怪物のレビュー・感想・評価
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教授のピアノだけが救い
観るしかないに決まってるぅ!是枝監督x坂元脚本!坂元さんの作品は好きですし、是枝監督との初タッグ!新境地開拓作品になるか?!と高まる期待!休日早起きし、洗濯掃除ご飯準備してから出発!朝8:20から鑑賞w
なのになのに。。( ; ; )
うん。。受け取りました。でも。。
3部構成で、起こった出来事は1つなのに立場によって見え方が異なる。時系列や人物の視点をずらして「怪物」の実態をぼやかす狙い。うん。いいけど。私ですらの想像を超えなかったよね(°▽°)
初めて麦野早織(サクラちゃん)が学校に乗り込むシーン。緊張感が高まってくるシリアスな場面になると思いきや。教師陣のあり得ない対応や保利(瑛太)の
「あめ」のくだり!!ないだろ絶対!何?保利ってちょっと特性ある人なの??もう早くもこの辺でリアリティ無さすぎてチーン(°▽°) いや、良いのよ?リアルを追求しろって言うんじゃなくてさ、あまりにも「ない!」重要な所だろーー!!つか、湊(黒川想矢君)の髪の毛ジョキジョキの時点で母親ならもっと深く話しを聞くはずだし。思春期特有の子供に対する親の遠慮みたいのがあるにしたってなんだかな。。わかりますよ。母親って息子の事になると訳もわからず必死になってしまうし(ナオミワッツのようにw)私も実際モンペと思われたらどうしようとか、先生の対応に納得いかない事もありました。この年代の子供を持つ親御さんなら皆さん思い当たるんじゃないかな?だからこそ校長(田中裕子さん)へ向けられたあの言葉は。。心理は理解するけどよ?普通出て来ないワードじゃね?w
はぁ。。。色々ありましたが長文になりそうなのでこの辺でw こんな冒頭にしか触れず終わりますw
クィア.パルム賞も受賞って観る前に知っちゃっていたので私的には残念でした。LGBTQ問題も必要だったのか?湊と依里(声がたまらんw)が整い過ぎてて今ひとつ入ってこなかった(演技は良かったです)サクラちゃんは百歩譲るが、獅童から依里は出て来ないでしょ笑 脚本賞も受賞だけども。私が理解出来なかっただけで、坂元脚本ならではのエッセンスと捉えるのが正解なのか?
そしえ敢えてサクラちゃんと瑛太を起用しなくても良かったのでは?感もあるし、これが「是枝監督作品」でなければこの評価だったのか?が気になります。
皆さんのレビューを読ませてもらって色々な考え方があって面白かったです。それこそ立場によって異なる解釈がある映画だと思いました。
すごい作品でした!
素晴らしい脚本でした。
母親と教師と本人。視点が変わるとこんなにもものの見え方が変わるのかということを実感させられました。単に映画を観たというだけでなく、"体験した"と思える凄みがあり、是枝監督ってここまで来たんだ!っていう感動がありました。
ジェンダー、いじめ、モンスターペアレンツ、教職者の質やモラルの低下、マスコミ報道の危うさ、メディアリテラシー、児童虐待、シングルマザー、冤罪、自然災害、放火、犯罪者心理、自殺、殺人、子育て、モノの見方は一つじゃないこと、輪廻転生、青春……。これら様々な社会問題を描きながらストーリーは少しも難しくない。というすごい映画でした。これはカンヌで脚本賞取りますわ。
まぁ映画館で一回見ただけなので細かい分析はまだできていませんが、これは今後何回も観ると思います。
日本の映画の質が落ちていっている中、是枝監督がいるというのは救いだと思います。制作者集団「分福」で若い監督や制作者を育てておられるので、是枝監督につづく世界で戦える監督が出てくるのを楽しみにしています。
考えてしまう。苦しい作品
子供がいじめられてる。脳が豚にすり替えられてる。
言ったのは、誰だ?何!?担任の先生?
早速乗り込む。校長先生は、なんかやる気ない?
担任の先生は、うわべだけ!キャバクラビル燃やした?
校長先生は、お孫さん事故で亡くしてる?
