VORTEX ヴォルテックスのレビュー・感想・評価
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映画でずっと2画面は疲れるっ!
なんだかんだではじめて映画館でみたギャスパー・ノエ。
感想は「映画でずっと2画面は疲れるっ!」
ギャスパーノエで、2画面で、ちゃんと長くて、死に進んでいく老夫婦。疲れる要素しかない。
普段、映画館で観るのが1番だと思ってるけど
これは、家で休憩挟みながら観た方が楽かも…っとゆう気持ちが頭をよぎったけど
スクエアサイズが横長のスクリーンに2個並んでる面白い見た目の映像はスクリーンに映える。
今回はドラッギーな雰囲気は封印していて(って思ってたけど結局、薬の話でもある)
しっとり青みがかった映画はとてもきれい。
画面がばつっと映らなくなる演出とかもかっこいい。
ダリオ・アルジェント演技うまい。
感動に回収されがちなアルツハイマーの物語を
冷淡なタッチで進んでいくギャスパーノエらしい描き方で
人間は哀れで脆いものだなとゆう、悲しい悲哀がけっこう心地いいので、不快指数は結構低いけど
絶対に観客に負荷をあたえたいギャスパーノエなので
映像負荷が高い感じ。
しんどい
ギャスパー・ノエ最新作に期待していたけれど
ホームビデオを観ているような
ひとつの家族の終わりゆく過程を覗いている感覚
母親の認知症が
ひとり息子の苦悩が
父親の突然の死が
もうやだわぁってくらい
自分と重なり思い出す。
そう、普通の家庭の
何の変哲もない日常を
二分割画面で見せられてああしんどい。
父親役にあのホラー界の巨匠
ダリオ・アルジェント初映画出演😳
名演技でした👍
眠くなるのでしっかり睡眠をとってから観てください
前日夜更かししたせいか、内容が単調だからか、10分ほど眠ってしまい意識がなかったです。
老夫婦の日常を淡々と描くシーンが続くのでこれは眠くなるのて要注意。
誰もがかかる可能性のある認知症。他人事ではないのでいろいろと考えさせられる。
奥さんが奇行してるというのに一緒に暮らしてるのが動作の遅いよぼよぼのおじいさんなもんだから止めるのも全く間に合ってなく、時すでに遅し状態。
先を予測して大事な原稿くらい手の届かないところにしまっとくべき。ガスの元栓も自分が使わない時は切っとくなど先回って行動しないと。(元栓に気づいたら意味ないけども)
何しでかすか分からないのにおじいさんも息子も野放しにしすぎなシーンが目立つ。
認知症とはいえこんな事を毎日やられたらイライラして生活なんて送れたもんじゃないと思ったが、おじいさんの忍耐力と愛がすごかった。
よそで不倫してたからこそ妻に優しくなれてたのかもしれんが。
奥さんが認知症を患うだいぶ前から不倫してたみたいだから正直救いようがない。
息子も小さい子どもがいるというのにクスリの売人かつ自分もクスリやってて、父親として全く示しがつかない。
一体誰に感情移入したらいいのだ?というストーリーであった。
子どもミニカーをぶつけて遊んでる時の衝撃音がうるさくて不快だった。一度や二度ではなくやけにしつこい。映画館の音響だからというせいもあるが(なんで何も言わないんだこの父親は?)と思った。
外出時でも子どもを注意しない親が目立つが全く意味が分からない。
亡くなった後に空っぽになっていく家には自分もいずれそうなる、みんなそうなる、人生は儚いなぁと考えさせられる。
最後は普通にエンドロールが流れると思っていたから急に一瞬で終わって劇場が明るくなるもんだから、観客もしばらく誰も席を立たずにぽかーんとしていた。
続きが流れるの?エンドロールが流れるの?と戸惑っていたら、アーニャの画面(広告?)が一瞬出てきて終わった。
余韻もヘチマもなかったが、これからの老後問題としては内容は刺さるものがあった。
自分の親が認知症にならないように何か予防策はあるのか、なった後はどんな対処法があるのか、勉強しておこうと思う。
鑑賞動機:ギャスパー・ノエご乱心?3割、ダリオ・アルジェント主演?3割、画面分割4割
