怪物のレビュー・感想・評価
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どこにでもある学校がテーマで、こういうことは日常的に起こっているか...
どこにでもある学校がテーマで、こういうことは日常的に起こっているかもなという内容。最後は解釈を委ねる系の映画で、終わったあとなんとも言えない感覚になる。1回で十分な作品でした。
純粋な子供達に振り回される大人達
この映画はなかなか見るのをためらっていました
どん底にまで突き落とされる鬱映画だと思っていたから
ついに手を出してみたけどそういうものとはちょっと違うかも
息子が突然奇怪な行動をしてうろたえる母親に身に覚えがないのに社会的に殺されてしまう教師
子供達の異質な行動に振り回されてしまう
見ている自分も映画のタイトルに引っ張られてあれやこれやと推察して犯人捜しをしてしまう
この子達に振り回されているんだなと見ていて感じた
大人はすぐに間違いを正して普通に戻そうとするから振り回されるんだよな
最後のシーンはなんだか泣いてしまった
自分はグッドエンドと捉えています
じゃないとやりきれん
世にも尊い物語
いやぁやられた。
まさかこの不気味なタイトルの向こう側にこんなにも美しい物語が待っているとは。
人間ってこうなんだよ。
完全な悪も正義もないし。
常に誤解がつきもので、勝手に勘違いして、憎んで。
でもそれが実は相手の優しさだったりして。
でもそれに気づかなかったり。
気づいてるのに気づかないふりをしたり。
社会的正しさに当てはめて、それを幸せだと規定したり。
正しくなさを隠して正しく振る舞ったり。
なんて不器用なんだろう。
そうだよ。
でもこれが人間だ。
人間ってどこまでも不器用で不気味で意味不明で気持ち悪い。
でもそんな人間が愛おしい。
あの2人の最後の瞬間が永遠でありますように。
日常に潜む「怪物」の正体
ジャンルは特撮でもホラーでもないのに、『怪物』というタイトルが意味深だ。
本作の主軸となるのは、小学校教師の児童への虐待疑惑。学校を追及する母親(安藤サクラ)から、非難に晒される教師(瑛太)へ、そして渦中の子供(黒川想矢)へと、視点が切り替わって描かれている。
「怪物」がこの映画のキモには違いないが、その怪物とは一体何か、もしくは何を示唆しているのか。その答えを探しながら観たとしても、怪物の正体はそう簡単には暴けない。主観となる人物が変わるたびに、1つの出来事への認識が異なってしまうせいで、観客が知りたい答えは一転二転し、寸前でかわされ逃してしまう。
「怪物、だーれだ」とつぶやきながら、夜道を1人歩く少年。学校で子供たちの明るい声が響く中に、紛れて聞こえる怪物の咆哮を思わせる寂しげな楽器の音。
怪物は登場人物たちの日常のいたる所に潜んでいて、嘘を飲み込んで大きく育っていく。自己保身に走る大人たちはもちろんのこと、大人の庇護を求める無力な子供も、生きるために意図せず自分の中で怪物を飼っている。
鑑賞後は冒頭からの全てのシーンの捉え方が変わり、最初から見直したくなること必須。結末のシーンも観客に解釈を委ねられた感があり、一度観ただけでは味わい尽くせない奥深さがある作品だ。
本作は第76回カンヌ映国際映画祭コンベンション部門に出品された是枝監督の作品で、最優秀脚本賞(坂本裕二)、クィア・パルム賞(LGBTQに関した作品に与えられる賞)を受賞した。音楽は坂本龍一が担当。
居るけど
初めは全員が怪物に思えた。
ストーリーが進むにつれて、
ピュアな2人だけはそうでは無い事が分かった。
居るのは間違いない。
それは一人一人の中の、勝手な思い込みや、誤解もそうなのだろう。
ただ、本当の怪物も居る。
「怪物だーれだ」
息子の湊がいじめられたり、担任の保利先生から暴力を受けた、と学校に訴えるシングルマザーの麦野沙織。保利は、暴力ではなく事故であり、湊が星川依里をいじめていると疑うが、学校側は謝罪する。湊と依里には、二人だけの秘密基地があった。
カンヌで、脚本とクィア・パルム賞。担任失格の教師と、頼りにならない校長。一方、めんどくさいクレーマー気質の母親。断片や表面、子供の言うこと、そして大人のすることをどうとらえるか、が物語の主軸かと思いました。その点、「羅生門」を思い出しました。しかしその真相とさらに深い、自覚している依里と自覚を始めた湊の物語が主軸でした。二つの受賞に納得。
坂本龍一の遺作。
怪物=人の深層は必ずしも見えないことによる認知の「歪み」のこと?
