ゴジラ-1.0のレビュー・感想・評価
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感動!現代の生きづらさを応援してくれる映画
人生で初めて映画館で2回鑑賞した映画です。
1度目はゴジラがどんなダメージで終わったかはっきり見届けられなかったぐらい
夢中で観てしまったので
2回目は4DXシアターで観てきました。
監督が戦後の生まれでスタッフ陣も当然そうだと想像します。
戦時中生まれの方は昭和9~20年…90歳近くです。
ましてや戦争に行かれた方は大正生まれで100歳越えと思われます。
話を聞くのも難しくなってきました。
そんな中で資料や写真から映像を作成するのは、純粋に凄いと思います。
白黒でしか見たことがない街並みがカラーで復元されているようで…
内容ですが、戦時中・戦後直後の形をとりながら現代の話と思いました。
特攻隊の話なども今にしたら超ブラック企業な状況で自己肯定感をボロボロにされた
人達が自分ができることを武器に題名通り-1.0の環境で能力を生かす
ことを見つけやっとやり遂げる。自殺する人などが多い現代で
「生きろ!」というメッセージがヒシヒシと伝わる映画でした。
ゴジラ熱戦放射時の青色発色がめちゃめちゃ綺麗なのに恐ろしいすごい迫力。
ドラマ中の主人公「下手に手負いにしたら」「それでゴジラを本当に倒せますか?」
などの危惧は、確かにそう思う。
命の無駄使いにならないように検討するのは逃げではないと
主人公目線でハラハラしながら見続けてしまう映画でした。
【ゴジラが来ることを一般の人に知らせられない】
という設定は確かにご都合主義とは思います。
どのゴジラ映画も日本で作られたものはとりあえず東京を襲撃することがお決まりですもんね。
映画の内容とは、関係無いですが4DX、熱風が出たり後から振動が来たり迫力効果の迫力は、ありましたが、映像は、期待値が大きすぎたのかな?って感じでした。ゴジラが最後どこにどんなダメージをうけたかは、大きな画面で確認できましたが…4DX画面の迫力を期待してたのですがそれは超えなかったかな。
初代ゴジラは抜けなかった
全体的にまとまった面白い作品でした。でも初代ゴジラが当時の米ソの水爆実験競争を背景に、放射能で大きくなったゴジラが放射能を吐く、ゴジラ対策に自分の技術使用を認めた科学者が科学の悪用に悩み、自分の命とともに技術を封印したストーリーなどと比べると、ストーリーがちゃちい。そもそも普段運動してない人が急に走るとコケるが、準備万端のエキストラは全速力でかけていく、と思いきや、一斉に止まってゴジラを眺めるなど不自然が多い。ゴジラを沈めるあの技術が当時の日本にあったなら戦争に負けなかったのでは。特攻の生き残りを主人公にしたのも取ってつけたような設定。でも、面白くは仕上がってます、でも初代ゴジラにはかなわないなあ。
あ、そういう感じね、と後悔
人間の原罪を描いた初代、日本特撮の真髄とエンタメを見せつけたVSシリーズ、理不尽さと災害としてのゴジラを演出したシンゴジ。海外まで目を向ければ、パニックとスケールの大きさを表現するアメゴジなどなど「ゴジラ」というコンテンツを様々な角度で楽しんできましたが、「ゴジラ」映画ではなく、ゴジラを使っただけのヒューマンドラマはこの作品だけでしょう。
正直なところ、開幕してすぐに「あ、観るのミスったな」と感じました。戦後まもなくという時代設定、元特攻兵の主人公、国ではなく民間の力を結集するなどといった設定全般は妙と言うべきものでしたが、描きたい設定が点のままでストーリーに落とし込めていないという印象。原爆をモチーフとするゴジラを描きたいのはわかりますが、ゴジラ襲来の後の黒い雨は降っただけで「そこは丁寧に書くべきじゃないの?」というツッコミや、生きて家族に再会するという盛り上げるためだけの元特攻兵というハッピーエンドのための設定は冷めてしまいました。
ストーリーはハッピーエンドが既定路線かつ先の読める展開なのは娯楽作品として仕方ないのですが、そのひとつひとつに説得力がなく、「なんか上手くいきそう!」→「なんとかなった!」ばかりなのは、ご都合主義全開で根拠や過程が無いため徐々に呆れてしまいました。
また、主人公のナルシシズムとエゴイズムがキツく、ゴジラがいつ襲来するかわからないのに震電を整備できるかわからない元整備兵を呼ぶことにこだわるシーンは、
「死にぞこなった自分があの時できなかった特攻で仇をとるぞ!」→わかる
「でもその機体の整備は橘さんじゃなきゃ嫌だ!」→?
