VORTEX ヴォルテックスのレビュー・感想・評価
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老いよりもボケるのが怖い
老夫婦を描いた物語として感動的なドラマにでもなるのか、そんな雰囲気にこそ意表を突かれるギャスパー・ノエの最新作にジャッロ映画の代表格であるダリオ・アルジェントが役者として主演を、相手役にはフランソワーズ・ルブランってジャン・ユスターシュの『ママと娼婦』を映画館で観れるチャンスを自ら逃した自分に喝ッッ!!
相変わらずのオープニングクレジットから始まり一番、不穏でノエらしい場面に感じたのは音楽も含めて母親が奇行に走るトイレでの様子と薬物依存から抜け出せない息子、それを見てしまう孫(息子)の救いようのない出来事を画面二分割で見せられる恐怖心を駆り立てられながら、どうしたって平穏からはかけ離れた不幸を纏いながら生活する二人にドラマ性はなく淡々とソコに向かう残酷性にリアルな余韻が。
自分自身の将来や親のことを考えると現実味があり過ぎて単に怖くなる感覚と、二人の老夫婦と同じ位の年齢だと思える夫婦が観に来ていたのが印象的で、幸せだった日々でさえブチ壊すような老後が待ち受けている描き方が悪趣味にも説得力はある、唐突に終わってしまうラストに行き着くには死ぬ迄、今までのどの作品よりも本作でのギャスパー・ノエが一番、容赦なく。
ギャスパー・ノエ
ギャスパー・ノエとの出会いは約二十年前、映画好きの知人に「アレックス」のソフトを強引に観せられたときの「なんてものを観せてくれるんだ❗」という怒りを今でも覚えている
それからこの監督の映画は観ないようにしていたのだが、何年か前「CLIMAXクライマックス」を観たとき、単純に「踊りすげー!!」と思い(映画も面白かった)、個人的にノエ解禁しようと
で、最新作「ヴォルテックス」
老いた両親の日常系といいますか、ダリオ・アルジェントが熱演しております
母親役の女優さんもアルツハイマーを好演
2時間超えだが、なんだかんだ見入ってしまう映画
二分割画面がノエ〜て感じ オワリ!
睡眠不足の状態で観るものじゃなかった。半分寝てしまった…。ので正確...
睡眠不足の状態で観るものじゃなかった。半分寝てしまった…。ので正確にはわかりませんが、画面を2つに分けた効果がイマイチ感じなかった。
年をとるのが嫌だなあと沁みる作品でした。
実験映画なのか?
ほぼ二分割画面で見にくくどちらを観れば良いのか?そこが狙いなのか、上映時間に対して全く長さを感じさせない作品。全く救いもなくただただ死に向かう人間を描いている。これはホラー映画なのかと思うほどに観ていて辛い、精神をえぐられる。
引き込まれる
ダリオアルジェント が主演とは驚き。人の映画に、しかも主演で出るなんてこれはもう映画史的な事件ではないかと。評判もいいようで。
結論からすると本当に良い映画でした。むしろ、どんよりとした重たい空気に包まれる映画ではあります。でもこういう現実は世界中そこかしこにあるんだろうし、この先自分の親にも、自分自身にも起こりうるだろうと。いや、映画では夫婦揃ってるだけもしかしたらまだマシなのかも知れません。
独り者の高齢者の現実ってもっと悲惨なんだろうと容易に想像できるような。題材はなんにせよ、映画を観て現実を顧みて、何かしらの影響を及ぼすってこれ映画の究極の理想な気がして。その意味ではガッツリ術中にハマったと言わざるを得ません。
画面サイズでの試みはスタンダードサイズで始まり、開始早々に画面は分割されます。途端にスタンダードの画面が横並びになる。間の黒味も含めるとトータルでほぼシネスコサイズ。シネスコサイズにスタンダードを2つ詰め込んでる。部分的な画面分割はデパルマ はじめ色んな監督がやってますけど、全編分割しっぱなしというのは初めて観ました。
