうだが、子供たちの自然な姿を捉えていることに変わりはなかった。
廃電車の中で依里の転校の話をする場面などは、あの年代特有の色気まで感じた。
このパートでは、校長の善性も垣間見える。早織の目を通した校長の姿も、管楽器を介して湊を慰めた校長の姿も、同じ人間の一面だ。
最後に2人が楽しく駆けてゆくシーンは、どこかこの世ならぬ雰囲気もあった。彼らは嵐で命を落としたのかもしれない。
人間には多くの側面があり、そこには必ず善も悪もある。そしてその側面を見る者の置かれた状況によって、見え方も変わる。誰が怪物なのか、そもそも怪物は本当にいるのか、自分の主観だけでは真実が見えないことの方が、想像よりはるかに多いのだろう。
誰かの人間性を安易に決めつけること、自分から見える風景だけで善悪を断定することの危うさを思った。私たちが誰かを疑う時、卑近な例ではネットで炎上するような事案に遭遇した時、自分から見えているものが全てだと、つい信じたくなる。
その時立ち止まって、他の立場からの見え方を想像する。そうすることで初めて、この物語のように少しずつ、物事の本当に正確な姿が見えてくるのではないか。そんなことを考えた。
余談:
映画ライターの児玉美月氏のツイートによると、試写会の時の資料に「(クィアの要素がある作品であることは)ネタバレなので触れないでほしい」といったことが書いてあったそうだ。
一方、是枝監督は会見で、「性的少数者に特化した作品ではなく、少年の内的葛藤の話」と言っている。なので試写会資料の注意文はちょっと謎だが、クィア・パルム賞を受賞したことで、注意文を入れた製作サイドからしたら受賞の報道自体がネタバレのようになった形だ。
ただ個人的には、クィア要素があると事前に聞いていても物語の感動はきちんとあり、知ってがっかりするようなネタバレとは思わなかった。なお、児玉氏はクィア要素をネタバレ禁止のネタにすることを批判している。当事者性の高い観客への配慮に欠けるから、とのこと。
試写会資料の是非は置いておいて、やはりマイノリティ要素があると受け止められた作品は海外で賞を取りやすいという面があるのかな、とひねくれた私は思った。最近そういう作品が本当に多い(否定ではない)。
盲目的に
信じてきた価値観があった。
それが跡形もなく崩れ去りつつある今
人々は自らの意志と判断で価値を定義していかなくてはならなくなった。
そうすると、オレ、ワタシあってるでしょ?
間違ってないよね?の確認ゲームが始まり押し付け
思い込みが極度に表に出てくるようになる。
表に出てくるだけならまだしもゲームなので勝敗や順位が求められ嘘、騙し、陥れ。などの
技が繰り出されゲームは殺伐化するもんだw
もう良い加減人間が定義決めするような価値なんてたいしたことない。って事に気付く時代が来ているのに。
そんな世界に🌍大丈夫?と投げかけをしてくれている映画なんじゃないかな◎
深い
昔から聞いた事がある話かも?
教室の出来事だったり
ふざけるのと、イジメがわからない子供
同調しないと浮いてしまったり
見てみぬふりをすると、逆に煽られたら?
子供達の言葉足らずさを汲み取れない先生
自身の物差しで計りきれなかったため
目に見えない大きな波にのみこまれて潰れてしまう
ただただ子供を守るため、周りが見えなくなる母
子供の成長を受け入れられず比較し焦る父
教師、親、子供の三方向からの見方で解釈が変わる
スマホが場面に出たけど
町の風情はどこか懐かしかったり
廃電車が山に放置?
現代の話にしない為か
昔から聞く解決できない問題
是枝監督ズルい。
最後はいつも、自分の中で答えを出させる。
答えは一つではないからか…
みんなイジメも差別も区別も
虐待も根拠のない噂も決めつけを
しない世の中がいいのは知っています。
でも、できないのも人間です。
身近な問題で、考えさせられました
自分じゃ自分が何者か分からないから、教えあって生きていく
鑑賞後、熟考させられる作品だ。
人と人が分かり合う
人間はデバイスではないから、そもそも同期なんてできない。
だから、永遠に分かり合うことなんて、あり得ないのかもしれない。
これが私自身の考えだ。
部分的にもしくは一時的に分かり合う事はたくさんあるとおもうけど。
それでも日々は過ぎていくのであって
生きていく糧を得るために、何らかの労務をしながら
できればその精度を高めながら、暮らしていくのだ。
だから、無理に分かり合うことなんかせずに、
できるだけ自分にとって必要な情報だけを得るようにして、
むしろ孤立化を図った方が生きやすい、なんてこともあるだろう。
但し、人間は社会性があるから、本当に一人ずつだと生産性は低いから、
なんとなくダマのように固まり合って、塊同士は必要レベルで理解しあう努力をして生きてる。
こういった原理原則は人間の歴史において
今も大昔も 大して変わらないんじゃないかと思う。
***
この映画は脚本としては登場人物それぞれの目線により
見え方かわるよね、っていう仕掛けになっていて
でも怪物って誰なんだ?っていうプロット。
私の感じ方だが、
怪物なんていなかったじゃん、というのが感想だ。
各章における演技の方向性はともかく、
皆がみな大人なだけだし、異常者なんかいない。
反面「怪しい」という意味においてはとてもよく描けており
物語序盤では誰しもが怪しく見えたりする。このあたり面白い。
(棒読み謝罪なんか見てて教員をぶん殴りたくなりましたね・・・)
主人公の二人の子供は、いじめ問題への本能的な正義感と、クラス社会との相反に悩んでいて、
ただでさえ可哀想に思えるのにくわえ、LGBTの感受性にもお悩み。
家庭環境にもお悩み、って(はぁーー・・・)、
子ども的・超複雑シーズンを過ごしていて、
この子たちを助けてあげられるのは金八先生くらいしかいないんじゃないか、
とか 馬鹿な妄想をしながら見ていた。
最後はきっと事故で・・・というのが私の感じ方だったが、
それでヤッホー!と感情爆発させ解き放たれた 子どもたちの姿は
この社会から解き放たれてやっと 開放される心 ということになるけど
現代社会はこんな悲劇的なんだろうかって・・・
思考が悲哀ループしてしまった。
***
最後にひとつだけ
おでこにカードをあてる怪物だれだゲーム(?)っていうのかな、
「あなたはこんな特徴だよ」って自分じゃない人から
ヒントを出してもらって 自らを知っていく 示唆的なこれ。
これはこの映画の、語り継がれるべき名シーンだと思う。
人生にとって大切なことと思う。
全273件中、241~260件目を表示