「嘘の誹謗中傷すれば来ると思うから呼び出すわ!」→!?!?
で、お前は何を言っているんだ?と混乱しました。他の人がベストを尽くすために頑張っているのにも関わらずお前は、、、
演出面も、戦後間も無くにも関わらず綺麗なおべべを着ている皆さん、安藤サクラに子育てなめんな!赤ん坊はすぐ死ぬんだぞ!と言われたにも関わらずぷくぷくの健康優良児に育った女の子などリアリティと演出の擦り合わせもう少し頑張ろうよとも思いましたが、仕方ないですよね。令和の映画だもん。
ただし、VFXは本当にすごく、流石山崎監督だなと脱帽しました。本当に画は良かったです。
ゴジラ映画ではなく朝ドラだったら十分に納得したでしょう。
放射線流を堂々と放ったゴジラはモチーフとして良かったですが、人を齧って放り投げたゴジラはでかいだけのトカゲでしたね。マグロ喰ってるタイプの。
面白かった。そして泣けました。
札幌にできたばかりのTOHOシネマズで轟音シアター初体験はやはりゴジラでしょう、ということで観てきました。素直に面白かった。そして僕は何度も泣けました。ゴジラ映画でもあるけれど、むしろ戦争映画としても十分に楽しめるクオリティーでした。日本人の心を揺さぶります。オススメです。今年の実写の邦画では一番良かったです。
神木くん、吉岡くんと二人の有名子役から俳優になった、世代の異なる二人が共演するのは感慨深いです。浜辺さんと共演だと朝ドラと同じですが、こちらの神木くんのほうが良いです。
(以下は僕の心の琴線に触れたことを書かせてください。ある意味ネタバレですがご勘弁を。)
十八試局地戦闘機「震電」が飛行する映像を観れたことは、VFXの名手山崎貴監督にただただ感謝したい(永遠の0での空母赤城にも感動しましたが)。僕は非常に心を揺さぶられました。ただ空母赤城と異なり一般的にはほぼ無名な試作戦闘機なので、映画館にいたお客さんでどれだけのひとが「しんでん」を局地戦闘機「震電」と理解したのかは不明ですが。
「震電」は終戦末期に空技廠と九州飛行機で共同開発された、先尾翼迎撃機、しかもなんと後退翼で、先細の機首にもかかわらず飛燕に代表される苦手な液冷ではなく、旧日本軍得意の空冷エンジンで(空気取り入れ口はまるでジェット機のように胴体両脇にあり、プロペラが後部にあるため重武装が可能(予定では30mm4門)で、さらに当時日本で唯一、火薬発射による脱出装置が取り付けられてたとされ、おそらく時速700km近くでたのではないかとも推測される、極めて先進的な設計思想の機体であるものの、試験飛行が終戦3日前の昭和20年8月12日であったとされる幻の局地戦闘機です。試作機はおそらく1機か2機だと思います。
太平洋戦争には間に合わなかったものの、ゴジラによる日本の危機を震電が救ってくれるなんて、それだけでも涙ものです。また射出装置が正常可動したことも涙ものであり、そもそも零戦を含め他の機体では風防を手動で開けての脱出なのだから、そんな余裕はないはずであり、山崎監督が神木くんを「生きさせる」には射出装置のある「震電」を選ぶよりほかはなかったとも思いました。
あれがゴジラ!(*゚Д゚*)
演技が臭い人や面白艦長もいてましたが(笑)
人間ドラマがメイン&ゴジラの恐さ気持ち悪さが出ていて面白かったです。
小さな女の子がモゴモゴ言ってるのが可愛かった(笑)
「核の原罪」に戦慄するリアリティーって・・・
1回目のレビューの後にいただいた「自分史と1作目への懐古ばかり、もっとしっかり本作ついて述べてください」というコメントが、実はかなり胸に刺さりまして・・・そんな訳で改めて本作に向き合った感想を述べさせてもらいます。
先ず、VFXについて。はっきり、これは歴代ゴジラの中で最高、巨大生物としてのゴジラの禍々しさもさることながら、強烈な既視感を覚える破壊された都市の描写にはシン・ゴジラさえ超えているリアリティがあり、その点は最大限に評価したいです。