映画作品としては、時間軸を前後させながら、少しずつ真相を明らかにしていく手法が、面白いと思いました。
そして、切り継ぎされる関係者の供述は多岐に別れて、容易に真実が浮かび上がってこない-その意味では、本作も、いわゆる「羅生門形式」の一本であるのかも知れません。
作中では「かいぶつ、だ~れだ。」という湊川と依里との歌声が、折に触れて繰り返されるのですけれども。
そして、本作に登場する主な人物では、
○いわば「独り取り残されて」、湊との関係性だけに生きているかのような早織
○一見すると「能天気」にしか見えないような保利先生
○実のわが子を「病気」と決めつける依里の父親
○妙に世慣れていて、学校の体面や保身しか考えていないような伏見校長
「個性の重視」というのか「個人主義」というのか、それの行き過ぎというのか…「他者との関係性を築けない」というのか…「他者との関係性を理解できない」という人は、いつの世にも、一定割合では、存在するんだろうなぁとは思います。(そういえは、「縁なき衆生は度しがたし」という言葉もありましたっけ。)
そう思いました。評論子は。本作を観終わって。
それらを「怪物」と言うかどうかは別として。
否、むしろ、そういうものとしてステレオタイプに決めつける方が、よっぽど「怪物」もどきだと思うのは、評論子だけではないことと思います。
結局のところは、本作の登場人物の、誰の、どこが、どのように「怪物」と一概に決めつけることはできないと思うのですけれども。
あえて「怪物」というならば、受け止め方の多様性ができないこと…人の心理の深層を人は必ずしも認知できないことからくる認識の「歪み」を理解できないことは、「怪物」に見えるのかも知れないと思いました。
評論子は。
そして、まるで「荒波の海の上を漂う小舟」のように、そういう大人たちのせめぎ合いに翻弄される湊と依里の姿も、胸に痛い一本でもありました。
本作は、2022年間に札幌地方で公開された作品から、評論子が参加している映画サークルで、年間ベストテンに選ばれ、また同サークルの「映画を語る会」でもお題作品として取り上げられた一本として観賞することとしたものでした。
上記のような人間関係を浮き彫りにしようとした一本としては、充分な佳作であったと思います。
評論子は。
(追記)
人との心の中にあるもの―否、むしろ明確に外部には析出はせず、本人も意識はしていないが、人の心の奥底に潜んているもの―「人の心の闇」を描いたという点では、『福田村事件』と同一事案を角度を変えてみせたのが、本作」という、評価子が入っている映画サークルの先輩会員の評は、外れてはいないのだろうと思います。
(追記)
いわゆる「羅生門構造」で、登場人物のセリフだけからは、容易には真相に辿(たど)り着けないような感じが、作品の全体を通じて漂います。
その点が、本作を通底する、ある種の「不気味さ」になっているのではないかと思います。評論子は。
そして、火災のシーンや、現場に急行する消防車のサイレンも、本作を通底する「不安」の、一つの要素として、効果的にも使われていたと思います。
(その意味では、安藤サクラも田中良子も、けっこう不気味なキャラクターで、ちょっと怖かったのは、評論子だけだったでしょうか)。
(追記)
「…してくれなかったら、お母さん、暴れるよ。」
あまりに単純(単細胞?)で、直情径行的で、お世辞にも「思慮深い」とは言えないところをみると、豚の脳と入れ換えられていたのは、案外と早織の方だったような気がしないでもありません。評論子は。
(追記)
湊と依里との関係性も、微妙でしたね。本作では。
いわゆる「LGBTQ」の「Q」は、最近は、不明(Question)を表すのではなく、もともと「不思議な」「風変わりな」「奇妙な」などと訳される「Queer」(クイア)(を意味するものだという考え方もあるようです。
かつては同性愛者への侮蔑語だったということですが、現代では、規範的な性のあり方以外を包括する言葉としても使われているとのことです。
