怪物のレビュー・感想・評価
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やはりカンヌの脚本賞は伊達じゃない。
さすがにカンヌの脚本賞を取るだけあって、濃密で見応えのある映画でした。
この映画をひと言でまとめるなら『物事は見る立場が違えば見方も変わる』そんなところです。
学校の内外で起きる様々な出来事に対し母親、学級担任、子供という3者の視点からそれぞれストーリーが描かれています。
この映画のタイトルである『怪物』とは関わると面倒で厄介な人、サイコパス的な人を意味しているわけですが、この映画にはそんな怪物と思わしき人物が次々に登場します。
観客は『こいつが怪物か』と見当を付けながら見進めていくわけですが、視点(立場)が変わると『あれ?この人、怪物だと思ってたけど実はまともだな』と何度も見方を覆されます。それがこの映画の肝です。
母親目線で見れば学校が怪物、学校目線で見れば母親や子供が怪物、子供目線で見れば怪物はいない(強いていうならクラスメイト)。
そんな具合に見る立場によって見方が180度変わってしまう。鑑賞後は『結局、怪物は誰だったのか?』と自問自答することになります。
この映画が教えてくれること。それは
『立場が変われば見方も正義も真実も違って見える。ひとつの側面だけを見てすべてを知った気になり、物事の善悪を判断したり、論じたりするのは危険なことだ。もっと多角的な視点で見て物事を判断して欲しい』そんなところでしょうか。
怪物?
客観的視点
表現が難しいモヤモヤ
映画館にて鑑賞しました。
かなり正直に言うと、CMで見た情報からなんとなく想像していた「こんな話なのかな?」感は超えなかったように思えました。
登場する大人達(湊の母親や、担任の保利先生などなど)の性格や行動原理は「たしかにこの人ならこんなことするかもな」と、ある程度納得はできました。
ただ、人物描写がリアルなだけに、学校側の描写や、事態を解決に向かわせようとする人物が登場しないこと(というより事実関係を確認しようとする人物が母親以外にいないこと)に、ストーリー展開にはリアルさを感じられず、人物描写とストーリー展開のリアルさの差異を感じてしまい、違和感を覚えました。しかし、そもそもとしてストーリー自体が、母親・保利先生・湊の視点で描かれていくので、あくまでそれぞれのキャラクターが受け取った真実だと仮に考えると、認知のズレがある可能性もあるため、なにがどこまで事実なのかは正直分かりません。そう考えると、自分が感じた違和感や劇内での本当の事実は映画で描きたかったことにはあまり関係がないのかもしれません。
湊と依里の関係性や掛け合いはとても良かったです。依里の若干の距離感の近さは、依里の人物像をとても表現できていたと思います。
怪物は誰の中にも
坂本裕二脚本、是枝裕和監督って面白くない訳がない、ワクワクして鑑賞した。ストーリー展開、目線を変えて同じ日時を立場毎に描く手法、徐々に明らかになる隠れていた部分、それらが上手く紡がれて、予想もしなかった展開へ。隠れていた事が少しずつ見えて来て、でも何故?という疑問が徐々に解けていく過程、そして戸惑いと迷い悲しみが複雑に絡み合ったその情景に唖然とする。怪物の影はきっと誰の中にもあって、そしてお互いを受け入れることで、その見えないものが見えてくる。
とてもせつない気持ちを受け取った作品だった。坂本龍一のピアノが静かに心の機微を表現しているようで、とても自然にシーンにマッチしていて泣きそうになった。
怪物はいない
真実という名の怪物
脚本は良いんだと思うけど
嵐
吹き荒れる嵐が過ぎ去ったような気持ちになった。
物語が進んでいくたびに、
心を掻き回す。掻き回す。掻き回す。
嵐が過ぎ去った空は、明るく晴れやかで、まるで何事もなかったかのような青空が眩しくて、少し寂しかった。
そして、この物語をもう一度見たいと思った。もう一度見たときに気付いたことが、これからの心の支えになるんだろうと感じた。
そんな作品でした。
