怪物のレビュー・感想・評価
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すべてが愛おしい
是枝裕和って、どうしてこんなに男の子の描き方がうまいんだろう。途中からわけもなく泣けて泣けて仕方なかった。(ほんとは、わけもなくじゃない。遥か昔男の子だった自分を、少年だった頃の自分の心情を思い出したから。僕はノーマルなんだけど、男の子に不自然なくらいに妙に好かれたり、逆に気になる男の子がいたりってこともあったよ)
前半、教師達の描き方があまりにステレオタイプに思えて、何だかなと感じたのだが、別の目線で保利先生(永山瑛大)、校長先生(田中裕子)を描くことでこの部分も納得できた。保利先生(この人ってまだ男の子です)は中途半端な理解(つまり誤解)で星山くんと湊君に関わってしまった。その代償が大きすぎて気の毒すぎる。お母さん(安藤サクラ)の前で緊張のあまり、思わず飴をしゃぶってしまう、なんてあり得ないって思う人たくさんいるだろうけど、僕にはなんか分かる。この先生の少年性(未熟性)が。
緑溢れる映像は美しく、子供達は瑞々しく、昔少年で、男の子を育てたことのある僕には、いろいろなことが腑に落ちた。
そして、最後に(これとても大事です)、全編に渡って流れる坂本龍一の音楽が胸に染みた。
二面性X三視点
答え探し
カンヌを沸かせた作品という前情報と予告のなんだかエグそうな感じに導かれ鑑賞。あまり国外の賞とかはよく分からないのですが、是枝監督はよく受賞するなーくらいの感覚です。前作「ベイビー・ブローカー」がハマらなかったのは一つ懸念点ですが…。
役者陣の濃密すぎる演技、三者三様の視点から描かれる親、教師、子供の物語、LGBTに対する一つのアンサー、賞を受賞する要素はたっぷりありましたが、その上で完成度の高い作品に仕上がっていました。
親パートではシングルマザーの早織が、息子の湊が教師にイジメられているという報告を受けて学校へ乗り込む様子が多く映されます。親パートだけ見ていると、教師側は完全に悪ですし、子供たちもなんだかおかしいものとしての描かれ方ですし、このパート単独なら早織が周りの怪物たちと対峙する流れなのかなと思っていました。このパートで張り巡らされた伏線を一気に回収していくとは…。
堀先生、親パートでは完全にダメ教師の様相だったんですが、先生パートに突入した途端生真面目な教師へと様変わりして、棒読みチックだったのも演技をしていたという事が明かされます。でも謝罪中に飴を舐めたり小言を発したりというところが先生パートではがっつりカットされていたので、キャラ変しすぎじゃないかというところは大きな疑問でした。
子供に暴力を振るったわけではなく、不意の事故がそうなってしまったがために、しかも子供たちの噂話が広がり大事になってしまったという、堀先生からしてみればかなり頭の抱える事案になって、壊れる寸前まで行ってしまったのは間違い無いと思います。
そして子供パート。依里と湊の友情、そこには収まらないそれ以上の感情がこのパートには凝縮されていました。イジメられていた依里と仲良くなる湊、いじめっ子たちが粘着質なので長期的に依里をあの手この手でイジメますが、へこたれる事なく前を向く依里に湊は段々と、でも確かに惹かれていったんだと思います。
時々、自分もイジメられてしまうのでは、ラブラブと言われるのは嫌だ、という葛藤の中で依里を突き放してしまうシーンが多く見られますが、自分自身そうしたい訳ではないというのもひしひしと伝わってきます。真っ直ぐな笑顔を見せる彼らの姿は本当に年相応で、それでいて美しいなと思いました。
おそらくですが、依里と湊は土石流に巻き込まれ亡くなってしまい、ラストで2人が自然に満ちた晴れやかな世界で駆け回っているのは、同性愛者は死後の世界でしかゆっくりと繋がれないという残酷なアンサーが刻み込まれていたなと思いました。
