「カップリング討論に壊された映画」名探偵コナン 黒鉄の魚影(サブマリン) うましかさんの映画レビュー(感想・評価)
カップリング討論に壊された映画
原作主要キャラたちが背景を見せながら暗躍する面白い一本だった。
しかし女性が観れば誰が要の人物なのかすぐ分かってしまう欠陥もあり、ミステリー要素がひどく弱いと感じた。
あの仕草で犯人を特定するという皮肉さがこの映画のテーマである「偏見」に対する答えのようであまりいい気分にはなれないというのが正直な感想。
歴代コナン映画で、最も好きな映画はベイカー街の亡霊です。
探偵に重きを置いたシンプルさに、子供たちの成長や友情のみならず信頼も描く珠玉の一本だと思います。
登場人物が増えたり関係が複雑化している分、もうああいった作品はコナンから生まれないのかなと寂しくなりました。
以下映画のレビューとして相応しくないのは重々承知ですが、Twitterを使うものはみんなモヤついている点ではないかと思うので更に残念な点を綴ります。
公式のアナウンスで初めて攻撃的な方々の存在を知り、内容が内容だったので「溺れてる哀ちゃんがアイコンだし人工呼吸でもするのかな」と思いました。
その通りとは、な···············
とはいえなぜこんな状態になるのかさっぱりわからない。
新一から蘭への電話が答えだからである。
コナンのまま助けたということもひとつのアンサーではないかとわたしは思う。
コナンが新一に戻るときはすべて蘭が関わるとき。
それを裏付けるように文化祭の回想や落ちてくる蘭を受け止められないコナンの描写、倒れている哀に躊躇いなく人工呼吸に挑もうとするコナン、志保がアポトキシン4869を服毒してのたうち回るシーンがあるのでは?
コナンにとって哀は相棒であって、どこまでもビジネスライクな存在。
それを失えば動揺もする。
くちびるを重ねることに躊躇いがないのも救助だからこそ。
哀の気持ちにお構いなしなのは緋色の弾丸でも嫌というほど執拗に描写されてきた。
これは一貫して変わらない点だと思います。
二人がレギュレーターを交代しながら使い海上を目指すのも、同じ薬で同じ等身になりお互いの頭脳で共闘する〝二人三脚〟という現れだと思います。
ちなみにわたしはそういうキャラだからこそ、この作品で一番好きな人物が彼女なのだ。
騒ぎ立てられたせいで軽く予想したことがその通りになってしまい、直接的ではないにしろあれは立派なネタバレだったとわたしは思う。
好きが高じた行為だと思うが、あれは最悪のマーケティングだ。
ハロウィンの花嫁の反省点のひとつからSNSを活用すると述べていたが、これは炎上商法と呼べなくはないように思う。
蘭だけが好きな人、哀だけが好きな人もいるでしょう。
今回はそういった方々に名探偵コナンが壊されたなと、がっかりした気持ちが根底にある。
ついにネタバレ対策として公式も見れない時代になったか··········