「日常に潜む普通という怪物」怪物 shitoさんの映画レビュー(感想・評価)
日常に潜む普通という怪物
母親にとっての普通の家族というのが湊にとっては死にたくなるほど苦しい。保利のような普通の教師が学校にとっての普通の対応(実際は歪みまくってるが)に潰される。依里や湊の依里を好きだという気持ちは、男らしくないが普通の価値観である同級生のいじめや依里の父親の治療という虐待によって踏み躙られる。
それぞれの信じている普通という価値観が怪物のように人を容赦なく傷つけて追い詰めていく。まさに人の価値観や社会の本質に迫った作品だった。
校長先生の、一部の人が思う幸福は本当の幸福ではない。という言葉で何かが吹っ切れたその後の湊の行動が何とも清々しかった。
怪物2回目観に行ったが、いろいろ謎が解けてきた。
・孫を轢いたのはやっぱり校長か?
校長だろう。校長が軽く認知症入ってそうだし、旦那さんが代わってくれたんだろう。
・ビルに火を付けたのは依里か?
依里だと思う。理由はお父さんがお酒を飲んだ時に暴力を振るうから、お酒を止めれば暴力をなくせると思ったのかもしれない。
・最後2人は死んだのか?
これは死んでないと断言できる。その理由としては電車が土砂崩れで倒れた後2人が下の窓から脱出して、水路を通って出たことにある。もし死んでいたなら、自分の思念の中だけのイメージになるはずなので、通ったことない水路自体が記憶になければ思念化されることはないからだ。故にちゃんと脱出した過程を見せることで、生きているという証を作り出していることになる。
ただ気になる所は保利先生と早織が電車に来たタイミングと湊らが電車から出てきた時間のずれだが、それも流れとしては、抜けた時がちょうど台風の目にあたり、風もおさまり晴れたというので説明がつく。電車に泥も入ってなかったし、電車が倒れただけで死ぬとは思えない。最後の柵も台風で飛ばされたのだろう。
故に2人はこれから理解ある大人や親に見守られながら、自分らしく前向きに生きていくことだろう。
共感ありがとうございます( ˶'ᵕ'˶)
あの楽器の音、どの視点でも聞こえてきて、初めちょっと不気味に聞こえました。校長先生と湊のシーンでそういうやりとりがあったんだと、観てるこちらもふっと軽くなりました。