「イニシェリン島の精霊」ではそうなる前に別れるというアンサーを出していましたが、今作では最後まで繋がるという選択をした2人が強く描かれていました。
今作のMVPは田中裕子さんです。無気力で事務的な事しか発せれない校長には苛立ちが隠せなかったです。最初から最後まで無気力な感じがブレずに、激昂する現場とは相反する冷静さに事足りた演技には鳥肌ものでした。容赦なく切り捨てる様子も冷酷で残酷でした。
永野瑛太さんも素晴らしく、こちらもまた無気力で気怠げな様子と、子供を想う気持ちが強くなり行動に出まくってしまう崩れそうなバランスが最高でした。
黒川想矢くんと柊木陽太くんの大人の顔と子供の顔を見せる絶妙な演技もこれまた素晴らしかったです。嬉しそうに駆け回るシーンは年相応な元気な様子が映されるんですが、喧嘩のシーンや土砂降りの中2人で駆け落ちするシーンなど、大人びた顔をするシーンなんか、心ここにあらずって感じで観てしまいました。
脇を固める方々も本当に豪華で、演技面では全く隙のない演技戦争になっていました。
この作品の本当の怪物は周りで傍観して、自分を正当化している人たちなのかなという解釈をしました。
イジメを促していた子達には言及もされませんし、堀先生を追い出した教師たちも自分の身の安全を優先した結果の行動ですし、怪物として描かれた親、先生、子供は怪物として見られただけの普通の人だったのかなと思います。
どうしてもここ最近の賞を受賞する映画は国内外問わずLGBTが盛り込まれている事に少しモヤモヤしています。最初からLGBTをメインに描くならば、物語にもスッと入り込めるんですが、後半の種明かしで実はLGBTが主題の一つなんですと言われて、それを飲み込めと言われても少し困ってしまいます。
完成度の高い作品だっただけに、複雑な要素が変に絡まっていたなと思いました。
心を抉る怪作、今一度自分自身を見つめ直すきっかけになりそうな映画でした。
鑑賞日 6/2
鑑賞時間 12:40〜15:00
座席 M-22
誰もがなりうる
もっと素直に生きたい。
複雑さに耐えて生きる。
米・英のレビューでは dense, intricate, deliberate, nuanced... と、この映画の優れた部分を正しく見抜いた評語が並ぶ。そう、これははっきりと言葉にすることのできない不気味なもの・不安なものを、その複雑なニュアンスを崩さないまま映像にすることに成功した作品。
LGBTQの気配は、その豊かなニュアンスの一部であるにすぎないし、それも作り手は慎重にていねいに扱っている。作り手がこれを「LGBTQの映画ではない」と言うのは当たりまえで、それを批判するのは的外れだと思うよ。
同時に脚本が随所に欠陥を含んでいることも、冷静に画面を見ることのできる観客は、はっきり見て取ることができるはず。つじつまの合わない伏線、思わせぶりだけど話を放り出して終わっているエンディング。脚本がそんなふうだから、海外のレビューも多くはこの映画を「傑作」と言い切ることに躊躇している。
だけどカメラと照明と美術は文句なく今の日本映画の最高水準だし、世界中見渡しても、このレベルで微妙なニュアンスをコントロールできる映画作家はまれ。
その画面の複雑さをささえる技術的達成をきちんと見て評価するべきなんだけど、日本の映画評は、それができないんだよね。朝日新聞に評論家が寄稿したレビューなんて「怪物とは私たちやあなた自身のことだ」…とかさ、ほんと勘弁してほしい。
すべてが素晴らしい、特別な力のある作品
「怪物だ〜れだ」これが全てを物語る。
何がすごいのか?脚本、監督、音楽、演技?全てだった。
最初、学校で起こった出来事と教師達の対応。観客は学校組織、教師が怪物だと感じるだろう。ところが視点が変わるとそれが揺らぐ。
