怪物のレビュー・感想・評価
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怪物はどこにいる?
是枝監督って子供の自然な演技を引き出すのが
改めて上手だなと感心させられました。
この子役黒川想矢さん、柊木陽太さんは見事でした。
また、この映画の冒頭部分の輪郭を作った安藤サクラさんの存在感と迫力、
対照的に校長役の田中裕子さんが奥歯に物が詰まったような演技が絶妙でした。
役者陣だけでなくこの物語の脚本、構成も絶妙でした。
物悲しく優しい坂本龍一氏の音楽と諏訪湖の風景が
より心の内側に染み込んでくるようでした。
子供のいじめ。子供は残酷です。
私もいじめられたことがありました。
私の親友は同調圧力に負けて、私をいじめ、
私は裏切られた気持ちになりました。
映画のワンシーンにもありましたが見ていて
気が気でなかったですがこの二人の友情は
堅固だったようで、微笑ましかったです。
子供の世界って大人にはわからないなと
改めて思い知らされました。それに嘘もつくし。
その後はどうなったのでしょうか?
豪雨の中、廃電車(秘密基地)から抜け出した二人は
やがて野に放たれ、遠くに線路を見つけました。
それは希望の線路に見えましたが…
「怪物だーれだ」
不思議とこのフレーズ、予告編観て以来
毎日ひとりごとのようにつぶやいてます。
印象的で強いフレーズなんですよね。
怪物とは一人一人の心の奥底にあるもの。
だから答えも違うもの。
なのかもしれません。
うーん😔是枝ワールド
久々に映画館♪話題の是枝監督の「怪物」鑑賞。 さすがに カンヌで脚...
久々に映画館♪話題の是枝監督の「怪物」鑑賞。
さすがに カンヌで脚本賞を取っただけのことがある、よくできた脚本♪観客もマンマと踊らされてしまう。現実世界でも、一面だけで物事を捉えたり、恣意的に単純化された情報、自分が見たい情報だけで良し悪しの判断をしてしまうことは少なくないだろう・・。危険なことだなぁと・・・。一つの出来事にはそれに関わった人それぞれの事実があるのですよね・・。
賛否があると聞くが・・どこが否なのか、私には理解できない・・・。教室の中で、傍観者に徹していたり、いじめる側にいた人間には、もしかしたら理解できないのかもしれないなぁ・。日本全国の依里君と湊君に幸あれ。
是枝裕和監督は、愛情に溢れた優しい人なのだろうなぁと、彼の作品を見るたびに思う。
たったひとつ気になったのが、「怪物」と言うタイトル。人間の中にあるモンスターをイメージしたのだろうと思うけど、「怪物だーれだ」がちょっと無理矢理っぽくて・・。
諏訪方面に行ったら、ロケ地巡りツアーしてみようかしら♪
このラストはいい。
最初は怪物とは誰のことなのか、、、と思いながら観てたが、、、。
麦野の母親も、子供の異変を心配し、学校に乗り込んで行く気持ちはよく分かるが、見ようによってはモンスターにも見えるし、保利先生もその場を適当に取り繕う自己責任の欠落した教師に見えるし、校長先生も真摯に向き合うことをしない陰険な人に見える。子供たちも大人の分からない闇を抱えて何をしでかすか分からなく不気味にすら見える。
それぞれの視点から見ると全く違ってどんどん引き込まれていく。さっきまで嫌悪感を覚えていたのに。誰も悪くない、誰も悪くないのではないか。
なんと真っ新な子供たちの悩み、気持ち、複雑だが何も変わらない普通のことだょ、と。
台風が去った後の晴天の中を、吹っ切れたように清々しく走る子供たちにじんわりきた。
坂本さんの曲もすごく染み込んできて、より一層じんわり。さすがです。
誰も悪くなくはないか。依里の父親だけはアカンやつや。
ドキドキした
シングルマザーとシングルファザー
この映画は、母親、教師、子供の3つの視点から事象を捉え、その真相を明らかにしていくという構成になっている。学校で起きたケンカをきっかけに、息子を愛する母親は、息子の主張を信用し、学校に対して猛烈に抗議をする、生徒思いの教師は、生徒がついた嘘からあらぬ疑いをかけられ学校を退職せざるをえなくなる、無邪気な子供たちは、秘密基地を作って楽しそうに遊んでいる、3者のそれぞれ異なる真実がわかることによって、観ているものは登場人物の敵になったり味方になったりする。
