怪物のレビュー・感想・評価
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極上のサスペンス
是枝裕和が坂元裕二の脚本で映画を撮る…と、聞いただけで期待感が上がった本作。
やはり、坂元裕二の作劇は見事で、教師による行き過ぎた指導、学校内のいじめ、組織的隠蔽という社会問題を材料にすることで観客を巧みに惑わせる。だがしかし、これは歴としたサスペンスだ。
是枝監督の子供への演出は相変わらず上手い。
それに応えた黒川想矢くん、柊木陽太くんの二人が素晴らしい。
そして、本作もまた安藤サクラである。一人息子を全身で愛し全力で守ろうとする、夫と死別したシングルマザーを自然体で演じてリアルだ。どんな監督の下でも説得力のあるパフォーマンスを見せる安藤サクラではあるが、是枝監督こそ最も相性が良いのではなかろうか。
そこに永山瑛太、田中裕子という坂元裕二馴染みの役者が加わって実力を発揮している。
坂元裕二という脚本家に初めて衝撃を受けたのは、テレビドラマ「わたしたちの教科書」だった。学校を守ること(=学校という制度を守ること)が最大の正義だと考える女性校長の存在が、このドラマと本作で共通している。
同じ事象でも視点によって見えない事実があることを描いている点においても、「わたしたち…」に共通するように思う。
対立側の視点で再現することで種明かしする構成はサスペンスでは珍しくないが、本作はそれを“羅生門効果”で見せていく。
また、種を明かした後の解釈を観る側に背負わせるところも「わたしたち…」に通じ、これは是枝作品全般にも通じるものだろう。
少年はなぜ、教師を貶めるような言動をしたのか。
少女はなぜ、少年のことで教師に嘘をついたのか。
子供たちはなぜ、目の前で起きた事実をそのまま教師に伝えることができなかったのか。
校長はなぜ、一人の教師に全てを背負わせることができたのか。
同僚教師たちはなぜ、追いつめられた教師を助けられなかったのか。
虐待親父はなぜ、息子のことを恐ろしいと言ったのか。
教師はなぜ、たったひとつの作文で二人の少年の関係に気づけたのか。
疑問は謎のまま、このテクニカルなサスペンス映画の仕掛けを純粋に楽しみたい。
実にお見事な映画だ。
永山瑛太の二面性の描きかた、少年たちの同性愛を匂わせたところにやり過ぎ感があり、☆0.5減点。
エンディングの後、母安藤サクラはどこまで真実を理解するに至るのだろうか…。
子役が瑞々しい
映画はあまり前情報を入れずに観に行きます。私の語彙力が乏しいのが残念ですが…素晴らしい映画でした。
「桐島部活辞めたってよ」みたいに視点が変わっていきます。ひとつの出来事でも立場によって感じ方、捉え方が全く異なるんだなぁと改めて思いました。安藤サクラの学校側に話が通じない苛立ちに共感し、校長や先生方に憤りを感じ、理不尽な目にあい、薄情な恋人にも去られる瑛太に同情し、子供時代の制御不能な複雑な感情を思い出し、たくさん心を震わせた映画でした。最近めっきり涙もろく、2回くらい涙がほろりとこぼれたのでした。
学校の管理職が怪物
あの火事からそれぞれの登場人物の視点で語られる物語の真実。どんどん謎が解明されていく展開が良かった。しかも、その謎もなんとも切ない。
先生の人間性や自殺の描写などがうまいミスリードを誘っている。
学校の校長教頭など管理職の対応がとても良くない。
あと、担任もあれだけ派手ないじめがおきていたらさすがに気付きそうだが。もしかしたら見て見ぬふりをしていたところもあったのかもしれない。
いずれにせよ、学校の保身に走った管理職たちが1番の怪物と言っていいのではないか。
クラスの子供たちや、学校の先生たちなど、個人だけでなく、複数人になればなるほど怪物になっていくのかも。
子どもには子どもだけの世界がある。2人の関係性は恋愛とも言い難い何か特別な関係性だったと思う。
答え合わせがしたい。
無いことも描く事の是非
同じ出来事を複数の目線で見て比べると違うものに見える、という描き方は好きな手法ではある。が、この作品はおそらく意図的だろうけど、違う物を見せてる。
例を示すと保利先生は目線によって全く違う描かれ方をしている。謝罪の時に飴を舐め出す異常性。これは母親の疑いというバイアスが見せた幻であり現実なのだろう。
私が好きな目線を変えると見え方が変わるというのは、あくまでも「同じ物」を見せるのだが、本作はある意味見た角度の違いに感情や内面を通した「その人にしか見えない事実」を描いている。
これは描き方として正しいのか?
