「酷く脆い“怪物”とは」怪物 かずくんさんの映画レビュー(感想・評価)
酷く脆い“怪物”とは
現在も信州人の僕、見事砕かれる。
「あ、ここよく行く場所!」とかそんな余裕なかったぞ…。
第一幕は麦野君の母親視点の物語。
息子が先生にイジメられている?
息子が先生に体罰を受けた?
それなのに学校は無責任…いや、「無気力」とも言える死んだ顔の“怪物”。
第二幕は担任教師、保利先生の物語。
彼は「何もしていない」のに、
生徒の嘘によって翻弄され、他の先生からは責任を押し付けられ、
全てすべてが“怪物”。
彼を取り巻く全てが“怪物”。
第三幕は伏線回収がメインとなり、
度々顔を見せる二人の子供たちの物語。
さて、舞台は整った。
ここから始まるのは「無邪気さと葛藤」に住み着いた“怪物”の物語。
常に僕等に強烈な印象を与える星川君。
彼は普通ではない、彼は異常。
最初僕はこの意味の捉え方が上手くできなかった。
何故彼の父親は虐待してまで、星川君を律したいのか。
何故いじめっ子は二人の関係を「ラブラブ」と囃したてるのか。
それに怒る麦野君。
(この時点でほぼわかってたし、なんなら校長先生のシーンでもう確定したけど)
レビューやネタバレを見て確信に変わった。
(そのときは、「多分そうだろうけど解釈違いだったら殺してほしい」レベルでレビューを拝見していたので)
成程、これは「マイノリティなのか」と。
互いが互いを「特別」と感じている。
然しこれは単なる絆ではなく、「秘めるべき恋心」。
然し彼等には「普通ではない」としか言えない。
「豚の脳」、「治療」、「話しかけないで」、「俺が間違ってた(嵐の中で麦野家に叫ぶ保利先生の台詞)」、「普通」、「男らしく」―。
これらが「全員の価値観による『支配』」と捉えれば、
この物語の真意が現れてくる。
星川君の父親はノーマル。
ガールズバーにも行くし、普通に結婚して子供もできた。
そんな子供は「自分と全く違う価値観」。
「俺の子だから」と勝手な「支配」。
虐待による「支配」、それが治療という名目で。
保利先生は「教師」という職務からも、
中立的な立場に立たされる。
子供たちに常に正しく、そしてのびのびと清らかに巣立ってほしい。
だからこそ、マイノリティにはシビアにならなければならないし、「間違ったこと」を伝えるわけにもいかない。
自分らしくとは言葉だけに「男なら」、「男だから」と「支配」していった。
麦野君の母親は「ラガーマンの父」を亡くした女性。
そう…正に「雄々しい男性像」がそこにある。
自分の旦那のように、息子にも男らしく育ってほしい。
息子を「支配」し、知らずの内にお父さんを押し付けていた。
さて、こんな支配しかない世界で気付いてしまった「互いが互いを(違う意味で)信頼し合っている」真実。
彼等からしたら、こんな狭い世界よりも広く心地良い、温かい二人きりの世界が望ましいだろう。
ラストシーンで二人が駆けるのは、
「死の救済」か「無邪気故の希望的観測」か。
支配という“怪物”からの解放―。
誰にも知られてはいけないこの想い、
さて誰が始めに気付くのか。
まぁ少なくとも保利先生ではないだろう。
彼からしたら「麦野が星川をいじめている」という話の真実を知ればいいこと。
「俺が間違ってた=『麦野が星川をいじめている』と思ってしまっていたことが間違っていた」ことなのだ。
何故か。
なぜ誰も気付けないのか。
だってよく考えてほしい。
「みんな異性愛者」だから。
僕自身ゲイではあるが、だからといってこの作品に対して何か評価を変えはしない。
一言マイノリティを抱えるものとして言えるのは、 悩む人達の傍に居る人が「気付いて声をかけてあげること」なのだ。
そういう意味では、作中の良心は校長先生だったと思う。
彼女こそ、彼のもやもやを吐き出せる場所を作ってくれたのだから。
一人の視点から見る“怪物”というものは明確にわかるが、
全体を覆うと見えなくなる。
彼等は其々の想いを背負って盲目になってしまっている…。
分かれば単純なことも、自分達の価値観や責任感、自責によって“怪物”の存在に気付いていない。
そしてこんなレビューをしている僕こそ、
彼等から見る“怪物”なのかもしれない。
(追記)
そういえば麦野君が秘密基地で星川君を突き飛ばしてしまったのは、
明確に彼を想っていることがよくわかるシーンだった。
虐待から星川君を助けることも、
星川君が「お菓子をあげる」ことも。
傍から見たら微笑ましい光景。
でも彼等からしたら、「秘め事」。
言葉通り、お菓子を食べたことは内緒にしないとね。
(そう…「嘘」をつかないとね)
彼等はこれから、「社会」という”怪物”に立ち向かわなければならない。
その時、この二人が永遠に支え合える関係であることを祈るばかりだ