怪物のレビュー・感想・評価
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ラストについて、猫について
猫について。
猫は死んだ。
なぜ猫なのか。
1番普通でストーリーに馴染むから。
最初はそう思った。
しかしこの猫は生まれ変わるために火葬される途中で、中止される。
これは生まれ変われたのか、生まれ変われなかったのか分からない中間にいる。
これはシュレディンガーの猫だと思う。
この物語においては、「生まれ変わりとはそれが出来たのか出来ていないのかがわからない、折り重なったものであり、確認できない以上、開けられないままのシュレディンガーの猫」なのだ。
それがラストに繋がるのだと思う。
彼らは結果どうなったのか。
どちらも考えられるが、それは確認できない箱であり、それは折り重なっている。
折り重なった様こそがラストシーンなのだ。
全員怪物(不快な人間)と思える、不愉快な作品でした。
見始めてすぐに不愉快に気分になって、なぜこれが脚本賞をとったのか私には理解不能でした。ダイ・ハードや伊坂幸太郎さんの本のようにすべてが繋がってすっきりすることもなく、無理やりパッチワークでつなげたようにしか思えません。とにかく、学校にいるすべての人間の描写がむご過ぎです。カンヌであれが日本の学校のスタンダードだとは思われてはいないでしょうが、昔の学園ドラマや、アニメに出てくるような教師や子供ばかりで、ものすごくイライラしながら観ていました。
とにかく後で伏線を回収するために無理やり作ったような場面が多すぎです。クローズゼロなどのように、荒唐無稽な話なら、どんな突飛な場面があっても受け入れられるけど、この映画は日常を切り抜いた、リアリティのある話という前提ではないんですか?
突っ込みを入れたくなる場面の主なものを書くと
①母親・・・靴が片方なくなっていたり、水筒に石ころなどが入っていた時点で、明らかに子供からのSOSなのにさらっと流すなんてありえないでしょう。
②息子の湊・・・なぜあそこまでうそをついて担任の人生を狂わせる必要がある? 靴も片方だけ家に置いたり、水筒に石ころを入れっぱなしにするのもおかしいでしょ。そもそも担任やほかの先生にいじめのことをなぜ言わない?
③担任・・・あんな露骨ないじめに気が付かない時点で教師失格です。図工の時間に絵の具を塗りつけるいじめがあるけど、担任(または専科の教師)は見て見ぬふり? ありえないでしょ。校長室での場面でも、あの状況で飴をなめさせる脚本っていったい何ですか?リアリティのかけらもないですよね。猫の件で女の子に話を聞く場面も、ほかの子の前であんな聞き方をする教師はいません。ふつうは別室にさりげなく呼ぶなどして聞くはずです。あんなほかの子に聞かれる場所で質問されたら、「チクった」と思われるので、本当のことを言えるはずないでしょ。
④他の教師たち・・・あんな事実確認もしないまま、保護者の言うがままに担任を悪者に仕立てるなんて、いったいいつの時代の話ですか?(いや昔でもこんなむごいことはなかったのでは?) 腕と鼻の接触の件も、ちゃんと他の子供たちにも聞き取りをしたら、偶然当たったことがわかるはずです。
⑤他の生徒たち・・・いじめを見てもほとんどが放置だし、教師にも伝えない。まーそういう信頼のない教師や学校という設定なんですかね。
ほかにも映画を観ながら突っ込みを入れていた場面が多々ありましたが、多すぎて忘れました。
最後だけちょっとハッピーエンド?っぽく光に向かって進んでいくという描写でお茶を濁したとしか思えませんでした。
最初から最後まで批判ばかりになってしまいました。この映画を面白いと思った人には不愉快かもしれませんが、素直な感想です。
子供達よ 信じる道を走って行け
一人息子を育てるシングルマザーを安藤サクラさんが、春に小学校に赴任したばかりの教員を永山瑛太さんが熱演。
トンネルを抜けたその場所は、まるでジブリの世界のよう。
