VORTEX ヴォルテックスのレビュー・感想・評価
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ギャスパー・ノエ映画ならではの未曾有体験
ギャスパー・ノエと聞くと身構えてしまうのは、かつて「カノン」で唐突に警戒信号が発令されたり(そういう映像演出だった)「VOID」では死後の魂が夜の街をさまよったりと、彼の映画ではやたらと未曾有の事態が突きつけられるからだろうか。だが今回の新作はシンプルでいて深淵。過激さを払拭した作りに驚かされ、そこから伝わってくるものがこれまで以上に切実に、悲しく、ヒリヒリと身と心を浸していく様に言葉を失った。老夫婦は冒頭で、それぞれの場所から窓を開け放ち、笑顔で挨拶を交わす。そこからスプリットスクリーンにて紡がれていく二者各々の日常と動線。その姿をじっと見つめ続けるからこそ、我々には、本人の意識と行動が恐ろしく乖離し、夫婦の感情が噛み合わなくなっていく流れが手に取るようにわかる。よくある老いを描いた映画とも一味違う。ノエにしか描き得ない、人間の生き様を突きつけ、考えさせられる時間と空間がそこにはあった。
映画=夢=人生の比喩はある種の救い
本作については当サイトの新作映画評論枠に寄稿したので、ここでは補足的なことを記しておきたい。
評論では字数の都合で触れられなかったが、本作はたびたび夢に言及している。ダリオ・アルジェントが演じる映画評論家は、映画と夢についての本を書いていると友人に明かす。執筆途中の原稿は「psyche(魂)」と題されている。エドガー・アラン・ポーの詩「夢の中の夢(A Dream Within A Dream)」を著書で引用したいと言う。映画館の雰囲気は夢を見るのに似ている、とも。闇があり、周りから切り離されて、ベッドと同じだと。「夢は短く、夢の中の夢はさらに短い」という言葉も語られる。
人の一生は夢のように、あるいは映画のように儚(はかな)いもの。その考え自体はさして独創的というわけではなく、これまでにも似たような言葉はたびたび語られてきたが、人生をそのようにとらえることは、決して避けられない死に向き合うときある種の救いになるのではないかと思う。
ラスト近く、主をなくしたアパートメントの家具や雑多な品々が徐々に処分されていく過程が、スライドのように静止画の連続で示される。人生の思い出が染みついた品々が減っていくたび、家も生気を失っていくように見える。そして、夫婦が暮らしたアパートの建物を見下ろすように上昇し回転しながら薄れていくラストショットは、昇天する魂の視点だろうか。ここでの回転もひとつの“渦”ととらえるなら、きれいさっぱり何もなくなって消えていく渦は、評論でも言及したバスルームに出現する「美しくない渦」と対(つい)になっているとも考えられる。老いや病によって衰えていく日々の悪夢のような濁流と、死によって苦しみや悲しみや重力からも解放され地上を離れていく無の状態と。ギャスパー・ノエ監督なりの、映画によって死を相対化する試みのようにも感じた。
How Love Ends
While one will miss Noe's extremities in this straightforward play on the process of a couples' aging away from the world, it's also hard to ignore the wish that he could direct every movie. The realism assisted by caliber actors and sets results in a more in-your-face experience than that of A Ghost Story or The Father. Noe throws honest nihilism, the absence of an afterlife suggested by the son.
血しぶきは無いが観終えてゾワッ
血しぶきコッテリ系が持ち味のギャスパー・ノエ監督が、ホラー映画の記念碑的作品『サスペリア』のダリオ・アルジェント監督を主演に迎えた映画というからさぞや恐ろしいお話かと思ったら全く予想に反した重い物語でした。
認知症の老いた妻と心臓病を病み死に直面する夫を左右二つに割った画面で別々に映し続けるという斬新な構造です。左右二分割の映像表現は、ノエ監督の前作『ルクス・エテルナ』の一部でも用いられていたのですが、別画面の字幕を読むのに目があっち行ったりこっち来たりでとても疲れてしまいました。にもかかわらず、本作ではそれを徹底して殆ど全画面が二分割なのです。ところが、本作は台詞が少ない事もあって、二つの画面で進むお話が「長年連れ添っても結局は別々の人生」を表現するのに非常に効果的でした。
作中では、「たとえ死んでもその人への共感は胸に残る」と言った言葉があるにもかかわらず、この作品自体は「人間は死んでしまったらそれで全ておしまい」という冷厳な事実を突き放すように示します。そのこと自体が、観終えてからゾワッと来るホラー映画の様でした。血しぶきはどこにも出て来ませんでした。 (2023/12月 鑑賞)
映画でずっと2画面は疲れるっ!
