ゴジラ-1.0のレビュー・感想・評価
全2023件中、641~660件目を表示
アメリカの評判聞いて観に行くタイプ
公開から結構経ちますけど、すみません、アメリカの評判聞いて、観に行きました…。外圧に弱いタイプ。
いろんなあちらのYouTuberが大絶賛しているのを観て、だいぶ期待値あげて観てしまったので、、、、、
特に人間ドラマが素晴らしいと褒めている声が多かったけれど、
日本人が母国語でこのドラマを見ると、そこまで褒めるほど???という印象です。
あちらで絶賛されているのは、きっと今ポリコレだらけでベーシックな人間ドラマが枯渇しているせいなのかな〜とも思いました。
今のハリウッドで作ったら、安藤さくらの役はトランスジェンダーおばさんじゃないといけないはずだし(ケーシー高峰の女装とか)、小僧はゲイだし、、、色々ややこしい!!
浜辺美波さんは、きっとあのシーンのために毎晩鉄棒にぶらさがって練習したんだろうな…と思うと、頭が下がりました。
二度見で涙止まらんおっさん
1回目は良かったなあ、くらいでしたが2回目観覧では泣けて泣けて。民間特別作戦前の説明会で「必ず死ぬ訳じゃない。なら前の戦争よりマシだ」と叫ぶ男性。美波さんの葬式のあと急に泣き出す明子。美波さんが亡くなった事を知らずに明子が3人の絵を渡す場面。ゴジラを仕留めたあとの全員の自然発生的な敬礼・・・。涙ボロボロの汚ないおっさんでしたが最前列の出口に一番近い席でしたのですぐ退散。米国で上映されているようですが、昔の日本人の優しさや気高さを少しでも感じてもらえるといいですね。
シンゴジラに匹敵するおもしろさ
見た目(口元)がハリウッド版に少し似ていたのでもしかしたらつまらないのかなと思いながら観に行きました。
ゴジラvs⚪︎⚪︎みたいに怪獣同士が戦う映画ではなく、1984のようなゴジラvs人という映画でした。
とてもおもしろい映画でした。映画館で観ることをお勧めします。
気になった点は、浜辺美波さんが生きてたのはなんだかなと言うのと、作品内に出てくるランプが戦後にしては高級すぎたり、子供に食べさせるスプーンがプラスチック製だったり、小物が気になってしまいました。
エンタメとしてのゴジラ
二度にわたる原爆投下の強制降伏勧告(原爆実験)、そして日本の敗戦…
さらにはビキニ環礁の第五福竜丸事件(水爆実験)など基本米軍が行った暴挙を皮肉っての今作であると思いました。
それらが説教臭くなく『ゴジラ映画』としてできているのが(それがゴジラ映画の基本?)人気の秘訣なのかなぁと思いました。
エンターテイメントとしてのさじ加減は素晴らしいです。
ただ、「わかる人だけわかって!」的な考察大好きな人がもろ手を上げて食いつく要素が多いのは監督さんの趣味なのだろうなと思いつつも、それらがサッパリわからなかった自分がいます。皆さんよく観てみていらっしゃいます。
これだけアメリカを皮肉っておきながらアメリカ人が手放しで喜ぶのは複雑な心境です。
『黒い雨』の意味なんかはさっぱり理解しようとはしないんだろうなぁと思いました。
絶望を感じた初めてのゴジラ
今までゴジラを見てきたが、初めて「こりゃ勝てないだろ、ゴジラ強すぎるよ」と絶望を感じた。戦艦の襲い方や銀座のゴジラの光線なんて、絶望でしかなかった。
VFXも迫力があり、ゴジラを捉える俯瞰やPOVがとても効果的だった。物語的にもゴジラの強さが際立つ展開がよい。
ただ、やはり今回のゴジラは、ゴジラを使った映像表現の部分だけでなく、映画を支える人間の物語の構成が素晴らしかった。
人間の物語を語っているところに、圧倒的な映像クオリティーのゴジラがくる・・・
正直、映画ベースとなる人間の物語が物語的に素晴らしい物語かといえば、とてもありきたりの単純だし、展開にも「え、そんなことないだろ?」っとツッコミは入る。銀座からどうしてゴジラ帰ったの?とか疑問もある。
でも、観客はゴジラを見たいんだし、物語的にはそれぐらい予定調和で単純でないと観客はゴジラと人間の物語は消化できない。そのバランスがとても良かった。
