怪物のレビュー・感想・評価
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怪物だぁーれだ
みんなの中に多かれ少なかれ怪物はいるってことですかね。
ストーリーは最初母目線で、先生目線、子供目線で同じ時間を繰り返し進む事で誰にでも怪物が潜んでるっていいたかったのか
でも、あの終わり方は誰も救われてない。悲しい。
怪物って?結局どうなった?
前半最高/後半部分、重いです。気合と根性を備えてから観てください
①前半
1 お母さん目線
2 先生目線
で同じ場面を描き
目線によって
これほどまでにも
同一事実の印象が変わるのかあ
と驚かされた映画でした
この点だけで
エンターテイメント作品として
完成していた気がします
私の個人的な意見として
これだけで良かった…
欲を言えば
前半の流れそのままに
例えば
3 校長先生目線
4 中村獅童目線
ではどのように見えてくるのか
その後そのまま
怪物は誰?
という問いかけで終わる
という単純な映画を
観たかった気がします
②後半
主人公達の性への目覚めにより
前半の様々な不可解現象の回収していく様は
見事でした
ただし
ストーリーが少し重過ぎました
テーマとして
その部分は入れる必要があったのかなあ…
別の機会でも良かったのではないかなあ
と個人的に勝手に思ってしまいました
③総じて私感
本作品は
二つ分の映画のパワーが
注ぎ込まれている分
非常にズッシリ重い作品に仕上がってます
観る前に
十分に気合と根性を備えてから挑むことを
オススメします
単に学校は
目線によって
これほどまでに異なる環境なんですよ
というライトな映画を期待してると
胸やけおこします
私的には
前半の気持ちを抱えたまま
映画館を後にしたかったです
もやもや
みんなにとってのシアワセ、って?
是枝節は聞かれない・・・
怪物だ~れだ?
この映画を一言で表現すると、予告でも使われてたコレになると思います。
誰か一人が怪物なのではなく、誰かが誰かの怪物になってしまう…可能性がある。わかり合えるかもしれないけど、何かがズレてしまうとその結果相手が怪物に見えてしまう…。
そんな事を色々な人の視点から描いているが、どうすれば良いかは描かれていません。と言うか、それぞれで答えは違うので描きようがないのでしょう。
この話がカンヌで評価されるという事は、どの世界でも同じような問題があるんでしょうね。
みんな怪物
脚本が是枝監督の手によるものではないからか、是枝作品としては少し肌触りが違う、と感じながら見ていた。
少しテンポが良いんだよね、これまでの是枝作品と比べると。
ただ、一瞬たりとも気が抜けない映像表現や独特な子供の撮り方は、まさしく是枝監督の映画。
一連の話を三者の視点から繰り返し見せられる手法は特に目新しいものでもないのだけど、その掘り下げ方はやはり独特で、視点によっては誰もが「怪物」に見えてしまうが、ホンモノの「怪物」はどこにもいない、という多面性をじわじわと見せられる。
例えば本作中では紛れもなく「毒親」に見えた中村獅童演じる依里の父親でさえ、"視点"が違えばまた印象も変わるかもしれんなぁ、と思わされるわけで。
それにしても子役2人は良かった。
この映画、子役の演技が劣っていたらすべてが台無しになってしまう性質のシナリオなので、やはりこれは是枝監督にしか撮れない映画、だったのだろう。
そして極めつけに、あのラストシーンだよ…
この幾通りにも解釈ができてしまうラストシーンはずるい(笑)
3日は悶々としてしまうじゃないか。
怪物になりたくないなら考えてください。