生活環境が似ている2人の子供の育ち方が気になった。シングルマザーが息子を育てる場合、父親のようになってほしいか、父親のようにはなってほしくないか、どちらかであるが、この映画では、死別であるためか、母親は息子にラガーマンであった父親のように男らしくなって、普通に結婚してほしいと期待をかけている。それが、息子には重荷になっていて、実際の自分は全く別人で父親のようにはなれないという自覚がある。仮に父親が生きていて子育てにも携わっていれば男らしくなれたのか、生まれつきのことなのでしかたがないのか、わからない。シングルファザーが子供を育てる場合、自分のようになってほしいと願う。しかし、思い通りにならない場合、どうなるか。この映画では、父親が息子に対して、体中に痣ができるくらいの暴力を振るい、「お前には豚の脳ミソが入っているという暴言を吐く、息子の憎しみは頂点に達し、ついには父親が通っているガールズバーのある雑居ビルへ着火ライターで放火する、という事態を引き起こす。
自分の思い通りにならない親の苦悩、親の期待に応えることができない子供の焦り、程度の差こそあれ、どんな家庭であっても、思い当たる節はあるはずだ。誰もがいつ怪物になってもおかしくはないのである。
映画でしかできない職人芸
こうあるべきという怪物
子どもの世界は大人の世界の写し鏡
残酷すぎて泣けて仕方なかった。
パンデミック後の世界。
この時代に生きる子どもたちと大人。
…そして少年のある感情の芽生え
彼らの世界が一番しっくり来た。
(そうは言っても大人から見た彼らの世界であり、彼らの目には別の世界が映っているんだろう。)
仕合せにはなれない。
子供ももうそれを解っている。
湊のアップ
今一瞬が美しいと、切り取る側も解ってる。監督も、脚本家も、カメラマンも解っている。気づいてないのは少年だけ。或いは気づいているのか…。
大人に変わるほんの一瞬の悪魔的な美しさ。是枝監督はそんな少年を画面にとじ込めるのがとても巧い!
幸福そうな映像や音楽(彼らの心象風景なんだろうか?)でいて、いきなり終わるような予兆もそこかしこにある。その刹那、儚さに涙が流れた。
薄日差す風景が度々映る。一見すると何も起きてはいない。町はいつも通りだ。
これは何を意味してるんだろう…。
あの廃電車
ワイパーのように泥を掻き分ける手や丸い模様。
子供の世界に大人が土足で入ってきた。
彼らは彼らの世界でもう生きている。
子どもは大人の写し鏡。
残酷な“今”に生きていかなきゃならない。
次世代に託すしかない大人側の責任をひしひしと感じる。せめて逞しく生きて行って欲しいと祈るしかないのか…。
楽器の音。あれこそ怪物の唸り声じゃあないのかな。
永山瑛太
ある面から見ると挙動不審に見えるが、別の面から見ると誰も気づかないような事に気づいたりする。
田中裕子
人間の年輪
年の功
擬似祖母
ラストシーンが強烈。
この締めくくり方はスゴい!さすが。
湊と依里の髪型、トレーナーがいつの間にかお揃いになっていた。
黒川想矢(湊)…心の揺れ、ヒリヒリするような演技が素晴らしかった。
柊木陽太(依里)…彼の演技は天性のものなのか?
火事で始まり、嵐で終る。
是枝裕和監督、坂元裕二氏、黒川想矢さん、柊木陽太さん、田中裕子さん、俳優の皆さんに拍手を!!
是枝監督はまた別次元に行った。
怪物ならぬ、怪作!
実写映画の限界を感じたが、同時に実写映画としての最高峰を感じた
何が言いたかったのか分からない。
そういうレビューを度々見かけました。
その通りだと私も思います。
一般的に、物語には二つの意味合いがあるのではないでしょうか。
一つは、命題の提示。
そしてもう一つは、その作品なりの解答。
例えば、友情とはなんぞやと問い、友情とはこれだと示す。
そこまで行って一つの作品だと私は思います。
この作品は、この作品なりの解答を示しません。
2時間という時間を使って、終始私たちに問いかけてきます。
怪物とはなんぞや、と。
ですが、これは仕方のないことなのではないかとも私は思います。
普段、アニメ、漫画などの二次元を好んでいる私からすれば、実写映画というものは情報が観客に伝わりにくいメディアです。
キャラクターの感情一つ伝えることだって、いくらでも誇張が出来る二次元に比べて困難だと言えるでしょう。
同じ2時間という尺であるならば、実写映画というだけで伝えられる情報は限られてしまいます。
けれど、ならばこその今作なのではないかと、私は
考えました。
中途半端に命題を提示し、中途半端に解答を示す。
そうすれば一定の完成度は保てたかもしれません。
けれど、敢えて命題の提示に全てを注ぎ込み、観た者に最大の爪痕を残す。
もしもそのような意図であるならば、これこそが実写映画という範囲での最高峰なのではないでしょうか。
勿論、自分で考えさせられるのではなく解答を示して欲しい人たちには無価値である可能性も存分に孕んでおり、そういった意味では全国放映の映画として欠点ではあるのかと思います。
私は考察も大好きなので個人的には命題投げっぱなし上等で星5をつけたいくらいですが、客観的にレビューをするなら3.5くらいかなと。
後、いくら考えても飴ちゃん食べるのだけはおかしくないです?