早朝から夜遅く迄、多くの業務をこなしながら働く教員達の事を思いながらスクリーンを見つめていました。
ラストシーンでは思わず嗚咽が。
是枝監督の真摯で温かな眼差しが本作でも溢れていました。
坂本龍一さんが弾く美しいピアノの音色が沁みた。
映画館での鑑賞
物事の視点について
映画をみて物事の視点について考えさせられる映画でした。
ここでは先に映画の評価や内容のことより先にこのことを書きたいと思いました。
物事はいろいろな角度や観点、一つの方向だけではなくあらゆる角度から判断していかなければいけないなと思わされた映画でした。
ここからは映画について。
前半ではシングルマザーからみた子供の様子や生活の様子です。シングルマザーとしてしっかり子供を守らなければという母性が描かれています。
中盤は担任の先生視点からみた子供たちの様子。担任としてしっかり子供たちをみなければいけないという責任感が描かれています。
後半は子供たちの葛藤が描かれており、すべての謎が解けていきます。
おおざっぱにざっと書くとこんな感じかなと思いました。
最後までみると…
子どもたちにとって親も担任の先生も一番身近で味方になってくれるはずの人たちからの何気ない言動で傷ついていくことがわかる描写が丁寧に描かれています。これは子どもたちだけでなく大人にも言えることであると思いますが…。
最後のシーンについても意見がいろいろあると思います…
自分の見解としては土に生き埋めになって亡くなったと思っています。
このことについては伏線がはられているのでそう捉えました。
そして最後はいろいろなことから解き放たれた二人が描かれています。二人にとってはハッピーエンドなのかもしれません。
この作品はいろいろな方に見ていただきたいと思いました。
見る人によって視点が違い感想もざまざま出てくると思いますのでぜひ見ていただきたいです。
子役がとにかく素晴らしい。
主演の2人が、演技とは思えないほどの自然さで素晴らしかった。子供独特の純粋さと危うさ、矛盾だらけの言動をよく演じていた。今後が楽しみだ。
物語はできるだけ事前情報を入れずにフラットな気持ちで見てほしい。
さすがカンヌで脚本賞をとっただけあり、前半で貼られた伏線が後半でどんどん回収されてくるカタルシスがあり、全てを知ってからもう一度最初から観たくなる。
~以下ネタバレ~
最も粗は残るし最初まで解明されない部分は多い。なぜあそこまで保利先生を悪人に仕立て上げたのか。主演の2人に加え、うさぎについて証言した女生徒や、他のクラスメイトも保利先生の無実を知っていて味方をしない。
ただ子供とはなんとなくで嘘をつくし、予想以上に空気を読むので、保利先生一人を犠牲にしようとする学校側の求めるような答えを返したのかもしれない。いじめ問題に目を背けるために先生をスケープゴートにしたのかもしれない。いずれにしてももう少し納得できる理由付けが欲しいところだ。
第一章で酷い悪人に見えた保利先生が実はいい先生だったという仕掛けにしたかったのはわかるものの、恋人にゴムなしで「大丈夫だよ」とセックス迫ってる時点でこいつクズだなと思ってしまったので、全く保利先生に同情できなかった。
他にもダメな部分は多く、親から事実無根のクレームがあったとしても、理由をシングルマザーで過保護なせいだと決めてかかったり、子供が嘘をつくにしてもその背景を考えたり肝心の子供に丁寧に聞き取りをするのを怠ったり、謝罪の場で飴を食べたりしたらどう考えても悪手なのにそれをやること自体もう相手を舐めてるんじゃないかとしか思えない。
いくら保身に走っているにしても、周りの教師が保利先生を少しもかばい立てしないというのはさすがに人望がなさ過ぎる。マスコミが来たことで彼女にあっさり切られたところも、所詮相手と浅い関係しか築けなかった象徴のようだ(避妊しないクズだからこれを機に別れたのかもしれないが)。
