「凄く面白かった!……それだけに-1.0点!!」ゴジラ-1.0 ティティシーさんの映画レビュー(感想・評価)
凄く面白かった!……それだけに-1.0点!!
ゴジラシリーズ9割方観賞済み。
山崎貴監督作も8割方観賞済み。
好きな山崎監督作は『バラッド』と『ヤマト』
本作も予告発表以来公開を楽しみに待ちつつ、公開初日に観賞。
結果ドハマりし、現在までモノクロ版含め6回観賞しました。
それほどまでに本作は面白く魅力的であり、それは興収と海外公開での高評価が証明していると言えるでしょう。
第二次大戦敗戦直後の日本にゴジラが現れ、元特攻隊の主人公が、なけなしの戦力や船や幻の飛行機を駆使してこれに立ち向かうと言うアイディアを、2020年代のVFX技術を駆使し、キャスト陣の熱演と共に大迫力の映像化を成し遂げたことは、ただもう素晴らしかったとしか言いようがなく、間違いなく全ゴジラシリーズの中でも5指に入る傑作と言って間違いありません。
中でも、独創性と説得力と時代設定と映像栄えと主役の活躍という条件を全て満たした『海神作戦』は見事としか言いようがありません。
……しかしながら、一部の方々の本作の感想でも散見されるように、VFXを駆使したゴジラや艦船パートに比して、キャラのみで繰り広げられるドラマパートに対し見過ごせないレベルの引っかかりを覚えたこともまた、他が素晴らしかったがゆえに気になるのも事実です。
セリフや演技が大仰で棒読みとの意見も散見されますが、自分的にはキャスト陣の他作品での功績を鑑みるに、ドラマパートの演出や脚本に要因がある気がしております。
中でも特に自分が気になったのは二点。
◆〈敷島のキャラ造形と特攻に対するスタンス〉
◆〈ゴジラ銀座襲撃前の一晩〉
……です。
まず◆〈敷島の特攻に対するスタンスとキャラ造形〉についてですが、映画冒頭でゼロ戦から降りた敷島の橘との会話などの様子を見る限り、彼は極めて冷静で自覚的・確信犯的に“特攻”を拒否し、大戸島に降り立ったものと受け取れます(少なくとも自分には)。
あの滑走路に爆装したままのゼロ戦ですんなり降りたてたことからもそれは伺えます。
ということは同時に敷島という人物が、あの時代にしてはとても先進的な価値観の元、冷静かつ打算的な判断力を持って、仲間と共に挑んであろう特攻より生を選び、その結果を覚悟して行動している人物というような印象を受けます。
……この敷島のキャラ造形が自分には納得がいかなかったというか、そういうキャラにした脚本上の利点が見えない判断であったように自分には思えてならないのです。
もしも冷静に確信犯的に特攻を拒否するような人間ならば、後の呉爾羅に大戸島守備隊が襲われた際にゼロ戦の機銃を撃てなかった理由が『恐怖のあまり撃てなかった』から『撃ったら呉爾羅を怒らせて自分が死ぬから』ではなかったのか? という疑念が芽生えてしまいます。
特攻を冷静にボイコットできる男なのですから、その判断はあり得る話ですし、怖かったのと生き残る為の両方で撃たなかったのもありえるでしょう。
実際、敷島は呉爾羅襲撃後の夜明けに、大戸島守備隊の亡骸を前にしてもただ茫然とするだけで、撃たなかった(無駄であったとしても)ことで死んだ者への謝罪の一言もありませんでした。
自分はこれらの映画冒頭の描写から、敷島は生きる為にそういう冷静な判断ができる人間と認識したのです。
仮にその通りであったとして、あの時代あの社会あの年代でその決心に至るには、それなりのバックボーンというか理由の描写が必要な気がしますが、映画を見る限り、それは母から生きて帰えれ云々(その内容で当時検閲は通るのかな?)という内容の手紙を受け取ったから……という描写に僅かに特攻拒否の理由が伺えるのみで、実際のところは明確ではありません。