まさに人間物語のありきたり感やツッコミを定期的にゴジラが踏み潰して光線で破壊してくれる一流エンタメの映画だった。
音楽の使い方も良かった。
父は特攻要員の生き残りだった
のっけから、主人公の敷島少尉に父が重なってしまった。父は陸軍だったし士官ではなかったし、家も焼けず両親も生きていたし、違うところの方が多かったけれども、戦争を引きずっていたという面では同じだったと思う。離陸の方法しか教えてもらえず、敵艦に突っ込んで死ぬことしか頭になかった父にとって、生き残ったとわかった時は安堵感より戸惑いの方が大きかったと言っていた。もしかすると父は「死ねなかった」という負い目をずっと感じながら生きていたのではないか。父は12年前に亡くなった(生きていればもう100歳近い)が、父にとっての戦争は終わっていたのだろうか、と、そんなことを思いながらスクリーンを観ていた。
さて、この作品。さすが手だれの山崎監督だけあって、なかなかに魂を揺さぶる筋立てと超絶リアルなVFXが素晴らしかった。観客の心を掴む術を心得ているなあという感想。面白くなかったわけではなく。感動的なシーンでは何度も泣きそうになったし。
また、『ALWAYS 三丁目の夕日』的な、小物や自動車や兵器へのこだわりもあって、たぶん何度も見返せば新たな発見もあるのだろうと思われ。
ただ、ゴジラをやっつけた後、作戦に参加した皆が真面目な顔で敬礼してたのは何故なんだろう。これはすごい違和感があった。敷島が死んだわけでもないのに。
それから、震電。地上にある時はそれなりにリアルだったのに、飛び立ったら急に模型っぽくなってしまった。YouTubeに上がっているチンケなCGみたいだった。こういう形の飛行機がどういう飛び方をするのか、専門家にちゃんと尋ねたのだろうか。
皆が勇気を振り絞って、死をも覚悟せねばならない危険な任務に就く場面というのは、こういう映画では必ずあるシーンだけど、「誰かが貧乏くじを引かなくちゃなんねぇんだよ」というセリフは、できれば聞きたくなかった。「自分ではない誰かに貧乏くじを引かせたい」輩にとってこれほど都合のいい言葉はないから。でもこれは映画のせいじゃないよね。
最初の話に戻るけど、もし父にとって戦争が終わっていなかったとしたら。母と結婚し僕たちを育てたのが幻想かも知れないと感じていたとしたら、僕たちはそれをどう引き継げばよいのだろう。
エンディング寸前、海中のゴジラを映したカットは、それを問いかけているのかも知れない。
敬礼。
最後の敬礼のシーンは、日本映画史上に残る名シーンだと思う。
「終戦」で終わらなかった人。終われなかった人。生きていてよかったのか。生きないほうがよかった。生き抜いたのにその世界は地獄だった。
自分の命に対する問い、否定、行き場のない思い、託された心。
ゴジラと対峙することで、「それら」を肯定し終わらせることができたのだろう。
自然と出てきた敬礼。ゴジラと戦うことで、倒すことで、戦いは終わったんだ。みんながそれぞれゴジラと戦いながら、ごく個人的な何かと戦っていたんだ。人の数だけある「対峙すべき敵」と。
ぼくたちは、「対峙すべき敵」へ眼差すことができているだろうか。正面から向き合うことができているだろうか。
「ゴジラ」という名の理不尽で不条理かつ常識が通じない敵は、いつだって、誰にでも存在する。目を逸らし、逃げているうちに、その存在すら忘却し、戦うことを失念してしまったぼくたちの映画。
東宝と市川南が悪い
山崎貴監督作品ということで見る予定はなかったのですが、X(旧Twitter)で「意外とドラマ部分がよい」という評価が散見されたもので、まさかとは思いつつも監督も成長することもあるのかと、騙されたつもりで鑑賞しました。見ないでアレコレ言うのはただのイチャモンですからね。
感想としては
相変わらずセリフと演出が不自然でイライラするが
クライマックスはそれなりに盛り上げたし、ま、いんじゃね?
