「かいぶつはだれ?」怪物 Yuhideさんの映画レビュー(感想・評価)
かいぶつはだれ?
序盤はへんなテンポの映画だなと思っていたら、まぁ仕掛けのある作品でした。
「かいぶつ、だーれだ?」この言葉自体がミスリードなんですね。
怪物はだれもが心のうちに抱えて増幅させるもの。起こった事象をだれもが自分の見え方で価値観で解釈し、イメージを増幅していくわけです。
麦野早織は学校がおかしいと声を荒げ、息子の湊の担任教師・保利のことが怪物じみて見えてくる。
その保利からは、湊がいじめをしているのではないかと疑い、得体のしれない怖さを感じる。
そして、湊は同級生の依里が不思議な存在だと思いながらも仲良くなっていく。
まるでプリズム。誰の目からどのように見るかで、なにが怪物なのか変わってくるんですね。
冒頭のビル家事が象徴的です。だれが放火したのか、ビル周辺でだれがなにをしていたのか。それぞれの人物の見方で変わってくるわけです。当事者なのか傍観者なのかでも違う。本当のことすらわからない。
子役は相変わらずのすばらしさでしたね。
特に湊と依里が仲良くなっていく過程がすばらしかった。片方ずつ靴を履いて、ケンケンしながら帰る場面なんか、ずっと見ていたいと思ってしまった。
湊が依里を好きかもしれないという感情が芽生えたところもまさに演技。セリフなしで愛情なのだと、観客をハッとさせないといけないわけで、しっかり演技で見せている。友情ではなく愛情なのだと。すごいこと。
音は全編、大事なところで鳴っていました。坂本龍一の曲もちろん、不穏な管楽器の音が学校で響いているのも象徴的でした。これは湊と校長先生がイヤなことは楽器を吹いて吐き出すと話していたんですね。
田中裕子が演じる、校長先生も不気味でしたね。ひたすら謝り続ける。子どもを憎んでいるのかもしれない。孫殺しの犯人とも受け取れる。しかしそれもなにもかも偏見でしかなかったのかもしれないんです。
そう観客すら他人事ではいられない。第1幕で穿った見方をして誰が怪物なのか疑い続ける。第2幕でも偏見が覆された体験をしているのに、真の悪を見つけようとする。違うんです。この悪を見つけようとする行為自体が、怪物を生み出すんです。
このバイアスがなければ、2人はもっと素直に周りに話せたかもしれない。母親に先生に。そのチャンスは間違いなくあったけれど、大人がつぶしてしまった。だから2人は追い込まれ、嵐の中を逃避行せざるを得なかった。2人だけの世界へ行かなければ、2人の思いをさらけ出せなかった。
是枝裕和、坂元裕二の2人の仕掛け、味わってみることをおすすめします。