学校、公務員はなんせ隠す。そんな先入観のまま映画は進む。えっ!先生普通やん。ちゃんと喋る。
いじめてるって誰が?あれで仕事や彼女がなくなる。
男の子、お父さんにDVうけてるやん。
男の子が男の子好きになったのバレたくない。
そんなこんなが、怪物を作っている。
みんな死なないで。
坂本龍一の音楽が美しいのが救いかな。
ラストの見解…
二人は亡くなってると思います。母親と保利先生が電車に着いたのは夜、ラストシーンで二人が電車から脱出したのは夜明けです。夜明けまで電車にいたなら先に発見されているはずです。あとは「生まれ変わるなら…」という発言が繰り返されていることから、嫌な想いをしない世界で生まれ変わったのかなと。
全体の感想としては総じて良かったのですが、母親目線で見たときの校長と保利先生のキャラクターが、保利先生編以降とあまりに別人で、構成づくりのためにちょっと都合良すぎかなとは思いました。保利先生の本来の性格からは、母親編で見せたような振る舞いはしないと思います。それも含めて物事の一側面だけをみると誤解しかねない、という教訓だとは思うのですが。
【是枝裕和監督】彼の常套手段に騙されてはいけない!?
是枝裕和監督✕脚本・坂元裕二✕音楽・坂本龍一=ドリームチームで描く、映画『怪物』を鑑賞しました。
坂元裕二氏の三部構成からなる脚本は秀逸でした。
第一章・麦野早織(安藤サクラ)の視点。
第二章・保利道敏(永山瑛太)の視点。
第三章・湊(黒川想矢・子役)の視点。
ひとつの出来事を、それぞれ角度を変えて描く、テクニカルな構成に見応えがありました。
ですが、第三章だけ、やや平板で間延びした感じで残念でした。
(ここからは、あくまでも個人的な意見です。)
子役二人の演技と脚本には目を見張るものがありますが、大したストーリーでもないのに、わざとわかりにくくして焦点をぼやかしながら、丸投げのクライマックスヘと導く…是枝裕和監督の常套手段は、やはり監督のよほどのファン以外に受け入れられないような気がします。
私的には、本作品もオススメできる最低ラインかなと思います。
主観と客観
見終わったあとはなんだかなと思った
瑛太や校長設定は映画の都合で一貫性がなく感じだし、子供達の友情或いはそれ以上の関係に瑛太だけ犠牲になってしまっただけのように思えた
ただ一晩経って改めて考えるとあの映画の登場人物はみんな一生懸命に生きてることに気づいた
主観的に悪いことをしているとわかっているけどそうせざるを得ない
それが客観的には怪物にうつる
獅童はオールドスタイルで子供に手をあげているような父親に映ったが本当にそうだったのだろうかと考えなおす
子供の体のあざも教室で喧嘩した時についたかもしれないし、いじめられた時についたかもしれない
獅童がただの暴力的な親父だったらあんなに中性的な服を買ってあげるだろうか
父子家庭の設定がきいていると感じた
星3くらいかなと思ったけど5に
素晴らしき美少年BL映画
鑑賞後の感想はレビュータイトルそのままです。
力のある作品なので飽きずに観ることが出来、
美少年2人のロマンスにときめき、最後は思わず涙してしまいました。
ただ劇中3部構成の
①比較的普通のお母さんが子どもの怪我や奇行を不安に思い、不信感しか持たない担任や、まともに対応してくれない学校への不満が募っていくサスペンスパート
②平凡な新任男性教師が反論の余地もないまま実態のない暴力教師に仕立て上げられ社会的に抹殺される転落劇パート
上記2部がラストのBLパートに果たして必要だったのかと思うと疑問。
特に②の教師パートは映画全体の中ではかなり薄っぺらい印象。①パートの母親や受け持っている学級の生徒とのシーンもあまりなく、1人の子どもの嘘で暴力教師に仕立て上げられていく過程に説得力が無い印象を受けました。
このパートやるなら同性愛傾向のある自分の息子を豚の脳を持っていると虐待する父親の心情を見たかったと思う。
また①パートの安藤さくらさんの演技が凄かっただけに、それがラストにあまりつながっていない印象を受けたのも残念。