なので言うなれば2本の映画を同時に鑑賞しているような感覚で最初のうちは人物関係や状況設定の説明なども含めて情報量多すぎてぶっちゃけこれはついていけない、諦めようと思ったりしました。ですが、2、30分したあたりから次第にグイグイ引き込まれて、終わった時にはもう一度観たいという気持ちになっていました。本当に術中ハマりまくっちゃいました。
老夫婦と彼らの家の「在りし日のスライド」
スプリットスクリーンで印象的に描かれる、共に暮らしながらも食い違っていく老夫婦の終末。
カット切り替え時の暗転はギャスパー・ノエの特徴的な演出であるけれども、妻の葬儀時のやはり暗転を挟んで展開される「在りし日のスライド」やそれに続く家の片付けのシーンを見て、この映画全体が老夫婦と彼らの家を送る「在りし日のスライド」であったのかと思い至った。
特に印象に残ったのは家の描写で、大量の草花で飾られたバルコニーから始まるオープニングを皮切りに、溜め込まれた書類や本、貼られまくるポスターや写真や手紙などが執拗に描写され、彼らの時間と暮らしが刻み込まれた第三の主人公として機能していた。
家が夫婦と不可分の存在であるがゆえに、妻が書類や原稿を捨てるシーンが彼女の病の、ひいてはこの映画のクライマックスとなり、夫は妻の病がいくら進もうとも介護施設への引越しを決断できない。
思わずうるさいと叱りたくなるような、大事な話をしているときにミニカーをぶつけてうるさくする男の子もすごく良かった。
高評価が多いが、私には退屈な映画だった。
今日はこの作品と「ポトフ」をはしごした。私には2本とも外れの映画だった。まぁ、そんな時もある。心が打ち震えような新作を待望しているが、正直なところ年に1本あるかないかだ。
今年、68歳になった。人の死が他人事でない歳だ。見たくない現実を見せつけられているようで楽しめない。感動もさせてくれない。スクリーンを2分割してそれぞれの対象人物を同時進行で撮影する実験を行っている。試みとして面白いけれど、成功しているとは思えない。
先日、小津安二郎の「東京暮色」を観ていて、その構図の美しさにうっとりとさせられた。それに比べたら、と感じる。俳優による演技だがドキュメンタリータッチで画面構成を考えることは難しいだろう。
画面分割することで浮かび上がったのは、親子それぞれが抱える苦悩がよく分かること。くらいかな。家族と言っても、所詮自分以外は他人か。
いつ終わってくれるんだろうと退屈だった。この映画と関係ないが、「東京暮色」は小津安二郎の失敗作と言われている。とんでもない。秀作だ。また、音楽がいい。斎藤高順が担当。
鑑賞動機:ギャスパー・ノエご乱心?3割、ダリオ・アルジェント主演?3割、画面分割4割
そっちの方が興味あるんかーい。
フランス語はわからないので、細かい台詞回し等の良し悪しは分からないけど、意外とちゃんとしてたような気がするアルジェント。
やっぱりどうしても画面分割の構図に目が入ってしまう。
対峙して左右がほぼ繋がっているような撮り方の時もあれば、「いないうちにこんなことしてた」という同時進行を目的にしている時もあり。一番ギョッとしたのは寝てる向きと倒れた向きを同じ構図にした場面。病気の妻を支える健気な夫「ではない」のもあって、勝手にハラハラしてしまった。
最後の部屋が片付けられていくとこ好き…ではないが何かこう亡骸が土にかえっていくような印象を持った。フランスは火葬なんですね。
どう生きるかと人は問う、どう死ぬかと己に問う
老夫婦のもう心が通じていない様子が画面分割により物理的にも伝わる。加齢による病気・老い・親子関係の変化・最期など、誰もが通る道を素直に丁寧に映し出している。
話として必要なのは理解できるが、息子が出てくるまで冗長に感じた。
妻から夫が、あの人になってしまうときとは?