そっちの方が興味あるんかーい。
フランス語はわからないので、細かい台詞回し等の良し悪しは分からないけど、意外とちゃんとしてたような気がするアルジェント。
やっぱりどうしても画面分割の構図に目が入ってしまう。
対峙して左右がほぼ繋がっているような撮り方の時もあれば、「いないうちにこんなことしてた」という同時進行を目的にしている時もあり。一番ギョッとしたのは寝てる向きと倒れた向きを同じ構図にした場面。病気の妻を支える健気な夫「ではない」のもあって、勝手にハラハラしてしまった。
最後の部屋が片付けられていくとこ好き…ではないが何かこう亡骸が土にかえっていくような印象を持った。フランスは火葬なんですね。
まるで我がことのような映画
「サスペリア」や「フェノミナ」など、少女を虫漬けにすることで有名な(?)ホラー映画の巨匠・ダリオ・アルジェントが主人公を務めた異色作でした。
フランソワーズ・ルブラン演じる母(妻)と2人で生活するダリオ・アルジェント演ずる父(夫)。母(妻)は認知症が急速に悪化しており、息子すら認知できないことも。一方父(夫)は数年前に心臓を病み(恐らく心筋梗塞)、その持病が完治していない状態。映画の冒頭で、「心臓より先に脳が機能しなくなった人」みたいな字幕が出て来ましたが、認知症で脳を侵された母(妻)と、心臓病を患う父(夫)の、いわば”終活”映画でした。
個人的な話になりますが、この主役の老夫婦、自分の両親と類似点が多く、まずはその点で他人事とは思えませんでした。本作の父(夫)は、うず高く積まれた本に囲まれて生活しており、公的な介護サービスを受けるのも否定的、そして前述の通り心臓病を患っている。我が父も、この点で全く同様で、相違点としては浮気相手がいるかいないかくらい(実は私が知らないだけかも知れんけど💦)。本作の母(妻)は、元々医者だったようですが、今では認知症が進行している。我が母は、医者ではありませんが薬剤師で、本作の母ほどは認知症が酷い状態ではないものの、その進行過程にあります。
出来れば施設に入るなり、そこまでしなくとも、介護サービスを受けるなりしてくれれば少しは安心なものの、現状の生活を変えたくないと思う老夫婦の考えは、洋の東西を問わず共通しているようで、実に身近な話に感じられました。
本作では、最終的に老夫婦が亡くなります。人間誰しも避けられない運命とは言え、天寿を全うするというか、安らかに眠って欲しいと思うのが人情ですが、中々そうならないのも現実。自分の両親のこと、そして自分自身のことを含め、今何をすべきなのか、そしてこれからどうしていくべきかを改めて考えさせられた”教育的映画”でした。
こうした内容はさておき、中々興味深かったのが本作の画面構成。左右2分割して、一方で母(妻)を映し、もう一方で父(夫)を映し、2人の行動が同時に観られるというのは、テーマ的に静かな作品でありながら、臨場感たっぷりに感じられました。
また、ホラー映画の巨匠であるダリオ・アルジェントを主役に据えるというキャスティングも面白く、内容的にも演出的にも俳優陣も、あらゆる点で趣向を凝らした良作でした。
そんな訳で、評価は★4とします。
意外に飽きない
面白かった。
エンタメ的な意味ではなく、考えさせられた、という意味で。
はじめに、「心臓が壊れる前に脳が壊れるすべての人へ」みたいなのが出てくるけど、認知症になる人だけでなく、どんな人もこの映画を観る意義はあると思う。
ただ、まだ死や近親者の介護を意識することが難しい若者には退屈な映画なのかもしれない。
「現実の死」とはこういうものだ、ということを理解させることが主目的の映画だから、演出、ドラマチックな展開、意図的なストーリーは極力排除されていて、ドキュメンタリーのようになっている。
それでも飽きずにみられるのは、二者の視点が左右の二分割で表示されていて、両方を同時進行で把握するためにあわただしいからだ。ラジオかテレビから流れてくる「死」についての解説もあわせれば、三つのことを同時に理解しながら鑑賞しなければならない。