くらいの感じでしょうか。元の期待値が低いこともありますが『SPACE BATTLESHIP ヤマト』や『永遠の0』よりはマシという印象です。
なお本作では曳船が活躍していますが、現在の職場が関連していることもあって親近感をもち 0.5 点加点しました。
ところで『永遠の0』でも感じたことですが、山崎監督は戦争映画を見たことがないのでしょうかね。
たとえば日本の軍人が自分を「私」と呼ぶの、ものすごい不自然ですよね。
一人称は「自分」、二人称は「貴様」というのがごく普通だと思います。
ほかでも「戦場から帰った」(うろ覚え)とかではなく、パラオとかラバウルとかそれらしい戦地の名前にするだけで随分「らしいセリフ」になるのに、そういうのも相変わらずできてないですし。
とはいえ、そんなことはこれまでも多くの映画ファンが指摘してきたことで、昨日今日にはじまったことではありませんからね。
何より山崎監督はもともとCG屋さんで、演出をやらせること自体が最初から酷な話なのです。
ぶっちゃけた話、山崎監督には円谷英二の役回りを任せ、本多猪四郎にあたる演出家を用意すればいいだけのこと。
したがって、本作に限らず山崎映画の下手な演出に責めを負うべきは東宝であり、本作の制作総指揮にも名を連ねいまや日本映画界を代表する大プロデューサである市川南氏である、そのように指摘したいと思います。
ゴジラ映画として映画館で見る価値あり
私にはとても魅力的な作品であり、人によって評価が様々であることには少し驚きました。しかし長年のゴジラファンにはタイプの違うゴジラ映画に不満がある場合もあるのでしょうし、特撮映画ファンでない人が評判を聞きつけて観た時に求めるものと違った、と意見が割れたのでしょう。
しかし平均スコアが高いということは概ね高評価とする人が多いのだろうと思います。
私は星5ですが、敢えて難点を指摘しつつ私の感想を述べますね。
①大戸島での敷島
敷島が大戸島でゴジラを攻撃しなかった心情は私には少しわかりにくかったです。見ている立場では早く撃てという気持ち、なすすべなく殺られる惨状は辛いです。もちろん学徒出陣で特段戦闘の経験もない自分が何故命令されるのか…という気持ちはわかりました。小説から紐解くと、あの怪物に攻撃しても反撃されるだけと冷静に考え躊躇した様なので、もっとゴジラの恐怖を強調する演出、敷島の生き残りたいという狡猾なまでの生への執念、クールさがあると良かったのかも…と思います。でも神木隆之介のキャラは小説のキャラよりも優しく、怖くてフリーズした、というチキンな解釈が私にはあってるかなと思います。実際攻撃した兵士達は殺され攻撃しなかった敷島は生き残っているので敷島の判断は正しかったのでしょう。
②自立しようとする典子
なんで唐突に働くなんて!そう思いましたけど、敷島が結婚できないから出ていかねばという決意だのですよね、もどかしい展開です。2年何も無いまま一緒に暮らす不思議は、あるでしょうが、敷島のトラウマを思えば先に進めない敷嶋は、私には理解できます。神木隆之介はガツガツしてないキャラですし、純愛にノスタルジーを感じます。
③小僧
銀座の場面以前に仲間3人が家で飲む場面がありますが、典子は敷島に愛があるけど女とはみなされていない、父役でもない。この場面小僧が、何度も典子にお酒をついでもらおうとする細かい臭い芝居があるんですが、少ない出番の中でキャラ立ちさせるために奮闘していて見ていてクスリとしました。後のゴジラ戦に連れていって下さいよと叫ぶシーンは、本気で参加したいならなんで追いかけて腕を掴んでお願いしないのか、と私は思いました。アラサーではなくもっと幼さが残る人の方が脚本には合っていたのかなとは思いますが、ゴジラの物語に強い印象を残す個性派キャラクターだったので彼で良かったのだろうと思います。時代劇で活躍する彼だから仲間の船を集めてゴジラ戦に参加して一旗挙げたいというキャラとして強い個性の人物が必要だったのでしょう。
仲間の船を集める展開が嫌というコメントも読みましたが、ゴジラは強すぎて総力挙げて戦わないと勝てないという展開なのでしょう。私はスター・ウォーズというよりも、小説のハリーポッターの最終決戦でいろんな種族が集結する場面を想像しました。
かつても、特撮ものではウルトラの父が助けに来る、ゾフィーが助けに来る、戦隊ヒーローで6人目のヒーローが登場するというのはよくあり、特撮ものには強大な敵に立ち向かう時のピンチの時の助けってお決まりの素晴らしきマンネリズムなのではないでしょうか。
④銀座の典子
