「きけ、わだつみの雄叫びを」ゴジラ-1.0 かなり悪いオヤジさんの映画レビュー(感想・評価)
きけ、わだつみの雄叫びを
本作におけるVFXが評価されアカデミー視覚効果賞を受賞した山崎貴と、『オッペンハイマー』ではじめてCGを使ってアカデミー主要7部門を独占したクリストファー・ノーランが対談していたが、なかなかエスプリの効いた組み合わせである。『Always三丁目の夕日』でも高度成長期の昭和をお得意のCGで見事に再現させて見せた山崎監督だけに、米軍の空襲により焦土と化した戦後まもない東京の姿は実にリアルなのである。
特攻の生き残りとして東京に戻った敷島(神木隆之介)は、そこで血のつながってない赤子を抱いた典子(浜辺美波)という女性と出会う。銀座の街もようやく活況を取り戻し、敷島ら3人の疑似親子生活も安定し始めたちょうどその頃、特攻機を不時着させた島で遭遇した怪物がさらに巨大化した姿となって東京に上陸。ゴジラの放った強烈な熱線により典子と生き別れた敷島は、不死身の巨大生物ゴジラへの復讐を誓うのだったが....
庵野秀明監督の『シン・ゴジラ』は、“ゴジラ”をまさに福島原発のメタファーとして描いていたが、山崎貴監督の“ゴジラ”はもっとエモーショナルな存在として登場する。嘘をついて特攻を回避した敷島は不時着した島でゴジラに襲われるが、運命の悪戯かまたもや生き残ってしまうのだ。その疚しさをして敷島に「俺の戦争がまだ終わっていない」と言わしめたのではないか。日露海戦で沈没を免れた軍艦と同じ名字(敷島)である点に我々は留意しなければならない。
戦後、海底から突如として日本に現れ上陸するゴジラとは一体何だったのだろう。GHQのメタファーかって?いやいやそうではないだろう。むしろその逆で、祖国日本のために勝てないと分かってながら太平洋戦争で命を落とした英霊たちの化身ではなかったのだろうか。死んでも死にきれなかった英霊たちの魂がゴジラを三度祖国に招き寄せたのではないだろうか。“生”の尊さを今一度日本人に思い出させるために。ゴジラ撃退作戦が“わだつみ”と名付けられ、海底に沈んでいくゴジラに元海軍の生き残りたちが最敬礼をした理由も、おそらくそこにあるのである。
これで、原発事故と敗戦という日本が経験した2大リアルを、ゴジラというSF世界のモンスターに結びつけた映画がともに成功したわけで、ノーラン監督の『オッペンハイマー』のように、今後しばらくは史実に基づいた映画作りが増えていくのではないだろうか。ミハイル・ハネケは、現実世界がより茶番化、劇場化していくことに危機感を募らせていたが、YouTubeがフィクション化して👍️を稼ごうとするならば、映画は逆によりリアルにリンクしていけばいいのである。