「ゴジラ映画として適当に作っているとしか思えない。」ゴジラ-1.0 えい六さんの映画レビュー(感想・評価)
ゴジラ映画として適当に作っているとしか思えない。
総合60点位、
ゴジラマイナス1のネタバレ有りレビューです。
ネタバレされたく無い方は読まない事をお勧めします。
では始めます。
大まかなストーリーラインは俺の好みで大好きです。
ゴジラを題材にしつつ反戦を主題のテーマにすえ、主人公である敷島の戦争を終わらせ、戦後を踏み出す為の物語として作られただろう本作。
ストーリーラインのおおまかな流れやワダツミ作戦。
戦艦高雄や響と雪風に震電まで使うのは俺好みで好きです。
ゴジラを深海にまでガスボンベで落とし一気に浮上させ倒す。
あの世界の当時の日本として、ゴジラを倒しうる最高の作戦を立案できてる。
ここまでの発想力やドラマの流れは最高に大好きだ。
推定二万トンのゴジラを海底に落とし引き上げる。
特撮としての戦い方として、当時の日本でやれそうな作戦として壮大で面白く最高だ。大好きだ!!
ストーリーは決して悪く無い。
だが、圧倒的にゴジラ作品として細部に詰めが甘かった。
それはゴジラ特撮映画好きからしたら、適当に作ったように映る程に…。
ドラマ部分と特撮部分に分けて解説していこう。
先ずは特撮部分。
ゴジラの説明画像の圧倒的な少なさ…。
これはいただけない。
ゴジラが泳いでいるシーンを俺は見れて無いんだ…。
俺は見落としてしまった?
ゴジラはどうやって泳いだ?
シッポを横にくねらせて?それとも縦にくねらせて?
後ろ足と前足の位置は?動かしてた?畳んでた?
ワニのように?イグアナのように?
足のつかない海面ではどうやって体を維持してた。
ワダツミ作戦の時、ゴジラのどの部分にワイヤーとガスボンベはどう巻きついた?
海中へと落ちるシーンはどう落ちた?もがいた?暴れた?
引き上げる時のゴジラは頭が上?下?
俺にはそこがまるで分からなかった。
他のゴジラ映画でも泳いでるシーンは殆ど無かっただろ?と言われるかもしれないが、本作は海上でのワダツミ作戦がメインの作戦となる。そこらの画をおざなりにしてはいけない。
何もゴジラをもっと映せと言っているわけではない。
ワンカット3~5秒程の説明画を要所要所に細かく入れておけば分かるものの…。
細かいゴジラの画が全然足りてなさ過ぎて、ゴジラの実在感まで無くなって薄っぺらい存在になってしまった。
山崎貴監督はドラマは作れるが、特撮映画を撮る為の妄想力と想像力と特撮脳が足り無いと断言出来る。
それを如実に表していたのが。
ワダツミ作戦でゴジラが海底へと沈み着底する瞬間で見てとれる。
ゴジラを直立不動のままで海底に着底させてどうするのっ!?
それまでゴジラは海の中を沈みゆくのに何もせず直立不動のままただジッとしていたの?
ゴジラに演技させる事も出来ない想像力と特撮脳では、ゴジラの存在感は薄れるばかりだ。
他にもゴジラを誘導する為の重要な飛行機だろうに1機しか飛ばさなかったり、ワイヤーとガスボンベでゴジラを沈めるのに、体格と全長を考えたら底引き網状にした方が良くはないか?とか。
どうも、ワダツミ作戦に現実感と人々の真剣さ必死さを持たせ、特撮として見せる事が出来てなかったように感じた。
特撮映画って誇大妄想レベルの大ウソを、真実味や、リアルさ、ソレッぽさ、で虚飾して現実感を出す映画だと思う。
その為には怪物側の演技も演出も必要だし、作戦を遂行する側の真剣さ、そこに生きる必死さが、現実感を一つ一つ作っていくんだと思うのよ。
その真剣さと必死さが映画全体からイマイチ感じられない。
これもこの映画にのめり込めないマイナス要素になってる。
ゴジラを誘導する大事な任務を敷島の震電1機のみに任せるのはどうなんだ?
その1機が潰されたらワダツミ作戦自体が台無しだろ?
震電を更に2機飛ばしても良いし、事実を重視するならそれがゼロ戦でも良いし、ゼロ戦もない設定ならセスナでも良い。
ただ1機だけに任せる作戦では絶対に無いはずだ。
ゴジラを海底から引き上げるシーンでもそう。
タグボートの数を何艘も集めてあっても、その小さな船体ではどこか真剣さ特撮として壮大さにかけチープにしか見えない。
特撮でウソをつく時は大きく大胆にされど繊細に丁寧につくのだ。
小型のタグボートで数を集めるより、さらに戦艦なり、なんなら冒頭部の兵員輸送船なりを数隻集めてきても良かったのでは?
更に言うならば、この時にワダツミ作戦をもう1回しかけ、ゴジラをさらに海底へと叩き落として船を連結してゴジラを引き上げた方が特撮としては見応えがあったし、最後の特攻でゴジラを倒せたのに説得力にも繋がっただろう。
彼らは本当にゴジラを倒したいと思って、最善の行動しているのか?
