「↓+↑+!=⭐︎?」ゴジラ-1.0 だるちゃさんの映画レビュー(感想・評価)
↓+↑+!=⭐︎?
これまで良くも悪くも数多の作品が作られて来た、もはや日本の伝統芸能とも言えるゴジラですが、ついに令和5年の最新技術を結集して、昭和29年への原点回帰というか、換骨奪胎というか、ゴジラ正史の大本命が爆誕したな、というのが観終わった時点の素直な感想です。
恐らく、昭和29年に円谷英二氏が作りたかったのはこの様な作品だったのではと思います。
この作品を観て、観客としては大喝采しつつ、製作者としては歯噛みされているのではと感じました。
これまで多数のゴジラ作品を観てきましたが、全てテレビやビデオでの鑑賞でしたので、お金を払ってまで劇場へ足を運ぼうという気になったのは本作が初めてです。
折角ならと、西日本最大(?)の109EXPOCITYでIMAX鑑賞しましたが、心の底からこの環境にして良かったなと感じました。
山崎監督といえば、やはり真先に頭に浮かぶのは「永遠の0」ですが、敷島のイメージは宮部に大きく重なりますし、佐藤直紀の劇伴も永遠の0をセルフオマージュしつつ、非常に密に伊福部昭の劇伴と融合していて、原点をリスペクトしつつ、オリジナルの主張もしており、温故知新の成功例だと思います。
また、時代背景が戦後間も無くだとは知っていましたが、まさか雪風や震電の勇姿が大画面で観られるとは思いもしなかったので、鳥肌ものでした。
当時の戦艦や戦闘機に造詣の深い山崎監督ならではの脇役(?)選びで、単に大迫力の怪獣映画というだけではなく、戦争映画のファンも歓喜した事と思います。
また、最高傑作の呼声が高いシンゴジラでは深海魚のラブカがモチーフに設定されていましたが、本作では序盤のT-REXからしても、魚類ではなく爬虫類ベースの造形になっているのも好印象でした。
外見から察するに、ガラパゴスのウミイグアナがモチーフになったのではとされたのだと想像しますが、水生爬虫類であるからこそ、泳ぎが得意なのも当然で、着ぐるみでは実現不可能な、泳いでいるゴジラを正面から間近に観られたのも非常に斬新でした。
シンゴジラは、庵野監督が円谷ゴジラを自分の世界観へ引きずり込んだ上での傑作であるのに対して、ゴジラ-1.0は、山崎監督が初代ゴジラの懐に飛び込んで、その中で良い部分を引き出しつつ、自分の得意分野を融合させた傑作だと思います。
少し残念に感じたのは、山崎監督の優しさが仇となって、ラストで興醒めしてしまった点です。
銀座上陸時の死亡者数が3万人以上と報道されている中で、典子だけ(?)が奇跡的に生きていた事にするのは、いくらなんでもご都合主義だと感じましたし、そもそも逃げ惑う雑踏の中で敷島と典子が出会える奇跡にも、微妙な違和感を感じてしまいました。
また、海神作戦時のゴジラは、相模線の海溝の真上であるにも関わらず、陸上で二足歩行するのと同じ姿勢で直立していましたが、足場がある訳では無いので、本来ならウミイグアナの様に腹這いの潜行姿勢になっているのが自然だと思いますがら、いかにもロープを巻いてもらうのを待っているかの如き描写にも、不自然さを感じてしまいました。
極め付けは、敷島と典子が生きていた事です。
特攻礼賛と解釈される事を配慮しての設定かもしれませんが、数万人規模の未曾有の死者を出しているに関わらず、何故か主人公とその家族だけは無事だと、「へぇ〜、結局はそういうオチにしたのね。」と冷めた気持ちになってしまいました。
東日本大震災でも、家族を亡くした方が多数いらっしゃる中で、その様な悲劇を経験しても力強く復興する日本の底力を表現しようとしたのなら、安易に主人公の家族内に閉じたハッピーエンドにするのではなく、他の方と同じ苦しみや悲しみを受け入れつつ、敷島や典子の犠牲の上で生き残った明子が立派に成長し、両親の墓参りをしながら、強く生きていく事を誓う展開の方が、よっぽど腹落ちしたと思います。
但し、あれだけの爆風に吹っ飛ばされた典子がほぼ無傷に近い状態だった上に、微笑む表情が人外の存在であるかの様な不自然さを感じました。
首筋にあった背ビレ模様のアザが、実はゴジラが撒き散らしたゴジラ細胞に侵食された部分であり、急回復もその影響だったというオチなら納得出来ます。
その場合は、同様の回復者が続出すると思われますし、更にそれがシンゴジラにおける第五形態のメタファだったという強烈な毒設定だとすれば、ブラボーの拍手を惜しみなく贈りたいと思います。
何れにせよ、作品全体については非常に大満足の傑作でした。