銀座に行った典子をなんで都合よくゴジラが襲うのか、という指摘をする人がいますが、それは誰でもよかったけどまぁ物語上そうなったという展開は私は特段気になりません。水に落ちたのは銀座なら皇居のお掘り?なのかしらと思いますが、どうやって出てきたの?無理でしょと思うし、出てきても全然濡れてないじゃん!と思うし、あの大都会で都合よく敷島が典子を見つけられる訳ない!と思います。でも、あれは特撮映画です、ウルトラマンや仮面ライダーを見る心で見るんで、襲われたヒロインは窮地を脱したものの、さらなる窮状に陥るもヒーロー登場で助かる、が、そのヒーローをヒロインが身を挺して守る、良いじゃないですか。
ラストの病院で包帯を巻いている姿は、包帯萌、綾波レイかと思いましたよ。庵野監督への敬意かと思います。逆さになった列車から落ちそうな映像はミッション・インポッシブルか、という感じではありましたが、それはまねをしたわけではなく列車を使った演出で残念ながら類似してしまったのだろうと思っています。
⑤典子の生死
典子の首のあざは妖しくどういう事か?と思いましたが、ゴジラ細胞という概念がゴジラシリーズにはあり生命力の強いゴジラ細胞により生き残ったという演出だと、あとから知りました。
敷島を守る時彼だけ突き飛ばすのではなく、一緒にビル陰に倒れ込んで助かって欲しかったですね…典子の葬儀もしているし、あの場で飛ばされたなら怪我した典子を助ける為に敷島は
探し回ると思ったのに、見つからず、生死不明なまま葬儀を出したということなのですよね…
いっそ、ちゃんとお棺に典子が入って葬儀を出したものの、典子とそっくりの典子の記憶のある女性が見つかったという展開のほうがSF的には好きです。
が、監督談話によると、最後に敷島と典子を逢わせてやりたかったという思いから作った結末のようです。
「あれだけお母ちゃんに会いたがったアキコが典子に駆け寄らないのはおかしい」というコメントを読んだことがありますが、あの妖しい典子の姿は敏感なアキコには近寄り難かったでしょうね。
⑥作戦
作戦が現実的でない、についてはSFとか怪獣映画にはあるあるでしょう。戦艦と戦艦が接触する感じですれ違うとか映像がおかしいと私も思いますけど、そもそも、ゴジラ、あんなふうに直立する二足歩行の生き物って猿類以外ないじゃないですか。あり得ない世界観なのでそこは私は気にならなかったのです。
⑦元艦長のお腹
ただ、作戦のトップである元艦長が少しお腹が出てる体型が…気になりました。細かくてすみません。海軍って船に積み込める食料が決まっているので皆さん少量の食事で我慢しとても引き締まってカッコよいのです。今お腹が出てるなんて戦後お金を儲けて飽食しているのかと思うと私は信じられませんでした。政治家や陸軍省の人間とか商人なら構わないのですが、皆からの信頼を集める元艦長ですよ…筋肉質のウェストの締まった人が良かった、そこだけは私の最大の不満です。
⑧ー
【私にとっての満足】
全体に学者がロン毛の天パーとか、あんまり年上への尊重の感じられない掃海のチーム、すごく令和的なのです。昭和の雰囲気を作りながら全体に現代映画なのです。しかし大戸島のシーン、橘の登場場面は殺気立っていてとても良い戦争映画の雰囲気があります。
しかし、原爆のことも、黒い雨についても、特攻隊についても、GHQについても、パンパンについても、東京空襲についても、ほとんど何も語っていません。ゴジラは水爆実験から生まれたのが基本設定ですが、水爆実験は1954年、このゴジラ-1.0は1945〜1947年の話。原爆投下により生まれたものです。しかしそれを語っていません。掃海については説明がありますが、広島県呉市の自衛隊設備てつのくじらに行けば詳しい説明がありますが、、掃海は未だに続いています。時間が長くなるし戦争映画ではないからてしょうが、アメリカや世界でのエンタメ作品として上映を意図して敢えて語らなかった作品と思います。
アメリカでは主人公のPTSDやトラウマに注視しています。もちろん、そういう作品です。
だからこの作品は観る人のバックグラウンド、知識、映画やドラマの好みにより評価は分かれるのでしょう。
私はらんまんの神木隆之介と浜辺美波の二人の取り合わせるムードが大好きで、実際にはそれに先行する形で撮影されていますが、もともと大好きな浜辺美波と千と千尋の神隠しの声優時代から好きな神木隆之介の雰囲気が大好きで百恵友和の様にこれからも二人の組み合わせで沢山作品を観たい思いです。
そしてたとえ駄作だとしてもゴジラ-1.0Part2があれば観たい!