タイトルの怪物については鑑賞者それぞれで考えてね、と言う終わり方です。
個人的には名監督が撮った美少年BLに感化されて、危ない性癖をもつ怪物にならないようにしなければ!と思いました笑笑
世界に自慢したい邦画
映画は3者の視点から描かれます。
序盤は、湊の母(安藤サクラ)の視点から始まります。湊の不可解な行動と、学校側の真実をひた隠しにしようとする様な対応に、観客側をイラつかせます。当然誉め言葉です。それにしても、安藤サクラさんって、未亡人役が本当にはまっていますね。夫死後も気丈に前向きに生きていこうとする姿、目の演技は見事です。
中盤、湊の担任(永山瑛太)視点では、前半は不審の対象でしかなかった人間が、本人目線で描かれています。瑛太も、「悪気はないけれど、ぱっと見はちょっと変な表情」を出すのがうまいですね。
最後、湊の視点。ここで前中盤に描かれていた、諸々の伏線が回収されていきます。
さすがの是枝監督×坂元脚本コンビ。映画は終始退屈することなく、人物表現に自然美と考えられた構成で秀逸な映画ですね。ラストシーンの故・坂本隆一の音楽との親和性も素晴らしいです。
「世界に自慢したい邦画」と感じました。
怪物の餌は、対等な人間として扱われない孤独か。
どうして悲劇は起こってしまうのか。
対等な人間として扱われたい。
可哀想だと見下されたくない。
晒し者や笑い者にされたくない。
理解されずに見捨てられたくない。
不幸だなんて決めつけられたくない。
自分の大切なものを傷つけたくない。
人は守りたい何かのために嘘を吐く。
その嘘は自分も周りも苦しめる。
人は守りたい何かのために攻撃対象を探す。
その独善は自分も周りも追い詰める。
生きる術として身につけた生きづらさ。
対等な人間として向き合うことの難しさ。
大人が作り上げた世界に翻弄される子ども。
肩書き、トロフィー、誰かに決められた幸せ。
「そんなの、しょうもない。誰かにしか手に入らないものは幸せって言わない。しょうもない、しょうもない。誰でも手に入るものを幸せって言うの」
湊視点での校長の細やかな心理描写が苦しかった。
対等な人間として認めないと心は閉ざされる。
対等な人間として寄り添えたら心は開かれる。
受け入れてもらえる居場所は誰にも必要だ。
それが家庭にも学校にも無いのが彼らだった。
依里の死生感に触れた湊が「生まれ変わる」と言い出し「出発」に希望を見い出してから、彼らが壁も柵も無い夢のような新世界を楽しそうに駆け回るまで、切なくて涙が止まらなかった。
「太陽が眩しい。海の匂いを胸いっぱいに嗅ぐ。いつもと違う匂いがする。僕は生まれ変わったんだ。僕は誓う。絶対に西田ひかるさんと結婚します。五年二組保利道敏」
胸がいっぱいで思うような文章にならない。
私は二人をジョバンニとカンパネルラに重ねて見てしまっていた。宮沢賢治が書いた銀河鉄道の夜だ。もしや「出発」後に靴が脱げていた依里は既に亡くなっていて、そして湊は意識不明の後に目を覚ますのでは、…などと残酷な想像をしてしまった。その展開があるとしたら、母親と元担任の理解を得られて、家庭に居場所が出来るのかもしれない。「出発」してでも好きな人と手を取り合うこと、好きな人と離別して「生きる世界」に安全な居場所を得ること、私にとっては一体どちらが幸せなんだろうかと考えさせられた。
良い映画でした
視点が変わることにより登場人物の印象がどんどん逆転していくところは圧巻だった。大変面白く観させてもらった。
以下は少し気になった点
ミナトくん、星川くんはまだ小学生で未熟で仕方ないのかもしれないし、性的指向やいじめ、虐待など抱えている問題が大きすぎたのかもしれないが、ホリ先生の人生を狂わせるような嘘を吐いたまま二人の世界に浸って終わっている点がモヤモヤした。
母や教師たちの大人たちもそれぞれ怪物だったが、子供もまた自覚なく残酷なことをする怪物のように感じた。
小学5年生に先生の立場を慮ることは望むべきではなく、子供の気持ちを言わずとも汲んであげるのが親や教師の責務なのかもしれないけど。実際台風の日にホリ先生が二人のことに気づいてくれたし。でも現実の教師に対してそこまでを望むのは酷かなと思う。
