「重苦しい映画かと思いきや、是枝節の傑作」怪物 wutangさんの映画レビュー(感想・評価)
重苦しい映画かと思いきや、是枝節の傑作
序盤では、共感できない「悪人」のような存在がデフォルメされており、奇妙なホラーのように感じる。テンポ感が早かったのもあり、是枝監督らしくないと感じた。しかし、この印象も映画全体の構成の一部であり、中盤以降で見事に覆される。「羅生門」式と言われる通り、それほど斬新な手法とは言えないと思うが、認識の死角を巧妙に突いていて、人は感情を持っているかぎり常に誰かを誤解しているということを効果的に知らされる。
完全に術中にはまったので、思わず2回観てしまった。
2回目に見てみて初めて、湊の「テレビで見てるから嘘だってわかるんだよ」というセリフがこの作品の手法を象徴していることに気づいた。保利先生が「僕も片親でした」から始まる何かを言おうとしたところを早織に遮られたのも認識できた。
役者たちの素晴らしい演技も、このミスリードをうまく機能させている。
早織は、子を持つ親なら過剰にヒステリックには見えないと思う。彼女の行動はリアルで熱心な女性として描かれている。
保利先生が序盤の職員室のシーンで完全なる悪役として怒りを感じさせるが、その決定打になった応接室で飴をなめたり母子家庭だからという反論も、一応それぞれ言動の動機が中盤で紹介されただけでなく、根は良い奴だが人の言う事を信じやすく、追い詰められるとああいう言動をしかねないキャラクターが上手く演じられていた。(それでも飴を口に入れたシーンはギリギリアウトだったと思うが)
そして、そこまでに表現されてきた事を忘れさせるぐらい、星川君と湊が心を通わせるシーンは胸を打った。個人的には最初に彼らが笑い合うケンケンのシーンは息が詰まるほど揺さぶられた。シナリオと音楽には日本を代表するアーティストの名が連なっているが、是枝監督が描く原風景は共通している。
ラストシーンでは、やはり星川君と湊は亡くなったと解釈した。救急車かパトカーのサイレンが鳴り響き、校長がびしょ濡れになり、星川君の父親もびしょ濡れになる。彼らが現世・社会から解放されたことで、いじめや嘘、セクシャルマイノリティに関する悩みや周囲からの期待から解放され、純粋に大切な存在と笑い合うシーンで締めくくられている。社会がなければ、それが愛情なのか友情なのかと悩む必要もないだろう。
そして、それをあそこまで美しく描き、子どもが疾走していて、光に溢れているのは、やっぱり是枝節だなと感じた。