様々な人の中にそれぞれの視点があり正義がある、それが他者から見れば「怪物」と映る。しかもそれだけではなく自分の中にも怪物がいることに気づく。子どもながら性的な恐れとして。
誤解をうむ前提で言えば、洗練された昭和的なストーリーであった是枝作品が洗練された令和的なストーリーにアップデートされたと感じた。
どうしたらこんな深い脚本が書けるのだろう。脚本家坂元裕二の凄さに脱帽。
床に書かれた「6」、1人は「6」と言い、1人は「9」と言う。両方とも事実。見る方向が違うだけと言う話を思い出した。
怪物は〝そこにいる〟のではなく、自分なのかもしれない
なるほど❗️
この脚本の着想は、〝モンスターペアレンツ〟という言葉からきたのですね、たぶん。
一口でモンスターと言っても、そう呼ばれる親が本当にタチの悪いクレーマーの場合もあれば、純粋に子ども思いだからこそ、心ない教師の側から見ればモンスターに見える場合もある。
湊の母にとって一番重要な論点は、事実はどうであったのか、湊がどう心と身体に傷を負ったのか、それらを明らかにしたうえで、どう恢復を図るのか。
そんな前提は、確認するまでもない。
相手が人間であれば。
そう思って乗り込んできた母からすれば、彼らはモンスターにしか見えない。
姿かたちは同じ人間でありながら、〝異界〟に住むモンスター。
特別ではなくても、どちらかと言えば、良心的に子供達と触れ合おうという意欲を持ち合わせた新人教師。
彼から見ればトンチンカンな理屈にもならない理屈で動く先輩教師たち。
実社会でも。
経済合理性の観点からは、明らかに無駄と分かっているのに、ある上席者の面子(メンツ)や形を残すためだけに実務上必要のない説明資料を作らされた、なんて経験はありませんか?
昭和や平成一桁くらいまでは、それも仕事の一部としてなんとなく認められてた部分もありますが、今、それを強要する上司がいれば、理解不能なモンスターでしかありません。イジメなどに比べれば大したことはないように思えますが、その手の理不尽さを耐え難い(常識の範囲でごく普通に合理的な)人にとっては地獄です。メンタルが原因で療養を余儀なくされている勤め人が後をたたない一因でもあります。
怪物だーれだ?
その人は時に手を上げますか?
親ですか?
上司ですか?
先生ですか?
なにが起きていても見て見ぬふりをしますか?
理屈に合わないことを強要しますか?
もしかして、それって、私のことですか?
誰もが誰かにとっての怪物になり得る。
ふたりの子どもたちや陽光燦く緑などがとても美しいだけに、余計に怖さを覚えます。
この映画、ヒューマンミステリーのような体裁なのに、実はヒューマンホラーなのではないでしょうか。
(追記)
湊くん?
この作品の登場人物のしれっとした怖さ(相手が陥る不幸について同情的な共感を持たない)、『母性』のような視点の違い。羅生門よりもかなり恣意的な捉え方。
着想は、モンスターペアレンツからではなく、湊かなえさんの小説かもしれないですね。
目に見える「常識」や「確からしさ」の脆弱さと、本質を見極める力
怪物とは
① あやしいもの。正体のわからない不思議なもの。また、特に力の強い大きな化け物。
② 性質や行動が普通の人とは非常に違っていて、正体のつかめない人物。
さて、本作における怪物とはいったい誰だったのだろうか?
是枝作品に共通する特徴は、現代社会に対する観客への問題提起と、それにより物事の本質に近づこうとするアプローチ。
旧態依然の教育制度、潔癖過ぎる社会、SNS等の環境変化などの巨大な怪物。または、親、子供たち、先生、それぞれからお互いを見た時に現れる個別の怪物。
問われるのは、目の前の怪物は、果たして本当に怪物なのだろうか?そして、さらに重要な物事の本質を見落としてはいないだろうか?