怪物は人の心
是枝監督はいつも世相を
写し出している
今回は子どものいじめ
父親からの虐待
学校側の揉み消しなど…
母親の安藤サクラから
校長の田中裕子を追い込む所から
オモシロく始まった
暗くなく重くならずコメディでもなく
そこにLGBT を入れてくる
余りにも作り込み過ぎている
…感じがした
湊が好きな子がいることを校長に話し
校長と二人で楽器を鳴らすところは
和やかでとてもいいシーン
…見ている側の状況が違うと
見え方がぜんぜん違ってみえる
ある意味担任役の瑛太は滑稽にみえる
瑛太の恋人役の高畑は…
・・怪物・・って何
一方的な見方で思い巡らし
妄想を膨らます心
学校守るために
揉み消そうとする心
人が窮地になると
そこから離れていく心
差別や傷つける言葉、態度、
種々のモンスターがいる
くれぐれも怪物にはならないように
と自戒をこめて。
…でもやっぱり
怪物はあの○○○かな
自分も怪物かもしれない
予告編を見て抱いていたイメージとはだいぶ違いました。
いくつか???と思う部分はあったものの、最後までしっかり鑑賞。
「怪物だーれだ」の意味を考えさせられます。
登場人物は皆一生懸命に生きている。
それゆえに、守りたいもの、愛するものへの想いの強さから、相手にとって、時に怪物と化してしまう。
そしてまたある時は、誰かの「怪物」に苦しめられる。
男の子2人がなんとも自然体で良かったです。
難しい役どころを見事に演じ切っていました。
大人の俳優陣が実力ある方ばかりの中、まったく見劣りしませんでした!
(田中裕子さんはやっぱりすごい)
また緑豊かなロケーションと、坂本龍一さんの優しい音楽が調和しているのも素敵でした。
さて今回の真相の核は、男の子2人のクィアな関係性でした。
ただ思春期の頃を思い返すと、同性・異性かに関わらず仲が深まることに心が踊ったし、二人きりが良いな、と思う場面も多々あったように思います。
それをどう定義付けるかは別として、こんなに心が通じ合う相手が、学校という狭いコミュニティで見付かったのは充分幸せなことだ、と本人たちが感じられる環境があったらどうなってたのだろう、、とないものねだりをしてしまいます。
また大人になった今、自分は子どもの心の成長を破壊しうる立場にいるのだ、ということを忘れずにいたいな、と思いました。
。・゜・(ノД`)・゜・。小さな恋のメロディ。
ああああ、このラスト。ダメでした。涙腺が決壊した。
『小さな恋のメロディ』って映画、昔見た覚えがあります。ラストはトロッコでどこまでも2人で逃げるシーン。あれはよかった。あれに重なってしまって涙腺決壊です。
彼らは目的の場所に行けたのだろうか?というより彼らは命を落としているんでしょうね、、、、。だから余計泣きが入りました。
おそらくこの映画の論評には視点を変えると様々な見方があるだとか、LGBTの生きづらさとかがクローズアップされた映画だとかの論評が多いんだろうけど、後半の彼らの演技は上質な恋愛映画でしょう。結ばれない物達。本当に切ない。家に帰ってもじんわり切ない。
怪物が住みそうな湖のほとりの街の出来事、怪物とよばれた物達の叫びがこだまする街。
またすごい映画を観ました。
タイトルなし(ネタバレ)
麦野くんと星川くんがお互いに想う感情は廃線となり山に置き去りにされた一両の列車であり、途中映し出される多両編成の貨物列車が、麦野母親や保利先生が無意識に刷り込む一般的なジェンダーハラスメントを揶揄しているんだと思う。
最期、2人は死んでしまったと解釈したが、生まれ変わってもきっとまた一緒に遊んでいるはずだ。
怪物 誰ですか
先に小説を読んでいた。映像化されたら見に行こうとは想ってたけど、封切り前にカンヌで脚本賞をとったとのことで期待は高まり、すぐ見に行った。
誰の主観で、時系列はどう映像化するの?と思ってたが、小説そのまんま。そうか…この小説(と思ってたけど脚本か!)が賞をとったのかね。そのまんま映像化されてたよ。監督もすごい、息ぴったり!