一方、敷島を中心に様々な人々の、ゴジラという災禍を通してそれぞれの戦後を乗り越えようとするドラマについても、私は十分な説得力があったと思います。特に敷島の、「特攻からの逃避」と「ゴジラからの逃避」という2つの十字架を背負った心の痛み、そしてそれ故に、典子たちと一つ屋根の下で寄り添うように暮らしながら本当の家族として受け入れられない切なさ、哀しみは十二分に伝わってきましたし、だからこそ、今度こそは逃げないという敷島の覚悟と、それ故に姑息な手を使ってまで橘とバディを組むことにこだわったことも十分理解できました。敷島は既に、自分の命を賭すことを決意している、その死にざまを見届けてもらうのは橘しかいない。そんな彼の覚悟が橘にもしっかり伝わり、彼にはそれで十分だった。だから万感の思いで「生きろ」と敷島に言ったんだと、ここまでの神木・青木両俳優の演技を見ながら確かに熱くこみ上げてくるものがありました。
そう、ここまでは。
震電による攻撃でゴジラが崩れ落ちるシーンで、今まで描かれてきた敷島の物語へのカタルシスは感じながら、同時に胸に去来したのは「手ぬるい・・・まだまだだよ」という思い。何故、そんな思いを抱くんだろう・・・なんで、素直に感動の涙が流せない・・・我ながらそうも思います。
けれど仕方がない・・・70年近く生きてきて、米ソ冷戦やベトナム戦争、核競争、水爆実験・・・それらを「ここにある危機」、身近なものとして育ち、そして今という時代を生きている自分はそのように感じてしまうのだから。
先にこの映画のVFXについて「強烈な既視感を覚える」リアリティと述べました。そう、確かにあのゴジラに破壊された都市の光景を自分は既に見ている。ウクライナの都市、ガザ地区の街並み・・・(それまでにも、バクダッド、サラエボ、ベトナムのソンミ村・・・)
都市を破壊するゴジラに戦慄するのではない、同じ人間の暮らす都市を破壊する人間に戦慄を覚えるのです。ゴジラの炎に立ち上るキノコ雲より、プーチン大統領の背後に、黒いアタッシュケースを抱えて控える2人の高官の姿に戦慄するのです。
そのような思いを想起させる力強さを持ったリアリティを生み出した山崎監督だからこそ、この映画のクライマックスには、エンターテインメントの枠を超えてでも見る者の心に訴えかける「今」にコミットしたものを突き付けてほしかったのです。
やや不穏な余韻を残す病室での敷島と典子の再会シーンを見ながら、私はふと原民喜という作家の短編小説を思い出していました。戦時中の地方都市に暮らす人々の日々、ささやかな葛藤、軋轢などを淡々と描写し、終盤、それらが一区切りしてほっと息をつげるようなシーンのあと、「壊滅の序曲」というこの小説は次の一文で締めくくられます。
「……原子爆弾がこの街を訪れるまでには、まだ四十時間あまりあった。」
人類が核兵器を知ってしまって以降、この一文は全ての人間ドラマの最後に繋がるように思います。人々のドラマチックな、あるいはごくささやかな営み、様々なストーリーを根こそぎ消し去る無慈悲で非条理な核の恐ろしさを表すこの一行は、敷島の胸を打つドラマの後にも繋がるものでしょう。
そんな私が本作のエンドロールを見ながら尚も幻視したのは、最後により禍々しく巨大な姿で海上に起き上がるゴジラの姿、それは旧海軍の戦闘機に爆弾を積んで体当たりしたぐらいでは打ち崩せない、「世界終末時計90秒前」の現在にまで私たちの前に立ちふさがる「核という原罪」としてのゴジラの姿です。
オッペンハイマーが、原子爆弾を生み出した罪ではなく、より壊滅的な力を持つ水爆開発への障壁となったことで国家から裁かれるという、巨大な歴史の皮肉を目撃することになる1954年、その同じ年に公開されたゴジラ1作目。芹沢という人物の苦しみと死を通して「パンドラの箱」を開けた科学者の悲劇を描く先駆的な、おそらく最初の作品となった1作目こそ、私にとっては、全てのゴジラ映画の頂点であることに変わりがないでしょう。
