「『誰でも手に入れられるものを"幸せ"と言う』」怪物 いぱねまさんの映画レビュー(感想・評価)
『誰でも手に入れられるものを"幸せ"と言う』
多分、表題に今作の全てを込めている台詞を、田中裕子が呟くこと、これで今作のテーマを一点集中突破した出来映えだと最大限に感心させられた この台詞は絶対的に皮肉であり、人はそれぞれの幸せを本来持ち得るモノという多様性を得なければ未来は訪れないという、まぁ、保守派の人達にしてみれば、温ま湯だと揶揄されるプロットだろうと容易に想像出来る、"万引き家族"と同様、ネット上で物議を醸し出すストーリーである 確信犯的に作っている制作陣の好戦的な姿勢に好き嫌いがハッキリと分れる提言に、その意志を認めざるを得ないのは、もしかしたら左右両方に巡り巡って好かれるのかもしれないと、穿った観方さえしてしまうチャレンジングさである 絶対日和らない、という凄みに、餌巻きされた否定派達は心底小躍りしただろうと予想する
只、自分が感じたことは別に上記の事に集約されることではないと感じる 他の考察サイトでも述べられていて心底合点がいったのだが、カンヌが称賛したクィア賞の本質ではなく、今作は、成長期に於ける有り余った性欲が、色々なところに発露してしまうという現象に集約される物語なのだと腑に落ちた あの子役2人が未来にどうなるのかなんてものはストーリーに提示されていないどころか、もしかしたらラストシーンはイマジネーションパートかも知れないのだ そんなあやふやなシークエンスの中で、性への目覚めの真相等、当人ですら分らないし、歳を取って振り返っても"トチ狂った"のか"方向性を決定づけた"のか、それは振り子のようなタイミングだけなのだと断じる
本当に、狭いところを付きながらも普遍性を語る制作陣及び役者陣、頭が下がるほかない内容であった
追記
所謂、『感動ポルノ』問題という事案がある 今作も又批判の中の一議題として囂しい
視点を切り分けた構成である今作は、本当の子供達の姿を周りの大人は気付いていない、しかし、先生のみが鏡文字で気付いたのではと思われる節を匂わせる いや、匂わせなので、本当の正体は分っていないかもだし、父親のおかしな言動や、他のクラスメートの嘘や不穏な喧嘩や雰囲気等々、自分では手に負えない問題の数々が実はあのクラスには積み重なっていたのだろうと・・・ もしあれが現実に日本のどこかの学級で起っていたとして上手く捌ける教師や教育委員会がいるのだろうか? なので、二人に何らかしらの関係性を見出した先生のキャラ設定の微妙さを考え出した制作陣に尊敬する
人間は善悪の二元論ではない そしてもしかしたら発達障害的な行動をしている人だって、もしかしたら真実を掴んでいるのかもしれない
話は横道に逸れてしまったが、今作ラストの『銀河鉄道の夜』的ファンタジーに、結局不幸にさせて感動させる落とし処だろうと邪推する観客もいると思う 『マイノリティは不幸になる』という結論で、可哀想という感情を観客に植え付ける それは正に高みの見物(シス&ヘテロ)として、そういう星の下に生まれた人達が運命として消えてしまうことに哀しさを安易に得たいと願うこと しかしそれは今作に於いて些か考察が足りない
理由は横道に逸れた先生のキャラがそれをブレイクスルーしていることが明らかだから
願わくば親が気付いて理解して揚げて欲しい しかし両人の親ともシングルという協調作業が困難な家庭環境(両親がいたってダメな場合が多々)に於いてその願望を押しつけるのは残念ながら解決不可能である
そう、今作はキチンと、だれが怪物なのかを暗喩として示しているばかりでなく、そのどうしようもない岩盤を開けるのは、もしかして思いも依らぬ変人かもしれないという、これもファンタジーかも知れないが、その可能性をフィクションとしてではあるが提示した物語ではないかと考える