湊の母親は頑張っている。だが頑張っているだけで息子を理解してはいない。11歳の子供が性的指向で悩んでいるかもしれないことを予測しろというのは無理があるかもしれない。だが、一つだけ映画から普遍的なことを言えるとしたら、親はどんなに子供のことを思ってるつもりでも、そういった必死さも含めて子供を時に追い詰めていることがあるのだ。湊の「うちも親に気を遣う」という言葉が物語っている。
第一章でいかにも良い夫、良い父親だったように語られる亡き湊の父親は、不倫相手と一緒にいるときに事故死している。それを湊は知っていることに母親は気づいているのかいないのか、湊は母親といるときは「良い父親だった」ごっこに付き合っている。
子供は親が思う何倍も物事をよく見ている。
ところで怪物の正体は何より中村獅童演じる星川君のお父さんだと思った。あの虐待っぷりは怖い。あいつをなんとかしない限り、2人の今後には何一つ救いがないように思えてしまう。
人生の交差
怪物
群像劇として緻密なことは勿論、ありがちなクレーマーという言葉を教師側から先に引き出しておいて反感を買い、一部その通りに視点をひっくり返すところに、演出の別格さを見る。
加害者は大人達で、子供達でもある。
どうしようもない場所で抗う、教師達の諦めに覆われた眼には意味があり、そして別の表情がある。子供達の天才性と残酷性は、そして大人の「世界」とは相容れない。
後半は救いのストーリーでも、保利先生と依里少年の酷く張り付いた笑顔が心に残る。
もう一度みたい
様々ない視点からのストーリーが描かれていて、そういう事か!の連続です。凄いと思ったのは、きっとこの先のストーリーはこうだ!という考えが結構の割合いで裏切られます。そういうシーンが多くて頭が追いつかなかったので、もう一度見てみたいですね。
気がつけばチョットした勘違いで、誰でもいつ怪物になるか分からない世の中なんだ〜と考えさせられました。
チョット残念なのは、中盤まではテンポ良くストーリーが進むのですが、後半の麦野と星川の2人のストーリーは中身が感じられず、間延びしてる感がありました。上映中に2人ほど寝てしまったのか、イビキをかいてる方がおられました。
なかなか映画を見てて寝ちゃう人っていないと思うので、アカデミー賞に選ばれる程では、ないんだろうなぁとは思うのですが、カンヌで脚本賞とクィア・パルム賞を受賞したので、おそらくこの映画で決まりなんだろうなぁ。日本は日本基準で選んで欲しいなぁ
想定外の話
もっとミステリー的な作品かと前半引き込まれていく。しかしびっくりの方向へ。
こんな切ない恋の話単純にBLでもなく奥深く深く苦しい痛みのような。怪物誰だ⁈無自覚に優しい言葉と行動で少年を追い詰めていく大人なのか小学生でありながら自分の性を自覚し人と同じようには生きられないと既に悟っている少年なのか。ラスト雨の中の大人光の中の少年。きっと永遠には続かないであろうこの先といずれ雨の中の大人になるのか。刹那い。
真実の多面性に留まらず、性の多様性に不寛容な日本社会にまで鋭く踏み込んだ意欲作
ストーリー構成は黒澤明監督の羅生門に似ている。事件を複数の当事者の視点から捉えることで、真実の多面性、危うさに鋭く迫った作品である。それだけではなく、クィアなどの多様性に対する日本社会の不寛容さにまで踏み込んだ意欲作である。
物語は、小学校で起きた担任教師・保利(永山瑛太)の生徒・湊(黒川想矢)と依里(柊木陽太)の喧嘩の真相について、母親、教師、生徒の視点で描いていく。
母親編では、湊のシングルマザー・早織(安藤サクラ)と学校側の主張には既視感がある。父兄と学校の実態だからである。学校側の母親への対応は隠ぺい体質、事なかれ主義であり学校は日本社会の縮図である。早織の対応は、自分の価値観、固定観念の押し付けである。結婚して子供を作って幸せになって欲しいと言った早織への反応、将来なりたいのはシングルマザーと作文に書いたこと、豚の脳の話は、自分は他者とは違うという湊から早織へのサインだと推察するが、固定観念を持つ早織には伝わらない。
教師編では、教育熱心な教師・保利の素顔が見え、事件の真相も明確になる。しかし、組織重視の学校側は保利の謝罪という形で話を収める。