それでも、あれだけの映像クオリティを見せてくれた山崎監督には、マイナス・ワンを1作目の正統な前日譚として、「核という原罪」を私たちに突きつける覚悟、矜持を持ってほしかった、というのが、今の正直な思いです。例えハッピーエンドでなくても、私達に突きつけられたそれから目をそらさない限り、エルピスはあると思うから・・・
【上のレビューを投稿したら最初に投稿したレビューが消えてしまったので、以下に再記します。くどくなりますが、合わせて読んでいただけたら、私のこの映画への思いが一通りお伝えできるかと思いますので・・・】
ゴジラ・マイナスワン 見てきました。その感想を、と言ってもほとんど1stゴジラ論的な内容になりそうだし、最後には来年日本での公開がついに決まった「オッペンハイマー」に寄っていくという感想になりそうです。何か鬱陶しそうでしょ。べた褒めの感想を期待されてる方はここでサヨナラしていただいてよいかと。
さて、ここで私個人のキャラ形成のバックボーンに触れると、私は昭和30年代前半生れ、10代の多感な時期を米ソ冷戦、ベトナム戦争、大国の核保有、水爆実験・・・といったニュースに触れ、常に頭のどこかに「核による世界の終焉」へのモヤモヤした不安を抱えながら育った世代です。(確か中国の水爆実験の直後に小学校の先生ができるだけ雨には濡れないように、と注意したのを覚えています。冗談なのか本気だったのか「髪の毛が抜けるから」
という理由で・・・)夜中に、明日にでも核ミサイルが降ってくるかもしれないという恐怖に捕われ夜泣きするという子供でした。
そんな私ですが、中学生まではゴジラ映画と言えば、ゴジラがキングギドラやコング、ヘドラなんかと派手なバトルを展開する怪獣スペクタクルという認識しかなかったのです。
私が1stゴジラを始めて見たのは高校2年生の時、京都の場末の2番館で「博士の異常な愛情」との2本立上映でした。(←この組み合わせも、完全に狙ってますね)
あの時、私の子供の頃から抱えていた「核」への暗鬱な感情とゴジラという稀代のキャラを描いた物語が完全にリンクしたのです。夜の大東京を、逃げ惑う人々を前景にして、遠くにゆっくり不明瞭な暗い影のように動いていくゴジラの映像は、あの時代の核に怯える暗鬱な空気感をそのまま伝えてくるのでした。
そして、核の恐怖を思う時、常に頭に浮かんだもう一つの思い・・・
「どうして人類は、そんな自らを滅ぼす力を手に入れたのか?或いは、その力を生み出した科学者は、そのことにどの様な責任を負うのか」
1stゴジラは、その問いにも一つの答えを描いています。
芹沢博士という人物の苦しみとその死を通して。
オキシジェンデストロイヤーもまた、水爆と同じ、人類にとっての絶対悪として描かれています。水爆の落し子であるゴジラ、それを抹殺するためのの最終兵器もまた人類を滅ぼすだけの恐怖の力を持っている。それはまさに大国間の際限ない核競争の図式そのもの、「瓶の中の2匹のさそり」を表しています。
そのような力を、人は持ってはいけない・・・だから、芹沢博士はそのすべてを封印するために自ら死ななければならなかった。ゴジラを抹殺するためのあの海中のシーンには、他のゴジラ映画(マイナスワンも含めて)に描かれたような、搭乗した兵器によってゴジラに体当たりする的な派手さ、勇壮さは全くなく、ただただ静かに、沈鬱で・・・
マイナスワンでも一筋の涙も流せなかった私が、多くのゴジラ映画の中で唯一、涙したのは、1stゴジラの最後、愛弟子が水爆に匹敵する力をその命とともに封印した海底を見下ろしながら、山根博士が万感の思いで一言「せりざわ・・・」とつぶやくあのシーンだけです。
今日、世界終末時計は、冷戦時代も含めて最も人類絶滅に近い1分30秒前まで進んでいます。そのような時代に、先の大戦のトラウマを乗り越えるリベンジマッチとしてのカタルシスはある程度感じたとしても、核という原罪に人類がどう向かい合うのか、を描き切った1stゴジラを超えるような評価は出せない、というのがマイナスワンへの正直な感想です。
