「誰もが見えない戦いをしている」怪物 ムラサキ・サキさんの映画レビュー(感想・評価)
誰もが見えない戦いをしている
前情報ほぼ無しで観てきたので、"怪物"というタイトルをみて、サイコスリラー映画だと思って観た。結果的に予想が大きく裏切られた。心揺さぶられる良い映画だった。
本作は怪物の正体を問い続ける、心理的な要素が深く込められている作品だ。一見平凡な母子家庭の麦野家の日常が描かれた序盤から、徐々に息子が抱える問題に焦点が移る。彼の学校での苦境、そして友人である星川君の問題、これらが複雑に絡み合った関係性が見事に描かれている。
衝撃的な展開は序盤から終盤にかけて見事に配置され、視点の変化とともに怪物の正体を明らかにする。特に、星川君が虐待を受けていること、そして彼が同性愛者であることが明らかになる場面は、その衝撃度合いを一層引き立てる。
映画の中盤では、星川君と息子が秘密基地で過ごす場面が長めに描かれ、映画全体の緊張感を一時的に緩和する休息的な時間となっている(これが若干中弛みの要素にもなっていると感じた)。
しかし、その穏やかさは一瞬にして消え去り、衝撃の結末へと導かれる。彼ら二人の運命とそれを取り巻く大人たちの反応が心に深い影を落とし、映画が終わった後も、考えさせられる。
この映画は、性的マイノリティを描きつつ、全ての人が怪物性を持っている可能性を示唆している。モンスターペアレントで息子に普通を押し付ける母、友人を助けられずいじめを見て見ぬ振りをする息子、同性愛者の息子を蔑む星川父、異質さを持つ星川君、男らしさを無分別に押し付け、ストーカー的な傾向を持つ担任教師、孫を轢き殺したと噂される校長、無関心な態度をとる他の教師たち。
この映画は性的マイノリティの問題だけでなく、人間性そのものを大きな視点で探求している。
そして、それぞれの登場人物が直面している独自の"怪物"は、我々自身が経験する可能性のある現実の反映とも言える。映画を観ることで、我々は自己内部の”怪物”と向き合うことを迫られる。
また、叙述トリックを巧みに駆使した物語の構成も見事で、観客の先入観をうまく利用していて見事だった(しかし、クィア・パルム賞の受賞情報が解説などに添えられている為、物語の核心に対するヒントとなっていて、トリックを台無しにされている感は否めない)。
全体的に見て、“怪物”は感動的な展開を持ちながらも、人間の心理と社会的な問題を深く探求した作品だ。序盤から終盤まで一貫して感情移入することが可能で、その過程で感じる怒りや衝撃を通じて、映画の世界に深く引き込まれ、時間を忘れてしまう。この映画を観た人は、その強烈な印象が映画鑑賞後も心に残り、しばらく思考を強く刺激し続けるだろう。
余談。息子と星川君はどうすればよかったのか?
映画から読み取れる麦野母のキャラクターは、「普通」という価値観を子供に押し付けるものの、それは彼女の無知から来るもので、悪意があるわけではない。彼女は子供のことを真剣に考える人物であり、適切に話し合いを行えば、理解を示し、息子たちのサポートに回ってくれただろう。
また、担任の先生は一見奇人に見えるかもしれないが、心無い言葉を使ってしまうのは無知や思慮の欠如からで、必ずしも差別意識からではないと考えられる。
だからこそ、息子が最大に失敗したのは、自分たちの味方になり得る二人を諦めてしまったことだろう。
麦野母のすれ違いもまた痛ましい。彼女は自分が子供に寄り添っていると思っていたが、実際には寄り添えていなかった。息子が一足の靴で帰ってきたとき、水筒に砂利が入っていたとき、トンネルで一人になっていたとき、何度も問題の兆候は現れていた。それでも、理解ある親の振りをして子供の本心を見逃し、学校対応に時間と労力を注ぐことに一生懸命になってしまったのは痛恨の極みだった。
余談その2。この作品は要所要所で認知を歪ませるトリックが使われていて、観客は何度も騙されている。つまり観たままの映像は、イコール真実ではないということだ。なので、最後の子供二人死亡エンドはトリックで、全員生存ルートのハッピーエンディング説を私は支持いたします!
始めてコメントします。
みかずきです。
本作、観客に結論を委ねるという日本人が苦手な作品でした。
終盤で、小学生二人は行方不明になります。
事故は想像しましたが死亡までは考えませんでした。
ラストは、二人の親密ぶりを描いています。
終盤とラストから、
”性の多様化の現実は厳しいが、それでもなお希望はある”
というの作り手のメッセージを感じました。
特にラストは性の多様化に対する作り手の暖かな眼差しを感じました。
エールを感じました。
どんな作品でも、ラストは、希望、一筋の光明で終わって欲しいです。
映画鑑賞は娯楽であり、明日への活力になって欲しいからです。
では、また共感作で。
ー以上ー
ラストは様々考えて良いと思います。断定的結論は昨今の映画は勿論、是枝さんも結論出さないでしょう。
自分は、劇中「生まれ変わる」というのがキーワードになっていて、ラストは生まれ変わってないので、助かったか、夢の中か、どちらかだと思いました。
「全ての人が怪物性を持っている」この映画の主題でもありますね。
私は最後の二人が亡くなっているという考えは、他の人のレビューを見るまで思いつきもしませんでした。え?そうなんですか?
息子の失敗について。すごく共感します。母親がすぐに問いたださないのも失敗でしたね。靴や泥水が教師の仕業とは考えにくいですからね。先生が実際には飴を舐めてはいなかった、または先生の視点ではそれが欠落していることを考えると、ラストは実は生存、の可能性もあるわけですね。