私には鑑賞者の見方に委ねないやり方のように見えた。
それが悪いとは思わない。作り手の意図がストレートに映る、こう見て欲しいという意図の通り受け取れる。悪いことでは無いと思う一方、じゃあ真実はどうなのか?
全て見れば保利先生は謝罪の途中に飴を舐め出すような人では無いとわかる。じゃあ飴を舐め出す演出は必要だったのか?
この映画の本質はいない怪物を鑑賞者が見つけたくなる事へのアンチテーゼではなかろうか。その作品でこの手法を取ったのはどういう意図からか?
考えさせられる作品だった。
にしても、子供が叫びながら走る演出ってどうなんだろうねw
ここまで【演出・手法に関して】
【映画の中身に関して】
子供って平気でウソをつく、大人は立場で嘘をつく。
子供は残酷で大人もまた残酷だ。
どちらも後戻りは難しい。
子供も親も先生もほとんどの人のほとんどの言動に悪気はない。だからみんな幸せになってほしいな。
【音楽:坂本龍一 に関して】
パンフレットを見て知ったが書き下ろしと演奏は2曲のみだったそうな。難しい作品に向き合われたが「残念ながら」と記されていた。それでも静かに映画を支えるに足る良い音楽だと思いました。
当たり前の幸せって、、?
とてもとても楽しみにしていた怪物観てきました!
期待以上でした。
主人公である2人の小学生が持つ特性については、口コミで知った状態で観ました。
そのためか、他の登場人物の何気ない言葉が突き刺さるようでした。
「結婚して、子供が産まれて、そんな普通の幸せでいいのよ」
「男らしくないぞ!」
私自身、子どもを妊娠した時、この子が同性愛者でも、トランスジェンダーだったとしても、
"理解してあげよう"
"できるだけサポートしてあげよう"
と思っていました。
でも、そんなことを思っている時点で、私の中には、抵抗感があったのだと思います。
そんな私のちっぽけな抵抗感を悠々と超えたところに、この映画は私を連れて行ってくれました。
主人公である2人が一緒に笑い合いながら走っているだけで、涙が出てきました。
おそらく今まで経験したことがない種類の涙です。
人が人と心を通わせる、自分が自分でいられる、その瞬間はなんて美しいんだろう、と思いました。
終盤で校長先生が言っていた、
「一部の人にしか手に入らないことを幸せとは言わない。
みんなが手に入れられることを幸せって言うんだ。」
というセリフにもドキっとしました。
私自身、就活、婚活、妊活を経て現在に至りますが、その〇〇活をしてたとき、とても苦しかったのを思い出しました。
みんな当たり前に手に入れているのに、なぜ、私は手にできないの?という焦燥感と劣等感に苛まれていました。
でもその「みんな」って誰なんでしょう。
「普通」ってなんなんでしょう。
「当たり前」ってなんなんだろう。
自分の外側に求め続けて、でもまだ足りなくて。
そうなる前に自分の中に幸せを見出していたら、また違う人生だったかもしれません。
この映画に出会えて、私は幸せです。
いい作品
日本語字幕つきで鑑賞。 全く予備知識なしにまっさらな頭で見ると先ず...