同時、二画面分割進行で分かることは、
心なければ会話も対話も意識の交流もなく、
相互の立場の責めぎあいとなることが分かり良い。
妻の認知症も夫の心臓病も、
夫によるトラウマではないかと、
精神科医の妻が無意識のうちに発する片言に胸が痛い。
家内は帰宅する夫を何時も待っているのだ。
生老病死という渦中の流れでは、
二人の病と死に方は、
当然の因果応報の結果あろうか。
分割のため字幕が読み難いので最前列鑑賞をお勧めします。
( ^ω^ )
VORTEX ヴォルテックス
「アレックス」「CLIMAX クライマックス」などで知られる
フランスの鬼才ギャスパー・ノエ監督が、認知症の妻と心臓病の夫が過ごす人生最期の日々を、
2画面分割映像による2つの視点から同時進行で描いた作品。
「病」と「死」をテーマに、誰もが目を背けたくなる現実を冷徹なまなざしで映し出す。
心臓に持病を抱える映画評論家の夫と、
認知症を患う元精神科医の妻。
離れて暮らす息子はそんな両親のことを心配しながらも、
金銭の援助を相談するため実家を訪れる。
夫は日ごとに悪化していく妻の認知症に悩まされ、
ついには日常生活にまで支障をきたすように。
やがて、夫婦に人生最期の時が近づいてくる。
ホラー映画の名匠ダリオ・アルジェントが夫役で映画初主演を果たし、「ママと娼婦」などの名優フランソワーズ・ルブランが妻、「ファイナル・セット」のアレックス・ルッツが息子を演じた。
VORTEX ヴォルテックス
凄すぎる。
あのダリオ アルジェント監督の演技はどうなのか見たくて、、あ、ノエの新作なんだ、、程度の知識で見に来ました。
演技の素晴らしさでどう見てもドキュメントに見えます。アルツハイマーのあの不安そうな目の動き、、じょじょに壊れていく妻の姿を見守る自身も心臓に問題のある夫。大枠だけ決めて脚本無しで会話してるから実に自然です。
画面のスプリットもコミュニケーションがすれ違っていく2人のやるせなさを上手く表現する方法として成功してたと思います。
オープニングからスタッフロールが出ますがエンディングの喪失感のためだったんですね。
凄い映画です、全力でお勧めします。
Vortexは渦巻の意味。
思ってたより良かった。75点ぐらい。
静かで眠くなる映画だろうな…と思ってたら、全然に眠くならなかった(笑)
画面が縦で2つに割れていて、左と右で別々に物語を追っていく特殊なスクリーンで、左を観たり右を観たり忙しいです(笑)
最初は観ずらいと思っても、観てるうちに慣れてきて、終わる頃には、このスクリーン良かったと思うはず(笑)
他にも前衛的でして、オープニングそうそう面食らいます(笑)
ビックリしてほしいので、ご自身で確かめて下さい(笑)
あの映画と同じだよ(笑)
この仕様は成功だと思う。
この仕様だからこそ、この終わり♪
ダリオ・アルジェント監督が俳優として出てるので、ホラーファンとして楽しみに観賞したんだけど、思ってたより良かった。
アルジェント監督の演技は自然で素晴らしかったです♪
残念ながら、ホラーテイストは、ございません(笑)
4寄り3.5で、75点ぐらい。
まるで我がことのような映画
「サスペリア」や「フェノミナ」など、少女を虫漬けにすることで有名な(?)ホラー映画の巨匠・ダリオ・アルジェントが主人公を務めた異色作でした。
フランソワーズ・ルブラン演じる母(妻)と2人で生活するダリオ・アルジェント演ずる父(夫)。母(妻)は認知症が急速に悪化しており、息子すら認知できないことも。一方父(夫)は数年前に心臓を病み(恐らく心筋梗塞)、その持病が完治していない状態。映画の冒頭で、「心臓より先に脳が機能しなくなった人」みたいな字幕が出て来ましたが、認知症で脳を侵された母(妻)と、心臓病を患う父(夫)の、いわば”終活”映画でした。
個人的な話になりますが、この主役の老夫婦、自分の両親と類似点が多く、まずはその点で他人事とは思えませんでした。本作の父(夫)は、うず高く積まれた本に囲まれて生活しており、公的な介護サービスを受けるのも否定的、そして前述の通り心臓病を患っている。我が父も、この点で全く同様で、相違点としては浮気相手がいるかいないかくらい(実は私が知らないだけかも知れんけど💦)。本作の母(妻)は、元々医者だったようですが、今では認知症が進行している。我が母は、医者ではありませんが薬剤師で、本作の母ほどは認知症が酷い状態ではないものの、その進行過程にあります。