そんな私ですので、はい、ようやく日本での公開が決まった「オッペンハイマー」への
思いがバク上がりです。
そう、私にとって芹沢博士はオッペンハイマーそのものなんですよ。
ゴジラのフォルムは素晴らしい。
初代を超えたのでは無いかと感じた映画
今まで見たゴジラ映画の中で1番の出来だったと個人的には思います。(シン・ゴジラや初代など、あまり簡単に比較できないですが)特撮通じゃない人も楽しめるゴジラは今までなかなかなかったんじゃないかと思います。ドラマのパートとゴジラのパートがここまで両立できているのは本当に素晴らしいと感じました。ドラマ部分がベタだったりと言う意見もありますが、私はドラマ部分に無理に新しいことを求めずにベタな、王道なドラマを追求することによって映画として最上級のものが誕生していたように感じました。
迷わず観ろよ、観ればわかるさ❗😆
2度観ました。永遠のゼロをめっちゃリピートで観たので、オープニングからウルっと来ました。大迫力のゴジラを映画館で観たくて行きましたが、ドラマパートも結構感動しました。安藤サクラさん演じる隣のオバチャン主人公を罵倒しますが、実は親切な人だったり。クライマックスはお馴染みのテーマが流れ、気分はアゲアゲ😆永遠のゼロは死んでいく悲しいストーリーでしたが、生き残るため、未来のための戦いはハッピーエンドで、また観たい。でもゴジラのテーマがずっと耳に残っています😁
どうしても気になる点
ゴジラの迫力と怖さ、そして感動
ドラマのトホホな感じ
ゴジラ登場シーンはどれも恐ろしいし、迫力があった。
海の上でのバトルは、ザバーンと浮上しつつ、また海底へ。水しぶきが背びれだけが見えているのがいい。戦艦を破壊し、口から熱線を出す。
そしてなにより銀座シーンですよ。街を破壊しまくるゴジラ。テレビアナウンサーがビルの屋上で実況しながら、ゴジラに襲われるところなんて、すごいわ。典子(浜辺美波)が逃げまどい、電車にすべり落ちて、手すりにぶら下がる。海に落ちても走り出す。超人的なところありながら、リアリティラインがギリギリで楽しめました。
ゴジラのテーマソングも熱い。熱線できのこ雲が立ちのぼる。圧倒的な存在感で、絶望を与える。これ、人類どうする?勝てるの?そう思わせた時点で勝ち。
ただドラマパートは、欠点だらけ。敷島(神木隆之介)と典子(浜辺美波)はどんな関係なんだ!?恋愛じゃない。それじゃ男女関係になってないの?2人がどう惹かれたのか。2人の深い思いは?描ききれておらず、そうじゃなきゃ典子が犠牲になっても、悲しくもうれしくもなれない。
敷島が女の子に対して冷たいのもどうなの?お父さんと呼んでるのに、お父さんじゃないって。別れを考えてのことだろうけど、情というものが感じられず。
ゴジラ討伐作戦は、海を舞台にしているけど、効果があるのかないのか分かりづらい。どうせ失敗すのはわかっているから、ハラハラ感はない。
伏線もわかりやすすぎて、敷島は特攻しないだろうし、典子も生き残ってるだろうしと、驚きはゼロ。
ゴジラの登場も、敷島が過去を払拭するためのもので、すべてが予定調和なんですよね。それはいい点もあるのだろうけど。
山崎貴の過去作とリンクするのは、本作が総決算だと感じるところ。『アルキメデスの大戦』の戦艦シーン、『三丁目の夕日』の過去の日本再現など、培ってきたものはあると思いました。脚本は、別の人を入れるだけですべて解決なんだけど。
というわけで、山崎貴の好きではない点も出た映画だけど、とにかく迫力すごいので、楽しめるのは楽しめると思います。
日本人でないとわからないかも
主人公の設定以外は100万点
VFXは文句なし、娯楽作なんだから多少のご都合主義は気にしない。
だがしかし主人公の設定がマイナス過ぎてイマイチ乗れなかった。
特に対策会議で逆切れするシーンとか嫌悪感すら感じた。
以下は「だったらいいな」的妄想。
