「期待や想像通りの展開をしてくれるバランス感覚の鬼」ゴジラ-1.0 さささんの映画レビュー(感想・評価)
期待や想像通りの展開をしてくれるバランス感覚の鬼
ゴジラや怪獣映画作品ジャンルに疎いため、そういった着眼点はまったく分かりません。
個人的に好みの要素も、好みでない要素も、両方含んだ作品だった。
基本的には好ましいことだらけなのだが、まず序盤でゴジラの被害に遭われた方々が、噛まれてもちぎられることはなく綺麗に皆投げ飛ばされていて人体の姿を留めていたので、早々に「なるほど!これは公開先を最初から見据えた配慮をしてるのかな!」と伝わり、最初の時点でそういった配慮が前提とされているとわかる事で、以降の作中の雑念が1つ減ってとても良かった。
当作品に限らず、作品において「ん?なんかソレおかしいな?」みたいなものは鑑賞中の雑念となってしまうので、そういった物は設定や脚本で最初からほとんど無いか、演出で排除されてるか、あるいは早い段階で「そういうものだからさ」とできるだけ潰してあると、その後がとてもクリアに見られて良いと思っている。すごく助かる。
人間ドラマ部分は、予想通り良い、という感想。
予想を裏切らないので、ある程度気を抜いて見ていても予想通りのことをしてくれるので、上映中に常に気を張って見ていなくても良いくらいのバランス。
また、気を張って見るシーンと気を張らずに見られるシーンがミルフィーユ状だとそれはそれで気を抜けなくて疲れてしまうが、今作はだいぶブロック毎に別れているので、安心して緊張を解くことが出来た。
またその要素を中心に見たい人にも期待通りの感動が得られるので、良いバランスなんではないかと思う。
ただ、情報をこぼさないように皿のように見ていなかった部分があるため、もしかして見落とした情報があるかもしれないので、それは一長一短。
細かくは色々あったが、例えば上陸したゴジラの動きがあまり前傾姿勢にならず、スッと背を伸ばした状態でずっと動いていたので、陸上は縄張りの外であり、背筋を伸ばして遠くまで見通すことで外敵に注意をしているということなのだろうか?という疑問が湧いた。
考えてみれば、ゴジラの生態がほとんど分からないにも関わらず、作戦の肝となる部分でゴジラの縄張り意識を前提としていた。
縄張りを持つ生態をしている、という何か情報があったのを、見落としてしまったようだ。縄張りを主張する匂い付けだったりのような描写があったろうか。海中を東京に向かってきているという話の時に、固定のルートを巡回していて恐らくそこが縄張りである、といった話をしていただろうか。ぼんやりしていた部分かもしれない。さっぱり記憶にない……。
前に海で遭遇した際に執拗に追いかけてきたことだろうか?だとしたら、あの時主人公の乗る船が逃れられた理由は、縄張りから外に出たからだったっけか。シーンとしての最後は船は止まってたような記憶なのだが、うろ覚えだ。
あるいは、冒頭も配慮はありそうだが、襲って噛み付いた人間を全部高く放り飛ばしたが、獲物を弱らせたあとに捕食する行動かと思いきやそのまま放置したっぽかったので、捕食目的でない場合は縄張り主張目的だろう、みたいな判断で縄張りをもつ生き物だとしていただろうか。
そういったいくつかは、ぼんやり見てしまっていた部分で見落とした要素のような気がする。
水爆実験によるゴジラ被爆の描写も、ゴジラという生き物を取り巻く状況が一変しそのあと上陸にまで至る大きなきっかけであろう割にはびっくりするほど短い描写だったので、細かい物語設定の裏付け描写は本当に画面端に一瞬とかだったのかもしれない。
その辺の取りこぼした部分はあったが、人間ドラマは想像通りのものがきちんとお出しされ、展開も裏切ることなくまっとうにストレートなものが描かれ、かつゴジラの恐怖は、災害と感じるレベルの恐怖を植え付け、しかし絶望とまでは行かないので何か対抗策を生んで倒すことは可能かもな、くらいに感じるという、とてもまとまりのよいバランスだったように感じた。
すごいバランス感覚なんだと思う。楽しかった。
追加で、これまで「なんでゴジラ、足のつかないだろう海深のところで直立姿勢になってるんだろう」という個人的な素朴な疑問に対し
「浮いてるんなら沈むだろう」
という解が与えられて、喜んでしまった。
なんで直立姿勢で浮くんだ、という疑問についてはまるで解決していないが。
その上で、個人的にどうもひっかかってしまい好かない要素があった。
どうしてもゴジラが主役ではなく、群像劇でもなく、一人の人間が主役の物語のため、主人公のための舞台装置が多くなってしまっている印象だった。
主人公のための展開、主人公のための登場人物、主人公のための舞台、なにより、主人公のための多くの人の死。
海上や銀座。主人公(たち)以外にも、全体から見たら少数かもしれないが、偶然その場を生きのびた人々はそれなりに居るだろう。偶然の生という奇跡は、主人公以外にも万人に降り注ぐはずのものである。
しかしそういった主人公たち以外の人達の生は一切描かれず、死のみが描かれた。この差は「主人公以外に与えられた奇跡は、余計な情報」だから描いていないのだろうと思う。
そして奇跡の生を余計な情報たらしめるのは「これは主人公の物語だから」であり、つまり主人公の物語における奇跡を作るための舞台装置としてモブの死がある、という構造なので、そういった構造の物語や展開、演出、要素に気持ちがどうもひっかかってしまうようだ。
自分は、「主人公の物語」ではなく、「物語という世界の中を生きている主人公」という描きかたの方が好ましいのだと自覚した。
今まで薄らとしか自覚していなかったので、割とハッキリ感じるキッカケとなる作品でもあった。
あとは細かい事として、被爆については、ゴジラというファンタジーだからそこはなんかゴジラが分解も同時に行うみたいな、なんかいい感じなことがあるんじゃないか、という認識。
放射線や爆発による拡散なんかを扱う以上、放出されたそれどうすんの?はついて回る問題だと思うので、それ踏まえた物語を描くか、ファンタジーで処理するかの2択しかない気がする。