最後は生徒編。固定観念を持つ親、組織重視の学校という厳しい状況で、二人のクィア生徒・湊、依里の複雑な心境と生き辛さを黒川想矢、柊木陽太が巧演している。クィアでない生徒達は、教室のなかで自分達と違うクィアを忌み嫌い排除しようとする。集団で虐める。教室は大人社会の縮図である。
終盤。二人は突然行方不明になる。映像表現から事故らしい雰囲気が漂うが深追いはしない。現実は厳しいという示唆だと推察する。ラストは二人の親密ぶりを描いている。ラストは作り手の願望であり希望である。現実は厳しいが希望はあるというクィアに対する作り手の暖かな眼差しを感じる。本作がクィアパルム賞を受賞した所以だろう。
本作は、真実の多面性と危うさに留まらず、クィアなどの多様性に不寛容な日本社会にまで鋭く踏み込んだ秀作である。
確かにそうか
事実は一つだと。確かに時系列的な、物質的な動き、という意味では一つ。
ただし、そこに、人間それぞれの感情が入ると、モノの見え方は一変するということか。
事実に関する情報もそれぞれに異なり、そこに立場や考え方がミックスされると、もはや、人によって、全く違うモノごとになってしまう
実は、2人の子供達も、事実は違うように見えているかもな
本作品鑑賞後、子供とは一緒に見たくないなって思ってしまったが、そういう思い込み自体が、実はろくでもない考えなのかもしれない
回収できていないと思われる伏線もそこそこあったように思われるが、そこは色んな想像が出来るってところで。
少し夢想してみます
しかし、流石の是枝作品。文句なしです
教授のピアノだけが救い
観るしかないに決まってるぅ!是枝監督x坂元脚本!坂元さんの作品は好きですし、是枝監督との初タッグ!新境地開拓作品になるか?!と高まる期待!休日早起きし、洗濯掃除ご飯準備してから出発!朝8:20から鑑賞w
なのになのに。。( ; ; )
うん。。受け取りました。でも。。
3部構成で、起こった出来事は1つなのに立場によって見え方が異なる。時系列や人物の視点をずらして「怪物」の実態をぼやかす狙い。うん。いいけど。私ですらの想像を超えなかったよね(°▽°)
初めて麦野早織(サクラちゃん)が学校に乗り込むシーン。緊張感が高まってくるシリアスな場面になると思いきや。教師陣のあり得ない対応や保利(瑛太)の
「あめ」のくだり!!ないだろ絶対!何?保利ってちょっと特性ある人なの??もう早くもこの辺でリアリティ無さすぎてチーン(°▽°) いや、良いのよ?リアルを追求しろって言うんじゃなくてさ、あまりにも「ない!」重要な所だろーー!!つか、湊(黒川想矢君)の髪の毛ジョキジョキの時点で母親ならもっと深く話しを聞くはずだし。思春期特有の子供に対する親の遠慮みたいのがあるにしたってなんだかな。。わかりますよ。母親って息子の事になると訳もわからず必死になってしまうし(ナオミワッツのようにw)私も実際モンペと思われたらどうしようとか、先生の対応に納得いかない事もありました。この年代の子供を持つ親御さんなら皆さん思い当たるんじゃないかな?だからこそ校長(田中裕子さん)へ向けられたあの言葉は。。心理は理解するけどよ?普通出て来ないワードじゃね?w
はぁ。。。色々ありましたが長文になりそうなのでこの辺でw こんな冒頭にしか触れず終わりますw
クィア.パルム賞も受賞って観る前に知っちゃっていたので私的には残念でした。LGBTQ問題も必要だったのか?湊と依里(声がたまらんw)が整い過ぎてて今ひとつ入ってこなかった(演技は良かったです)サクラちゃんは百歩譲るが、獅童から依里は出て来ないでしょ笑 脚本賞も受賞だけども。私が理解出来なかっただけで、坂元脚本ならではのエッセンスと捉えるのが正解なのか?
そしえ敢えてサクラちゃんと瑛太を起用しなくても良かったのでは?感もあるし、これが「是枝監督作品」でなければこの評価だったのか?が気になります。
皆さんのレビューを読ませてもらって色々な考え方があって面白かったです。それこそ立場によって異なる解釈がある映画だと思いました。
すごい作品でした!
