「あり得ない設定を導入してまで、登場人物たちに因縁を持たせる必要性はあったのだろうか?」水は海に向かって流れる tomatoさんの映画レビュー(感想・評価)
あり得ない設定を導入してまで、登場人物たちに因縁を持たせる必要性はあったのだろうか?
いつも無愛想で、それでいて、たまに豪快な料理でもてなしてくれるミステリアスな年上の女性に、広瀬すずがピタリとハマっている。
不倫という行為が、その当事者の子供の人生に及ぼした影響を描いているのも、目新しいと思う。
ただ、主人公の男子高校生が、過去に不倫した男の息子という設定は、本当に必要だったのだろうか?
年上の女性に対する思いが、父が犯した罪に対する償いの気持ちから生じているように見えてしまい、彼の純粋さや一途さが今一つ実感できないのである。
ここは、何の雑念もなく、いつも不機嫌な彼女に対して、単純に興味や憧れを抱くようになるという流れで十分だったように思う。
そもそも、不倫した男と女の子供たちが、たまたま同じシェアハウスに住むことになるといった偶然は、通常ではあり得ないし、素直に納得することもできない。
同じクラスの女子が、シェアハウスの同居人の妹であるという、安っぽいラブコメのような設定も同様で、あまりのご都合主義に興ざめするとともに、その必要性に疑問を感じてしまった。
物語のクライマックスで登場する、過去に不倫をした女、すなわち年上の女性の母親のキャラクターも、良い人なのか悪い人なのかがよく分からない。
過去の暴言を謝りたかったはずの娘が、更に暴言を吐いてしまったり、のうのうと幸せに生きている姿を娘が見て、腹を立てていることが馬鹿らしくなってしまうような母親なのだが、そうであれば、もっと、ダメな人間に振り切って描いてもらいたかったと思う。
物語の鍵を握る重要な人物だっただけに、その中途半端なキャラクター造形には、物足りなさを感じざるを得なかった。
榊さんと直達くんにあり得ない因縁があったからこそ、高校生男子が歳上美人に対して特別な関係性を感じることになったんじゃないでしょうか。
単なる訳ありのお姉さんではなく他人が割り込めない特別な関係性が、彼女を守れるのは自分だけだだという「独占できる喜び」を芽生えさせたと思います。
母親は、「どの口が言うか」って感じでしたが、あれで榊さんはふっ切れたのでしょうね。
母親のキャラクター設定、私も少し物足りなさを感じながら観ていました。
逆に言えば、大人になった榊さんが彼女に会い、長年会いたかった人物像とは違っていたことがわかり、ショックというか、ある意味納得しちゃったもしれないな〜とも。。。^^;