湊と依里との関係性も、そんな関係性だったのかも知れないと思いました。評論子は。
(追記)
是枝監督は子役の使い方が上手いという、多くのレビュアーのご意見に、評論子も賛成です。両手を挙げて。
そして、子供には「自分の証言(発言)」が、どういうふうに事態に影響を与えるかを正確に判断することがまだできないので、重要な事実を言い漏らしたり、未熟なな表現で断定的な物言いに受け取られてしまったりもする。
そういう判断能力の充分な大人からみると、子供は嘘つきに見えたり、反面、真剣に訴えているのにいい加減な受け答えをしているかのように受け止めてしまう。
湊と依里と、他の大人たちとの関係性については、そういう問題もあり、それが本作のストーリーを混迷させている―そういう要素は、あったのではないかと思います。評論子は。
(追記)
本当に、余談の余談ではありますけれども。
本作の中に「豚の脳を移植された人は、人間か豚か」というセリフが幾度となく出てきますけれども。
ヒトに豚の脳を移植するかどうかは別として、ヒトに豚の膵臓(正確には豚のランゲルハンス氏島)を移植する臨床研究(ヒトを対象として行う医学研究)が始まると、今日(令和6年4月10日)付けの読売新聞で報じられていました。
豚の膵臓を移植されたヒトは…ヒトであることには間違いはないのだろうと思います。
レビュアー諸賢のトリビアまで。
怪物だーれだ?
とにかく謝って済ませてしまいましょう、ていう学校の体制が悪い。担任からも、当事者の子供からもきちんと話を聞こうともしない。結局ただ謝らされて学校を辞めさせられた先生がなんか気の毒。だって担任の先生は湊を殴ってないし、豚の脳みそとも言ってないのに。
湊が学校で暴れたのは、星川くんを守るためで、そこを担任ももう少し理解できていれば状況も違ったかも。湊が豚の脳みその話を、星川くんがお父さんに言われたことだとお母さんにきちんと話せていたら、とも思うが、そこはまだ子供、、、湊は湊で仲良しの星川くんを助けたいけど、他の子から仲間はずれにされたくない、ジレンマでいっぱいいっぱいであっただろう。
校長が頼りない。星川くんのお父さんが酷い。校長は湊と楽器を吹きながら、言えないこと、なんて吹いていたんだろう。なのラストは?現実?それとも、、、?
観ていて辛い、観終わっても辛い。ただ役者さんはみんな的役。みんな上手い。子供達も。この子達、どんな俳優さんになっていくか、楽しみ。みんなで暖かく見守りたいですね。
人生も世の中もこの映画の評価も人によって様々。
映画を作る人も演じる人も観る人もそうでない人もそれぞれの生い立ち、環境の違い、個性とか視点とか興味によって違いは様々。この当然の事がこの映画観てると改めて認識されて、固定観念があからさまに剥がされて行く様な映画ですね。
何処が一番大事か人によって違うのですよ・・ね
ボタンの掛け違いから起こる誤解
本当の悪人はいないのに、ボタンの掛け違いから歪んでいく事実や心情の怖さ。
10代前半特有の、あやしくて危なげな雰囲気。
どこにでも起こり得るストーリーだからこそ、惹き込まれるものがあった。
丸投げされたラストシーン
湊の母親への告白で担任保利と学校への憎しみを見せた後に保利目線での検証するように時間が戻る。実際これが真実なのか?保利の自己弁護の映像では?あれっこのプロット3番目の殺人で使ってたんじゃないかな。それとラストの投げっぱなところ気になった。豚の脳ミソでも生きずらく無い世界に変わったって事?よくわからん?結論是枝氏は合わん。
「怪物だーれだ」と言いたくなる
脚本がかなりしっかりしているので
作品としての見応えが素晴らしかった。
その人物の視点によって全然とらえ方が違う
本当に「怪物だーれだ」と言いたくなる。
多かれ少なかれこのような出来事は
あるんじゃないかと思う。
ちょっと取り方が違うとか先入観で物事を考えるとか
思い違いがあるとか・・・
スッキリしたようでスッキリしない気持ちになりました。
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