素晴らしい脚本でした。
母親と教師と本人。視点が変わるとこんなにもものの見え方が変わるのかということを実感させられました。単に映画を観たというだけでなく、"体験した"と思える凄みがあり、是枝監督ってここまで来たんだ!っていう感動がありました。
ジェンダー、いじめ、モンスターペアレンツ、教職者の質やモラルの低下、マスコミ報道の危うさ、メディアリテラシー、児童虐待、シングルマザー、冤罪、自然災害、放火、犯罪者心理、自殺、殺人、子育て、モノの見方は一つじゃないこと、輪廻転生、青春……。これら様々な社会問題を描きながらストーリーは少しも難しくない。というすごい映画でした。これはカンヌで脚本賞取りますわ。
まぁ映画館で一回見ただけなので細かい分析はまだできていませんが、これは今後何回も観ると思います。
日本の映画の質が落ちていっている中、是枝監督がいるというのは救いだと思います。制作者集団「分福」で若い監督や制作者を育てておられるので、是枝監督につづく世界で戦える監督が出てくるのを楽しみにしています。
考えてしまう。苦しい作品
子供がいじめられてる。脳が豚にすり替えられてる。
言ったのは、誰だ?何!?担任の先生?
早速乗り込む。校長先生は、なんかやる気ない?
担任の先生は、うわべだけ!キャバクラビル燃やした?
校長先生は、お孫さん事故で亡くしてる?
学校、公務員はなんせ隠す。そんな先入観のまま映画は進む。えっ!先生普通やん。ちゃんと喋る。
いじめてるって誰が?あれで仕事や彼女がなくなる。
男の子、お父さんにDVうけてるやん。
男の子が男の子好きになったのバレたくない。
そんなこんなが、怪物を作っている。
みんな死なないで。
坂本龍一の音楽が美しいのが救いかな。
ラストの見解…
二人は亡くなってると思います。母親と保利先生が電車に着いたのは夜、ラストシーンで二人が電車から脱出したのは夜明けです。夜明けまで電車にいたなら先に発見されているはずです。あとは「生まれ変わるなら…」という発言が繰り返されていることから、嫌な想いをしない世界で生まれ変わったのかなと。
全体の感想としては総じて良かったのですが、母親目線で見たときの校長と保利先生のキャラクターが、保利先生編以降とあまりに別人で、構成づくりのためにちょっと都合良すぎかなとは思いました。保利先生の本来の性格からは、母親編で見せたような振る舞いはしないと思います。それも含めて物事の一側面だけをみると誤解しかねない、という教訓だとは思うのですが。
【是枝裕和監督】彼の常套手段に騙されてはいけない!?
是枝裕和監督✕脚本・坂元裕二✕音楽・坂本龍一=ドリームチームで描く、映画『怪物』を鑑賞しました。
坂元裕二氏の三部構成からなる脚本は秀逸でした。
第一章・麦野早織(安藤サクラ)の視点。
第二章・保利道敏(永山瑛太)の視点。
第三章・湊(黒川想矢・子役)の視点。
ひとつの出来事を、それぞれ角度を変えて描く、テクニカルな構成に見応えがありました。
ですが、第三章だけ、やや平板で間延びした感じで残念でした。
(ここからは、あくまでも個人的な意見です。)
子役二人の演技と脚本には目を見張るものがありますが、大したストーリーでもないのに、わざとわかりにくくして焦点をぼやかしながら、丸投げのクライマックスヘと導く…是枝裕和監督の常套手段は、やはり監督のよほどのファン以外に受け入れられないような気がします。
私的には、本作品もオススメできる最低ラインかなと思います。
主観と客観
見終わったあとはなんだかなと思った
瑛太や校長設定は映画の都合で一貫性がなく感じだし、子供達の友情或いはそれ以上の関係に瑛太だけ犠牲になってしまっただけのように思えた
ただ一晩経って改めて考えるとあの映画の登場人物はみんな一生懸命に生きてることに気づいた
主観的に悪いことをしているとわかっているけどそうせざるを得ない
それが客観的には怪物にうつる
獅童はオールドスタイルで子供に手をあげているような父親に映ったが本当にそうだったのだろうかと考えなおす
子供の体のあざも教室で喧嘩した時についたかもしれないし、いじめられた時についたかもしれない
獅童がただの暴力的な親父だったらあんなに中性的な服を買ってあげるだろうか
父子家庭の設定がきいていると感じた
星3くらいかなと思ったけど5に
素晴らしき美少年BL映画
鑑賞後の感想はレビュータイトルそのままです。
力のある作品なので飽きずに観ることが出来、