インタビューで脚本家の坂元裕二さんが、話していたことが忘れられないんです。
坂元さんが運転をしていて青信号になった。しかし前のトラックは動かない。クラクションを鳴らしてみると、老人が横断歩道を渡りきれてなかったので老人が渡り切るのを待っていたとの事。
この時、人は気付かぬうちに加虐していることが有ると気づいたそう。こういった気持ちを作品にしたかったとの事。
このお話のクラクションを鳴らす事自体は間違いでは無かったと私は思う。それでも大事なのが、そのクラクションが、誰かを気付かぬうちに傷つけているかもしれない、と気づけるかどうか。正しいことをしたなと思っていたことが、足元を掬う事もあるし、大きなクラクションの音が別の誰かを救う事もある。
それに気づくことは難しい。そんな普遍的なことに気づかせてくれる傑作映画になっている事は間違いないでしょう。
素晴らしいキャスト陣の張り詰めていく演技と、美しいカットの数々、細やかな生活音、そして坂本龍一さんの美しい旋律。
特にラストシーンはとても眩しかった。子役の2人は圧巻でした。
こんな日本映画が世界に広がっていくのは、日本映画の良い事に繋がって行くと思う。
良い悪い含めていろいろあると思うけれど、それも含めて2023年の劇場案件ですね。
左派系 母が 闇雲にかき回さねば、もう少しマシな結末になった
是枝監督の新作なので、観ました。
あるあるな教育現場 なのですが、登場人物のそれぞれが それぞれの世界感と価値観で生きている事を
うまく表現できている点が素晴らしかった。
序盤のおぞましいばかりのモンスターペアレントぶりに、僕は幻滅したが、
映画的には母目線で進行するので、鑑賞者の多くは母親に感情移入して
母親を同情し、教育現場を愚弄するだろうが、
これは映画的に解りやすく 切り取り表現している のであって、あえて それに載る必要はない。
しかし中盤からの"先生視点"が加わり、 全鑑賞者の見方が変わる。 とても素晴らしい脚本展開です。
いろいろな視点が映画に加わることにより、単純ではないこの世の"社会構造"を再確認させられ、
けして世には 善・悪人が 存在しない事を知る映画に仕上がっているのは、素晴らしかった。
しかし 鑑賞者に何かを考えさせ
問題定義をされるが、けして結論に導かない是枝監督作品。
そろそろ主張をした映画作りに移行して欲しいと願います。
LGBTQ映画なのかもしれないが、思春期の子供たちの心は いろいろ雲の様に動き回る ので...
「豚の脳みそ」を告白する 夜の坂道、良いシーンだが 画面端にカメラマンの影が入ってしまっているのが残念。
気にする方がおかしいし、良いシーンだから、別テイクを使うのも もったいないのだが。。。気が付いた 自慢
映画「イングリットバスターズ」の酒場でもやっていた、"誰だゲーム" 面白そうだから、やってみたい。
とにかく 答え合わせばかりの映画なので、
時系列が産雑になりがちなのを、
混乱しないような 道しるべを置いてくれたので、過去と現在の時間の流れを間違う事はない。
脚本家とその編集した編集者は素晴らしい。 「脚本賞」
前夜にたどり着いた後の、ラストシーンなのだから
そういう結末です。 セリフ通り。
こういうラストシーンを描ける監督が、アニメ界以外の日本に居た事に感動した。 「監督賞」
音楽は特記特別記載事項はないが 坂本龍一さん。
次の是枝監督作品も必ず観ます。
映画ではないが、いじめ問題での漫画「聲の形(全7巻)」を読むことを進める。
ずっと胸が締め付けられながら観た。「藪の中」とは作りが違う。元気なときに見に行って下さい
誰かの嘘、誰かの憶測、誰かの噂、誰かの保身、誰かの憂さ晴らし、そういった大きいものから小さいものまで、色んな人の色んな闇がどんどん、どんどん積み重なって、怪物をつくって行く。誰の中にもあるそういった闇が怪物なのかもしれない。その怪物は弱い人、少数派を追いやっても行く。ずっと胸が締め付けられながら苦しく見た。うつ映画なので、元気なときに見に行った方が良い。