そう疑問に思えてくる部分がドラマ部分でも見てとれる。
では次にドラマ部分の解説。
やたら気になったシーンが…。
ワダツミ作戦の前に艇長の秋津と学者が、見習の水島を置いてゆくと告げるシーン。
水島はその場に立ち止まり「何でですか!?なんで連れていってくれないんですか!?」と
大声で質問するシーン。
演技として、あれが最良なの?
秋津と学者のセリフ回しはあまりに古臭いし。
水島は独自に行動し数多のタグボートを従え駆けつける程の男なんだろ?
だったらあの立ち止まってただ大声で質問するシーンで良かったの?
二人に追い縋るような必死さも真剣さも無いのに、あんな大胆な行動が独自に本当に出来るのか?
人物像と行動がどうもチグハグに見えるシーンだ。
次に敷島が震電の整備を橘に任せたいシーン。
整備の橘が見つからず、震電の整備が一向に進まない。
それを見た学者が「整備員は他にもいます」と敷島を説得しようとするのに、敷島は橘にこだわりこれを断固拒否する。
行動の整合性を加味するならば、敷島はゴジラを倒す事よりも…。
ゴジラへと特攻し自らの戦争を終わらせたいのだろう。
その為の爆弾を積ませる為に、自らを憎んでいるだろう橘に固執した。他の整備員では罪悪感に苛まれるからだろう。
それは分かるし敷島からしたら、特攻するただこの一点での最善手なんだろう。
だが、その前段階の悪辣な手紙でおびき寄せる下り含め必要か?
ゴジラが憎くて自らは不甲斐なく悔しくて仕方ないんではないの?
橘に固執し過ぎて、震電を整備出来ないままゴジラが来たら意味が無いだろ?
更に言えば、震電の整備員を橘ふくむ3人しか揃える事が出来なかったのは演出としてどうなの?
ゴジラがいつ来るか分からないから急いでるんだよね?
他に整備員はいるんだよね?なんなのこのチグハグさ。
敷島のエゴのみが全面に出され、私はあのシーンはまったく共感出来ない。
で、1番疑問に思ったのが…。
ラスト。
死んだと思った典子さんが生きていた事が分かり会いに行くシーン…。
まったくもって感動出来ない後味の悪いラストだ。
純粋に運良く生き残っていたなら、あまりにご都合主義的展開で萎えるし蛇足。
首の黒いアザが考察されてるようにゴジラ細胞で、それによって助かって生存していたなら…。
敷島の戦争がいつまでも終わらない事になってしまうではないか。
こちらだと映画のメインテーマ、戦争を終えるからは大きくズレてしまう。
ゴジラは死んで無いと思わせるシーンは、その前の海中へと沈んでゆく半壊のゴジラの蠢く塊を見せてる事で成立している。
どう考えても黒いアザは、敷島の戦争はいつまでも終わらないぞと見せたい演出にしか見えない。
敷島をさらに苦しめてどうしたいの?
あのラストよりは、銀座のゴジラ事変で確実に慰霊碑が出来るだろうから、その銀座慰霊碑に明子ちゃんと二人で詣る姿を見せ歩き出すような終わらせ方のがよっぽど自らの戦争を終わらせるストーリーラインとしては納得いく。
私には山崎貴監督が見せたい画、撮りたい画、思いつきの画だけを撮っていただけで、キャラの整合性や自らのテーマすら無視し。
感動の押し売りをしたいが為に適当に作ったようにこの映画からは感じた。
まとめ。
ゴジラマイナス1は、ストーリーラインは良いのだ。本当に良いのだ。ゴジラのCGも決して悪くはなかった。
だからそれだけで60点は出せる。
だが、物語の演出と見せ方、特撮があまりにも下手過ぎる。
どれもこれもチグハグだらけの中途半端に作られてて見てられない。
私には、何度も見たいと思えるレベルの映画ではなかった。
特撮愛溢れるあなたのレビューに共感しました。この映画は人間心理や行動をとても粗末に扱ってると感じます。仰る通り本当にゴジラを倒したい人々の行動から外れてるし細かい描写が無さすぎる。そして説得力が無さすぎるし都合が良すぎる。私が気に入らないのは海に落ちたヒロインがすぐ逃げ惑う人々に混ざっているシーン。いやいや、海辺で身を潜めた方が安全だろうと思いました。その後人混みお構いなしに主人公が愛の力で一直線で迎えに来るシーンを撮影したかったのでしょうが、本当に助かりたい人が選択する行動ではないですよね。一番危惧してるのはこんな内容で絶賛する人々の多いこと多いこと。観客大丈夫か?と本気で心配しています。
共感ありがとうございます。
首の痣について、なるほどと思いました。
私は「戦争を終わらせたい」ということだけは描けていたと思っていたのですが、えい六さんのおっしゃる通りゴジラ細胞だとすると確かに描けていない、成り行き任せになりますね。
山崎監督「ゴジラはもう誰にも続編を譲りたくない」と語ったそうで。
結局お金儲けが狙いなんですね。
私は山崎監督と同じくらいの年齢の長崎生まれ長崎育ちなので、長野県の人間は戦争を軽く捉えられるくらいのお育ちなんだなと呆れましたよ。私の年齢の長崎佐世保はアメリカの占領地ががっつり残っておりましたので。