出来れば施設に入るなり、そこまでしなくとも、介護サービスを受けるなりしてくれれば少しは安心なものの、現状の生活を変えたくないと思う老夫婦の考えは、洋の東西を問わず共通しているようで、実に身近な話に感じられました。
本作では、最終的に老夫婦が亡くなります。人間誰しも避けられない運命とは言え、天寿を全うするというか、安らかに眠って欲しいと思うのが人情ですが、中々そうならないのも現実。自分の両親のこと、そして自分自身のことを含め、今何をすべきなのか、そしてこれからどうしていくべきかを改めて考えさせられた”教育的映画”でした。
こうした内容はさておき、中々興味深かったのが本作の画面構成。左右2分割して、一方で母(妻)を映し、もう一方で父(夫)を映し、2人の行動が同時に観られるというのは、テーマ的に静かな作品でありながら、臨場感たっぷりに感じられました。
また、ホラー映画の巨匠であるダリオ・アルジェントを主役に据えるというキャスティングも面白く、内容的にも演出的にも俳優陣も、あらゆる点で趣向を凝らした良作でした。
そんな訳で、評価は★4とします。
意外に飽きない
面白かった。
エンタメ的な意味ではなく、考えさせられた、という意味で。
はじめに、「心臓が壊れる前に脳が壊れるすべての人へ」みたいなのが出てくるけど、認知症になる人だけでなく、どんな人もこの映画を観る意義はあると思う。
ただ、まだ死や近親者の介護を意識することが難しい若者には退屈な映画なのかもしれない。
「現実の死」とはこういうものだ、ということを理解させることが主目的の映画だから、演出、ドラマチックな展開、意図的なストーリーは極力排除されていて、ドキュメンタリーのようになっている。
それでも飽きずにみられるのは、二者の視点が左右の二分割で表示されていて、両方を同時進行で把握するためにあわただしいからだ。ラジオかテレビから流れてくる「死」についての解説もあわせれば、三つのことを同時に理解しながら鑑賞しなければならない。
認知症の老婦人の行動やそのほかの登場人物の行動もはらはらさせられたり、「あー、だめだよ」とか思ったりして、感情が動かされる。
「現実の死」はこうだ、と示されるものについて、「現実はしょせんこんなものだよな…」とか、「こんなふうに死にたくないな…」などといろいろ考えてしまう。
意図的なストーリーにならないようにしているとはいえ、「我々は薬に支配されている」というテーマだけは分かりやすく示されている。最後に老婦人が薬を集めてトイレに流したのは、その不条理に対する抵抗だろう。
また、老夫婦の墓(?)に対して子供が、「ここがおじいちゃん、おばあちゃんの新しい家なの?」と問うたことに対して、「いや、家ではない。家は生きている人のためのものだ」と父親が答えたのも、子供にそんな言い方しなくても、と違和感を覚えるところだが、監督が何かしら言いたくてこんなセリフになってるんだろう、と思わせる。
この映画では、現代では医療の発達、宗教的世界観の消滅、効率化された社会システムなどによって、老人や死者の尊厳が失われている、というようなことを言いたいのかなと思った。
病や死というものを、無い方が良いもの、負でしかないもの、というとらえ方しかできない現代の価値観は、言われてみれば単純すぎるし未熟な世界観なんだなと思う。
ギャスパー・ノエの本質
別のつぶやき投稿で
まさかあのギャスパー・ノエ作品で泣かされるとは…
今まで通り実験的ではあるが、まさに『ファーザー』の夫婦版であり、人間の狂気ではなく普遍を描いた作品になっている。
一体どうした?、今までのギャスパー・ノエ
と述べたのだけど、私の本作の感想はほぼほぼこれで全てです。
でも個人的には非常に刺さったので、もう少し覚書き程度に書き残しておきます。
一応ネタバレはありますが、本作の場合ネタバレなどよりテーマが重要なので鑑賞の弊害にはならないと思います。
まあ個人的に何が刺さったのかというと、人生も2/3を過ぎたら誰しも自分の死に際位考えると思うのですが、本作の場合も上記した『ファーザー』の様に、ある老夫婦の死ぬまでの数日間か数週間か数か月間の記録映画の様な作品になっています。
映画.comの簡単なストーリーも紹介しておくと
「心臓の持病がある映画評論家の夫、認知症を患う元精神科医の妻、離れて暮らす息子ステファン。古いアパートメントで穏やかに暮らす老夫婦だが、日常生活に支障をきたすようになった妻と、ステファンに提案された介護ホーム入りを頑なに拒む夫の人生は、静かに崩れるように終わりの時へと向かっていく。」