美少年2人のロマンスにときめき、最後は思わず涙してしまいました。
ただ劇中3部構成の
①比較的普通のお母さんが子どもの怪我や奇行を不安に思い、不信感しか持たない担任や、まともに対応してくれない学校への不満が募っていくサスペンスパート
②平凡な新任男性教師が反論の余地もないまま実態のない暴力教師に仕立て上げられ社会的に抹殺される転落劇パート
上記2部がラストのBLパートに果たして必要だったのかと思うと疑問。
特に②の教師パートは映画全体の中ではかなり薄っぺらい印象。①パートの母親や受け持っている学級の生徒とのシーンもあまりなく、1人の子どもの嘘で暴力教師に仕立て上げられていく過程に説得力が無い印象を受けました。
このパートやるなら同性愛傾向のある自分の息子を豚の脳を持っていると虐待する父親の心情を見たかったと思う。
また①パートの安藤さくらさんの演技が凄かっただけに、それがラストにあまりつながっていない印象を受けたのも残念。
タイトルの怪物については鑑賞者それぞれで考えてね、と言う終わり方です。
個人的には名監督が撮った美少年BLに感化されて、危ない性癖をもつ怪物にならないようにしなければ!と思いました笑笑
世界に自慢したい邦画
映画は3者の視点から描かれます。
序盤は、湊の母(安藤サクラ)の視点から始まります。湊の不可解な行動と、学校側の真実をひた隠しにしようとする様な対応に、観客側をイラつかせます。当然誉め言葉です。それにしても、安藤サクラさんって、未亡人役が本当にはまっていますね。夫死後も気丈に前向きに生きていこうとする姿、目の演技は見事です。
中盤、湊の担任(永山瑛太)視点では、前半は不審の対象でしかなかった人間が、本人目線で描かれています。瑛太も、「悪気はないけれど、ぱっと見はちょっと変な表情」を出すのがうまいですね。
最後、湊の視点。ここで前中盤に描かれていた、諸々の伏線が回収されていきます。
さすがの是枝監督×坂元脚本コンビ。映画は終始退屈することなく、人物表現に自然美と考えられた構成で秀逸な映画ですね。ラストシーンの故・坂本隆一の音楽との親和性も素晴らしいです。
「世界に自慢したい邦画」と感じました。
怪物の餌は、対等な人間として扱われない孤独か。
どうして悲劇は起こってしまうのか。
対等な人間として扱われたい。
可哀想だと見下されたくない。
晒し者や笑い者にされたくない。
理解されずに見捨てられたくない。
不幸だなんて決めつけられたくない。
自分の大切なものを傷つけたくない。
人は守りたい何かのために嘘を吐く。
その嘘は自分も周りも苦しめる。
人は守りたい何かのために攻撃対象を探す。
その独善は自分も周りも追い詰める。
生きる術として身につけた生きづらさ。
対等な人間として向き合うことの難しさ。
大人が作り上げた世界に翻弄される子ども。
肩書き、トロフィー、誰かに決められた幸せ。
「そんなの、しょうもない。誰かにしか手に入らないものは幸せって言わない。しょうもない、しょうもない。誰でも手に入るものを幸せって言うの」
湊視点での校長の細やかな心理描写が苦しかった。
対等な人間として認めないと心は閉ざされる。
対等な人間として寄り添えたら心は開かれる。
受け入れてもらえる居場所は誰にも必要だ。
それが家庭にも学校にも無いのが彼らだった。
依里の死生感に触れた湊が「生まれ変わる」と言い出し「出発」に希望を見い出してから、彼らが壁も柵も無い夢のような新世界を楽しそうに駆け回るまで、切なくて涙が止まらなかった。
「太陽が眩しい。海の匂いを胸いっぱいに嗅ぐ。いつもと違う匂いがする。僕は生まれ変わったんだ。僕は誓う。絶対に西田ひかるさんと結婚します。五年二組保利道敏」
胸がいっぱいで思うような文章にならない。
私は二人をジョバンニとカンパネルラに重ねて見てしまっていた。宮沢賢治が書いた銀河鉄道の夜だ。もしや「出発」後に靴が脱げていた依里は既に亡くなっていて、そして湊は意識不明の後に目を覚ますのでは、…などと残酷な想像をしてしまった。その展開があるとしたら、母親と元担任の理解を得られて、家庭に居場所が出来るのかもしれない。「出発」してでも好きな人と手を取り合うこと、好きな人と離別して「生きる世界」に安全な居場所を得ること、私にとっては一体どちらが幸せなんだろうかと考えさせられた。
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