目に見える「常識」や「確からしさ」の脆弱さと、本質を見極める力を問われる作品でした。
最後に、坂本龍一さんの遺作になったであろう本作。映画界にも多大な影響を与えた坂本さんが亡くなられたことで、一つの時代の節目を感じました。
嘘に傷つく人々の闇が深い
カメラワークや編集は是枝作品ではあるが、坂本作品と言って過言ではない。
カンヌで脚本賞も納得。
クィア・パルム賞も獲得したということで、LGBTに振ったorそれが主題の作品なのかしら?と思って観に行ったのだが、鑑賞後にはそれは構成するごくごく一部の要素であって、主題ではなかったように思った。
いわゆる「ラショーモン・アプローチ」「羅生門メゾット」といわれる、同じ出来事を三者それぞれの視点で繰り返して描く三幕の構成で、それによって「何が、誰が怪物なのか?」ということをあぶりだしていく。
何を言ってもネタバレになっちゃうので、ほかには何も書けないのだが、実に「闇の深い」重たい作品であった。
たぶん海外の賞で高評価を得られると思うが、日本での興行成績的にはやや不安。
個人的にはものすごく興味深いものの、かすかな表情やセリフ、出来事から意味を感じ取り理解する、脳をフル回転して観る必要のある作品でもあるため、観て爽快感はなく、積極的かつ単純に「面白い」と言いにくい。
作文のシーンなど再確認したい気持ちはあるものの、観るとどっと疲れるのでリピートは難しい。
光
台風豪雨の中、初日に鑑賞。
台風豪雨の中でも初日に観たいという魅力が是枝作品にはある。
まず、安藤さくらの母親の身になってだんだんと不安が募ってくる。学校の先生たち、特に校長の態度に我慢がならなくなってくる。(よく角田さんつれてきたなぁ、まさに適役)
次に瑛太が演じるホリ先生、田中裕子の校長の視点から描かれると、謎解きのように面白くなってくる。(今の時代、教師にはなりたくないなぁ)
ミナトとヨリの子どもたちのパートに移り、そうだ、これは是枝作品だ、ミステリーではないんだ。
わかりやすい感動の結末が待っているわけではない。
坂本龍一さんのピアノの調べのように強く深く哀しみの中にも光が見えてくる。
(子どもたちはいい顔してたなぁ。)
是枝作品には台風豪雨の中でも観に行って良かったと思う光があった。
ぶっ壊れた家族の、絶望。
柵
最後、「行き止まりの柵」がない。
このワンシーンで、思考停止した。
考えさせる場面は沢山あったが、このシーンの印象が強すぎて、他の印象が薄れてしまった。
それでも、最後のシーンを否定できない。
先入観
小学5年生の息子の異変に気づき本人から話しを聞いて担任を糾弾するシングルマザーと糾弾される担任、そして息子の話。
断髪に水筒にと違和感を見せ始めたと思ったら、でかけたまま帰って来ず耳にケガをしているは走行中の車から飛び降りるはと奇行ラッシュの息子。
そして息子の話しを鵜呑みにし担任による不当な扱いと決めつける母親に、まともに調べもしなければ議論もせずとりあえず無機質に謝罪をする学校という不快な流れから始まって行くけれど、気付けば時間を巻き戻し実は…そしてまた実は…。
見えているものや印象と真実との乖離というところをみせていくのはわかるけれど、最初の実は…は概ね想定ないというかそりゃあそうだろうね。
子供を題材にしている作品ながら、なかなかショッキングな展開は意外だったし、そこからの実は…はきくらか意外性もあったけれど、こういう作品でもやっぱり性自認ネタ入れるんですね。
正直最近の何でもかんでもLGBTQネタは正直食傷気味。
言いたいことはわかるし、重くし過ぎない様にこういうつくり何だろうけれど、結局怪物は…。
この手の作品で飽きさせずに観せてくれたのは大したものだし、面白くはあったけれど、実はの部分にガツンと来る程のギャップがなかったし、悲しさややりきれなさもマイルドだし、何より決めつけることの恐ろしさはあまり感じなかったかな。
深いような。うっすいような。
ふっかい様な
うっすい様な。
どこにでもありそうな
誰にでもありそうな話な様な。
怪物とは何だったのだろうか。
子の為に必死な母親は
先生にとって怪物。
学校を守る為に嘘をつかせる
校長も怪物。
放火する怪物。
虐待する怪物。
校長の夫らしき人物との
面会シーンでの
お菓子泥棒?のくだりは
何だったのだろうか。
雰囲気や演出に
ドギマギさせられて
観てました。
それぞれの視点が終わったら
また最初の視点に個人的には
戻って欲しかった。
エンドロールの「ゆってぃ」が
目に付きました。
どこかに出てたのかな。
追伸、観終わってから日にちが
経つと何かジワジワきますよ。
「全ての人が手に入れるモノこそ幸せ」、そうじゃないものは、執念?