認知症の老婦人の行動やそのほかの登場人物の行動もはらはらさせられたり、「あー、だめだよ」とか思ったりして、感情が動かされる。
「現実の死」はこうだ、と示されるものについて、「現実はしょせんこんなものだよな…」とか、「こんなふうに死にたくないな…」などといろいろ考えてしまう。
意図的なストーリーにならないようにしているとはいえ、「我々は薬に支配されている」というテーマだけは分かりやすく示されている。最後に老婦人が薬を集めてトイレに流したのは、その不条理に対する抵抗だろう。
また、老夫婦の墓(?)に対して子供が、「ここがおじいちゃん、おばあちゃんの新しい家なの?」と問うたことに対して、「いや、家ではない。家は生きている人のためのものだ」と父親が答えたのも、子供にそんな言い方しなくても、と違和感を覚えるところだが、監督が何かしら言いたくてこんなセリフになってるんだろう、と思わせる。
この映画では、現代では医療の発達、宗教的世界観の消滅、効率化された社会システムなどによって、老人や死者の尊厳が失われている、というようなことを言いたいのかなと思った。
病や死というものを、無い方が良いもの、負でしかないもの、というとらえ方しかできない現代の価値観は、言われてみれば単純すぎるし未熟な世界観なんだなと思う。
バラのほほえみ
パリのアパートに暮らす、映画評論家で心臓病の夫と、元精神科医で認知症の妻。花に囲まれた小さなベランダでお酒を楽しみ、とても幸せそうだ。主題歌は、フランソワーズ・アルディのMon Amie la Rose(バラのほほえみ)。美しいアルディの顔が大写しで…これ、まんま本人のMVですねぇ。いいですねぇ。
ベッドで寝ている2人。ここから、2人の間にラインが入り、2画面で話が静かに進む。不穏ではあるが、ギャスパー・ノエ監督のこれまでの作品とは違い、とても静か。
心臓の前に頭が壊れる全ての人へ
そうなる可能性がある…冒頭のえげつないメッセージが強烈でした。
夫役、サスペリアやフェノミナのダリオ・アルジェント監督ですね。心臓発作で倒れるシーンがあるんですが、倒れた途端、客席の私(40代)より年上であろうおじさまおばさま達が急にくしゃみを連発したり咳き込んだりし始めて心配になった。偶然にしてもタイミング悪すぎやん。
誰かが死んでしまうことを日々考える
2画面にすることによって、2人を対比だけなのかと思いきや、真ん中の線を超えて1人の画面に1人の手が移ることがあった。2画面の使い方は、それぞれなだけではなく2人の距離感をも表すものとなっていた。誰がよりそおうとしているのか、わかりやすい。
途中愛人を登場させた理由がなんなのか分からなかった。読解力不足で悔しい。認知症になってしまった原因として、視聴時は捉えた。
映画館はまるで夢のようだと言っていたが、拘束性のあるものは、途中で覚めることが出来ない。目を逸らしたかったが、映画館で見たから目を離すことが出来ない、途中退出もできない(しようとしない)。そんなことが物語全体でも通せてた。
いつか人は死ぬ。分かっていても私は耐えられないし、できるだけ考えたくない。この映画は私にとって希望にはならなかったが、どうすれば良かったのかという課題を与えさせてくれる作品であった。身近で、現実感のあるものは緊張感を走らせ、なにかしなけらばならないという衝動に駆られる。その何かを明確に表してくれていた。
スプリットスクリーン(画面2分割)が活きている
認知症の妻がリアルすぎる
心臓病持ちの夫も他の女に逃げる気持ちもわかる
認知症が全てを崩して粉々になって静かに積もっていくイメージがあった
スプリットスクリーンは良い感じで
夫と妻の分断を良く表していると思う
認知症の家のトイレがリアルすぎて目を背けた(食べてませんよ)
監督の身近な人物が経験しているだろうか
息子が途中で出てくるが、母・父に対する思いやりが溢れていて
泣いてしまった