本では、ラストシーンの少年たちが生きてるのか死んでるのか分からなかったけども(分かったけど信じたくない)、映画を見て分かってしまったよ。あと切ない想いが、脚本より伝わってきた。
お母さんやホリ先生の達のアンコンシャスバイアスが少年たちを追い詰めてしまったね。今後はその辺も気をつけて子供に接さないといけないのかなぁ…
と自分の中のアンコンにも気づく。
怪物だーれだ?
これぞ是枝作品という現代社会に斬り込む一作。観了後に得られるのは、何本もの作品を観たかのような満足感だ。なぜなら、親/教師/子どもそれぞれの視点から描かれる三部構成だからである。
序盤に描かれるのは、早織(安藤サクラ)の息子湊(黒川想矢)をめぐる不可解な行動だ。得体の知れぬ不穏さを充満させ、謎解き要素を強める。第2章までは、保身や駒として使われる社会の構図など大人目線で描かれる"怪物"が目につく。
しかしこれらは、クライマックスに向けたカモフラージュだと感じる。なぜなら、最終章で張本人の立場から、本作の主題であり"怪物"の正体と言える性的指向を浮かび上がらせるからだ。
素直に受け入れられず悩み偽り苦しんできた気持ちに、楽器を通じて吐露するのが非常に印象的。その手助けを、"あの"校長がする設定も大変興味深い。
衝動に駆られた末でのラストカットは、一皮剥けた新たな自己で突き進んで行く希望を感じさせる。
時系列を整理するために、各章で共通する天気や音を散りばめているのが巧みである。
また坂元脚本は、「皆が手に入れられないものを幸せとは言わない」など、今回も数々の名言・掛け合いを残してくれた。言わずもがな最高である。
ここまで制作者目線を中心に記したが、是枝/坂元作品の常連であり、今クールの連ドラ主演も含む豪華キャストの表現力ももちろん見事。しかし今回は、ミスリードを含め複雑で多面的心情を表現していた2人の子役が主役だろう。
上記はあくまで主観、怪物は一体誰(何)なのか、ぜひ劇場で確かめていただきたい。
切ない。ホンマに切ない。たまらなく切ない。
コリャ是枝を巨匠再認定するしかないかと。前作も是枝らしさ全開でしたが、今回は技巧的な脚本も素晴らしくて脱帽です。
ラストの解釈ですよ。コレがまた。
普通に捉えれば、大人2人が捜索に入った時間・天候と、子供達が脱出した時間・天候が折り合わないが故、子供達は天に召されたものと見るのが合理性あり。
でですよ。
以前、似たようなラストの映画があってですね。イランの巨匠アミール・ナデリ監督の「山(モンテ)」です。監督の舞台挨拶付き上映を見る機会があり上映後に直接質問したんです。
「極貧で身なりも貧しかった一家が、ラストシーンで綺麗な姿になるのは一家が亡くなった事を示唆しているのですか?」
答えは「あれはワタシからのギフトです。亡くなってはいない。表現としての加飾に過ぎません。」
横転した列車の窓から降りた2人の前に広がる青空は2人の出発を祝う、是枝監督からの贈り物。と言う解釈をしても良いのかと。
いずれにしても是枝監督自身は語りそうにありませんけど。
映画は3部、と言うか三面構成。Phase1は母親主観。Phase2は教師主観。Phase3が湊主観。この三面目の依里くんが可愛すぎます。切な過ぎます。もう、何から何まであざといくらいに可愛い。もうね。メチャクチャ切なくなりますもん。
君たちは化け物なんかじゃない。怪物でもない。自分自身に誇りを持って。好きな人を好きになって良いから。
は、「彼女が好きなものは」の主題でもありました。同じですね、コレも。
良かった。
とっても。
かいぶつだーれだ?