なんだこの作品は。どうやったらこんな作品作れるんだ。
一体誰が怪物なのか。母親か、息子か、担任か、校長か、友人か、友人の父か、はたまた鑑賞者か。
一体いつから自分は大人になったのだろうか。子供の世界と大人の世界は断続的なのかもしれない。大人は、子供のためと言いつつ大人の理屈で物事を考える。子供は、ただただ無邪気なだけなのかもしれない。
火災を起こしたのは誰なのか。作文にはなんて書いてあったのか。最後の子供たちの笑顔の意味は。決して答えを明確に示さない映画。私たち自身が考える必要がある。頭を使って考えなければならない。私たち一人一人も怪物なのだから。
よい
か い ぶ つ
怪物はだれ? 世の中、勘違いだらけなのかもしれない。
ひとつの事象に対して、解釈(見え方)は無限に存在する。
きっと人は、良くも悪くも、自分に見えるものや想像できる範囲でしか物事を捉えられないし理解することはできないのだろう。
相手をどれほど大切に想っていても、自覚のないままに大切な人を傷つけ追い詰めてしまっていることもあるのだろう。
子どもは身近な大人のものさしで測られ、それが正しいと刷り込まれ、そこから外れると自分が間違っていると思ってしまう。
この作品では『性』がその中心にあり、問題として捉えやすかったが、実際はもっと身近で当たり前だと思っている小さなルールなども同じなのではないかと思う。
校長の言葉:
『誰でも手に入れられるものを"幸せ"と言う』
幸せは他人が決めるものではなく、自分の心が決めるものだと思った。
ラスト、涙が流れました。
2人が本当に楽しそうにしていて、嬉しい気持ちと悲しい気持ちが入り乱れました。
永山瑛太の演技はもちろんのこと、子役2人の演技が素晴らしかったです。
23-079
安藤サクラさんは相変わらず安定安心の演技でしたが今回の子役2人がや...
それぞれのおもい
是枝監督作品を観て感じることで、ベイビーブローカーを見た後にも感想として書いたのが、多面的で優しい視点と、それでも問題は問題として存在するという切なさが、言葉では表せない包容力のある作品だと思い、監督の作品がとても好きです。
本作は脚本が坂元裕二さんで少し毛色が違うという印象もありましたが、同じく多面的に描かれていて、誰かが誰かの怪物になってしまう構図は自分的にはとても現実的で、今となってはなぜと思うような嘘をついたりすることも、当時の気持ちを思うととても理解できることではありました。
人は理屈だけで動くものではありません。
だれも悪くなく、誰も救われない、その裏にある社会的背景、この作品の大元となる部分も今語られるべきストーリーでしょうか。
いつでも物事は多面的で、皆が同じように思うことはないのです。
怪物は…
僕の心だ!!と思いました!
まんまと!!まんまとやられました!!
人は自分のみたいものを見ようとしてしまう生き物ですね!
僕は全く情報ない状態で見ましたが、それが一番楽しめた気がします!
めちゃくちゃ良かったので是非みんなに観てもらいたいです。
下記、心打たれたシーン。
拭っても拭ってもすぐ泥に覆われてしまうあのシーンがすごく象徴的で印象的でした。簡単には光はさしてくれない。
あとナマケモノのシーン。みなと君にはわかってるんだね。
あと。なんか小さな恋のメロディ感のあるキラキラと美しいラスト。
最高過ぎる。
僕は泣きまくってましたが、隣の彼女はカラッカラ。
怪物め…。
酷く脆い“怪物”とは
現在も信州人の僕、見事砕かれる。
「あ、ここよく行く場所!」とかそんな余裕なかったぞ…。
第一幕は麦野君の母親視点の物語。
息子が先生にイジメられている?
息子が先生に体罰を受けた?