メタファ
怪物とは誰のことなのか
そして
観客はいずれ気付く
人ではなく
認識違いの隠喩なんだと
隠喩がいくつかあり
ストーリーのキーに
豚の脳→特異なものの象徴
うまれかわり→現状の環境からの脱出
鏡文字→逆側への思い
三つの視点
母親、教師、子供
の三部構成により
同じシーンでの行動の意味が
徐々に明かに
大切なものを守るために
登場人物がそれぞれ
嘘をつき
まずいことには
沈黙で蓋をしてしまう
その守りたいものの代わりに
差し出すものが何なのか
順番は意見が別れると思いますが
最後の生贄は
本作では教師でした
友達 〉学校 〉いじめ 〉保利
本作で核心を得たのは、
前半、死んだ目をしていましたが
後半は血の通った言動をみせた
校長の言葉
「誰かじゃないとつかめないもの
ではなく、
誰にでもつかめるものが幸せ」
と。
人の根っこの部分に触れる作品で、
教科書にはのっていない
社会の機微に溢れた作品でした
起こっている現象の意味を
読み解く力や知りかたが
身についていれば
自分や周りの人が
少しでも不幸を回避できるのに。
といつも外野が後から…
「怪物だーれだ」認知の歪みによって、誰しもが怪物になりうる
シングルマザーの早織、担任の保利、星川、麦野の子ども達2人からの視点から徐々に謎が解き明かされていく。
本作が面白いのは早織の視点に立てば、生気が抜けたような校長や、普通では考えられないくらいのおかしな学校の対応。とにかく先生達が気持ち悪くて、腹立たしかった。
それが不思議なことに保利先生からの視点で見ると、早織がまるでモンスターペアレントのように映ってしまう。「なーんだ、保利先生、普通にいい人じゃん、可哀想」ってなってしまう(しかし、学校側の対応には憤りを感じる)。
始まったばかりのあの不気味な感じも、時間と共に少しずつ霧が晴れていく。
保利先生、校長先生がここまで違うのは、見る人の視点によって全く違うということを表現してのあえて誇張しての演出ではないだろうか。前半の保利や校長は早織にはそのように写っていたと。
それぞれのシーンがそれぞれの視点でこんなにも変わるのかと、その構成や演出に唸らされる。
その人の視点によって人は誰しも“怪物”になるし、“怪物”として他人から映ってしまうのだ。
そしてもう一つのテーマとして描かれているのはマイノリティ、同性愛。このテーマをついに子どもに持ってきたかと!!とはいえ、最近このテーマ扱い過ぎでお腹いっぱい感はあるけれど。
私が思う本作の1番の魅力は、一つの答えがないところ。
結局のところ放火犯だって、校長が孫をはねたことだって、作文の頭文字の言葉の続きも、星川くんのお父さんのことも、そしてラストの2人の行方も、答えはない。全て観る人の想像に委ねている。
余白を沢山作ってくれることで、私たちは沢山想像して、作品について考え、語り合うことができる。
それにしても、田中裕子の名演にはあっぱれだ。冒頭の不気味な顔や、音楽室で管楽器をレクチャーするシーンとかめちゃくちゃ痺れた。表情で語るとはまさにこのこと。
息を呑むほどの諏訪の景色も美しかった。
そしてエンディングで流れる坂本龍一さんの美しくドラマティックな音楽に涙が流れました。
巧みな演出にぐいぐい引き込まれた2時間だった。
ちょっとよくわからなかった
怪物!?
観終わった後、「怪物!?」って首を傾げる。
それを題したのも、あえてのことかしらとも感じられた。
そもそも映画の内容に対して論ずることなのか!?という気持ちでいる。
と言うのも、今の日常を客観視でみたような感覚だから。
私自身の日常にも、映画の主となるテーマは違えど、コミュニケーションの掛け違いで受け取り方が異なり、思いもよなぬ方向に出来事が進む。
そのため、日頃の出来事とかさなり、自身もであり周りもであり、その要因を映画を通じて見えてきたように思えた。
どう普段の私生活に落とし込めるのか、、、。
物語に対する内容より、通じて日常の出来事に対して、ディスカッションすべきその取っ掛かりを感じた作品であったと思う。
最後に私にはまだ子供はいないが、映画の子役のような感情など芽生えたとき、私は子供の気持ちを解放させ、生きやすくその感情のままでいいのよ!って言ってあげられるのだろうか。問いかけが始まる。
テーマの意味を観るものに委ねる最近の日本映画の悪いところ
実は構成に甘さを感じた
あそこまで教師を貶める理由があったのかな?
その教師は日記から何を読み取ったのかな?
飴をなめるのは前後とも、あの場での行動とも合わない。
カンヌで脚本賞を取った作品だけど、実は雰囲気で強引に押してるところがある。
ラストも何か結論からはぐらかしている気がする。
作文の鏡文字
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