登場人物たちの視点、そして鑑賞した私自身の視点から見た「怪物」の正体
本作は3人の登場人物のそれぞれの視点から本作で起こった事象を映し、我々俯瞰する者がひとつの納得する形に創られた作品。
是枝監督らしいしっかりと余白を残し、あれやこれやと想像させる作品となっている。
本作のタイトルとなっている「怪物」とは何かを考えさせられた。
息子の異変から学校や教師を「怪物」とする母親からの視点から始まり、
その息子がいじめの首謀者と疑い、やがて自分の職場や上司、はては世間そのものを「怪物」とする若き教師の視点、
そして思春期の誰もが経験する自分はおかしいのではないかと感じ、ひとり葛藤を抱える少年の視点、の順で物語はすすみ、とある事象をそれぞれの角度から映し出す。
視る人によって解釈は変わり、真実は人の数だけあるとはよく言ったものだ。
結末は映し方こそ清々しいもののハッピーエンドともバッドエンドとも判然しないストーリー。
ただ、私自身鑑賞後しばらくたって「怪物」とは何なのかを考えてみた。
それは紛れもなく映画館に刺激やら感動やらを求め、足を運ぶ自分自身こそ「怪物」なのではないかと。
本作では、3人の視点で紡がれることで、ある事象は実際はこうだったという
形に落ち着く。ただ、それすらも本当にそうだったのかと疑いたくなる。
無論、それがこの作品の良さであり、是枝監督作品の真骨頂なのだが。
予告編をみて、「怪物」というタイトルとコマーシャルのあおりで興味をそそられ、
有名俳優や監督、脚本家、そして作曲家が携わり、
更には映画祭で世界的にも高評価を得た作品だ。
私も例外なくこの作品はきっと自分を満たしてくれるものだと。
ただ、実際はそんな「刺激」あるものではない。
期待値が高かっただけに、拍子抜けした感はある。
それこそが私自身映画などの作品に過度な「刺激」を求める「怪物」に成り下がってしまったことの証左なのだと。
まるで劇中冒頭で起こるビルの火災現場に集まるやじ馬たちのようなものだと。
人間の行動の奥には何が潜んでいるのか。カンヌ映画祭脚本賞受賞が頷ける。
カンヌ凱旋記者会見全文から一部引用
坂元裕二脚本の言葉「常に言葉というものに疑いを持ちながら物語を紡いでいます。常に人と人は対話をしながら、そこに誤解が生まれ、争いが生まれ、分断が生まれています。しかし、同時に言葉には、愛情を伝える力がある。その矛盾した存在である言葉と、私たちはどのように付き合っていけばいいのか。」
3部構成で一つのストーリーが別の角度から描かれ、何が本当なのか考えさせられる。自分たちが理解していることは単に見聞きしたことが全てではなく、他人の見方や現に目の前の人の発言や態度もそれが真実なのかは分からない。本人の発言も感情で変わっていく。
それを紡ぎ合わせ、是枝裕和監督と坂元裕二脚本家が傑作を生み出した。カンヌ映画祭での脚本賞受賞も頷ける。
安藤サクラ、永山瑛太、田中裕子らの一見不自然な演技も戸惑うが、中でも二人の同級生の少年の黒川想矢と柊木陽太が素晴らしい。特に女の子かと思わせる柊木陽太の可愛らしさの反面、たくましくもあり知的で行動的な男の子はちょっと現実離れした印象を受けたが、とても良かった。
お勧めの映画である。
<参考>
オフィシャルサイトにある
2023.06.21 カンヌ凱旋記者会見全文を見てほしい。
フリとオチ…
多くの方々書いていらっしゃるように…
●一つの事実だが、見方・立場によって解釈が変わり、事実と異なるような捉え方になりうる という怖さ
●誰しもが〝人間〟と〝怪物〟という二面性を持っている、どちらにもなりうるという考え方
こんなことを描いているように感じました。
内容的にはとても興味深く、「なるほどぉ…」と思うシーンもたくさんあって楽しく拝見しました。
また時系列がストレートではないので、監督としては何回も何回も編集し直したくなったんじゃないかなぁ…などとも感じました😅
個人的には好きなタイプの作品ですが、気になったこともあって……。
あとで事実が明かされる話の作り方に必ずある「伏線」の部分というか、いわゆる〝オチ〟に対する〝フリ〟の部分。
保利先生のセリフや立ち居振る舞いが気になりました。
「これはちょっとフリを効かせすぎちゃったかなぁ…」という印象です。
彼はいい先生に描かれる部分が後から出てくるのですが、最初に早織が学校に乗り込んできたシーンで「母子家庭あるあるというか…」みたいなことを口にするあの態度、またああいった状況で飴を舐めるという態度…
やりすぎじゃない?
ちょっと「嫌なヤツ」、「今ドキの非常識な若者」という印象付けを必死でやってる感じがしました。
後ろの描き方を見てるとそんなキャラではなくない?と思わずにはいられない。。
こういう構成のものは、私の場合、一つでも違和感を持つと全然受け入れられなくなる。
本のせいなのか、芝居をOKしたせいなのか…
いずれにしてもあれはやりすぎな感じがして。
強いキャラに映るからこそ、慎重に大事に描いて欲しかったなぁ…と。(この場合、役者さんは全く悪くない)
そこだけ、ノドに骨が刺さったような、すっきりしない感じでした。
もちろん全体としては好きです!
