「「怪物」と決めつけることの救い」怪物 さくやさんの映画レビュー(感想・評価)
「怪物」と決めつけることの救い
誰しも、誰かの目にはモンスターになり得る。
それは当たり前のことなのだけれど、相手の話しをしっかりと聞き入れようとせず、最初から「モンスター」と決めつけてしまうのと、相手の態度が理解できず、徐々に「モンスター」に見えてくるのでは、まったく違います。
子どもたちのことは懐の深いところで受け入れ、救いを与えようとする校長が、保護者に対してははなからモンスターであると決めつける矛盾と、現実。
先生は強いから、少しくらい悪者にしても大丈夫だという子どもの決めつけもまた、「優しい大人」を「自分とは違う何者か=モンスター」と決めつけているということになるのでしょう。
モンスターを覗き込むものもまた、モンスターになってしまう。そのスパイラルをどこで断ち切るか、断ち切れるのか……というところで、一見理不尽な目にあっているとしか見えない保利先生にも、なにがしかの救いがあるのでしょう。
保利先生は、自分をモンスターだと決めつけた相手に対して、「おまえはモンスターじゃない」と声を上げる。そういう意味では、この映画で一番の救いなのだと思います。
ただ、「この世にモンスターはいない。モンスターを作り出す状況と、モンスターと見なす人がいるだけだ」と、楽観的に見ることもできません。
中村獅童演じる星川清高に関しては、むしろ積極的に「怪物である」と決めつけ、なまけものの死んだふりではなく、しっかりと成敗せねばならないのではないでしょうか。
あるいは、「こいつは化け物だ」と決めつけることが、救いになることもあるはずです。
星川清高が怪物にならずに済むような状況。それが本当の救いなのでしょうが、どうすればそんな救いがもたらせられるのでしょうね。
ラストシーンは、「一度死んで生まれ変わらなければ、バリケードの向こうに行けないのでしょうか?」という問いかけだと私は受け止めました。
最後に。
カンヌには言いたい。
ネタバレやめてくれ。