それなのに学校は無責任…いや、「無気力」とも言える死んだ顔の“怪物”。
第二幕は担任教師、保利先生の物語。
彼は「何もしていない」のに、
生徒の嘘によって翻弄され、他の先生からは責任を押し付けられ、
全てすべてが“怪物”。
彼を取り巻く全てが“怪物”。
第三幕は伏線回収がメインとなり、
度々顔を見せる二人の子供たちの物語。
さて、舞台は整った。
ここから始まるのは「無邪気さと葛藤」に住み着いた“怪物”の物語。
常に僕等に強烈な印象を与える星川君。
彼は普通ではない、彼は異常。
最初僕はこの意味の捉え方が上手くできなかった。
何故彼の父親は虐待してまで、星川君を律したいのか。
何故いじめっ子は二人の関係を「ラブラブ」と囃したてるのか。
それに怒る麦野君。
(この時点でほぼわかってたし、なんなら校長先生のシーンでもう確定したけど)
レビューやネタバレを見て確信に変わった。
(そのときは、「多分そうだろうけど解釈違いだったら殺してほしい」レベルでレビューを拝見していたので)
成程、これは「マイノリティなのか」と。
互いが互いを「特別」と感じている。
然しこれは単なる絆ではなく、「秘めるべき恋心」。
然し彼等には「普通ではない」としか言えない。
「豚の脳」、「治療」、「話しかけないで」、「俺が間違ってた(嵐の中で麦野家に叫ぶ保利先生の台詞)」、「普通」、「男らしく」―。
これらが「全員の価値観による『支配』」と捉えれば、
この物語の真意が現れてくる。
星川君の父親はノーマル。
ガールズバーにも行くし、普通に結婚して子供もできた。
そんな子供は「自分と全く違う価値観」。
「俺の子だから」と勝手な「支配」。
虐待による「支配」、それが治療という名目で。
保利先生は「教師」という職務からも、
中立的な立場に立たされる。
子供たちに常に正しく、そしてのびのびと清らかに巣立ってほしい。
だからこそ、マイノリティにはシビアにならなければならないし、「間違ったこと」を伝えるわけにもいかない。
自分らしくとは言葉だけに「男なら」、「男だから」と「支配」していった。
麦野君の母親は「ラガーマンの父」を亡くした女性。
そう…正に「雄々しい男性像」がそこにある。
自分の旦那のように、息子にも男らしく育ってほしい。
息子を「支配」し、知らずの内にお父さんを押し付けていた。
さて、こんな支配しかない世界で気付いてしまった「互いが互いを(違う意味で)信頼し合っている」真実。
彼等からしたら、こんな狭い世界よりも広く心地良い、温かい二人きりの世界が望ましいだろう。
ラストシーンで二人が駆けるのは、
「死の救済」か「無邪気故の希望的観測」か。
支配という“怪物”からの解放―。
誰にも知られてはいけないこの想い、
さて誰が始めに気付くのか。
まぁ少なくとも保利先生ではないだろう。
彼からしたら「麦野が星川をいじめている」という話の真実を知ればいいこと。
「俺が間違ってた=『麦野が星川をいじめている』と思ってしまっていたことが間違っていた」ことなのだ。
何故か。
なぜ誰も気付けないのか。
だってよく考えてほしい。
「みんな異性愛者」だから。
僕自身ゲイではあるが、だからといってこの作品に対して何か評価を変えはしない。
一言マイノリティを抱えるものとして言えるのは、 悩む人達の傍に居る人が「気付いて声をかけてあげること」なのだ。
そういう意味では、作中の良心は校長先生だったと思う。
彼女こそ、彼のもやもやを吐き出せる場所を作ってくれたのだから。
一人の視点から見る“怪物”というものは明確にわかるが、
全体を覆うと見えなくなる。
彼等は其々の想いを背負って盲目になってしまっている…。
分かれば単純なことも、自分達の価値観や責任感、自責によって“怪物”の存在に気付いていない。
そしてこんなレビューをしている僕こそ、
彼等から見る“怪物”なのかもしれない。
(追記)
そういえば麦野君が秘密基地で星川君を突き飛ばしてしまったのは、
明確に彼を想っていることがよくわかるシーンだった。
虐待から星川君を助けることも、
星川君が「お菓子をあげる」ことも。
傍から見たら微笑ましい光景。
でも彼等からしたら、「秘め事」。
言葉通り、お菓子を食べたことは内緒にしないとね。
(そう…「嘘」をつかないとね)
彼等はこれから、「社会」という”怪物”に立ち向かわなければならない。
その時、この二人が永遠に支え合える関係であることを祈るばかりだ
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