とはいえ、敷島がもし母からの手紙で特攻をボイコットしたならば、終戦後に東京の実家に帰還し、両親が死亡していることを知った際のリアクションは、もっと激しいものであるべきだと感じてしまいます。
母と父と生きて再会する為に、社会全体が後押しし、仲間と共に挑んだ特攻をボイコットした意義が無くなったのですから……。
しかし母の手紙と両親の死へのリアクションは描写こそされたものの、そこまで激しいとは言えないものでした。
そこから話は進み、敷島はノリコとアキコと出会い暮らしていくわけですが……。
ここでの敷島は、あのボロ屋内に赤ん坊のアキコがいるにも関わらず、一度ならず大声でノリコと口論したりしています。
普通のドラマでは、赤ん坊が泣きだすシチュエーションです。
その口論に乗るノリコも大概ですが、ここでの敷島は感情の抑えが利かない人間に見えます。
さらに掃海艇では口を滑らせた小僧に『それ本気で言ってるのか?』と凄み……。
また敷島家の新築祝いの席では、アキコには「お前のとうちゃんじゃないぞ」と言い‥‥‥ノリコとの関係を揶揄した小僧に対し『黙れ!』と凄みます。
(ついでに『海神作戦』説明回での「それで絶対にゴジラを殺せるんですか!?」発言も)
これらは敷島の態度は、PTSDとサバイバーズギルドの描写として評価が高いようですが、特にPTSDとサバイバーズギルドに関する事前知識を持っておたず、作中でそれらの症状がなんたるかの説明が特にない状態で見た自分からしてみれば、敷島は控えめに言っても嫌なヤツという印象を受けます。
またPTSDでサバイバーズギルドあったとしても、敷島が自身の憤りをぶつけたノリコやアキコや掃海艇の面々は、敗戦後の焼け野原の東京で敷島と同等のPTSDとサバイバーズギルドたりえる経験をした人間達であり、敷島だけが溜め込んだ心の傷を吐きだして良いわけでないと感じました。
それに本作での敷島のPTSDは、描写を見る限りではあくまでゴジラ由来であり、戦争が原因とは言い難くあります。
‥‥‥と同時に、戦後のこれらの感情のコントロールが出来ていない敷島の描写は、前述した冒頭の大戸島での敷島の描写で自分が感じたような、この時代で特攻を確信犯的に拒否するだけの冷静さを持つ人間とは、齟齬があるということになります。
そもそも自分が勝手に抱いた敷島のイメージですし、人間とは多面的なものですし、変化もするものなのですが……自分が猛烈な違和感を覚えたのもまた事実です。
それはキャラに一貫性や整合性が無いとも言えるのですから‥‥‥。
なかでも、〈海神作戦〉説明会後の掃海艇メンバーとの居魚屋シーンで、敷島が艇長に言った「俺の戦争がまだ終わって無い」というセリフは、名演ではありましたがその内容には大いに違和感を覚えます。
確信犯的に特攻を拒否した時点で、戦争は敷島自ら終わらせているのですから。
それに、敷島のPTSDは作中描写を見る限りはゴジラが原因であり、戦争ではありません。
戦争のPTSDとゴジラのPTSDとを、意図的か偶発的か分かりませんが、ごっちゃに描いてそう見た者に受け取られるのは、あまり良い事では無い気がします。
そしてこれらの敷島という人物の違和感や齟齬をふくめた描写が、本作を面白くすることには特に寄与してはいないと感じたのです。
……というより、作中の吉岡秀隆さん演じるガクシャの言葉を借りるならば〈最適解〉ではなかったのではないか? と思うのです。
自分なりの結論から言えば……。
“敷島は確信犯的ではなく、単に死の恐怖により思わず特攻から逃げてきた人間にすべきだったんじゃね?”