なんだかんだではじめて映画館でみたギャスパー・ノエ。
感想は「映画でずっと2画面は疲れるっ!」
ギャスパーノエで、2画面で、ちゃんと長くて、死に進んでいく老夫婦。疲れる要素しかない。
普段、映画館で観るのが1番だと思ってるけど
これは、家で休憩挟みながら観た方が楽かも…っとゆう気持ちが頭をよぎったけど
スクエアサイズが横長のスクリーンに2個並んでる面白い見た目の映像はスクリーンに映える。
今回はドラッギーな雰囲気は封印していて(って思ってたけど結局、薬の話でもある)
しっとり青みがかった映画はとてもきれい。
画面がばつっと映らなくなる演出とかもかっこいい。
ダリオ・アルジェント演技うまい。
感動に回収されがちなアルツハイマーの物語を
冷淡なタッチで進んでいくギャスパーノエらしい描き方で
人間は哀れで脆いものだなとゆう、悲しい悲哀がけっこう心地いいので、不快指数は結構低いけど
絶対に観客に負荷をあたえたいギャスパーノエなので
映像負荷が高い感じ。
現実ほど恐ろしいものはない!
ある老夫婦を通して死を考えさせられる映画だった。
心臓病を患う夫と認知症の妻。
どこにでもありそうなシチュエーションを
画面を二分割にして、それぞれの視点&同時進行で
見せられていく。
それぞれが患う病はもちろん怖いが、
夫婦で暮らしているがゆえ、
双方ケアが大変だということ。
双方といっても妻は認知症なわけだから、
夫のケアどころではない。
そういうシチュエーションがまず怖い。
息子が時折家に来るが、
放蕩息子ゆえ、両親の面倒を見きれない。
そんな中、徐々に近づく死。
死を迎えるにあたり、
いろいろと準備をしておく必要がありそうだ。
そこにあらためて気づかされる映画だった。
妻が息子に依頼してもってきてもらっていたDVDが
気になった。画面には映し出されているものの
実に奇妙な光景が目に飛びこんできたので
気になったのだ。
どんなホラー映画よりも
自分にも確実に訪れるリアルな死を描いた作品か
もっとも恐ろしいと感じた。
全ての大人に観てほしい映画
ネタバレもなにも無い映画だが、悲しく哀しい展開だが怒りが込み上げてくることはないところはこの家族の近い未来がどうしようもなく八方塞がりであることが感じられたからか
まるでドキュメンタリーのように、だれもが無関心ではいられない問題ばかり突きつけてくるところは俺の知っているギャスパー・ノエだ
家族のそれぞれがどうすればいいのか、これまでどうしてきたかを振り返りながら今を懸命に生きる姿を切り取っていて、言葉そのままの意味で感情が動かされる
父親が死んだ後、廊下で待つ何もわかっていないであろう母親に言葉無くすがりつく姿。そこに親子とは何かを考えさせられた
観た後は疲労感に襲われ言葉も出ない映画だったが、いずれまた「そろそろ観とくか…」とまた観直すんだろうなぁと思う作品
私が久しぶりに母親と一緒に映画館で観たということも一つ良い思い出となった
哀しい終末ドラマ
いわゆる老々介護の問題を描いた作品だが、高齢化が進む日本でも身につまされる話ではないだろうか。ミヒャエル・ハネケ監督の「愛、アムール」が連想された。
映画は老夫婦がバルコニーで楽しそうにワインを飲んでいる所から始まる。その後、二人が同じベッドに入ると、突然画面が分割し、以降は夫と妻それぞれにフォーカスしたスプリットスクリーン・スタイルで映画は進行する。
認知症を患った妻。それを介護する夫。一つ屋根の下に暮らしながら、二人の心はどんどん離れていく。そんな関係が冷徹に切り取られながら、人生の終末が残酷に提示されている。
何とも世知辛い話であるが、老いには誰も抗えない。これが現実なのだろう。
老夫婦には離れて暮らす長男がいる。おそらく彼がもっとしっかりしていれば、この状況も少しは変わっていたかもしれない。しかし、彼もプライベートで色々と問題を抱えていて余り当てにならない。介護施設に入るという手もある。しかし、慣れ親しんだ我が家を離れたくないという理由で彼らは頑なにそれも拒む。結局どうすればよかったのだろうか?中々解決策が見つからないのが、観てて何とも歯がゆかった。
監督、脚本はこれまでに数々の問題作を撮りあげてきたフランスの鬼才ギャスパー・ノエ。今回はセックスとバイオレンスといった過激な表現を封印し、老夫婦の日常を淡々と紡いでみせ、正に新境地という感じがした。
特筆すべきは全編を貫くスプリットスクリーン・スタイルで、これは実に野心的だと思った。前作「ルクス・エテルナ 永遠の光」でも試用されたが、その時は実験趣向の強い中編作品で今一つ効果的とは思わなかった。しかし、今回はその演出意図が十分に伝わってきた。二つの画面に分断されることで老夫婦の関係崩壊がいやが上にも意識させられた。
また、最終的にこの分割画面は一つにまとまるのだろうな…と思って観ていたら、これもいい意味で予想を裏切られた。ラストには一抹の寂しさを覚えたが、同時に魂の浄化のような安らぎも覚えた。
意外性のあるキャスティングも秀逸である。夫役を演じるのはイタリアン・ホラーの巨匠ダリオ・アルジェント。今回が映画初出演ということであるが、中々どうして。哀愁を漂わせた枯れた味わいが魅力的である。いっそのこと監督兼主演で老人ホラーを撮ってみてもいいのではないだろうか。
妻が怪しくないか?
