「自分じゃ自分が何者か分からないから、教えあって生きていく」怪物 OMGCさんの映画レビュー(感想・評価)
自分じゃ自分が何者か分からないから、教えあって生きていく
鑑賞後、熟考させられる作品だ。
人と人が分かり合う
人間はデバイスではないから、そもそも同期なんてできない。
だから、永遠に分かり合うことなんて、あり得ないのかもしれない。
これが私自身の考えだ。
部分的にもしくは一時的に分かり合う事はたくさんあるとおもうけど。
それでも日々は過ぎていくのであって
生きていく糧を得るために、何らかの労務をしながら
できればその精度を高めながら、暮らしていくのだ。
だから、無理に分かり合うことなんかせずに、
できるだけ自分にとって必要な情報だけを得るようにして、
むしろ孤立化を図った方が生きやすい、なんてこともあるだろう。
但し、人間は社会性があるから、本当に一人ずつだと生産性は低いから、
なんとなくダマのように固まり合って、塊同士は必要レベルで理解しあう努力をして生きてる。
こういった原理原則は人間の歴史において
今も大昔も 大して変わらないんじゃないかと思う。
***
この映画は脚本としては登場人物それぞれの目線により
見え方かわるよね、っていう仕掛けになっていて
でも怪物って誰なんだ?っていうプロット。
私の感じ方だが、
怪物なんていなかったじゃん、というのが感想だ。
各章における演技の方向性はともかく、
皆がみな大人なだけだし、異常者なんかいない。
反面「怪しい」という意味においてはとてもよく描けており
物語序盤では誰しもが怪しく見えたりする。このあたり面白い。
(棒読み謝罪なんか見てて教員をぶん殴りたくなりましたね・・・)
主人公の二人の子供は、いじめ問題への本能的な正義感と、クラス社会との相反に悩んでいて、
ただでさえ可哀想に思えるのにくわえ、LGBTの感受性にもお悩み。
家庭環境にもお悩み、って(はぁーー・・・)、
子ども的・超複雑シーズンを過ごしていて、
この子たちを助けてあげられるのは金八先生くらいしかいないんじゃないか、
とか 馬鹿な妄想をしながら見ていた。
最後はきっと事故で・・・というのが私の感じ方だったが、
それでヤッホー!と感情爆発させ解き放たれた 子どもたちの姿は
この社会から解き放たれてやっと 開放される心 ということになるけど
現代社会はこんな悲劇的なんだろうかって・・・
思考が悲哀ループしてしまった。
***
最後にひとつだけ
おでこにカードをあてる怪物だれだゲーム(?)っていうのかな、
「あなたはこんな特徴だよ」って自分じゃない人から
ヒントを出してもらって 自らを知っていく 示唆的なこれ。
これはこの映画の、語り継がれるべき名シーンだと思う。
人生にとって大切なことと思う。