三節構成でテーマがどんどん深くなってて思ってたより見応えあった
第一節
シングルマザーvs学校の先生
教師への不信感を煽る
日本社会によくある「すみません主義」的な症候群に着目させられた。マニュアル通りに動いて楽になりたい学校側に対して、観客の悲しみと怒り、弱い方への同情がただただ引き出されている
第二節
教師vs子供(生徒)
子供の行為に疑問点を置く
教師がその理解者でいるのに苦労する描写をしつつ、視点を変えるだけで物事が違うように見えるという第一節を凌駕したことを観客に気付かせる
特に子供が常に合理的な行動を取るわけではないからクリーピーで怖い、ホラー映画によく子供のゴーストが出るのと同じ効果が出た気がする
第三節
子供vs宇宙
子供の見ている世界:謎を解く
ミナトとホシカワの目線を通して宇宙を見上げる。劇中の問題解決のカギとなる人物----校長先生がようやく言葉を発した。少数の人の幸せは理解されないモノであり、幸せとは言えないと彼女が淡々と言った。「視点」への議論をさらに「人間の幸せ」というより具体的で身近なテーマに変形させる
自分の求める、正しいと思ってるモノのための行動は他所の他人から見れば、不気味で狂ってるかもしれない
その幸せと呼ばれることのない執念こそ、怪物を動かすエナジーのミナモトとなる
けれど、それでもよかった
生まれ変わらないくても、怪物には怪物の、雨上がりの、太陽に照らされるキラキラな新緑の森がある
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全編について
ところどころ伏線があって、
いろんな視点が提供されているうちに、どんどんその伏線回収ができた点が一番面白く感じた
女の子が保利先生にミナトが死んだ猫を見てたことを話したのに、のちの否定が子供の不安定性を示している
保利先生が校舎の屋上に登る時に、背景音に大きな音がした。次の節に、それはミナトと校長先生が楽器を吹いていた頃だとわかる
......
ただ苦手なのは
いろな映画に彷彿させる安藤サクラの母子会話とどこかまた穴一つ増えたらすぐ破裂しそうな日常シーン
我慢強く観てた
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坂本龍一さんのご冥福をお祈りしております。
オススメの映画では無く私の好きな映画
黒澤明の羅生門を崇拝している私なのでこの映画は本当に心に刺さりました。
人間は醜くも美しく生きようとしている
そして大人の世界と子供の世界の対比
絶妙にテンポ良く描かれています。伏線回収さすがでした。
最後は子供の世界の希望に満ち溢れた「将来」を感じさせられるカットの終わりで感動しました。
そして大人チームの安藤さくらさんと瑛太さんのパートのラストの大人から見る「将来」の薄暗さも好きでした。電車の中から窓の壁の泥をとってるシーンのカット素敵すぎます。
子供たちは自分たちの気持ちに向き合え光の中に消えていきますが、大人たちは自分の過ちに気づき車内をのぞく薄暗いカットで終わります。物語として対比が散りばめられていてほんとに深みがありました。
話がまとまらなくなってしまいましたが、この映画は好みはあると思いますが「オススメの映画」というより「私の好きな映画」でした。
トロンボーンとホルンの音色は彼を救ったのか?
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