と思えてならないのです。
特攻の為に離陸はしたものの、土壇場で死の恐怖から大戸島に逃げ込んだ敷島が、それを激しく後悔する中で呉爾羅と遭遇、やはり恐怖で機銃を撃てずに生き残り‥‥‥。
恐怖ゆえに特攻しなかった後悔とPTSDとサバイバーズギルドを抱えながらも、アキコとノリコと出会い、共に暮らすことで症状が癒されていく中、ゴジラと再び遭遇し、銀座でノリコを失ったことで、今度こそ特攻で自分の死をもってしてゴジラを殺そうと思った人間にした方が、余計な引っかかりもなく共感できると主人公足り得ると自分は思ったのです。
このキャラ造形ならば、戦後アキコとノリコと出会って以降の敷島の数々のPTSD関連の描写も、仕方がないと納得がいきます。
また、特攻するつもりはあっても恐怖で逃げたというこの設定でいけば、敷島の「俺の戦争はまだ終わって無い」発言も納得できます。
するつもりはあっても出来なかった特攻をやり遂げることで、自分の戦争が終わると思うのならば筋が通っているからです。
また『ゴジラ-1.0』の根幹的テーマが「生きて抗え」ならば、最初から〈特攻拒否して生きる〉を選択した人間が、クライマックスでやはり〈特攻せずに生きる〉を選ぶ話よりも‥‥‥。
恐怖から特攻できず、ずっと特攻すべきだった=〈死ぬべきだった〉と思っている人間が、戦後のノリコとアキコと澄子や掃海艇の面々との出会いから、クライマックスの土壇場で(生きる)を選んだ方がカタルシスがある気がするのです。
そしてもう一つの◆〈ゴジラ銀座襲撃前の一晩〉で気になった点についてはシンプルです。
掃海艇VSゴジラの後、ゴジラが東京に向かっていると把握しているにも関わらず、東京に帰宅しても、住民はもちろんノリコとアキコに避難を呼びかけるどころか一晩過ごしてノリコを仕事に行かせて(その結果失って)しまうのは、違和感どころではない物語進行に思えます。
ノリコとの一晩のドラマをたっぷりと描きたかったのならば、ゴジラとの遭遇直前の掃海艇でのクルーとの『また東京を火の海にしたくない』云々や、ゴジラ遭遇後、横須賀病院での政府批判を交えた『東京の住民を避難させましょう』の会話を無くした方が良かったのでは? と思えてならないのです。
これらの会話で〈東京〉と限定するのではなく〈関東の太平洋沿岸部〉にゴジラが向かっている程度に情報をボカしておいた方が良かった気がしてありません。
(自分的には件のノリコと敷島の会話は、掃海艇VSゴジラの直前に終わらせることで解決したいところですが)
その他‥‥‥。
◆澄子初登場時、アメリカをすっ飛ばしていきなり敷島に怒りをぶつけたこと。
◆掃海艇で呉爾羅について敷島が語った時、海中で暴れている巨大生物が陸上でも動けて大戸島守備隊を壊滅させたことに驚かない海神丸クルー。
◆掃海艇VSゴジラでの一度目の機雷爆発後、初めてゴジラの顔を真正面から間近で見ても、特にリアクションが無い敷島ふくむ海神丸クルー。
◆敷島は映画前半でノリコとアキコによってPTSDから救われてゆく描写をもっと増やした方が、銀座での悲劇がより際立ったのでは?
◆〈海神作戦〉説明会での敷島の『それで絶対にゴジラを殺せるんですか!?』発言は「そうです」と答えられた場合は敷島はどうするつもりだったのか?
そのセリフはモブに言わせて敷島が『黙れ!』と制した方が良かったのでは?
……などなど細々と重箱の隅的に気になるところはありますが、最も気になったのは前述した二点です。
すでに特大のヒットとなり、スタッフ・キャスト人が暗中模索の中ゼロから生み出した作品に対し、後から完成品を見ただけの素人が好き放題に言うのは短絡的な行いですが、これがこの映画初見時に覚えた違和感を、6回目まで見た中でまとめた末の自分の感想です。
数多ある感想の中で、一つくらいこんな感想があり、ほんの僅かでも何がしかの形で今後の映画業界に寄与することを願います。