浜辺美波と神木隆之介の典子と敷島に家庭を持ったものの、実子でないアキコの反発とかその後の物語も観たいのです…
次は ±0.0 ?
うーん…?
日本が誇る怪獣映画で何番煎じ?の本作だが、
一番ゴジラに迫力があり、ゴジラがとても恐ろしい怪獣であるということをすごく感じた作品であった。
ゴジラに踏み潰されたり、噛まれて捨てられたりするといった、
生々しい映像が多く、船からの近距離攻撃や、銀座で大暴れする場面は、シン・ゴジラよりもとても恐怖を煽っていて興奮した。
終戦後の日本であることについては、
個々の登場人物の心情をうまく絡みあわせていたと思う。
ただ、最初から終盤まで敷島のトラウマの描写がくどく感じたり、
水島と秋津、橘にかかわるストーリーなど、
次の展開への露骨すぎる描写が多く、
自分の感性に合わず、みていて疲れてしまった。
ゴジラの表現が良かっただけに、
ヒューマンドラマで合わなかったのはとても残念だった
映像は評価できるが
VFXはさすがで評価できる。
銀座で破壊シーンお見事。
ストーリーと人物描写はチープ。
ラストのゴジラとのバトルシーンも、後ろから追いかけてくるゴジラが作りものみたいでしょぼく見えた。
飛行機がゴジラの口に突っ込んで爆破するシーンとかも迫力不足。
怒涛の大迫力さが足りない。
シン・ウルトラマンとかもそうだったが、特撮に拘ってる分、アクションはどうしても日本映画の域を超えられずといった感じ。
前日にベン・ハー(2016)観てたので、ベン・ハーの方が怒涛のアクションでした。
ストーリーや設定は、戦後の貧弱な日本という事で全て貧弱でした。
たまたま、伝説の戦闘機が隠されていたというご都合主義で、相変わらず特攻をテーマにしたり古めかしさを感じた。
今回は序章ぽかったので、次回ではもっと激しいバトルシーンに期待。
ゴジラ誕生の意味とかをもっと深堀りしてほしいですね。
やはり日本映画はやめた
ゴジラ版朝ドラ
ブラック企業の経営陣とその取り巻きが沈黙した後の物語
もうみなさん語り尽くされていると思うので、自分が感じた気になった点のみだけ少ないですが書きます。
ゴジラ対策の有志のトップが雪風の艦長であるということで、圧倒的に不利だと思える絶望的な物語(結局ゴジラを倒すのは分かってはいるけど)から一転、どんな奇跡を見せてくれるのかと涙が溢れんばかりに期待する気持ちで心がいっぱいになった。
掃海艇仲間の若い人が乗船を先輩に拒否されているシーンに涙。大人ってこうあるべきとか思ってしまう。似たような話でNHK大河真田丸のスピンオフドラマで大阪の夏陣前夜に同じように若い人がお前は逃げろと言われていたのを思い出した。なおかつ、そのドラマと違い、その後彼なりに役に立つ(しかもかなり決定的に!)ことにめちゃくちゃ興奮した。
終戦前後の日本の戦争物の映画というジャンルで語るのを許されるのなら、前述したようなパートの蓄積のあと、震電で主人公が脱出したシーンがトドメになり、これまでそのジャンルの映画を見た後の様な変に忸怩たる気持ちになることなく実に爽快なものになった。素晴らしいと心から思った。大袈裟に言えば、何か呪いから解放されたような、そんな気分になった。
監督がシン・ゴジラと真逆にするとかしないとかそんなコメントを報道で読んだけど、最後のシーンの痣が浮き上がるところとかは、唯一のシン・ゴジラに似た点で無くてよかったと思う。
以上