映画館の特報で観た時から気になってた作品。特報の最後に「かいぶつだーれだ?」と一文字ずつ出てゾワッとした。きっとホラーやサスペンスみたいな怖い作品だろう。
でも、実際本編を鑑賞した時に騙されたとの感覚に陥った。何故本編と違う印象を持たせるのかと!
作品を鑑賞していくなかで、「誰が本当の怪物なのか?」、「怪物はいるのか?」等、自分の視えている虚実入り混じった主観により、考えが二転三転する。それぞれの立場でそれぞれの主観や考え方に共感できるところがあるからかもしれない。
でも、それは当事者達は当事者の虚実入り混じった視点のみしか持っていないため、良かれと思ったふとした相手への気遣いさえも、受け取る側には気遣いにならないということにも気付かされた。
また中盤に、扉があって前に進めない線路のシーンがあったが、単純に線路を人生の線路・レール等のことを言ってるのかと思ったが、内容からレールに沿ってないと思う人もいるこの子どもたちを表現するのに違和感があった。
しかし、ラストに子どもたち二人が楽しそうに走って行く中で、中盤にはあった扉がなくなっており、その先にも進めるようになっているシーンで映画は終わる。
僕は、大人たちのレールに従わないと「怪物」のままである子どもたちが、親のために自分の「将来」の扉を閉じていたものが、二人が亡くなったことで、怪物から開放され、子どもたちが望む将来へと繋がる線路へ進めるようになったのではないかと感じた。
とても考えさせられる映画だった。
ところで、感想を書いているのはあくまで僕の感想であり、共感してくれた方には感謝しますが、それを無条件に受け入れることは、作品の内容に沿うのでしょうか?作中の大人たちと同じかもしれません。
レビューの冒頭で書いた映画の特報の件は僕の先入観でこんな映画だろうと思ってたのは、視えていない部分が多くあり、一部分を視ただけで、主観によりわかった気になっていただけかもしれないと考えされられて、なんて素晴らしい特報だったのだろうと考えを改めホラーよりもサスペンスよりも怖い作品となった。
「かいぶつだーれだ?」
『誰でも手に入れられるものを"幸せ"と言う』
多分、表題に今作の全てを込めている台詞を、田中裕子が呟くこと、これで今作のテーマを一点集中突破した出来映えだと最大限に感心させられた この台詞は絶対的に皮肉であり、人はそれぞれの幸せを本来持ち得るモノという多様性を得なければ未来は訪れないという、まぁ、保守派の人達にしてみれば、温ま湯だと揶揄されるプロットだろうと容易に想像出来る、"万引き家族"と同様、ネット上で物議を醸し出すストーリーである 確信犯的に作っている制作陣の好戦的な姿勢に好き嫌いがハッキリと分れる提言に、その意志を認めざるを得ないのは、もしかしたら左右両方に巡り巡って好かれるのかもしれないと、穿った観方さえしてしまうチャレンジングさである 絶対日和らない、という凄みに、餌巻きされた否定派達は心底小躍りしただろうと予想する
只、自分が感じたことは別に上記の事に集約されることではないと感じる 他の考察サイトでも述べられていて心底合点がいったのだが、カンヌが称賛したクィア賞の本質ではなく、今作は、成長期に於ける有り余った性欲が、色々なところに発露してしまうという現象に集約される物語なのだと腑に落ちた あの子役2人が未来にどうなるのかなんてものはストーリーに提示されていないどころか、もしかしたらラストシーンはイマジネーションパートかも知れないのだ そんなあやふやなシークエンスの中で、性への目覚めの真相等、当人ですら分らないし、歳を取って振り返っても"トチ狂った"のか"方向性を決定づけた"のか、それは振り子のようなタイミングだけなのだと断じる
本当に、狭いところを付きながらも普遍性を語る制作陣及び役者陣、頭が下がるほかない内容であった
追記
所謂、『感動ポルノ』問題という事案がある 今作も又批判の中の一議題として囂しい