なので4.0❗️
観た人の数だけ「怪物」がいる⁉︎
教育現場の闇
人はみんな嘘をつく
一枚一枚取り除かれた時、何を思うか。
立場の異なる人間がある同じ出来事を見た時、それぞれが見えるものには限界がある。
母親、先生、子供たち。本作は、ある一つの出来事をこの三者の視点で描いていく。
片方の行方がわからなくなった我が子の靴、水筒の中から吐き出される泥水。母親は、息子の身に何かよからぬことが起きたと感知し、その予感は彼の口から発せられたある大人の仕打ちによって明確に彼女の中で、悲しみと不信感と怒りに変わっていく。そして、彼女は「モンスターペアレント」と称される。
彼女の息子へある仕打ちをしたと思しき人物も、日々何気なく口にしている言葉が、誰かを深く傷つけてることを知らずに生きている。そして、周囲の人間のことなかれ主義や、常識や固定概念の壁に囲まれてしまい、身動きをとれなくなった彼の善性はわかりやすい「悪」に強制的に塗り変えられていく。
この、二重にも三重にも彼らの本当の姿を覆い隠してしまってる大人たちの固定化された価値観や思惑や事情が、物語が進むにつれ露わになり、一枚一枚取り除かれ、時に「怪物」扱いされてた彼らの本当の姿を映しだしていく。
そしてその過程、大人たちが、これまで見逃してきたことの重大さに気付かされ、激しい悲しみに襲われる。
非力で、柔らかな彼らの心は、大人たちの無理解な言葉や振る舞いに戸惑い、理解できず、それでも大人たちに縋り、頼りにしてくれてたのだ。しかし私たちは、彼らをただしく見つめることはできず、彼らはうち捨てられた乗り物の中にユートピアを作り、そこに束の間の安住の地を見つけた。その姿は、ただただ切なく愛おしい。
ラスト、全てが崩壊するかに見えたその時、彼らは自らの意志と力で飛び立つ、新しい世界へ。
それは、きっと優しく美しい世界だと、私は信じたい。
是枝映画として見れば…いかにもの作品
大きな賞を取っている、国内マスコミ、批評家らの評判も高い。
映画ファンなら、チェックしておきたい、チェックすべき作品だろう。
東京・下町の映画館は7割くらいの入りだったが、公開3週目に入った平日昼という条件でいえばかなり盛況という印象だ。
学校(小学校)が舞台で、子、教師、親…の関係性から「怪物」とは何か――それをうまく考えさせる内容になっている。脚本も確かに秀逸。
映画的表現としても、見る側がいつの時点に立ち戻って登場人物の心象とそれを取り巻く状況がどうなっているのか――考えながら見ないといけない編集は、スクリーンへの集中を切らさせないようにする意味では成功している、と思う。
ただ、これまで是枝が描いていた世界とは大きな違いはない。
子供がどういう考えで、息苦しさのある「世界」で行動するのか…それを是枝の視点で解き明かしていくという点に新しさはない。
それなりに面白く、ややサスペンス的な味もあり、地味な題材ながら成功した作品だ。
しかし、これを敢えて他の人にも、いい映画だ、感動できる――とおススメしたいとは思わない。
従って、敢えて辛口で★2つとした。
映画館で映画を見る回数が年に片手に足りない人が、「話題作、世界も評価した映画を見た」――と言いたいのなら、そういう人は今見ておいたほうがいい。
しかし、10年、20年のスパンで考えれば映画史に残るようなものではない。僕にとってはそこまで見てもらいたいとは思わない。
藪の中
認知バイアス
水中の怪物達
例えば、怪物は台風、ライフル。誰だは欠片、アゲハ。火事は愛。母はバカ…のように、水の中では母音が同じなら同じように聴こえる。でも全然違う。
そんな映画だった。
世の中の何かの事象は、誰か一人だけでは成立しないので、ワタシがいてアナタ1がいて、アナタ2がいて、アナタ3がいてと波紋は延々と拡がる。それぞれの視点でみるとそれぞれの波があり、全く同じ波はない。
怪物誰だをするように自分にはみえない答えを相手のヒントで解き明かしてゆく、ヒントをどう読みとるか、そんな映画でした。
観てから少し経つけれどふとした時にあのときの画が思い出され、あのシーンはもしかしたらこういうことだったのかな?と思うときがあります。
そんな映画です。凄いよね。
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