初代と並ぶ傑作。てか今観る映画としては初代より凄い
まず脚本が百点満点
そらたしかにご都合主義面も鼻にはつくが(パニック下の銀座でヒロインと偶然出会えるとか)、これだけ要素満載の物語をまとめ切った力量は疑うべくもない
さらに編集・演出とも最高レベル。伊福部昭音楽の使い方は涙物
――とまあ難癖のつけようのない映画
当方は初代ゴジラを観ると毎回最後の自己犠牲シーンで泣いてしまう。好きな女のために身を引いて死に赴くヒロイズムに。本作の主人公造形も、あれと匹敵する潔い清さがあって泣ける。初代ヒロインは50年代モンスター映画ヒロイン丸出しの弱い女でただの書き割りだが、本作ヒロインははるかに現代的な性格造形。登場人物全ての造形・それぞれの活躍や課題解決まで考えると、「今観る映画」としては初代を超えている傑作。特に「未来は任せた」と死地から降ろされた若手が助けに来るところとか、最高の脚本。
唯一、欠点を挙げるとするなら主役が大根役者なこと。他の主要人物は皆いい演技をしているので、主役の下手さが際立つ。いや頑張って演技してるのはわかる。自分なりに絶望や呆然、突き上げてくる激怒や激情を解釈して表現しようとしている真面目さや努力は感じる。
ただこの役、演じるのは難しい。力量の必要な。本作主役はなんというか、精々が「ぎり許せる」くらいの下手さ。特に冒頭は酷い。下手さにこちらも慣れてくるので後半はそれほど気にはならなくなってくるが。役者は頑張っているが力量が足りない。
いや客呼べるイケメンを主役に置くのはわかるけどさ、せめてもっとうまい役者にしろよ。なんなら子役の赤ちゃんより下手なのはどういうことかと。。。(というか子役のいい瞬間の切り取り方、作り手がうまいのもある)
★以下、ネタバレあり
考察:あのゴジラ放射の中、典子が生き残ってたの、鑑賞直後は「ご都合主義だけど、ストーリーの着地点としては最高だった」と考えていた。いやつまり流れとしては、「典子死す」>「敷島、ゴジラ絶対倒すマンになる」>「命を賭して特攻に離陸」>「だが実は典子は生きていたのでは(澄子姉さんに電報届く描写はあからさまにそれ)」>「ならそれを知らず敷島が特攻する、すれ違い悲劇設定か」
からの
「橘の許しで敷島、脱出装置を使う」>「電報を知った敷島が病院で典子に再会」>ベタだけどハッピーエンド
みたいな。脱出装置を付けてたのは、その前の無音会話シーンで見え見えな伏線だったし。
でもさ、次第にじわじわ思うようになったんだが、「ならなんで最後、病院に駆けつけた敷島相手に典子は一言も発せず、じっと敷島を見ていただけなのか」「なんで典子の首に謎の黒痣があったのか」が気になるようになってきた。だってゴジラ放射で怪我した描写なら、顔がきれいなのに首だけ黒痣があるの変だし、そもそも包帯であちこち覆われてるんだから、描写としてはそれだけでいいよな。
つまりあの黒痣には、それ以上の意味があるんじゃないか――と思ってきたわけよ。
以下妄想に近い考察だけど、あれシンゴジラ的な「ゴジラ細胞」が埋め込まれてるんじゃないかと。だからこそあの大放射で生き残れたのではないかと。続編がもしあるなら、ゴジラ細胞で人外になりつつある典子を救うため、敷島がゴジラの体から免疫的ななにかを奪いに行く展開になるのでは――。とかね。皆様、あれ、どうお考えでしょうか。
いやー、ネタ考察って面白いっすなー。
もう、好きか嫌いかの表現で良くない?