視点を切り分けた構成である今作は、本当の子供達の姿を周りの大人は気付いていない、しかし、先生のみが鏡文字で気付いたのではと思われる節を匂わせる いや、匂わせなので、本当の正体は分っていないかもだし、父親のおかしな言動や、他のクラスメートの嘘や不穏な喧嘩や雰囲気等々、自分では手に負えない問題の数々が実はあのクラスには積み重なっていたのだろうと・・・ もしあれが現実に日本のどこかの学級で起っていたとして上手く捌ける教師や教育委員会がいるのだろうか? なので、二人に何らかしらの関係性を見出した先生のキャラ設定の微妙さを考え出した制作陣に尊敬する
人間は善悪の二元論ではない そしてもしかしたら発達障害的な行動をしている人だって、もしかしたら真実を掴んでいるのかもしれない
話は横道に逸れてしまったが、今作ラストの『銀河鉄道の夜』的ファンタジーに、結局不幸にさせて感動させる落とし処だろうと邪推する観客もいると思う 『マイノリティは不幸になる』という結論で、可哀想という感情を観客に植え付ける それは正に高みの見物(シス&ヘテロ)として、そういう星の下に生まれた人達が運命として消えてしまうことに哀しさを安易に得たいと願うこと しかしそれは今作に於いて些か考察が足りない
理由は横道に逸れた先生のキャラがそれをブレイクスルーしていることが明らかだから
願わくば親が気付いて理解して揚げて欲しい しかし両人の親ともシングルという協調作業が困難な家庭環境(両親がいたってダメな場合が多々)に於いてその願望を押しつけるのは残念ながら解決不可能である
そう、今作はキチンと、だれが怪物なのかを暗喩として示しているばかりでなく、そのどうしようもない岩盤を開けるのは、もしかして思いも依らぬ変人かもしれないという、これもファンタジーかも知れないが、その可能性をフィクションとしてではあるが提示した物語ではないかと考える
本来ならば、第3の壁を破り、観客に問い掛ける演出だって乱暴だが在っても不思議じゃない 曰わく「あんた達、感動していないで、二人の子供がこんな悩んでいるのに胡座かいて当事者意識なんて持っていないんじゃないか? あんた達の事なかれ主義がこうして不幸を再生産しているんだぞ!」って、校長先生辺りが、あの死んだ目で問い掛けてくれたら、もしかしてパルム・ドール?・・・・な訳ないかw
怪物とは
かいぶつ、だーれだ。
結局誰なんだろう。
モンスターペアレントの母親 か
まるで聞き耳を持たない教師 か
孫の死を利用するような校長 か
性の問題を病気扱いする父親 か
様々な視点で「怪物」が描かれる。
母親にとって先生らは怪物に見えただろうし、
先生らにとってはえげつないモンスターペアレントは怪物にしか見えないだろうし。
「男が男を好きなのは気持ち悪い」
「男が女と仲良くするのは気持ち悪い」
これは小学生だったらシンプルな理由で当たり前。
お母さんに愛されてる麦野くん
お父さんに虐待されてる星川くん
星川くんはめちゃめちゃ強い子で
麦野くんは周りに流されてる
「男が男を好きなのは気持ち悪い」
ふと思い出して怖くなる。小学生だったらそらそう。
最初は、「男らしく」髪をきるまでする湊。
でも、あんな憎らしい笑 校長がファインプレー。
そして、自分を認める麦野くん。
お父さんのようにはなれないし、
お母さんが言ってたような普通にはなれない。
それを踏まえた上で認めた麦野くんは強い。
最後のシーン。いつの間にか風も、雨も止んで。
まるで生まれ変わったように、晴れている。
いつも閉まってる柵もなく、線路の上を心が晴れたように走り出していく。
これには色々な解釈があると思うけど、やっぱりあえて明言しないとこがもう分かってはりますわ。
対比があったり、色んなテーマが混在してるなかでこんなにも見やすく、こんなスッキリしてるのは名作としか言えなくないか。
全293件中、241~260件目を表示