「見ているものは、見えているものではない」怪物 yookieさんの映画レビュー(感想・評価)
見ているものは、見えているものではない
予告編で何度も聞いた「怪物だーれだ」という子供の声。
この言葉が発せられるシーンを見た時、このお話しの構造というか、私たちが見ているもの(或いは見えていないもの、という方が正しいかもしれない)が何か、という事が決定づけられる。
スクリーンの中にいる登場人物たちの言動は、安藤サクラ演じる母親、保利先生、湊がそれぞれの視点で見えた・聞こえた・感じた事を視覚化しているだけなのだ。見ているものは、見えているものではない。
誰しもが怪物になり得る、けれども誰も怪物じゃない。物語の視点が移り変わるにつれ、そう気づかされ、台風の日には、あいつも、あの子も、不器用でどこにでもいる、自分と同じ人間だと知る。星川くんの父親も、クラスのガキ大将も、みんなだ。
そんな自分となんら変わらない登場人物たちが、自分自身や大切な人を守りたいが故に、本心を隠したりさらけ出したり、それらの言動によって少しずつ人間関係がズレていき大事に発展していく様には、苦々しさと可笑しみがあった。
嵐の中、子供達を探しに行った母親と先生が、彼等の秘密基地である廃電車両の窓の泥を拭い去ろうとするシーンは、何度掻き分けても泥が拭えず「見えないものを見ようとする」もどかしさを感じさせる、象徴的なシーンだった。(是枝監督自身もひとつの名場面だったとラジオのインタビューで語っていた。)
台風が去り、子供たちがある境界線を越えて進んでいく姿には、「成長」という言葉では括ることのできない「生まれ変わった」瞬間を見たような気がして、果たしてこれはハッピーエンドなのか、そんな風に考えるのは野暮かもしれない。何故なら彼等の物語は続いていくのだから…。幾通りもの捉え方ができる間口の広い終わり方は、こういったテーマを扱う作品にはベストな選択だったように思う。
是枝監督作の中でもかなり好きな作品。脚本・坂元裕二のオリジナルシナリオ本も購入したので、ゆっくり読みたいと思っている。