期待度○鑑賞後の満足度◎ 何か圧倒的に異質にしてリアルなものを観せられた感じ。虚構で描かれた“老い”と“死”なのに、その実相が炙り出されているといったら良いのか。そういう意味ではとても映画的。
※2023.12.13. 2回目の鑑賞[同じくユナイテッド・シネマ橿原]
①人の死に様を描いている映画なのに結構気に入ってしまってまた観たい。此はまた何故ぞ。
②映画の冒頭、タイトルもキャストもスタッフも全て四角の枠に納めて紹介される。
何でや、と一回目の鑑賞の時は思ったが、二回目を観て判った(間違ってるかも知れませんが)。
これは納骨堂の骨壺を入れる四角いマスをメタファーしてるのだ、と。
③最初に映し出されるのは仲良くテラスで午後を過ごす1組の老夫婦。「人生は夢だ」「そうね」なんて歳を取った人が言いそうな台詞を言いながらワインを乾杯している。「夫の方は心臓病持ちで、妻の方は認知症」という設定しか知らなかったので、“仲良いじゃん。これからお互いを支えながら死を迎える姿が描かれるのかな”と思っていたら、次の二人がベットで寝ているシーンから早速不穏さが立ちのぼる。
④次のシーンから画面は縦に二分割され、それはラストまで続く。
先ずは右側で寝ていた妻が目を覚ましている。
その様子が尋常でない。
知ってる
老いは誰にでも来るが、人に迷惑をかけたくないと思うもの。でも、自分の意志とは無関係に認知症は発症してしまう。
排泄関係での問題が無かったのでまだ映画向きというところなのか。
ここまでして生きていたくないと思ってしまうのはまだ私がそれを問題にする年齢ではないという甘えだと思う。
ところで、
妻役の方は役者さんなのでしょうか?
というのも、私の母親(統合失調症)の薬が切れた状態の顔と全く同じだったのです。
眼の前にいるのが誰かわかっているのかどうか、かろうじて会話出来る状態。
ちょうど、旦那さんを「知らない男」と言っていた時です。
あの表情を役者さんが出来るとは思えません。演じているとしたらすごすぎる。
あの状態は本当に怖い。母が母ではない別のものになっている。
あれが認知性なら、私はこれからどうすればいいのかと大変暗い気持ちになりました。
心臓より先に脳が壊れるすべての人へ
非常に疲れる作品でした。
ただでさえ二分割された画面によって処理しなくてはならない情報が多いのに、何も起きない。
何も起きないから、何か起きたときに見逃さないように気を張ってしまう。
BGMはなく、聞こえるのは衣擦れや呼吸音をはじめとした生活音と、囁くようなフランス語のみ。
その中で際立つタイプライターの打鍵音やミニカーをぶつけ合う音が、不快感をもたらす。
身も蓋もないことを言えば、所詮は他人事だし、あくまでフィクションなんですよ。
こういった作品は、そこに同情や共感をおぼえるような“親しみ”を与えてくれないと観るのが苦痛になる。
知らない人のホームビデオに興味はない。
更に、旦那は不倫してるし息子はクスリの売人という設定が、より自己投影を妨げる。
映像手法や、最後の徐々に空っぽになる自宅のスライド演出は非常によかった。
ベッドを撫でる奥さんのシーンにも感じるものがあった。
でも“映画”として、ドキュメンタリー以上に訴えるものがあるかというと、否定せざるを得ない。
焦点を絞らず、作り物の生活が垂れ流されてるだけ。
あの内容で148分というのは、観客が“観てくれる”ことに寄り掛かりすぎている。
148分もあったのか。
近所徘徊の朝シーンあたりから息子が出てくる辺りまでだんだん睡魔に襲われ戦う羽目に寝落ちする前に持ち直したけど。
老人介護や家族の関わりなど幻想を抱いていないので、まぁこんなものかな。夫の裏切りや売人の息子、裏表なんて有りますわ。最低だけど。妻の”後を追う行為”は悲しいが、良かったんじゃないかなと思う。色々な感情があったと思うが、介護施設に入って何もかも分からなくなるより、夫や家族として過ごした家が、夫の側が、安心できる場所と言ってるように思えた。
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