ご安心ください、ハッピーエンドです(^^)
映画館で初めてゴジラを観ました。
しかも、轟音です。
ゴジラって破壊王なんだろうけど、
終わってみたら何だかハッピーエンドなんだ。
まるでディズニー映画のように幾重にも幾重にも皆んながハッピーに見えるから良かった良かったに思えるけど、
あの破壊された街やなくなった人達が見えてこないのが怖い。
そこが、ゴジラ−1.0なんだろう!
しかし、爆死したはずのゴジラは、
それがしかも、
何と再生ではなく、復活するのだから怖い!
しかもしかも、
あの細胞からして複数個体が復活するとしたら?
ゴジラ➕2でなはないか?
ハッピーエンドで安心できません。
(^O^)
轟音 ゴジラ−1.0
日本が生んだ特撮怪獣映画の金字塔「ゴジラ」の生誕70周年記念作品で、日本で製作された実写のゴジラ映画としては通算30作目。
「ALWAYS 三丁目の夕日」シリーズをはじめ「永遠の0」「寄生獣」など数々の話題作を生み出してきたヒットメーカーの山崎貴が監督・脚本・VFXを手がけた。
タイトルの「−1.0」の読みは「マイナスワン」。
舞台は戦後の日本。
戦争によって焦土と化し、なにもかもを失い文字通り「無(ゼロ)」になったこの国に、追い打ちをかけるように突如ゴジラが出現する。
ゴジラはその圧倒的な力で日本を「負(マイナス)」へと叩き落とす。
戦争を生き延びた名もなき人々は、ゴジラに対して生きて抗う術を探っていく。
主演を神木隆之介、ヒロイン役を浜辺美波が務め、
2023年4~9月に放送されたNHK連続テレビ小説「らんまん」でも夫婦役を演じて話題を集めた2人が共演。
戦争から生還するも両親を失った主人公の敷島浩一を神木、焼け野原の戦後日本をひとり強く生きるなかで敷島と出会う大石典子を浜辺が演じる。
そのほか山田裕貴、青木崇高、吉岡秀隆、安藤サクラ、 佐々木蔵之介と実力派豪華キャストが共演。
許せない展開の連続
全体的には良い映画だと思うが、ゴジラ映画ではなくご都合主義展開が好きな方にはオススメできる。
1.展開が読みやすい
主人公がカミカゼから逃げた生き残りで、序盤で最後の展開が読めてしまった。
2.主人公が自分の意志ではなく、作者か、世論の意思で動かされた瞬間がある。
この主人公は戦争のPTSDと特攻から逃げてしまった自分を責め続けていた。そして、自分の戦争はまだ終わっていないとも言っていた。これはPTSDの克服や逃げてしまった自分との折り合いをつける為ではなく、ゴジラ出現に対し、今度こそ国の為、人の為に特攻し貢献をする為の言葉だった。
だが、最後の特攻が主人公の思考ではなく、2023年の映画としての思考が入り、ご都合主義として脱出装置を用意され、生存した。戦艦に乗っていた全員が敬礼をしていたが本来は特攻し、自身の役割を遂げ死亡した主人公に対し敬礼する。という展開だったが、差し替えられたレベルで違和感があった。
そんな生き残りたくないだろ、そんなムーブしないだろ。という展開になっていた。
3 .何故か奥さんが生き残っている。
ご都合主義展開の王道を行く展開だった。
死亡したと思われる人物が生きていた。
しかし、映画を見た人はわかると思うが、あの状況で生き残れるはずがないというのは誰よりも視聴者がわかると思う。
死亡したからこそ、主人公は特攻しようという最後の後押しになったのに、前提を台無しにする最後だった。
4.ゴジラのチープ感
まず、ゴジラの顔かわいくなってるんですよ。
低予算なのか分からないが…。音響のおかげで怖さを演出していた。ゴジラビーム?ゴジラ砲の発射の仕方が兵器感強すぎて生物感を消していた。なんで演出を足してしまうのか…。
ここまで書きましたが映画としては満足しています。期待しすぎて見ないほうがいいという事です。
全2023件中、641~660件目を表示