序盤に展開するストーリーから、これは何があったのだろう、誰が何をしたのだろうと、一種のミステリーになって真実は何なのか気になってしょうがない。見終わった瞬間は星4.5かな、と。ただ、思い返すと気になるところが出てきて、少しマイナスしました。
誰かの目から見たらこうです、ある人の目から見たらこうです、真実や如何に?という「藪の中」とは異なり、後半、徐々に見えていないことが明かされて分かる1つの真実。認識の違いというより、人間には見えていないことも多い、そして、それは捉え方を一変させることもある。
「藪の中」「羅生門」とは異なり、誰かの語り、つまり主観が入った状態で話を知らされるのではなく、観客は客観的な事実として話を追っていくため、前半と後半のある人物の違いは、ミスリードを狙い過ぎではないだろうか。他の方がコメントされていたが演出ミスではとも思えた。
また、真実が分かったときに、それぞれの事情から、そうかあの行動はこういう理由だったんだね、それはやむを得ないよね、と思えるところと、その部分が弱いところがあり、少しマイナス。もっとピースが全部カチッとハマり、おおお、さすがカンヌ脚本賞!と思いたかった。特に校長は、人物造形に一貫性が感じられず、田中裕子さんのぬめっとした演技に寄りかかってるところが大きい。まあ、現実、そんな貫通行動で一貫性のある人はいないから、リアルなのかもしれません。
子役の2人はとてもとても良く、次代の柳楽優弥さんを期待させました。
日本映画らしさ
「出発するのかな?」「出発の音だ。」
監督はまた、家族の話を作り上げた。同じ時間を三つの視点で展開していく物語。その視点は、ときに本人の思い込みも激しく、まったく別の印象となる。黒澤映画「羅生門」のように。劇中、子供をバケモノと表現する場面があるが、安藤サクラも永山瑛太も二人の子役も、バケモノと呼んでいい演技力だった。さらに伏線がいたるところに張り巡らされて考察が尽きない。「豚の脳」「虐待」「廃線」「二人の関係」や、そして「出発の音」の意味するところ。結局、この映画の中の「怪物」は誰だったのか、何だったのか。鑑賞後の感覚は、是枝監督の「三度目の殺人」の時のような、煙に巻かれたような有耶無耶にされたような、つかみどころがない。だけど裏返せば、「怪物」は誰の中にも潜んでいるとも思える。善人とか大人しいとか思われていた人間が、なにかの拍子に急に豹変してしまうような。自分が正義だと信じる者は暴走してしまうことや。ありもしないことが噂となって、さも真実のように捏造され歪められて事実とされてしまうことや。平穏だと呑気にしている日常にこそ、得体のしれぬ怪物は潜んでいるよとでも言いたげな。
ああそうだ、窪田空穂の短歌を思い出した。
「哀しみは身より離れず人の世の愛あるところ添いて潜める」
胸が痛くて蹲る。
三つ子の魂。
鑑賞しながら最初に浮かんだのが
この言葉だった。
幼い頃の環境、佇まいがいい年に
なっても影響を及ぼしていると
この頃思う。
でも、それがどんな環境だったかは、
視点次第で、がらりと姿を変える。
映画は三部構成で見事に真実のあやうさを
伝える。
若くて軽い先生が、息子をいじめてることに
気づき、猛然と抗議するシングルマザー
(安藤さくら)。
観客も感情移入し、学校に怒りを感じる。
これが一部。
ところが二部はがらりと変わり、先生にどうやら
罪はなさそうだと思わせる。
悪いのは子どもか。
そして三部は子どもの闇と光が描かれ、
怪物というのはいったい誰なのか、
幻惑されていく。
謎が謎を呼ぶ脚本の妙味と、真摯なテーマ、
役者陣たちの見事な演技。
あまり好きな言葉じゃないけど、
ここには弱い立場の人たちのどうしようもなさと
哀しさ、切なさを、肯定する懐の深い世界観が
ある。
映画で行間を読ませるというのは、
一歩間違えば芸術的になって、
エンタメ性に欠けるのだが、
この作品はちゃんとそこにも到達している。
是枝さんの中でも一番じゃないかな。
あと、2回は観るつもりです。
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