夫役のダリオ・アルジェント…幼い私を震え上がらせた最恐映画『サスペリアPART2』の監督です。
映画そのものより、ダリオ・アルジェントが80歳を超えて俳優デビュー、しかも主役とは一体どういうことだ!? という好奇心で鑑賞しました。
死に向かう老夫婦の話ということで、地味そうな印象でしたが、私も中高年の域であり、親も高齢に達しているため、興味深く拝見しました。
ダリオ・アルジェントは普通のおじいさんにしか見えませんでした。演技か素に近いのか…実は監督ギャスパー・ノエの当て書きのようです。
「すべてうまくいきますように」はハッピーな結末だった
先ず、中高年のかた、及び身内に要介護者がいるかたには鑑賞はお勧めできません。
どうしてもというなら、メンタルごっそり持っていかれますので、観られる場合は心身ともにコンディション万全で劇場へ。
夫は映画研究者みたいな設定だけど、これそのまま高齢化したおたくに置き換えられます。
施設は絶対嫌だと拒絶するのは、正直あるあるでやはり誰でも。とくにおたくは本を全部捨てて施設に入るなって選択は絶対無理無理無理。
老々介護なのに夫が著述にかまけてたり、映画仲間との会合で奥さんを放っておきすぎ、とかその歳でまだ愛人に未練たらたらかよ(多分フランス人あるあるだろうけど)とかつっこみもあるけど、逆にそのへんがリアリティなんだろう。
時制をあわせた、異なるふたりの人物の視点による二画面表示は、要所要所で効果をだしていたと思う。夫が入浴中に妻がアレしてしまうとこととか、終盤近くあたりとか。
ただ字幕拾っていると片方の画面の出来事を見落としがちなので、少し後方の席で視線移動量少なくふたつの画面を観られるように鑑賞したほうがいいかな(わたしは最前列席でみたので2画面の情報を拾うのに結構しんどかった)
昨年に観た「すべてうまくいきますように」のお父さんの選択が唯一の解答かなと思えてしまう。(あれも結構メンタルにきたけど、むしろお金持ちだからできる、ある意味ハッピーな選択でもあるのね)
しんどい
ギャスパー・ノエ最新作に期待していたけれど
ホームビデオを観ているような
ひとつの家族の終わりゆく過程を覗いている感覚
母親の認知症が
ひとり息子の苦悩が
父親の突然の死が
もうやだわぁってくらい
自分と重なり思い出す。
そう、普通の家庭の
何の変哲もない日常を
二分割画面で見せられてああしんどい。
父親役にあのホラー界の巨匠
ダリオ・アルジェント初映画出演😳
名演技でした👍
眠くなるのでしっかり睡眠をとってから観てください
前日夜更かししたせいか、内容が単調だからか、10分ほど眠ってしまい意識がなかったです。
老夫婦の日常を淡々と描くシーンが続くのでこれは眠くなるのて要注意。
誰もがかかる可能性のある認知症。他人事ではないのでいろいろと考えさせられる。
奥さんが奇行してるというのに一緒に暮らしてるのが動作の遅いよぼよぼのおじいさんなもんだから止めるのも全く間に合ってなく、時すでに遅し状態。
先を予測して大事な原稿くらい手の届かないところにしまっとくべき。ガスの元栓も自分が使わない時は切っとくなど先回って行動しないと。(元栓に気づいたら意味ないけども)
何しでかすか分からないのにおじいさんも息子も野放しにしすぎなシーンが目立つ。
認知症とはいえこんな事を毎日やられたらイライラして生活なんて送れたもんじゃないと思ったが、おじいさんの忍耐力と愛がすごかった。
よそで不倫してたからこそ妻に優しくなれてたのかもしれんが。
奥さんが認知症を患うだいぶ前から不倫してたみたいだから正直救いようがない。
息子も小さい子どもがいるというのにクスリの売人かつ自分もクスリやってて、父親として全く示しがつかない。
一体誰に感情移入したらいいのだ?というストーリーであった。
子どもミニカーをぶつけて遊んでる時の衝撃音がうるさくて不快だった。一度や二度ではなくやけにしつこい。映画館の音響だからというせいもあるが(なんで何も言わないんだこの父親は?)と思った。
外出時でも子どもを注意しない親が目立つが全く意味が分からない。