これを読むとまさしく『ファーザー』の夫婦版ですが、このちょっとした違いが多くのシニア階層の観客には身につまされる様にも思えます。
私は母親と息子ですが老々介護という面は同様であるので、様々なシーンで恐怖を感じていました。普通の当たり前の“老いる事の残酷さ”を描かれいるだけでもそれが恐怖となるのです。
本作の特徴も書いておくと、本作の殆どが左右2画面で構成されていて、一部マルチ画面の作品は今までにも多々ありましたが、全編ほぼ2画面というのは初めての体験でした。なので視覚情報量が多過ぎて最初は慣れませんでしたが、途中からはあまり気にせず見れるようになっていましたね。
あと『ファーザー』の時も感じたのですがヨーロッパの古いアパートメントの構造がよく分からないのですよ。入り口や廊下などは狭いのにやたら部屋数も多くキッチン・バス・トイレ・バルコニーなどがどのような配置なのか画面を見ているだけでは全く把握できなくて、2画面で二人が歩き回っているのに全く出会わない時もあり、これも敢えて2画面で行う事の効果なのかも知れません。
画面と画面の間の隙間が凄く重要な役割を果たしている様にも思え、愛情とは関係のない個々の人間としての隔たりを表していた様にも感じられました。
(余談ですが、本作パンフレットにアパートメントの部屋の推測見取り図が載っていたので、私と同じように感じていた人もいたのが分かり嬉しかったです)
本作で今までのギャスパー・ノエらしさを敢えて探すなら、大事な会話中に執拗に(現実では当たり前の)孫の遊ぶノイズを強調していたり、タイトルの“ヴォルテックス”(渦)を詰まったトイレに異物を入れ流れない渦で表現し、これは結局人間の人生(死に際)に対する比喩表現でもあった様な気がして、この辺りもノエらしさの様な気がしましたね。
結局2画面構成も、敢えて視線を合わせない方法論で、美術表現で言うと“キュビズム”に近い表現方法を実験した様に感じられました。
生き物誰にでも平等に訪れる老い。 恐れているばかりではいけないと思...
生き物誰にでも平等に訪れる老い。
恐れているばかりではいけないと思いつつも、
こんなにまで現実的なものをみせられてしまうと
やっぱり不安はあって。
今のわたしにできること、
自分とまわりを愛し、心からの感謝を伝えようと
改めて思えた。
まずは両親に会いに行こう。
バラのほほえみ
パリのアパートに暮らす、映画評論家で心臓病の夫と、元精神科医で認知症の妻。花に囲まれた小さなベランダでお酒を楽しみ、とても幸せそうだ。主題歌は、フランソワーズ・アルディのMon Amie la Rose(バラのほほえみ)。美しいアルディの顔が大写しで…これ、まんま本人のMVですねぇ。いいですねぇ。
ベッドで寝ている2人。ここから、2人の間にラインが入り、2画面で話が静かに進む。不穏ではあるが、ギャスパー・ノエ監督のこれまでの作品とは違い、とても静か。
心臓の前に頭が壊れる全ての人へ
そうなる可能性がある…冒頭のえげつないメッセージが強烈でした。
夫役、サスペリアやフェノミナのダリオ・アルジェント監督ですね。心臓発作で倒れるシーンがあるんですが、倒れた途端、客席の私(40代)より年上であろうおじさまおばさま達が急にくしゃみを連発したり咳き込んだりし始めて心配になった。偶然にしてもタイミング悪すぎやん。
誰かが死んでしまうことを日々考える
2画面にすることによって、2人を対比だけなのかと思いきや、真ん中の線を超えて1人の画面に1人の手が移ることがあった。2画面の使い方は、それぞれなだけではなく2人の距離感をも表すものとなっていた。誰がよりそおうとしているのか、わかりやすい。
途中愛人を登場させた理由がなんなのか分からなかった。読解力不足で悔しい。認知症になってしまった原因として、視聴時は捉えた。
映画館はまるで夢のようだと言っていたが、拘束性のあるものは、途中で覚めることが出来ない。目を逸らしたかったが、映画館で見たから目を離すことが出来ない、途中退出もできない(しようとしない)。そんなことが物語全体でも通せてた。
いつか人は死ぬ。分かっていても私は耐えられないし、できるだけ考えたくない。この映画は私にとって希望にはならなかったが、どうすれば良かったのかという課題を与えさせてくれる作品であった。身近で、現実感のあるものは緊張感を走らせ、なにかしなけらばならないという衝動に駆られる。その何かを明確に表してくれていた。
全54件中、21~40件目を表示