本来ならば、第3の壁を破り、観客に問い掛ける演出だって乱暴だが在っても不思議じゃない 曰わく「あんた達、感動していないで、二人の子供がこんな悩んでいるのに胡座かいて当事者意識なんて持っていないんじゃないか? あんた達の事なかれ主義がこうして不幸を再生産しているんだぞ!」って、校長先生辺りが、あの死んだ目で問い掛けてくれたら、もしかしてパルム・ドール?・・・・な訳ないかw
私も昨日本屋で小説発見しました!おっ!と思いましたが、いぱねま隊長の見解を待つ。。とページを開かず戻しましたw ラストが違うのですね!!気になりますね♪ただ、私も有料パンフは買わない派(買えないw)でして、無料パンフもある時だけ入手。映画代値上げも堪えます( ; ; ) 映画でのラスト、死んでしまったか否かより、2人が笑って楽しそうだったから私は良いと思いました♪
コメントありがとうございました。鑑賞後、考える事がやめられなかった。知りたい。教えて欲しい。私わかってない!何かが違う!という違和感からずっと逃れられずにいました。いぱねまさんのようなお方からの返信、私では全て理解出来たかというと疑問ですが。欲しかったパズルのピースは全て埋まった。という感覚です。そもそもが保利の「資質」だからこそ鏡文字のメッセージに気がついた。あの部分に何の違和感も抱かない人もいるはず。怖くなって声が出ました。加えて私なりに考えたのは、あの飴は彼女からもらった物でしたよね。保利にとって味方だと思っている彼女を感じたかったのかもしれません。自分こそ被害者だ!という弁解したい気持ち。どんどん飲み込まれていく恐怖からあの場面で口にしたのかなと感じたりしました。そして鏡文字の解釈。大体は学習障害?を疑われるけれど。裏と表。自分は男の子が好きな男の子=普通と反対を意味していたのかな?と思いました。又、早織が依里の家に上がり込み、依里が書いた手紙の鏡文字を指摘すると、すぐに書くのをやめてしまう。依里のやっぱりわかってもらえないんだ。普通じゃないんだなと諦めた深層心理まで表現したかの様な場面にも見られました。「生まれ変わり」や「死」などのゾワゾワするワードも多かったですが、
台風の翌朝の
依里「うまれかわったのかな?」
湊「そういうのはないとおもう」の会話から(そんなニュアンスだったような、、、)湊は、もし生まれ変わってもこのままの自分が良い。依里と仲良くなりたいよ。って自分を肯定出来たのかな?って。そう思いたい私がいて、少しの安堵と共に涙が出そうでした。かなり二極化しそうな演出や脚本で、あえて事実を提示せずこちらに委ねる。お前なんぞ、所詮、主観でしか物事を見られないって突きつけられた気分です。痛い。。ずっと苦いスープが口に残りそれでも尚、ここは?これは?ってこちらに委ねられて逃げられませんでした。鑑賞直後から大分思いが変わった作品になりました。秀作なのでは!!と思う自分と否定したい自分もおります。又観たいか?と言われれば、正直わかりません。セクシャリティを題材とした作品も多くなり疲弊している自分もおります。
いぱねまさん!お付き合い頂き感謝です!!「怪物」終われそうです!
あ!空気人間って書いてました^^;
空気人形の間違いですm(_ _)m
今作とは全然関係無い話だが、性欲の強さというのは絶対的数値として測れる尺度があるのかという疑問が湧いてくる
成長期に、一般論として運動等の捌け口(具体的に言えば部活等 現在では学校に依る以外も有り)が健全だとされているが、そこには少なからず"優劣"が存在し、残念なことにその概念と性欲というのが強い結びつきを発声してしまうことを、世間は認識しているのか?を、これって"中二病"?と安易に落としがちにしてしまうことに我ながら浅はかさを認識し閉口してしまう なんていう語彙力文章力の病的表現なのだろうと我ながら恥辱に塗れる文章だ
要は、運動にも一般的文芸芸術にも属さない、自意識過剰な少年は、却って性衝動に残念なことに特化してしまう傾向って、これこそステレオタイプなのだろうか? 自体験です(泣 運動神経無い、努力も面倒くさい、頭も悪いし不器用 ないないづくしに唯一特化したモノが性欲・・・・ 生きてちゃダメだねw<私