「怪物探しは疲れる・・・でも、それは「逆さ舟(騙し舟)」であり稚児遊戯である」怪物 critique_0102さんの映画レビュー(感想・評価)
怪物探しは疲れる・・・でも、それは「逆さ舟(騙し舟)」であり稚児遊戯である
最初から、怪物探しが仕掛けられていて、いささか疲れる。
多分、この人だろう、いやこの人じゃない、きっとこの人だ。
って思っているうちに、全員が怪物でいいやんっていうことになる。
本物の怪物は校長やろ!でもこれはある意味で正解。
そんなに多い場面に出ているわけでもないにもかかわらず、
それにセリフだって「陳腐」すぎるにもかかわらず、
すべては「逆さ舟(騙し舟)」に持って行かれたね。そう、これが「怪物」そのもの!
大人から見て怪物、子供から見て怪物、組織の中で怪物、社会的な怪物、家族内怪物。
「俺は怪物君だ!怪物ランドの王子だぞ・・・」なのか!
誰もが、自分にとっての怪物。
しかし、このように時系列を錯誤させる見せ方も、うーん、今の時代、ありきたりかな。
少年の中に見られる愛情の傾向性。これもそうだし。
どうも、現代的なテーマを盛り込み過ぎのような気がする。
それぞれの登場人物の視線のベクトルの違いは描かれていたんだけど、クロスする視点を探すのが大変かもしれない。それも、怪物は「逆さ舟(騙し舟)」でしかないから、その視点を探すことさえ難しい。あえてヒントを探そうとすれば、不協和音的協和音のトロンボーンとホルンの通奏低音だろうか。
校長と湊はそれでいいかもしれないが、麦野早織と保利道敏の視点が最後にどうだったのだろう。雨の中、少年たちを探しに行く場面で、それは十分に描き切れていたのかな?
それとも、映画の最終場面、彼らの目を通して、少年ふたりの「その後」を描いていたのかな?
行手を遮っていたものがなくなっていた廃線をいろいろ解釈することはできると思うんだけど、それまでの母親の視点と教師の視点がうまく交わらず、なんか放り出されたような感じがした。
# 湊ちゃんもそうだけど、依里ちゃんも、めちゃかわいいやん!
やばい、梨園的稚児遊戯へと至ってしまうやん。。。
あ、俺、「怪物」だ・・・・目覚めてしまったというのか!