主人公は死ぬ気満々で特攻に向かったが機体の故障で大戸島に退避、そこで謎の巨大生物の襲来にて負傷しそのまま終戦を迎えた。
自分だけ生き残ってしまった罪悪感に苦しむがヒロインとの出会いによって癒されていく。
そんな矢先ゴジラが出現、建物の倒壊に巻き込まれヒロインは生死不明に。
ゴジラに復讐を誓った主人公は大戸島分遣隊の整備兵が隠匿していた「特攻するはずだった愛機の零戦」に乗り飛び立った…
こんな展開だったら燃え死んでた。
でも、零戦に射出座席は無理筋なのでこれだと主人公死亡エンド確定…
戦後の人たち
戦後の人たちの描写がとてもリアル。登場人物の言動から、今はなき祖父母や先輩方を思い出した。ちょっと頑ななところとか、純粋で不器用なところとかも、すごく伝わった。自分はもちろん戦後生まれだけれど、戦後のあの空気感を今のタイミングでまた表現してもらえて良かったなぁと思う。
ゴジラも自然に恐ろしかった。迫力があって、こちらもかなりドキドキして観ることができた。誰が死ぬか生きるかわからないというスリルがあった。一緒に行った外国人は、迫力に満足していた。
昨今のゴジラ映画の見どころである、撃退作戦についても、リアルとファンタジーの丁度中間くらいかなーというところで悪くなかったと思う。好きな人は検証ができると思う。そういう面でも見応えあり。
米国ファンの評価の高さが観るキッカケになりました。
評価・レビュー
ゴジラ−1.0
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評価
12345―
レビュータイトル
米国のレビューが鑑賞のキッカケになりました
レビュー本文
米国ファンの評価は凄く高いですね。その中に数は少ないですが役者の演技がオーバーリアクション過ぎた。とのコメントも
今日4DXで見てきましたが同感しました。役者は監督の思い描く演技を忠実に表現していると思います、なのでこれは監督の問題だろうと
ゴジラが暴れているシーンがやや少なく感じて折角の4DXが勿体なく思いました。
しかし大暴れのシーンは素晴らしい、4DXに縦横無尽に翻弄されました
迫力超満点、だからこそもう少し暴れさせて欲しかった。
ゴジラは恐ろしい生き物。それは伝わってきましたが、いったいどうやったら倒せるのか、諦め、絶望感・無力感はシン・ゴジラの方が強くあったと思います。
とはいえ圧倒的な迫力は間違いなく今回のゴジラが上です。
世界よ、これがゴジラだ。
邦画とゴジラは切っても切り離せない。
『ゴジラ』は邦画における一大コンテンツである。日本人の大怪獣の認識は、大凡がゴジラを占めている。ゴジラ以前の時代には日本人は大怪獣をイメージ出来なかっただろうし、ゴジラがゆうゆうと東京を壊滅させた後の世は怪獣と言うだけでもゴジラという言葉を連想するであろう。
さて、映画の話。
感想として一言で言うと、「あんなん勝てるん?」で、結果もそう。再生、原子力包有、チャージが数分でできるエナジービーム(規模は一撃で3万人を消し飛ばす)、建物を一撃で壊す尾。
駆逐艦を三十秒足らずで全壊するし、銀座でビーム打つし、
勝てるわけないやん?
戦争被害者である主人公が成り行きで出会った母子といっこ屋根の下、なんとか戦争を忘れ始めてた時、その女も主人公をかばってゴジラのビームで消し飛ぶ。
そこで復讐を誓い、立ち向かう話。
結論から言うと、倒しきれない。ただ先延ばしになっただけ。でもそこは物語の外側だから関係ない。主人公は実は生きてた女と家庭を築くのだという終わり方をした。
あそこで勝てないのは、他作品に影響を与えるからなのか、ゴジラというものの恐怖心を薄れさせるからなのか、とにかくそこがハッピーエンドでは無いようになっている。
しかし、ゴジラが街を破壊する様は圧巻だった。もはや気持ちが良かった。非常に楽しい一作となっている。
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