「怪物だーれだ。」怪物 だいずさんの映画レビュー(感想・評価)
怪物だーれだ。
怪物です。是枝裕和監督×坂元裕二脚本とくれば、見ないと!という作品ですが、
カンヌの受賞で普段映画を見ない層にも訴求したらしく、映画館は盛況でした。
小学生の兄妹を連れたお母さんとか、後期高齢者と思しき女性の二人組とか、珍しい観客がいました。
受賞については、クィア・パルムを受賞したということが、若干ネタバレやんとは思いつつ(もともとのあらすじではその要素は出てなかったから)、性的多様性においては、遅れている日本の作品が、クィア・パルムを受賞したというのは、寿ぎたいでき事でもあります。
また、数々のドラマでその脚本に慰められてきた坂元裕二の脚本賞受賞は、非常にうれしく思いました。
さて、作品自体については、以下のようなことを思いました。
坂本さん、また主要人物をクリーニング屋勤務にしてはるwww(woman、最高の離婚)
出演者が是枝映画の常連というよりは、坂元ドラマの常連が多い
形式が、「藪の中」である
※芥川龍之介の小説「藪の中」をふまえて、関係者のいうことが食い違って、真相がわからないことのたとえ。by故事俗信ことわざ大辞典
湊の母目線、保利先生目線、誰の目線かわからない3つ目の目線とを総合して、以下のように自分の解釈を記しておきます。
湊と依里は、性的に惹かれあった。
依里は父親に虐待されており、父親の言う病気とは、はじめは鏡文字を書くことから学習障害?発達障害?と思っていたが、恐らく同性愛傾向、男らしくないこと、を指していたのでは。
父親の暴力から、依里はだいぶ傷ついており、父を殺すため多分ガールズバーを放火した。
湊は、自分の同性愛傾向に戸惑っている(依里はそこまで戸惑っていない感じがした)。
母親は、シスジェンダー・ヘテロ的『普通』以外が思いつかないので、湊が結婚して子供ができるまで、などという明るい将来の定義にて、湊を苦しめている。
湊の父の死因は、どうやら不倫旅行中の事故らしく、そのことをないことにして(湊に知られていることを母が知ってるか不明)父を慕うよう促す母への同情というか、愛情もみられる。
依里と仲良くすることで、いじめを避けたい、でも依里へのいじめへ加担することへの罪悪感も強い、またテレビや親・大人の言動から、同性愛者の幸せが見えなくて、それを選べない。混乱の極みによって、走行中の自動車より落ちることになる。
多分、同級生の漫画を読んでいた女の子は、湊と依里にいじめっ子といじめられっ子という見せかけ以外のことを感じている(から、猫のことを保利に伝えた?)。
依里はわざと鏡文字を湊の母の前で書いて、作文に混ぜた暗号のようにして、目の前の大人を試した。
秘密基地の電車の中での結末は?
二人が死んだとの解釈もできるが、車体から出てどこかで夜を明かし、雨が止んだあとの森で、二人が楽しく走り回っていたと解釈したい。
自由に思うままに生きることができると思いたいから。
大人については、湊母、保利、校長以外の教員、依里父は特筆すべきところはない。
私が湊母で、保利で、教頭や2年生時の担任だったとして、彼らとは違うもっと“よい”、“適切な”言動ができたかわからない。違うことができたとして、それが誰かを傷つけないともいえない。わたしも生きた分、偏見を積み重ねて暮らしてるから。
謎が残ったのは、校長。
孫の死因はじつは校長自身が起こしたという噂について。
湊母がみた、スーパーで走る他人の子どもへの足ひっかけ。
湊母の申し出に対する対応の不味さ、考え方(ほんとのことなんてどうでもいいんだよ、と言っていたと思う)。
恐らく逮捕された夫とのやり取りと折り紙。
湊にトロンボーンを渡したやり取り、一部の人にしか手に入れられないものなんて幸せじゃない、的な発言。
結局分からなかったし、解釈することもできなかった。
田中裕子を配したのだから、初対面の観客が簡単に解釈できるような人物にはしないよね…というね。
人のことをまるっと理解できるというのは、有り得ないから、これでいいのかも。
でも、なんらかの解釈しないと先に進めないから、偏見を積み重ねるしかない。
ので、怪物だーれだ、の答えはわたし、であり、あなた。