「もう一つの“誰も知らない”」怪物 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
もう一つの“誰も知らない”
カンヌで二冠。またしても是枝裕和がカンヌを賑わす。
役者たちから名演技を引き出し、文句の付けようがない名演出は、自身の新たな代表作誕生に相応しい。
しかし今回は、坂元裕二による脚本も大きい。是枝が自身で脚本を手掛けなかったのはデビュー作の『幻の光』以来。
脚本の本質をしっかり読み解いたのも、それほどこの脚本に魅了されたという事でもあろう。
確かにこの脚本の見事さには唸らされる。伏線や意味深な描写をちりばめ、回収や繋ぎ方、展開に引き込まれる。脚本賞も納得。
坂元裕二は多くの人気TVドラマを手掛け、『花束みたいな恋をした』を大ヒットに導き、本作で栄誉に輝き、今後TVドラマのみならず映画界でも重宝されるだろう。
兼ねてからリスペクトし合い、コラボを望んでいたという二人。そこに奏でられる故・坂本龍一。
全ての才が素晴らしい形で結集し、世界に放たれた。
これはもう“奇跡”や“偶然”ではない。“運命”で“必然”だったのだ。
話はある一つの“事件”を、3つの異なる視点から語られていく。
所謂“羅生門スタイル”。映画の常套手法だが、どうしてこうも見る側は“矛盾”に引き込まれるのか。
勿論それも、脚本の巧みさあってこそ。
シングルマザーの早織。夫を亡くし、一人息子の湊にたっぷりの愛情を注ぎ、大事に育てている。
最近、湊の様子がおかしい。靴を片方無くし、汚れた服。突然自分で髪を切り、怪我も…。奇行も目立つ。
問いただし、何があったかやっと聞き出すと、学校で担任教師から体罰や酷い言葉を掛けられたという。
お前の脳ミソは豚の脳ミソ。
早織は学校に抗議。が…
何の感情も無く、機械的な口調の、“形”だけの謝罪ではない謝罪。
心ここに非ずの校長。マニュアル通りただ頭を下げるだけの教頭ら。担任の保利に至っては、事の重大さや自分が何をしたかすらも分かってない。
何なの、この学校、教師たち!?
保利の母子家庭を貶す余計な一言やさらに息子さんがいじめをしているとまで言い出し、火に油を注ぐ。
一瞬息子を疑うが、被害を受けたという生徒(依里)に会い、事実無根の確信を得る。
事件はニュースにもなり、保利は休職。
これで一応一件落着と思ったある日、嵐の夜、湊が突然姿を消す…。
傍目には、息子を守るシングルマザーの戦い。
早織から見れば、学校や教師たちが“怪物”。
一人息子を大事に思う早織の言動は誰もが共感する所だが…、うっすら過剰やウザさも感じる。
つまりは“モンスターペアレント”。学校から見れば、早織が“怪物”。
“怪物”とは誰か、何か…?
各々の視点によって、“怪物”は全く異なる。
担任の保利の視点。
ここでの保利は、早織の視点とは全く違う人物像。
早織の視点では大人/社会人として全くの無責任(もっと砕けて言うと、ムカつく!)に見えるが、保利自身の視点では、至って普通の人物。と言うより、真面目で生徒思いのいい先生。
誰がどう見るか、見えるかによって人の印象は変わってくる。
恋人との関係も良好で、生徒からも好かれ、まだ日は浅いが教職にやりがいを見出だしていた。
そんな時クラスで起きた生徒同士のいざこざ。
間違いのない対応をしたつもりが、それが問題視され…。
体罰があった。たまたま肘が生徒の鼻にぶつかっただけ。
先生が怖い。事の収束に奔走しただけ。
体罰教師のレッテル。マスコミにも嗅ぎ付けられ、恋人とも関係が…。
挙げ句の果てに学校から、責任と罪を一人擦り付けられる。
精神的に追い詰められていく…。
保利から見た“怪物”とは…?
自分を見放したら学校。同僚たち。
それは早織も同じかもしれないが、早織視点の場合は非を認めず憤り募るのに対し、保利視点での学校は闇深い不条理な場。
似てるようで、意味合いも微妙に異なる。
また、嘘を付いた生徒たちも“怪物”。
ある時、そんな“怪物”の秘密を知る。
それを見逃し、気付かなかった自分も、愚かな“怪物”…。
“羅生門スタイル”の醍醐味は、最後に伏線が回収され、それらが繋がり、全てが明かされていくカタルシス。
本作のキーキャラは、二人の子供。
湊と依里。
二人だけの秘密と真実。彼らから見た“怪物”とは…?
学校でいじめに遭う依里。
そんな依里を気掛かりに思いつつも、助けてあげられない湊。自分へ苛立ちを感じる。
ひょんな事から密かに親交を持つ二人。
依里が見つけた森の奥に廃棄された電車。“秘密基地”は、二人だけの“世界”。
二人共、何かを抱えている。
母子家庭の湊。父親は事故死したが、その時父は…。
父子家庭の依里。父からは“病気”とされ、DVも…。
“病気”とは、普通の男の子とは違うから。
“豚の脳ミソ”も依里が父親に言われた言葉。
二人を取り巻く…いや、圧する大人たち、社会。
二人から見れば、その全てが“怪物”なのだ。
その“怪物”に、僕たちはどうすればいいのか…?
生まれ変わりや品質改良。ありのままではいられないのか…?
カンヌで受賞した“クィア・パルム賞”。LGBTなどを扱った作品へ贈られる。
そこから分かる通り、二人の関係は友情を超えた同性愛を匂わす。
いやはっきりと、想い合っている。
親、学校、周囲、社会…それらから見れば、変わった僕たちが“怪物”。
でも一体、どちらが“怪物”なのだろう…?
ピュアな秘密を抱える子供たちか…?
保身を固持しようとする彼ら以外の全てか…?
見た人それぞれに訴える。受け止め方がある。見方がある。
だから単純に答えは出せない。
実は今も、果たしてこうでいいのか、もっと違う視点ではないのか?…などと自問自答しながらレビューを書いている。
まだ受け止め切れない自分がいる。
作品が訴え、問い掛けるものや、まだ残された謎。湊の父親の死の疑惑、校長の孫の死の噂、ビル防火の犯人…。
また見返しても、暫く経っても、それはずっと続く事だろう。
私の心に残る作品であり続けるだろう。
書いていたら今すぐにでも見返したいくらいだ。
名演出、名脚本。心に染み入る遺曲。
安藤サクラの名演。
永山瑛太の完璧な演じ分け。
田中裕子の存在感。
高畑充希、中村獅童、東京03角田らも魅せる名アンサンブル。
中でも二人の子役、黒川想矢と柊木陽太。
実力派や名優たちを食ってしまうほど、圧巻。
是枝監督は普段は子役にはナチュラルな演技を要求するが、本作ではディスカッションし、作り上げていったという。
それほどこだわり抜いたほど、作品の要なのだ。
重厚なドラマで、サスペンスフルな雰囲気も。
あの楽器の音色も印象的。まるで、怪物の言葉に出来ない鳴き声のよう。
終始、重く、暗く…。
が、ラストシーンだけ光輝く。
嵐が過ぎ去り、美しい陽光の中、二人が駆け出した先には…?
このラストシーン、ひょっとしたら…? の意味合いもある。
でも私は敢えて、希望ある終わり方と捉えたい。
二人だけが知っている。
これももう一つの、“誰も知らない”。
近大さんの丁寧なレビューを読んでもう一度映画を見た気持ちになり、もう一度映画館で見たいと思いました。私にとっても、光の中を希望に満ちて走る二人で終わる映画です