亡くなった後に空っぽになっていく家には自分もいずれそうなる、みんなそうなる、人生は儚いなぁと考えさせられる。
最後は普通にエンドロールが流れると思っていたから急に一瞬で終わって劇場が明るくなるもんだから、観客もしばらく誰も席を立たずにぽかーんとしていた。
続きが流れるの?エンドロールが流れるの?と戸惑っていたら、アーニャの画面(広告?)が一瞬出てきて終わった。
余韻もヘチマもなかったが、これからの老後問題としては内容は刺さるものがあった。
自分の親が認知症にならないように何か予防策はあるのか、なった後はどんな対処法があるのか、勉強しておこうと思う。
常に二画面という体験
新年1発目に観る作品だったか疑問ですが(^_^;)
認知症と心臓病の老夫婦が
死に至るまでの物語。
99%はずーっと2画面で物語は進む。ずーっとです。
私が愛する変態監督ギャスパーノエが描いた作品。
あのヤバさは無いです。
「カノン」の警報シーンもない。
「クライマックス」のトランス状態もない。
そして「アレックス」の絶対女の子に見せたくないシーンもない。
でも、ノエ監督ならではの
メッセージひとつひとつが物凄く濃厚。
たわいもない会話もよく聞くと意味があったり
タイトルの“渦巻き”もしっかり意味がある。
2画面で148分もあるので本当にマニア向け。
映画にゆっくり浸りたい方は是非。
いろんな人間がいて、それぞれの人生や様々な体験、数え切れない経験、...
いろんな人間がいて、それぞれの人生や様々な体験、数え切れない経験、出会いや別れがあるが、人が最後にどうなるかは分かっている。
自伝映画ではないが、監督の母親がアルツハイマーになった経験が反映されているらしい。(監督インタビュー参照)
私の後ろで泣きながら観てた人がいた。
でも、鑑賞中に寝息やイビキがチラホラ聞こえてきた。そんな静かな映画でBGMや効果音なんか ほぼ無いのでポップコーンを "カシュ カシュ" 食べながら見るのは気が引けるかも? 体調を整えて鑑賞すべし。私も何回も眠くなった。満腹で観たからか?腹ペコにしとけばよかったか?
家に帰って『エンター・ザ・ボイド』のオープニングと『CLIMAX』の長回しダンスシーンをとりあえず見る。見たくてなったからだ!(派手な視覚的刺激が足らなかったからだ)
この監督は「まだ人がやってない表現は何があるだろう?」と色々考えて、時間が遡ったり、エンドクレジットを頭に持って来たり、画面をスプリット・スクリーンにしたり、字幕ごと画面を逆さまにしたり、フランス映画を日本で撮ったり、他にも浮遊霊のカメラ目線、鑑賞中退出警告などあるが、大体既に使われた技法だ。だけどノエだからトリップ感が満載になる。「いつかドキュメンタリーを撮る」と最近言っていた。
あの『METROPOLIS』のポスターが欲しい、たぶんギャスパー・ノエの私物だろう。大量のVHSも。
身体に表れる年輪の深み
どうしてだろう
描かれた日常から目が離せなかった
妻の視線が本当に良かった
スプリットな画面で、
両面に2人ともが映る。
これまでも同じ景色の中に居たんだなと思ったし
そして独りに戻っていくんだ、とも思った
途中、こりゃ孤独死の方がマシかもしれん…
と思ってしまった
これぞ厳然たる事実。
ドキュメンタリーかと思った。
事実を超えた事実というか。
ギャスパーノエとはいえ、このテーマを撮ったらそんなに打ち手はないはずと高を括っていたものの、徹底的にリアリティで、ずーっとヒリヒリした感覚が付きまとう。
互いに互いの行動を知らないからこそ、ダブルスクリーンにすることで赤裸々にその一部始終を垣間見ることができる。
両親のことを思い続けた息子の納骨場での台詞「家は生きている人が住む場所」だと、その息子に伝えたシーンにギャスパーノエの残酷さが滲み出る。
フランスの俗悪なセンチメンタリズムか。大げさで女に逃げて無能でプラ...
フランスの俗悪なセンチメンタリズムか。大げさで女に逃げて無能でプライドだけ高い、フランスのインテリ男をわざわざ見たくもなかった。
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